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「あん、もう! 一体なんなのよ、これえ!?」
 その頃、当のファリアはランディがいる庭の、ちょうど建物を挟んだ反対側
にあるテラスで、次々と現れるイビルアイ・ウルフに向けてこんな事を叫んで
いた。
「普通の狼じゃないのは、間違いないんじゃないかい?」
 それに、剣を手にして庭に下りたチェスターが大真面目にこう返してきた。
それに、ファリアはそう言う問題じゃないんだけど、と小声で呟く。
(ランディ、大丈夫かな……)
 どちらかと言うと自分の方が大変な状況であると理解しつつ、ファリアの心
はついそちらへと向いていた。不安から小さくため息をついていると、それに
気づいたのかチェスターが短く、大丈夫さ、と言い切った。
「ランディは、そう簡単に負けやしないよ。それは、君の方がよくわかってる
んじゃないのかい?」
「それは……そうだけど……」
「わかってるなら、ランディを信じて。今は、オレの援護に集中してくれない
かな?」
 にこっと笑ってこう言うと、チェスターは飛びかかってきたイビルアイ・ウ
ルフを手にした剣で一閃する。ファリアはニ、三度首を横に振ると、杖を握る
両手に力を入れた。
「あんまり、威力のある魔法は使えないし……」
 小声で呟いて、意識を集中する。こう言った状況では、攻撃魔法の扱い方が
大きく問われる事になる。敵の数が多いからと言って広範囲魔法を叩き込めば、
離宮にも損害が出るのは言われるまでもなくわかっている。ならば、どうする
か、という事になるのだが。
(イビルアイ・ウルフって、魔法にやたら強いのよねぇ……でも、効かなくは
ないしね!)
 こう思いきると、ファリアは魔力を集中させた。口の中で早口に古代語の呪
文を唱え、ばら色の光を放つ魔力の塊に形を与える。魔力は周囲の万有物質に
干渉して道を開き、光を司る精霊の力をファリアの元へ導く。
「……マジック・アロー!」
 集中した光の力を、ファリアは矢の形で複数解き放った。矢は絡み合うよう
に舞い、イビルアイ・ウルフの眉間に次々と突き刺さる。
 ギャワンっ!!
 額の目を射抜かれたイビルアイ・ウルフは絶叫を上げて身体をそらす。そこ
に生じた一瞬の隙を、瞬間、突出したチェスターが鮮やかに突いた。銀煌が舞
い、イビルアイ・ウルフが数匹、黒い光となって消え失せる。それを確かめた
チェスターは大きくバックジャンプしてテラスの所まで後退し、再び剣を構え
直した。イビルアイ・ウルフは警戒するような唸りを上げつつ二人を遠巻きに
する。今の攻撃に対する警戒と、恐らくは味方の補充を待っているのだろう。
「あの、どうするんですか? このままじゃ、長期戦になっちゃいますけど?」
「ああ、そうだね。召喚元を叩ければ一番いいんだが……はっ!」
 ファリアの問いに答えつつ、チェスターは素早く剣を払って飛びかかってき
たイビルアイ・ウルフを迎撃した。
「そうは言っても、ここを動く事はできないしね。大体、向こうの狙いは明ら
かにオレたちをここから引き離す事だ……その手には、乗れないよ」
 ちゃき、と剣を青眼に構えつつ、チェスターはきっぱりとこう言いきった。
彼らの後ろには、ディアーヌがいる。向こうの目的がディアーヌであるのは間
違いない以上、ここを突破させるわけにはいかないのだ。
(……ほんとに……大事なんだ)
 何があろうとここを通しはしない、という決意。翠珠を思わせる瞳には、そ
れがはっきりと現れていた。大切な存在を護ろうとする心は、その根底にある
想いがなんであれ人を凛々しく見せるのかも知れない――真摯な横顔に、ファ
リアはふとこんな事を考えていた。
 グゥゥゥゥ……グワォォォォンっ!!
 イビルアイ・ウルフが吠え、数匹が同時に飛びかかってくる。チェスターは
下段から振り上げた剣で一匹を捉え、頭上を飛び越そうとした別の一匹にその
切っ先を向けた。その隙を突くように足元を狙った二匹に向けて、ファリアは
マジック・アローを放つ。致命傷にこそならなかったもののその一撃はイビル
アイ・ウルフの足を止め、チェスターは一匹を思いっきり蹴り飛ばし、もう一
匹を剣で払った。三匹が塵と化して消え、僅かな間を置いて同数が森の奥から
飛び出してくる。倒された数だけ自動で補充されている――そんな感じだ。
「……厄介だな、これは……」
 それと気づいたのか、チェスターが小声で呟いて眉を寄せた。倒さねばこち
らが危険だが、倒せば新しい敵が現れる。完全な消耗戦だ。
「……やだな、こういうの」
 ファリアも顔をしかめつつ、低く呟く。ずるずると引き延ばされる消耗戦も
さる事ながら、そのための道具として、文字通り使い捨てにされているイビル
アイ・ウルフの扱い方に嫌悪感を覚えたのだ。
 異世界との接点を開いて魔獣を召喚する。口で言うのは簡単だが、決して容
易い事ではない。それをこうも容易くやってのけるのだから、相手の実力はか
なりの物と言えるのだろう。だが、そのやり方は気に入らない。召喚されるも
のの存在があまりにも軽んじられているのが許せなかった。勿論、この状況下
でイビルアイ・ウルフに入れ込むのが危険であり、無意味であるのは理解して
いるが、彼らの扱われ方は腹に据えかねる。
(でも、召喚してる主の気配は近くにないよね……つまり、ここにはゲートだ
けがあるってコト……かな? それなら……)
 それなら、接点となるゲートを破壊すれば、自動召喚を止める事はできるは
ずだ。
「……リル、出ておいで」
 現状の打開策を見出したファリアは、妖精ネズミに呼びかける。それに応じ
て白いネズミがひょこっと肩に現れた。ファリアは杖から片手を放し、そっと
その頭を撫でてやる。
「リル、力、貸してね。ゲート、探すから」
 呟くような言葉にリルティはきゅっと甲高い声を上げ、ファリアは再び杖を
両手で握った。細い杖の中ほどを両手で持ち、水平にして前に突き出す。淡い
ばら色の光がふわりと灯り、杖の先端にあしらわれた薄紅色の水晶を輝かせた。
「……?」
 発生した魔力の波動に気づいたチェスターが肩越しに振り返る。その隙を突
くように飛びかかってきたイビルアイ・ウルフを剣閃でいなすと、チェスター
は剣を構えて息を吐いた。
「……足止めをした方が、良さそうだな」
 小声で呟くと、チェスターもまた魔力を集中させた。
「……森の民の永遠の盟友……麗しき木々の乙女……オレに、力を貸してくれ」
 呟きに応じて左手に淡い緑の光が灯る。チェスターはイビルアイ・ウルフを
見据えつつ、光を灯した左手を足元の地面にばんっと打ちつけた。光が弾けて
周囲に飛び散り、その光が触れた植物がざわっと音を立てる。ざわめいた草木
は意思あるもののように動き、イビルアイ・ウルフを絡め取った。一見、簡単
に千切れてしまいそうな草木の縛はがっちりと魔獣たちを捕え、放そうとはし
ない。
「さて……頼んだよ?」
 肩越しにファリアを振り返り、小声で呟くと、チェスターは再びイビルアイ
・ウルフに向き直る。片膝を突き、いつでも飛び出せる態勢で身構えるその姿
は、引き絞った矢を思わせた。

 イビルアイ・ウルフを飛び越し、飛び込んだ森には張り詰めた空気が漂って
いた。次々と現れる本来在らざるものに森その物が怯えている――そんな感じ
だ。その空気にウォルスは微かに眉を寄せる。
 森の怯えとは転じて精霊たちの感じる恐怖。そしてその恐怖は、世界全体の
力の流れ、即ち気脈を大きく乱すのだ。その気脈の乱れはウォルスにとっては
言いようもなく不愉快だった。
 ゆっくりと周囲を見回してから、歩みを進める。相手の姿は見えないが、こ
ちらを伺う気配とむき出しの敵意ははっきりと感じられた。
「……三流だな」
 突き刺さるような敵意に対し、ウォルスは余裕の体でこう呟いた。森の中の
開けた場所で足を止めたウォルスは白いカードの角に指を滑らせる。血の滲む
指をカードに滑らせて紋様を描きつけると、ウォルスはそれを頭上高く投げ上
げた。
「……消!」
 鋭い声と共にカードが砕け散り、銀色に輝く光の粒子が周囲に飛び散る。光
の粒子は煌めきながら空間を漂い、やがて、一点に集中して渦を巻いた。その
渦の中心に向け、ウォルスは無地のカードを投げつける。シュッ!という音と
共に無空間から真紅がしぶき、そこに潜んでいた者が姿を見せた。チャコール
グレーのマントを羽織った魔道師風の男だ。マントと同じ灰褐色の瞳は、憎々
しげにウォルスを睨んでいる。
「……なかなか、やるな。オレを見つけるとは……」
 左の上腕から血を滲ませつつ、男はどことなく楽しげにこう言い放つ。この
言葉にウォルスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あれだけ露骨な憎悪を撒き散らしておいて、良くも言う……」
 呆れたような言葉に男はくくっと低く笑った。
「怒りや憎しみは、魔獣どもの好物だからな。オレの念が強ければ、それだけ
多くの奴らが群がってくる……それに、こうやって引っかかる奴もいる」
「……オレを、誘い込んだつもりか? まったく……大した自身過剰だ、恐れ
入る」
 得意げな説明に呆れを込めてこう返すと、男はやや鼻白んだようだった。だ
が、ウォルスはそんな事には一切構わず、無地のカードを指に挟んでその手を
男に突き付ける。
「余計な名乗りはいらん。一つ、質問に答えろ」
 静かな言葉に男は訝るように眉を寄せた。
「質問だと?」
「……貴様は、ガレス・ハイルバーグに与する者か、否か。それだけ答えろ」
 口調こそ静かだが瞳は鋭く、その蒼氷色は冷たい炎を思わせる。男は探るよ
うにその色彩を見つめ、それから、そうだと言ったら? と低く問い返してき
た。
「気にするな、理由が成立するだけだ」
 それに、ウォルスは淡々とこう答える。
「……理由だと?」
「ああ。オレが……」
 ここでウォルスは言葉を切り、口元に冷たい笑みを浮かべた。整った容貌は
そんな表情を何の違和感もなくそこに調和させ、鮮烈とも言える美しさを織り
成す。
「オレが貴様を敵と見なし、倒すための理由が成立する……それだけの事だ!」
 宣言の直後にウォルスが動く。素早いダッシュで一気に距離を詰め、すれ違
いざまに男の目の前にカードを一枚浮かべ、大きなサイドステップで距離を開
けつつ一声叫ぶ。
「爆!」
 カッ!
 声に応じてカードが砕け、爆炎を生み出す。男はウォルスと反対方向に飛ん
でそれを避けつつ、障壁らしきもので余波を受け流した。
「……ちっ、やるな!!」
 それでも全ての衝撃を止める事はできなかったらしく、男は苛立たしげにこ
う吐き捨てた。ウォルスは不敵な表情を崩さぬまま、次のカードを用意する。
間を置かずに投げつけられたカードは小さな竜巻となって飛ぶが、男は思わぬ
手段でそれをいなした。突然、腰につけた短剣を引き抜き、何かを切り裂くよ
うな感じで斜めに払う。その刃を追うように空間に裂け目が生じ、竜巻を飲み
込んで口を閉じた。
「……ようやく、思い出したぞ……お前のその技……平原の民の符術か」
 予想外の現象に戸惑うウォルスに、男は低く笑いながらこんな事を言う。ウ
ォルスは何も言わずにカードを数枚取り出した。
「平原の民にしか扱えぬ呪技術であり、また、それを修める事ができる者は限
られると言う……お前、ラタナの縁者か?」
「……良く喋る男だな。だが、それに付き合っている時間はない」
 妙に楽しそうな問いかけに、ウォルスは淡々とこう返す。男はやや、むっと
したように眉を寄せた。
「五分だけもたせろ、としか言っていないからな。それ以上引き伸ばすつもり
はない」
 ややピントのずれた感のある言葉と共に、ウォルスは再び先手を取って仕掛
けた。再びカードが舞い、砕けたそれが石の雨を降らせる。男は再び短剣を振
るおうとするが、その瞬間、手にした短剣に電流のようなものが走った。
「……っ!?」
 男の動きが止まり、礫がその身に襲いかかる。とっさに障壁を展開して直撃
は避けるものの、衝撃の完全な緩和には到らない。思わずその場に膝を突きつ
つ、男は邸のある方を振り返った。
「なんだと……ゲートが、二つとも消された?」
 呟くその顔には、困惑がありありと浮かんでいた。

 それと、多少時間は前後する。
「……」
 ファリアはリルティと精神の波長を合わせつつ、周囲の力の流れをたどって
いた。妖精ネズミと言うのは、当然の如く身体的な能力は低い。その代わりと
言う訳でもあるまいが、魔法的なものを感知する能力を生まれながらにして備
えているのだ。そして妖精ネズミを使い魔とする者は、精神的に同調する事で
一時的にその能力を得られる。リルティとの精神同調によって高められた感覚
を更に魔法で拡大しつつ、ファリアは力の流れをたどった。
 すぐ近くに感じるのは、守護の結界。ニーナがディアーヌを護るために張り
巡らせているものだ。
 それから、チェスターの周囲。おそらくこれは、彼の用いる弓の放つ力の波
動だろう。
 建物を挟んだ反対側からも強い力を感じる。ランディの『時空の剣』の放つ、
特有の波動だ。ウォルスの施した封印によって押さえられているものの、こう
して感覚を拡大するとその波動は強く感じられた。
(ランディ、大丈夫みたい……良かった……)
 その感触に安堵を覚えつつ、ファリアは更に流れをたどる。目の前にあるの
は、イビルアイ・ウルフの放つ不協和音さながらの波動だ。森の奥からも、そ
れと良く似た波動が感じられる。おそらくは魔獣たちを召喚した者が放つもの
だろう。それと対峙するように、強い力の波動が感じられた。
(これは……あいつ?)
 例によってなんとも説明のつかない特殊な感触に、ファリアは眉を寄せる。
魔力も確かに感じるのだが、どうにもそれだけではないように思えるのだ。
(良くわかんないけど……凄く、強い……怖いくらい……)
 こんな事を考えつつ、丹念に周囲の流れをたどる。今、森の奥から感じた波
長、それと同様のものが他にもあるはずなのだ。ファリアはイビルアイ・ウル
フと森との境界線、その辺りを集中的にたどり――
(……っ!)
 一箇所に、魔力の塊のようなものの存在を感じた。目を開けてそちらを見る
と、茂みに覆われた木の根元に、微かに光るものが見える。
「……チェスターさんっ!」
 それがゲートである、と直感的に悟ったファリアは、そこを目掛けてマジッ
ク・アローを放つ。チェスターは瞬時にその意図を察したらしく、剣を片手に
光の矢の軌跡を追って跳躍する。着弾したマジック・アローが茂みを吹き飛ば
し、鈍い輝きを放って渦を巻く光をあらわにする。チェスターは迷わず、その
渦を剣で両断した。
 ばしゅぅっ!!
 光の渦はこんな音を立てつつ、歪みながら消滅する。

 そして、邸を挟んだその反対側では。
「……はっ!」
 次々と現れるイビルアイ・ウルフを切り払いつつ、ランディもまた召喚のゲ
ートを探していた。武勇伝の中で、祖父がゲートを消滅させて断続的な召喚を
阻止した、と話していたのを思い出したのだ。
 横に一閃した剣がイビルアイ・ウルフを捉えて塵と変え、そして、新たな一
匹が現れる。それと共に、胸元に焼けつくような痛みが走った。最初は気のせ
いと思って無視していたのだが、どうやらそうではないらしい。
(間違いない……新しい魔獣が現れると、『時空の剣』が反応してるんだ)
 確信を得つつ、ランディはやや後退して右手だけで剣を構えた。それから、
左手で紫水晶のペンダント――『時空の剣』を握り締める。その瞬間、水晶か
ら鼓動のようなものが感じられた。それは力の波動となって身体を駆け抜け、
次の瞬間、感覚にあるものを捉えさせた。お世辞にも心地よいとは言えない波
動を放つ、力の塊。それが何であるかはすぐに理解できた。
「……見つけた!」
 短く声を上げるとランディは剣を両手で持ち直し、地を蹴って走り出す。イ
ビルアイ・ウルフが飛びかかって来るのを剣の腹で叩いていなし、力の波動を
感じる木の根元へ近づくと、下生えの中に鈍く輝く光の渦が見て取れた。ラン
ディは剣を思いきり振りかぶり、銀に輝く刃をその渦へと叩きつけた。
 ばしゅぅっ!!
 鈍い音と共に渦は歪み、消え失せる。それを確かめるとランディは素早くイ
ビルアイ・ウルフに向き直った。敵の数は十匹、そしてもう補充はない。多少、
疲れは感じているがまだまだ許容範囲だ。
「……通さないって、言ったはずだよ!」
 数匹が邸の方へ向かおうとするのに目を止めたランディは、低く言いつつ跳
躍した。鎧を身に着けていたらまずできないロングジャンプとダッシュで元の
位置に戻ると、ランディは素早く剣を走らせてイビルアイ・ウルフを阻む。二
匹が塵と化し、残りの八匹は距離を開けて低く唸りながらランディを遠巻きに
する。爛々と輝きつつこちらを睨む紅い目を、ランディはきっと睨み返した。

 二つの自動召喚ゲートの消滅は、男だけではなくウォルスにも感じ取れてい
た。感覚に不愉快さを与えていたものたちの消滅に、ウォルスはふっと笑いつ
つつ膝を突く男を見る。
「どうやら、手下を呼び出す道は断たれたようだな?」
 余裕を込めて言い放つと、男は憎々しげに顔を歪めて見せた。ウォルスはゆ
っくりとカードに指を滑らせ、紋様を描きつける。
「……貴様に恨みの類はないが……あの男に与する者は、放置できん。消えて
もらう!」
 鋭い声と共にウォルスはカードを投げる。しかし、それは自ら砕け散る事な
く、突然走った紅い閃光によって真っ二つにされた。
「……なにっ!?」
 思わぬ事態にウォルスは眉を寄せ、男は忌々しげに舌打ちをする。紅い光の
粒子がキラキラと舞い、空間から滲み出るように一人の女が姿を見せた。真紅
の際どいドレスに身を包んだ、挑発的な雰囲気の美女だ。
「……イレーヌ……」
「いいザマねぇ、カシュナー?」
 低く名を呼ぶ男――カシュナーに、イレーヌは呆れたようにこう言った。そ
れから、イレーヌは真紅の瞳をウォルスに向ける。対照的な色彩のその瞳を、
ウォルスは探るように見返した。
「……貴様も、あの男に与する者か?」
 それから、淡々と問いを投げかける。この問いにイレーヌは怪訝そうに眉を
寄せ、それからああ、と興味なさそうな声を上げた。
「一応、そうなるわね。そうだとしたら、どうするの、ボウヤ?」
 艶然とした笑みと共に揶揄を交えた問いを投げかけてくるイレーヌに、ウォ
ルスは微かに眉を寄せる。ボウヤという物言いは、さすがに癪に障るようだ。
勿論、イレーヌの方はそれとわかって言っているのだろう。楽しげな笑みが、
それを端的に物語っていた。
「……消えてもらう」
 イレーヌの問いにウォルスは短くこう返し、返されたイレーヌは楽しそうな
表情でくすくすと笑った。
「……何がおかしい?」
「だって……見かけに寄らず、子供っぽいコト言うんだもの……おかしくて」
 ムッとした口調の問いに答えつつ、イレーヌはくすくすと笑い続ける。ウォ
ルスは憎々しげにその様を見つめるものの、仕掛けようとはしない。イレーヌ
の周囲に、カシュナーとは比較にならないほど強い力の波動を感じ取ったのだ。
今、仕掛けるのは得策ではない――直感的に、ウォルスはそれを悟っていた。
(この女……只者ではない……何者だ?)
 警戒しつつ、ウォルスはゆっくりとイレーヌとの距離を開ける。それに気づ
いたイレーヌは笑うのを止め、長く伸ばした豊かな髪をざっとかきあげた。一
つ一つの動作に伴い、豊満な胸が大きく揺れる。胸元を特に強調するようなド
レスのため、それは見ようとしなくても目についた。ウォルスは何の感慨もな
いようだが、ランディならそれだけで硬直は間違いないだろう。
「ふふっ……どうしたの、あたしを消すんじゃなかったのかしら?」
「……得体の知れんバケモノに無闇に仕掛けるほど、オレはバカじゃない」
 からかうような問いに先ほどの逆襲も交えてさらりと返すと、イレーヌはや
や眉を寄せた。
「言ってくれるわね……こんな美人を捕まえて、バケモノ呼ばわり?」
「……外見と内容は、必ずしも正比例はしない……それだけの事さ。まして、
美しすぎるものは、往々にして魔性を帯びる」
「……口が悪いわね……それじゃ、女性に嫌われてよ?」
「生憎、色恋沙汰には興味がない」
 きっぱりと言いつつ、ウォルスはカードに指を走らせる。その様子にイレー
ヌは顔をしかめ、それから、一つため息をついた。
「あら、勿体無いわね、中々イイ男なのに……大丈夫よ、別に事を構える気は
ないわ……今はね」
 楽しそうな口調でこう言うと、イレーヌはカシュナーを振り返った。今のや
り取りの間にカシュナーは落ちつきを取り戻したらしく、仏頂面でそこに立っ
ている。それを確かめると、イレーヌは微笑ながらウォルスを見た。
「さて、ドジなお仲間も立ち直ったコトだし……今日は、帰らせてもらうわ。
良かったら、貴方の名前、教えてくれる?」
「……悪いが、バケモノに名乗る名は持ち合わせていない」
 イレーヌの問いをウォルスは冷たく受け流し、この返事にイレーヌはそう、
とつまらなそうに嘆息した。
「まあ、いいわ……どうせその内、また会うでしょうしね……それじゃカシュ
ナー、帰るわよ」
 つまらなそうな、それでいて妙に楽しそうな口調でこう言うと、イレーヌは
ぱちん、と指を鳴らした。紅い光が瞬き、イレーヌとカシュナーの姿が消える。
一人、後に残ったウォルスは、二人の気配が完全に消えるのと同時にため息を
ついた。
「……随分と、厄介な者がついているな……」
 低く呟く刹那、蒼氷色の瞳には苛立ちのようなものが浮かんでいた。しかし、
ウォルスは一瞬でその色彩を飲み込み、邸の方を振り返る。
「さて……奴らは、無事か?」
 そうである、と確信しつつもこう呟くと、ウォルスはゆっくりと邸へ向けて
歩き出した。

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