第一章目次へ


   ACT−7:生命の因果、心の絆

 ほんの一瞬の意識の混乱を経た、次の瞬間には周囲の様子は一変していた。
球体を思わせるホールは静かな空気の漂う書斎に姿を変え、それを確認した老
人はほう、と深いため息をついた。
「やれやれ、どうにか離脱できたのぉ……」
 のんびりとした口調でこんな事を呟く老人の胸ぐらが、突然掴まれた。その
手の先をたどれば、感情をむき出しにしたウォルスが怒りに震えながら老人を
睨み付けている。
「何故だ! 何故、勝手に逃げ出した!」
 続けて叩きつけられた感情的な言葉に、老人はやれやれ、とため息をついた。
「答えるのは構わんが、できれば手を離してくれんかのぉ? この態勢は疲れ
るんじゃがなぁ……」
「ふざけるな! とにかく、質問に答えろ!」
「やれやれ……」
 叫ぶような問いに老人は大げさなため息をつき、それから、胸ぐらを掴むウ
ォルスの手にぽん、と手を触れた。パシッという軽い音が響き、ウォルスは顔
をしかめて手を離す。どうやら、魔力を使って衝撃を与えたらしい。
「少しは、落ち着いたかの?」
 からかうような問いに、ウォルスは不機嫌な面持ちで老人から目をそらした。
「まぁま、そんなにカッカとしなさんなって……正直、あんな物騒な呪文を乱
発されちゃ、勝ち目は無かったぜ?」
 襟元を整える老人に代わり、スラッシュがごく軽い口調でこう言うと、ウォ
ルスは苛立たしげに口元を歪めた。
「しかしまあ、あんたもとんでもないねえ。あんだけがっちりとシールドされ
た空間から、こんだけの人数をテレポートで連れ出すなんてよ?」
 そんなウォルスの様子に処置なし、と肩をすくめたスラッシュは、老人に向
けてこんな言葉を投げかけた。老人は得意そうな様子でほっほ、と笑い声を上
げる。
「まあ、わしとて大魔導師の端くれ、あの程度の芸当は造作もないわ」
「へいへい、そーでございますかぁ」
 得意がる老人を軽くいなすと、スラッシュはランディの方を見た。ランディ
は剣を両手に握ったまま、虚ろに座り込んでいる。その様子にスラッシュが声
をかけようとするのを遮り、老人はゆっくりとランディに歩み寄ってうなだれ
た肩にぽんっと手を置いた。
 ……パシッ!
「……っ!」
 再び軽い音が響き、伝わる衝撃にランディははっと我に返った。
「……しっかりせんか、ランディール。いや……今は、ランディじゃったか」
 ぎょっとしながら顔を上げたランディに、老人は静かな口調でこう呼びかけ
る。突然の衝撃に動転していたランディはその言葉、特にランディール、とい
う呼びかけに戸惑い、きょとん、と瞬いた。
「……あなたは……」
「なぁんじゃ、もう忘れておるのか? 昔は魔法のじいちゃんと呼んで、よう
懐いてくれておったのに?」
「……え?」
 からかうような言葉に、ランディは老人の顔をまじまじと見つめた。柔和な
笑みを浮かべたその顔には、微かに見覚えがある……ような気がする。ランデ
ィは戸惑いながら記憶を探り、
「……アーヴェルド……さま? お祖父様の、冒険仲間だった……」
 記憶の片隅から一つの名前を見つけ出した。そして、老人は満足げな面持ち
で一つ、頷く。
「ヴォルフから、勘当されたと聞いてどうしていたのかと思っていたが……ま
さか、こんな形で会う事になるとはのお……」
 静かに言いつつ、アーヴェルドはランディの頭に手を乗せて、くしゃっと髪
をかき回した。覚えのある感触に、ランディは心持ち表情を和らげる。その変
化にアーヴェルドは一つ頷いて手を離し、ランディは立ち上がって剣を鞘に収
めた。
「でも……驚いたな……貴方が、ファリアのお師匠様だったなんて……」
「わしも、最後の愛弟子と、腐れ縁男の孫が一緒にいるとは、思いも寄らんか
ったがの」
「……ふつー、思わんわな」
 軽い口調にスラッシュがぼそっと突っ込みを入れた直後に、こんこん、とい
う音が響いた。どうやら、ドアがノックされたらしい。
「マスター、お戻りですか?」
「おお、ラフィアンか。戻っておるよ」
 続けて聞こえてきた声にアーヴェルドはこう応じ、それを受けて開いたドア
から、細身の青年が室内に入ってきて恭しく一礼した。何気なくそちらを見た
ウォルスは、覚えのある姿に微かに眉を寄せる。
「……お前は……」
「ああ、どうも。ご無事でしたか」
 ウォルスに気づいた青年――ラフィアンは、にこ、と微笑んで見せた。ウォ
ルスはまあな、と言いつつ視線をそらす。
「なんじゃ、ラフィアン、こちらさんを知っておるのか?」
「はい。離宮の状況整理をしている時にお会いしました。レムニアに向かうと
言われたので、どうなさったかと思っていたのですが……ご無事で何よりです」
 アーヴェルドの問いにラフィアンはにこにことしつつこう答える。その言葉
に、ランディはふと疑問を感じてそちらを見た。
「離宮の状況整理……そう言えば、チェスターは? 無事なんですか?」
「はい。ただ……精神的なダメージが大きいようで、それが……」
 ランディの問いにラフィアンは苦笑めいた面持ちでこう答える。だが、それ
も無理はないだろう。ディアーヌが連れ去られたとなれば、近衛騎士としての
忠義、そしてそれ以上の感情を彼女に抱くチェスターには大きな精神ダメージ
のはずだ。
「……あいつは……どうしてる?」
 続けてウォルスが短く問いかけ、これにラフィアンは変わりませんよ、と短
く答える。ウォルスはそうか、と呟いて、小さくため息をついた。
「まあ、しばらくは休ませてやるべきじゃろう……さて、ラフィアン。済まん
が居間に茶を用意してはくれぬかのぉ? 状況を整理せねば、次の行動が起こ
せぬからな」
「かしこまりました、しばらくお待ち下さい」
 アーヴェルドの言葉にラフィアンは優雅な一礼をして部屋を出た。青年が行
ってしまうと、魔導師は三人の顔を順に見回す。
「……ともあれ、まずはそれぞれの情報を整理するべきと思うのだが……どう
かの?」
「……一理あるねえ」
「不満がないとは言わんが……今は、それが最善だな」
「そうだね……何だか、一度にいろんな事が起きて……何が何だかわからない
よ、もう」
 アーヴェルドの提案に三人はそれぞれこんな言葉を返し、この返事に老魔導
師は満足げな面持ちで一つ頷いた。

「さて……では、誰から話をすれば上手くまとまるかのぉ?」
 それから約十分後、一同はアーヴェルドの屋敷の居間のソファに落ち着いた。
ゆったりとした椅子に腰を下ろしたアーヴェルドは、ラフィアンのいれた紅茶
を一口啜ってから三人の顔を見回して問いを投げかける。
「……ガレス・ハイルバーグのやろうとしている悪事の暴露からってのが、適
当だと思うぜオレは?」
 それにはスラッシュが軽い口調で応じた。
「……悪事……悪事ってスケールかなぁ、あの計画って……」
 ライトな物言いに、ランディがこんな呟きをもらして室内の注目を集めた。
「一体、あの男は何をやろうとしてるんだ?」
 静かな口調でウォルスが問う。ランディは一つため息をついて、ガレス自身
から聞いたその計画について説明した。
「……そうか……やはり、それをやろうとしていたのか」
 一通り話を聞いたアーヴェルドが低く呟く。
「やはりって事は、あんたはそれを予測してた……って事かね?」
 スラッシュの問いに老魔導師は一つ頷いた。
「今から十年前……伝説の大魔導師アシュレイ・リーロイルの研究所の跡が、
遺跡として見つかってな。ガレスをリーダーとした調査隊が、そこの調査に向
かったのじゃが……」
 ここで、アーヴェルドは深いため息をついた。そしてランディはその話にふ
と疑問を感じる。
「……十年前に見つかった、大魔導師の研究所跡……?」
 どこかで聞いたような話だった。ランディは眉を寄せつつ記憶をたどり、そ
れが以前、刻の遺跡で聞いたファリアの身の上話と合致している事に気づいた。
「あの、その調査隊って言うのは、ファリアのご両親が参加したっていう、調
査隊の事ですか?」
「そうじゃよ。何故、それを……?」
「え? 前に、ファリアから聞いたんです。その調査隊に参加して……結局、
ご両親は戻らなかったって聞いていますけど……?」
 問いに、アーヴェルドはそうじゃ、と言ってまたため息をつく。
「わしも、最初はまさかと思ったのじゃがな……ファーヴィスもレイリアも手
練の冒険者、そしてわしの愛弟子たちじゃった。そう簡単に生命を落とすとは
思えんかったのだが……」
 話している内に昔の事を思い出したのか、老魔導師の瞳が陰りを帯びた。
「それで……確かその調査隊って、一人を除いて全滅したって……つまり、そ
れって……」
「……ガレス一人が生還した……と言う事だろう?」
 ランディの疑問にウォルスが素っ気ない口調で結論を出し、老魔導師は一つ
頷いてそれを肯定した。
「正確には、一人と一匹じゃよ。レイリアの使い魔が、わしの所に戻って来た
からの……もっとも深手を負って、あまり長くは持たなかったがな……しかし
そのお蔭で、わしは調査隊に何があったのかを知る事ができた……」
 言いようもなく重く、静かな言葉に場の雰囲気が一気に緊張した。アーヴェ
ルドはカップの茶を一口啜り、ゆっくりと話し始めた。
「調査自体は、問題なく進んでおった。王国でも屈指の手練を十人も集めたん
じゃから、まあ、当然と言えるな。そして、遺跡の最深部に到達した調査隊は、
ある物を見つけた。いや……見つけてしまった、と言うべきじゃろうな」
「何か、ヤバいもんだったのか?」
 スラッシュの疑問を、老魔導師は頷く事で肯定した。
「最深部にあったのは、儀式の間……大魔導師アシュレイがその生涯を費やし
て研究していた、時空ゲート発生のための儀式を行う場所じゃった」
「……時空ゲート?」
 耳慣れないその言葉に、ウォルスが怪訝な声を上げる。
「異なる時空に存在する世界同士を結ぶ、門の事じゃよ。大魔導師アシュレイ
は、その研究に一生涯を費やしていたと伝えられておる。
 じゃが……その研究がどうなったかは、誰にも知られてはいなかったのじゃ」
「それで、調査隊ご一行はその現物を拝んで、それからどーしたんだ?」
 スラッシュが続きを促し、アーヴェルドは小さくため息をつく。
「それをどうするか、という点で、調査隊の意見は割れた。
 研究の為に王都に移設しようと主張するガレス、その危険性から破棄を主張
するファーヴィスとレイリア、そして、このまま厳重に封印してしまおうとい
う意見と、国王に報告して決定してもらおうという意見にな。
 そして、レイリアはあくまで破棄を主張した」
「どうしてですか?」
 ランディの問いに、アーヴェルドは何故か口を噤んでしまった。
「……アーヴェルド様?」
「……感じとったのだよ、レイリアは。この研究が、世に知らされなかった一
番の理由を」
「一番の、理由?」
「未完成品だった、とでも言うのか?」
「……そんな生易しいものではない」
 ウォルスの問いにアーヴェルドは低くこう答え、あまりにも深刻なその様子
にランディたちは顔を見合わせていた。
「それじゃ……どうしてなんです?」
「……時空ゲートの理論は完成していたが、それは、犠牲を持って成立する理
論じゃった。『門』となるべき者と、『呼び鈴』となるべき者……この犠牲を
払って初めて、時空ゲートを開く事ができるのじゃよ」
「『門』と……『呼び鈴』、ですか?」
 その言葉を聞いた瞬間、何故か嫌な予感がランディの心にわき上がった。
「そう……『門』とは即ち、天性の接点。生まれつき、異世界との接点として
の天性の資質を持つ者の事。そして『呼び鈴』は、異世界に呼びかける者。い
ずれも相当な魔力の許容量がなくては勤まらず、また、ゲート解放の為に力を
使い果たして死に至るは必定……即ち、儀式の生贄となるべき者たちなのじゃ」
「で〜、ひでえ欠陥商品だね、そりゃ。そんなんじゃとても、市場にゃ乗らね
〜ってな」
 重々しく告げられた言葉に、スラッシュが軽い口調で皮肉を言う。
「そう……その場に残されていた資料に当たったレイリアは、その欠陥とも言
うべき理論に気づき、故に破棄すべきと主張したのじゃ。
 破棄せねばならぬ……と思ったのじゃろうな、それがアシュレイの……自ら
の祖先の残した物であるから、尚更そう感じたのじゃろう。
 子孫にすら伝えずに封じていた祖先の心、魔導師であるが故に、自らの研究
の破棄に踏み切れなかったその悲哀を感じたから、な」
「……しかし、ガレスはそれで良し、とはしなかった」
 ウォルスの呟きに、アーヴェルドはうむ、と一つ頷く。
「後は、なし崩しじゃ。ガレスは……昔から、ファーヴィスを快く思ってはお
らなんだが、その思いが激昂に結びついたのか、とにかく自制を失ってな……」
「……勢いに任せて、殺っちまった、と。で、後はなし崩しに大虐殺……か?」
 軽い口調で後を引き取るスラッシュに、老魔導師は一つ頷いた。
「……クリルは……レイリアの使い魔は、その時点でそこから離脱させられて
な。その後の事はわからんのじゃが……とにかく、ガレスは一人戻り、遺跡に
残されたガーディアンの奇襲で調査隊は壊滅、遺跡は崩壊した……と報告した。
 わしも後から行ってみたのじゃが、事実、遺跡は崩壊しておった。だが……
儀式の間にあった物は、何一つ残ってはおらなんだ」
「ガレスが持ち出して、痕跡を隠すために、遺跡を破壊したって訳か……」
 ウォルスの呟きに、アーヴェルドは重いため息をついた。
「……そして、ガレスは、見つけてしまったのじゃよ。『門』と『呼び鈴』の
適合者をな」
「……それが……ファリアと、ディアーヌ様、ですか?」
 ランディの低い問いに、アーヴェルドはうむ、と頷いた。
「ディアーヌ姫には、神官としての資質の他に、異次元と接触して用いる、次
元魔法の使い手としての強い才が見受けられる。それは異世界との接触に関し
て天性の資質がある、という事になり、その事実は姫が『門』の適合者である、
という事実にもなる。
 そして、ファリア……あの子には、計り知れぬ力がある。あの子自身がその
事実に気づいておらぬが故に、発現には到っておらぬようじゃが……大魔導師
アシュレイの直系子孫の名に恥じぬ、凄まじい魔力が秘められておるのじゃよ。
そしてその魔力は、『呼び鈴』の適合者として十分なレベル……いや、恐らく
あの子以外に『呼び鈴』は務まるまいな」
 静かな説明にランディはぎゅっと唇を噛みしめ、それから、低い声で更に問
いを接いだ。
「……それで……儀式が行われたら……ファリアは……」
「恐らく、魔力枯渇を起こした挙げ句、生命を落とすじゃろうな……ディアー
ヌ姫様も」
「……そんな……くっ!」
 静かな言葉に、刹那、ランディの自制心が弾け飛んだ。ランディは立ち上が
ると剣を片手に走り出そうとするが、
「待ぁちなって」
 軽い口調と共に繰り出されたスラッシュの足払いをまともに受けてバランス
を崩した。
「何、するのさ!」
「今は、作戦会議中だろ?」
 つい感情的になって叫ぶように問うと、スラッシュはペースを崩す事なく、
飄々としてこう答えた。ランディは唇を噛みしめつつ座っていた椅子に戻るが、
アメジストの瞳は苛立ちと怒りに陰っていた。
「ま、これで、悪事の根源は知れた、と。んでだ、お前さんの私怨についても
さ、ちぃっと話してくんない?」
 ランディが椅子に戻ると、スラッシュが相変わらず軽い口調でウォルスにこ
う呼びかけた。ウォルスはああ、と言って、目を閉じる。
「……オレは……ずっと、ガレスを倒す事を考えてきた。その為に、占術師と
して魔法を学び、符術を学んだ……この手で、奴の生命を断つために……」
「何故、そうまでして、ガレスを倒す事にこだわる? 母がどう……とか、言
うておったようだが?」
 アーヴェルドの問いに、ウォルスは閉じていた目を開いて大きく息を吐いた。
「奴を……ガレスの戯れを信じ、全てを許した母は、オレという遺恨だけを抱
え、後は悲しみだけを背負わされた。そしてオレは、周囲の怒りと嘲りを背負
いながら生きる事を余儀なくされていた……」
「では、お主は……ガレスの?」
「オレは、奴を父などとは認めてはいない! 奴は、倒すべき敵……それだけ
だ!」
 探るようなアーヴェルドの問いに、ウォルスははっきりそれとわかる憤りを
込めた声で叫ぶように応じた。ランディはその様子を戸惑いながら見つめてい
たが、ふとある事に思い至り、それを疑問として投げかける。
「だから、エスティオン……『復讐者』って名乗ってたの?」
「まあな。復讐を遂げるまで、オレは平原に戻る事はない……本来の姓は、そ
のつもりで封じた。もっとも、復讐が終わったところで平原に帰るつもりはな
いがな……あそこに、オレの居場所は……ない」
 呟くように答える刹那、蒼氷の瞳はどことなく悲しげに陰っているように見
えた。が、確かめる間もなくウォルスは再び目を閉じ、瞳を覆い隠してしまう。
妙に重苦しい沈黙がその場に訪れるが、その沈黙はやたらと大げさなため息に
よって打ち破られた。
「はあ〜〜〜〜〜あ……なぁんかなぁ、みっなさん重っ苦し〜い理由持って、
あそこにいたってワケね。オレって悲しいなぁ、あそこにいた理由って、宮仕
えだもんねぇ」
 一種場違いとも思える大げさなグチに、ランディもウォルスも毒気を抜かれ
た面持ちでグチの主、スラッシュを見た。注目を集めたスラッシュは、にやっ
と笑ってその視線を受け止める。
「……そもそも、あんたは何者なんだ?」
「シャドウ・スラッシュってのが、まあ、肩書き兼通り名。さっきも言ったが、
オレぁ、宮仕えでね。主の名前は、ちぃと言えねえんだが、現在ガレスの配下
に収まってる女……イレーヌを追ってる」
 ウォルスの問いに、スラッシュは軽い口調でさらさらと応じた。
「でも……どうして、あの人を? そもそも、あの人は一体何をしようとして
るのさ? ハイルバーグ卿の配下に収まってるのは、計画が都合がいいからっ
て、言ってたけど……」
 続けてランディが問うと、スラッシュは顔をしかめてばりばりと頭を掻いた。
「わりぃが、そいつは教えられねぇ」
 それから、実にあっさりとこう言い切ってしまい、淡白な物言いにランディ
は拍子抜けさせられる。
「人に手の内を明かさせておいて、自分は見せられない……とは、随分と傲慢
な態度だな」
「あ〜、それ言うのってナシだぜぇ。しっかたねぇだろ、オレは宮仕えなの! 
ヘタな事言うと食いっぱぐれる、ひっじょ〜〜、に、厳しい立場にあんのよ? 
話したいのは山々でも、そうはいかねえもんなのよ」
 冷たい口調で突っ込むウォルスに、スラッシュはやや大げさな物言いでこう
切り返した。ウォルスは表情を厳しくしつつ更に追求しようとするが、それを
遮るようにドアがノックされ、宜しいですか? と問うラフィアンの声が聞こ
えた。突然の事に、アーヴェルドは怪訝な面持ちで良いぞ、と応じる。
「どうしたのじゃ、ラフィアン……おや、お前さんは……どうしたね?」
 入って来たラフィアンへ投げかけた問いは途中から、その背後の青年への問
いに切り換えられた。ランディたちもそちらを見やり、ラフィアンの後につい
て入って来た傷だらけのチェスターの姿に息を飲む。
「チェスター!」
「……ランディか……無事だったんだね」
「うん……って、そっちは全然無事じゃないじゃないか!」
「ああ……そうだな。まったく……不覚だよ」
 ランディの言葉に、チェスターは弱々しく微笑みながらこう返した。ウォル
スは無言で立ち上がり、自分の座っていた椅子にチェスターを座らせる。
「ああ……済まない……」
「いや……それは、オレが言う事かも知れん」
 腰を下ろしたチェスターに、ウォルスは低くこう返した。それに、チェスタ
ーは静かな表情でかぶりを振る。
「……襲撃された時に、不在だった事を言っているのだとしたら、気にかける
事はない。全ては、オレの不甲斐なさが原因なんだから」
「……チェスター……」
「姫を護るのが、オレの役目だったのに……不意を突かれて……挙げ句……結
果として、身の安全と引き換えに、姫を渡してしまった……オレは……オレは、
近衛騎士失格だよ」
 吐き捨てるようにこう言うと、チェスターは悔しげに口元を歪める。その短
い言葉だけで、ディアーヌがガレスの手に落ちた経緯は概ね察しがついた。恐
らく、負傷したチェスターの身の安全を条件に、ディアーヌは自ら敵に捕らわ
れたのだろう。そしてその結末は、近衛騎士という役職に強い誇りを持ってい
る彼に取って、何物にも変えがたい屈辱だったはずである。
「……散々だね。騎士の誇りも男のプライドも、挙げ句身体まで、全部ズタズ
タかい」
 俯くチェスターにスラッシュが辛辣な言葉を投げかけた。この言葉にチェス
ターはきっと顔を上げ、ランディも表情を険しくしてスラッシュを睨み付ける。
「スラッシュ! そういう言い方って……」
「真綿にくるんで言うと、もぉっと厭味になんぜ」
 そういう言い方ってないだろ、という言葉を最後まで言わせず、スラッシュ
はこう言い切った。
「で、でも……でも、だからってそんな風に言う事はないじゃないか! チェ
スターだって、好きでこんな状態になってる訳じゃ……」
「あったりめーだろーが。好きでなってたら、それこそ騎士失格だぜ」
「そ、それは……」
 何を言ってもスラッシュは動じた様子を見せない。それどころか、辛辣な口
調のまま、今度はランディに矛先を向けてきた。
「大っ体、お前さんだって、似たよーなもんだろ。護らなきゃなんないっつっ
てたけどよ、そもそも、初期段階でそれ、トチってんじゃねーか? それを棚
に上げて、人の弁護かぁ?っとに、騎士ってなあ、ご都合主義だねぇ」
「それはっ……確かにそうだけど……でも!」
「でも? でもなんだよ?」
「でも……ぼくは……」
 何とか言葉を接ごうとしたものの、結局、言葉は浮かばなかった。ランディ
は俯いて唇を噛みしめてしまう。そんなランディの様子に、スラッシュはやぁ
れやれ、と大げさなため息をついた。
「だぁ〜から、な。今は、疵を舐めあってるばーいじゃねーんだよ。あんたも
そうだぜ。落ち込んでる間に、やる事がもっと色々あんだろーが?」
 俯くランディとチェスターに向け、スラッシュは諭すような口調で問いを投
げかけた。二人は顔を見合わせ、それから、揃ってスラッシュの方を見る。
「今、やるべき事?」
「頭脳労働の専門家、大魔導師殿に作戦立案をお願いして、今は休む! どん
な無茶な救出作戦が転がり出てきても対処できるように、万全の体調を整える
のが、今のお前さんたちの仕事だとオレは思うぜ?」
 怪訝な顔で問いかけると、スラッシュは軽い口調でこう言って、ウィンクし
てみせた。予想外の返事にランディもチェスターも呆気に取られてしまう。
「そう、ぽかんとする事もあるまい……これは、名案じゃよ?」
 そんな二人に、アーヴェルドが穏やかな口調でこう言った。
「しかし……」
「確かに、今のお前たちに必要なのは、休息だな……」
 反論を試みるチェスターをウォルスが静かに遮ると、アーヴェルドが、お前
さんもな、と付け足した。
「っつー訳でさ。露骨な怪我人と精神ダメージ過多は、休めや。作戦立案は頭
脳労働専門と、諜報活動専門に任しとけって♪」
 妙に楽しげな口調でスラッシュが言うに至り、ランディもチェスターも反論
を諦めた。わかりました、と頷く二人にうむ、と頷いて、アーヴェルドはドア
の横に控えるラフィアンを見る。ラフィアンはそれに頷いて一歩前に進み出た。
「客室の支度は整っております。まずは、お身体をお休めになって下さい」
「……ありがとう……」
「その言葉は、マスターにお願い致します」
 短い礼にラフィアンはにっこり微笑ってこう返して来た。そして、ランディ
とチェスター、ウォルスの三人はラフィアンと共に居間を出て行く。後に残っ
たアーヴェルドとスラッシュはほぼ同時にお互いの方を見た。
「……スラッシュ……と、言ったかな、お若いの?」
「ああ」
「お前さん、宮仕えと言っておったが……」
「聞きっこナシだぜ、そいつは。好きに想像して、勝手に納得してくれや」
 アーヴェルドの問いをスラッシュはややおどけた口調で遮り、老魔導師はそ
うか、と呟いてそれ以上の詮索を思い止まる。
「んで? あんたにはなんか、この状況を打破する策はある訳?」
「……勿論じゃよ」
 妙に楽しげなスラッシュの問いに、アーヴェルドもまた、楽しげににやり、
と笑って頷いた。

← BACK 第一章目次へ NEXT →