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   ACT−4:蒼の凶鳥・紅蓮の魔獣

 本と巻物。空間の大半を埋めつくすそれらが、その部屋の主と呼ぶに最も相
応しいと思われた。壁は天井に達するまで本の詰まった書架で覆われ、そこか
しこに巻物が積み上げられている。
 しかし、そんな威圧的な空間の向かいには豪奢なソファとテーブルが設えら
れ、その部分はこの空間の主が人間であると主張していた。
 そしてその、人の生活空間には今、二つの人影があった。一人はソファに鷹
揚に腰を下ろした壮年の男性、もう一人は肌を多く露出した際どい装いの若い
女――イレーヌだ。
「……そうか……またも、しくじったか」
 黒いマントとローブに身を包んだ、一見して魔導師とわかる出で立ちのその
男は、嘆息するようにこう呟いた。これに、イレーヌははい、と言って頷く。
「ふむ……あれほどの者でも、奪取は叶わぬとはな……まあ、仕方あるまい。
それで、『鍵』と『呼び鈴』が、『門』と共にあるというのは、事実か?」
「はい。そのため、『門』の奪取に手間取っている、というのが現状ですわ」
「ほう……」
 この言葉に、魔導師は低い声を上げて口元を笑みの形に歪めた。その双眸に
は、危険な雰囲気の光が宿っている。
「やはり、力は集うべき場所に集うが全ての理か……して、今後は?」
「それぞれの確保に努めますわ……何分、『門』の護衛も手強い者ですから」
「護衛……あ奴らか……」
 短い報告に、魔導師は満足げな表情を不機嫌なものにすり替えて憎々しげに
こう吐き捨てた。
「まあ良い。確保についてはこれまで通りお前たちに一任する。くれぐれも、
『門』を傷つける事ないようにな……あれほどの逸材、そうは生まれぬ。丁重
にお連れせよ」
「御意……」
 慇懃な響きを含む指示にイレーヌは優雅な仕種で頷き、姿を消した。後に残
った魔導師はゆっくりとソファから立ち上がり、部屋の一画に設えられた台座
の方へ歩み寄る。台座の上では一抱えほどもある巨大な水晶球が、虹のそれを
思わせる鮮やかな光彩を放っていた。
 魔導師は満足げな笑みを浮かべつつ、その光彩をじっと見つめていた。

「……って、言われたんだけど」
 薄暗い森の一画で、イレーヌはカシュナーにこう告げた。その露骨に不機嫌
な表情を、カシュナーはそれと同じ、いや、遥かに越える不機嫌な面持ちで見
つめ返す。
「……ふん……好き放題に言ってくれるぜ……」
「好き放題言われてるのは、あんたのせいでしょう?」
 吐き捨てた言葉にイレーヌはすかさず切り込み、カシュナーは渋い顔を、更
に渋く歪めた。
「……予定外の邪魔のせいで、な。まあ、いい……そろそろ、決着をつけねば
ならんからな……」
 こう言うと、カシュナーは背後に向き直った。そこには、冷たい印象を受け
る蒼い炎が燃えている。カシュナーは抜き身の短剣を携えつつ、その炎の前に
立った。イレーヌは一歩引いて、その様子を見つめる。
「……我と盟約を結びし、深き常闇よ……そこに蠢く、無数の闇の魂よ……我
が声を聞き、我が求めに応じよ。我は求めん……猛々しき破の力を帯びし存在
……熱き血を求めし存在を……」
 低く唱えられる呪文に応じるように、青白い火が揺らめいた。
「我は求めん。猛々しき破の力を帯びし存在、熱き血を求めし存在よ。血の盟
約を結びし我の声に従い、眠りの闇より目覚め、いでよ!」
 ゴウっ!
 鋭い叫びに呼応して、青白い火は炎となり、激しく燃え上がった。炎は燃え
上がりながら形を変え、やがて、猛々しい雰囲気の鳥を形取った。その姿に、
呪文を唱えていたカシュナーは満足げにくくく、と笑う。
「……凶鳥フレスベルグ……我、我が血と名を持って汝と契約を結ばん……」
 シュっ!という軽い音を伴い、鈍い銀色の光が閃いた。カシュナーが手にし
た短剣で自らの手首を切り裂いたのだ。そして、血の滴る手が炎の鳥に向けて
差し伸べられる。
「我が名はカシュナー・リグルゥ……我が血を契約の証とし、血の盟約により
今、この時より汝の主となる!」
 宣言と共にカシュナーは炎の鳥の中に血の滴る腕を押し込んだ。その瞬間、
炎の鳥の色が蒼から紅へ、それも鈍い血の色へと一気に変化する。
 クエエエエエ!
 血の色に染まった炎の鳥は奇声を上げて激しく羽ばたき、それはやがて蒼い
光をまとった巨大な黒い鳥へと姿を変えた。それを見たイレーヌはあらあら、
と感心したような声を上げる。
「ずいぶんと豪華ねぇ……それじゃ、あたしも久しぶりにあの子を呼ぼうかし
らね」
「……たまに、血を吸わせないと、拗ねるぞ」
 イレーヌの呟きに、カシュナーは手首の血をぺろりと舐めつつ物騒な突っ込
みを入れた。イレーヌはじゃあ尚更、と妖艶な笑みを浮かべる。
「で、いつ仕掛ける?」
「……別に、今すぐでもいいんじゃないの?」
 問いに対するイレーヌの軽い言葉に、カシュナーは口元をにやり、と笑みの
形に歪めた。それに呼応するように、黒い凶鳥がクエエエエっと声を上げる。

 ただならぬ雰囲気に怯えるように風がざわめき、小鳥たちが逃げるようにそ
の場から飛び立って行く。
 それはさながら、ささやかな平穏の終焉を意味しているかのようだった。

「……あれ……?」
 日課の素振りを終えた所で、ランディはまたも異変を感じていた。この間の
イビルアイ・ウルフの時と同じ、いや、下手をすればあの時よりも遥かに大き
な違和感が感じられる。周囲を見回しつつテラスまで下がった時、ちょうど、
ウォルスが中から現れた。
「……ウォルス……」
「ああ……どうやら、また来たらしい……飽きもせずに……」
 呆れたように吐き捨てる、その手には既に紋様を描いた真新しいカードが握
られている。ふわりと庭に飛び降りたウォルスとランディが背中合わせに立ち
位置を定めた時、
 クエ───────ッケッケッケ!
 という奇怪な叫び声と、
 ばきばきばき……ばささささあっ!
 という派手な音が森の方から響いてきた。はっとそちらに向き直った直後に、
視界いっぱいに黒い影が広がる。それがこちらに突進してくる、と悟った二人
は左右に飛び退き、その攻撃を避けた。奇襲に失敗した襲撃者は邸に衝突する
直前で急上昇して空へと逃れる。空に浮かび上がったそれは、漆黒の巨大なカ
ラスのように見えた。
「あれは……?」
「……凶鳥フレスベルグ! 魔界の化け鳥だ……来るぞ!」
 ランディの疑問に答えつつ、ウォルスは手にしたカードをフレスベルグへと
投げつける。カードは空中で砕け散り、疾風の刃となって凶鳥の翼を傷つけた。
 ギエエエエっ!
 漆黒の羽が舞い散る中、フレスベルグは奇声を上げつつ激しく羽ばたいて突
風を巻き起こした。叩きつける衝撃に一瞬、二人は動きを封じ込まれるが、飛
来したエネルギーの矢が凶鳥に衝撃を与えて羽ばたきを止めた。
「ランディ、大丈夫!?」
 一瞬遅れて聞こえて来たファリアの声に、ランディは一つ息をついてからう
ん、と答えた。それからきっと表情を引き締め、上空に身構える。フレスベル
グはテラスのファリアに忌まいましげな一瞥くれると、奇声と共にウォルスへ
と急降下した。
「……当たるか、馬鹿が」
 対するウォルスは余裕綽々、こんな言葉と共に身を翻してその攻撃を避ける。
攻撃を避けられたフレスベルグは器用に減速して地面との衝突を避けると、そ
の鋭い嘴でウォルスに突きかかってきた。ウォルスは巧みな回避でそれを避け
続け、フレスベルグは執拗に彼を追う。そうなると必然的にランディに対して
無防備な背面を晒す事となり、
「……はっ!」
 気合と共に振るわれた刃が漆黒の羽を散らした。
 グエエエエエエっ!
 フレスベルグは絶叫と共に激しく翼を羽ばたかせ、その衝撃でランディを吹
き飛ばそうと試みるが、
 ……ヒュンッ!
 その突風を物ともせずに飛来した一筋の矢に右目を射抜かれ、一瞬動きを止
めた。やや遅ればせながらチェスターと、そして、ニーナも出てきたのだ。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
「見ての通り、死人は出ていない……っと!」
 ニーナの問いに答えた矢先に、痛みから立ち直ったフレスベルグがウォルス
に突きかかって来た。そのまま、鉤爪と嘴で執拗に攻撃を繰り出して行く。召
喚した者――カシュナーの意図なのだろうか。まるで、他の者は目に入ってい
ないかのようだ。
「ニーナ殿、守護魔法を! ファリアさんはランディを援護して、攻撃してく
れ!」
 それと悟ったチェスターはとっさにこんな指示を出して弓に矢をつがえた。
それに応じてニーナは祈りの力を集中する。ファリアも頷いて魔力の集中をは
じめた。チェスターはつがえた矢を放つと庭に飛び降り、場所を変えながら的
確な射撃で凶鳥を捉えていく。
「夜空の主たる月の神よ、その慈悲深き衣をこの場に舞い下ろしたまえ……」
 囁くような言葉と共に、淡く煌めく光の衣がふわりと舞い降りて一同を包み
込む。ファリアはマジックアローでフレスベルグを攪乱し、ランディとウォル
スにそれぞれ攻撃と回避のタイミングを掴ませた。
 グエエ……ケ──────────っ!
 絶妙のタイミングで繰り出される攻撃に苛立ったフレスベルグは、奇声を上
げるや突然、攻撃対象を変えた。ウォルスに向かうと見せかけ、チェスターへ
向けて鋭い爪を繰り出す。チェスターは横っ飛びにその一撃を避けるが、弾み
でつがえていた矢が弦から外れてしまう。
「ちっ!」
 苛立たしげに舌打ちしつつ、チェスターは矢筒から次の矢を取り出そうとす
るが、フレスベルグはそれをさせじと突風を繰り出した。衝撃にチェスターは
動きを封じ込まれ、フレスベルグは突風を起こしつつ鉤爪を繰り出す。
「異界に満ちし妖しの力、我が盟友を介し、我が同胞を護る障壁とならん!」
 不意に、ウォルスが左腕を天にかざしつつ鋭い声を上げた。それに応じて淡
いブルーの光が弾け、その光がチェスターを包み込む。直後に振るわれたフレ
スベルグの鉤爪がチェスターを捕らえ──
「……え?」
 なかった。
 確実にチェスターを捕らえたはずの鉤爪は何故か空を切り、勢い余った凶鳥
は態勢を大きく崩す。思わぬ事態に一瞬戸惑うものの、その隙を逃すまいとラ
ンディは地を蹴って跳躍し、フレスベルグの背に取りついた。
「ランディ!」
 ギェ────っ! ケッケッケッ!
 ファリアが声を上げ、フレスベルグも騒ぎ立ててつつランディを振り落とそ
うとするが、思うようには行かない。思い余ったフレスベルグは翼を羽ばたか
せて宙に舞い上がった。そのまま一回転して振り落とそう、というつもりなの
だろう。
「とっとっ……落ちるかっ!」
 それに対し、ランディは強攻策で対応する。強引に態勢を立て直し、手にし
た剣をフレスベルグの首筋に当たる部分に突き刺したのだ。
 グゲエエエエエエエっ!
 衝撃と激しい痛みに凶鳥は一際大きな声を上げ、空中でじたばたと暴れだす。
ランディは構わずに剣を押し込み、その切っ先を凶鳥の喉元に突き抜けさせた。
凶鳥の身体が空中で強張り、一瞬の隙を突いて放たれた矢がその心臓に突き刺
さった。
「……お見事」
 ウォルスが低く呟く。
 フレスベルグは硬直した姿勢のまま、重力に引かれて、落ちた。ずうううん
……という響きと共に土埃が舞い上がる。地についた途端、フレスベルグの身
体は黒い閃光を放って消え失せた。急に足場がなくなったため、ランディは庭
に尻餅を突く羽目になる。
「っててて……」
「ランディ、大丈夫!?」
 顔をしかめて強かに打ちつけた腰を摩っていると、ファリアが駆け寄ってき
た。それに大丈夫、と答えた矢先に、
「チェスター!」
 邸の中からディアーヌの声が聞こえた。外の騒ぎが一段落した事で、じっと
していられなくなったのだろう。ドレスの裾に足をとられそうになりながら駆
け寄るディアーヌに、チェスターは大丈夫ですよ、と笑いかけた。
「やれやれ……」
「……大丈夫ですか?」
 ため息をつくウォルスにニーナが安堵の面持ちで呼びかける。ウォルスはち
らり、とそちらに視線を向け、それから、ああ、と素っ気なく言いつつ視線を
そらした。
「……どうか、しましたか?」
 そんなウォルスに、ニーナは不思議そうに問いかける。その問いに、ウォル
スは頭を掻きつついや、と呟いた。
「……お前に心配されるとは、思っていなかった」
 それから、ぼそりとこんな事を呟く。この言葉にニーナはややムッとしたよ
うに眉を寄せた。
「それは、どういう意味ですか?」
「いや……別に」
 ややキツイ口調になった問いに、ウォルスはまたもぼそりとこう答える。
「私が心配をしては……いけないのですか?」
「……はあ!?」
 突然、拗ねたような響きを帯びた問いに、ウォルスはおおよそ彼らしからぬ
上擦った声を上げた。蒼氷色の瞳には、今のニーナの問いに対する困惑があり
ありと浮かんでいる。ニーナは上目遣いのような視線でじっとウォルスを見つ
めている。ウォルスは一つため息をつくと、あのなあ、と呆れたような声を上
げた。
「……そうは言っていないだろうが……飛躍しすぎだ」
「……それなら、飛躍して受け止めるられるような表現をしないで下さい……
本当に、心配したんですから……」
 ため息まじりの言葉にニーナは拗ねたような口調でこう切り返し、この言葉
にウォルスはまた、ため息をついた。最初に会った頃からは想像もつかないよ
うな、なんとも微笑ましいその様子にランディとチェスターは微かな笑みを交
し合った。どうやら、二人で買い物に行かせたのは正解だったらしい。
 そんな二人の様子に気づいたのか、ウォルスが忌々しげな光を宿した瞳を二
人に向けた。ランディとチェスターはまた顔を見合わせ、それぞれが全開の笑
顔でそれに答える。この反応にウォルスは苛立たしげに舌を鳴らした。その様
子にファリアと、更にディアーヌまでもが笑みをもらす。
 和やかな雰囲気がその場に広がるが、それは長くは続かなかった。
「……あれ?」
 不意にファリアが笑うのを止め、短い声を上げて森の方を振り返る。突然の
事にランディがどうしたの、と問おうとするのとほぼ同時に、
 シュンっ!
 ファリアが見た辺りからこんな音と共に光り輝く矢が飛び出して来た。
「え……マジック・アロー!?」
「どこからっ!?」
「姫!」
 ファリアとランディが困惑した声を上げる中、それがディアーヌを狙ってい
ると気づいたチェスターがとっさに動いた。呆然と立ちつくすディアーヌを抱
き寄せ、自分の身体を盾にして魔力の矢から庇う。魔力の矢はチェスターに突
き刺さり、その肩を焼き焦がした。
「チェスター!」
 シュンっ!
 ディアーヌが絶叫する中、森から第二撃が放たれる。魔力の矢は明らかに動
けないチェスターを狙っていた。
「危ない!」
「チェスター殿、ディアーヌ様っ!」
「ダメ……マジック・シールド、間に合わない!」
 ランディ、ニーナ、ファリアがそれぞれ叫び、チェスターは迫る矢を肩ごし
に睨みつつ、ディアーヌをきつく抱き締めて来るべき衝撃に備える。
「……ちっ!」
 誰もが立ち尽くしたその瞬間、ウォルスが動いた。ウォルスは魔力の矢の直
前に飛び出し、自らの肩でその一撃を受ける。バシュっ!という鈍い音ともに
光が弾け、煙が上がった。
「……っ!!」
「ウォルス!?」
 突然の事に困惑するランディたちには構わず、また、肩の傷もものともせず
に、ウォルスは森へ向けてカードを投げつけた。シュッ!という音と共に紅い
色彩が跳ね、枝を折るばきばきという音が聞こえた。
「ランディ、ファリア、追え!」
 がくん、と膝をつきつつ怒鳴るウォルスの傍らにニーナが駆け寄る。ランデ
ィはとっさに立ち上がると、ファリアを促して森の中へ駆け込んだ。森の中に
は、点々と血の跡が続いている。先ほどウォルスが投げつけたカードが襲撃者
に手傷を負わせたのだろう。
「よし、行こう!」
 それを確かめたランディはファリアを促して森の中を駆けた。血痕と枝葉を
押し退けた跡をたどる追跡に難はないが、相手が古代語魔法の使い手とわかっ
ている以上、気は抜けなかった。テレポートで逃げられる可能性もあるからだ。
 跡をたどってしばらく走ると、突然ファリアが足を止めた。
「……ファリア、どうしたの?」
「……ランディ、前に誰かいる……」
 戸惑いながら問いかけると、ファリアは震える声でこう返した。声だけでは
なく、小柄な身体全体が小刻みに震えているようだった。
「ファリア……?」
「ダメ……ダメよ、この先に行っちゃ……凄い力……普通じゃない力が……」
「普通じゃない力……って?」
 突然の事に状況が掴めず、ランディは困惑しながらこう問いかけた。ファリ
アは何か言いかけたものの、直後に口を噤んで首を左右に激しく振る。
「ファリア、どうしちゃったのさ? 何だか変だよ?」
「ダメ……この先に進んじゃダメよ!」
 更に問いを接ぐと、ファリアは悲鳴染みた声を上げて抱きついてきた。腕の
中に、ぱあっとミントの香りが弾ける。戸惑いながら抱き留めた身体は激しく
震え、その柔らかさを感じる暇もない。
「……ファリア?」
 ここに至り、ランディも異常をはっきりと感じるが、やや遅いようだった。
「……どうしたの? 出ていらっしゃい、坊やたち?」
 背後から、艶然とした響きの女の声が聞こえたのだ。向こうはどうやらこち
らに気づいていた──いや、こちらを待っていたらしい。
「これはどうも……誘い込まれちゃったみたいだね」
 肩ごしに背後を見やりつつ、ランディは低くこう呟いた。
「……ランディ」
 ファリアが不安げな声を上げて顔を上げる。ランディは一つため息をつくと、
不安を湛えた栗色の瞳を見つめた。
「逃げようは、なさそうだ……行くよ」
「でも……だけど……」
「ファリア、しっかりして!」
 不安を募らせるファリアを、ランディはややきつい口調で一喝する。ファリ
アは縋るような目でランディを見つめ、一瞬ためらったものの、ランディは震
える少女をぎゅっと抱きしめた。突然の事に驚きが先行したらしく、ファリア
の震えは一瞬で静まる。
「逃げられない以上、ぶつかって活路を見いだすしかない……行くよ」
「……でも……」
 静かな言葉にファリアはまだためらいを示した。そんなファリアにランディ
はそっと、こう囁く。
「そんなに、怖がらないで……絶対に、護るから」
「……え……」
「大事な存在は、必ず護る……それが、自由騎士としてのぼくの誇りだから」
 宣言と共にランディは腕の力を緩めてファリアを放し、背後の気配に向き直
った。強い決意を宿したその様子にファリアは反論を諦め、二人はゆっくりと
目の前の茂みをかき分けて先に進む。
「……ふふふっ……待ってたわよ」
 姿を現した二人を、楽しげな女の笑い声が出迎える。茂みの向こうの小広場
には、真紅のドレスに身を包んだ美女──イレーヌが、妖艶な笑みを浮かべて
二人を待ち受けていた。

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