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   ACT−1:再会は森の中

 森の中は静かだった。風が木々を揺らす音と小鳥のさえずりが微かに響く他
はこれといった音もなく、穏やかな昼下がりの静寂がゆったりと広がっている。
当たり前の平和な風景――その中を、ゆっくりと進んでいく人影があった。
 先頭を歩くのは、精悍さを感じさせる栗色の青年。ぴん、と突き出すように
伸びたやや大きめの耳が、彼が森妖精との混血である事を端的に物語っている。
澄んだ翠珠色の瞳は、一見すると穏やかながらその実、鋭さを失う事なく周囲
を伺っていた。彼は時折肩越しに後ろを振り返り、気遣うような視線を後ろを
歩く少女たちに投げかけている。付いてくる二人の少女の内、淡い金色の髪を
した方はその視線に穏やかな笑みで応えているが、おぼつかない足取りと額の
汗がその疲労を物語っていた。
(急いだ方がいい……)
 その様子に、青年はふとこんな事を考える。もう一人の少女の方もそれは同
じらしく、淡い碧の瞳に厳しい光を浮かべて頷いた。青年はそれに頷き返して
前に向き直り、
「……っ!?」
 不意に感じた異様な気配に息を飲んだ。
「……」
 何か、いる。
 ここにあり得ない、何か、異様なものが。その存在が森を脅かし、つい先ほ
どまでの穏やかさに影を潜めさせているのがはっきりと感じられた。
(……追手か? くっ……もう少しだっていうのに!!)
 苛立ちを感じつつ、青年はジャケットの胸ポケットに手を入れ、中から銀細
工のアミュレットを取り出した。木の葉を模したそれの中央にはめ込まれた大
粒のエメラルドを指先でぴんっと弾き、封じていた本来の形を取り戻させる。
淡い色の光が弾け、銀のアミュレットはすらりと優美なフォルムが目を引く、
銀色の長弓に形を変えた。握りの上の部分には先ほどまでの姿と同じ、エメラ
ルドをあしらった木の葉の意匠が施されている。
 ピインッ!
 小気味良い音と共に銀の弓に光り輝く弦が張られた。青年は弓を左手に構え、
腰の矢筒から抜き出した矢を右手に携えて周囲を伺う。
「……チェスター……」
 金色の髪の少女が、震える声で青年を呼んだ。青年――チェスターはわずか
に表情を緩めると肩越しに振り返ってそちらに笑いかけ、
 グォォォォォォ……
 直後に響いた咆哮に再び表情を引き締めた。咆哮と共に、木をなぎ倒してい
るような、そんな物騒な物音も聞こえてくる。チェスターは深く息を吸うと弓
に矢をつがえ、静かに引き絞り始めた。物騒な音は、どどどどど……という突
進音を伴ってこちらに近づいて来る。なぎ倒されている木々の悲鳴らしきもの
が、微かに耳の奥に響いた。
 グギャオオオオオオウっ!
 咆哮がすぐ近くで響く。そして、それが姿を見せた。

「……あ、あのさ、ウォルス……」
 額の汗を拭いつつ、ランディはすたすたと前を行くウォルスに声をかけた。
ウォルスは肩ごしに振り返り、何だ、と聞き返してくる。
「凄い、素朴な疑問なんだけどさ……確か、カティスの王都……レムニアに行
くんだったよね?」
「ああ。それが、どうした?」
「……だったら、なんでこんな山の中に入って来るのよぉ〜……レムニアって、
海辺じゃないのよお?」
 続けて、ファリアが呆れたような口調で問いを投げかける。この問いにウォ
ルスは足を止めて二人の方に向き直り、やおらため息をついて見せた。
「お前な……自分の持っている力の意味、本当に理解してるのか?」
「……え?」
 呆れた口調の問いにランディは露骨にとぼけた声を上げ、この反応にウォル
スは額に手を当ててがっくり、と肩を落とした。
「そんな力の塊をだな、この魔導王国の町中で持ち歩いてて見ろ! あっとい
う間に研究キチガイどもが群がって、動けなくなるのは目に見えてるんだぞ!」
 一拍間を開けて顔を上げたウォルスは早口にこうまくし立て、ランディとフ
ァリアは困惑した顔を見合わせる。それから、ランディはウォルスに向け、再
び疑問を投げかける。
「じゃあ、一体どうするのさ?」
「……だから、そのためにわざわざ、山の中に入って来たんだろぉが……とに
かく、ここじゃ話にならん。もう少し開けた場所まで行くぞ!」
 素っ気ない口調でこう言うと、ウォルスはさっさと歩きだした。ランディと
ファリアは怪訝な顔を見合わせ、ともあれ、それに続く。しばらく進むと水の
流れる音が耳に届いた。ウォルスはそちらへと足を向け、やがて、一行は川の
ほとりの小広場に抜けた。
「ふん……まあ、ここならいいだろう」
 ぐるりと周囲を見回したウォルスは低く呟いてランディに向き直った。
「さて……『時空の剣』を出してくれ。今から、その力の波動を封じ込める」
「……力の波動?」
「言葉通りの物よ。力の強い魔力構築物は、放っておいても自分がここにある
って波動を周囲に放ってるの」
 きょとん、としているとファリアが簡単な説明をしてくれるが、今一つぴん
と来ない。ともあれ、ランディは服の中に仕舞い込んだペンダントを引き出し
た。
「でも……どうやって封印するのよ? 物が物だし、魔力じゃ干渉できないわ
よ?」
 大粒のアメジストを見やりつつファリアが問うと、ウォルスはふっと笑って
みせた。
「そんな事は百も承知……大体、古代語魔法はオレの専門外だ」
「じゃあどうするって……」
「とにかく、お前さんは下がっててくれ。干渉されると困るからな」
 不思議そうなファリアに素っ気なくこう言うと、ウォルスは腰のケースから
カードを二枚取り出した。ファリアはむっとした表情で二人から距離を取る。
それを確認したウォルスは別のケースから白いカードを三枚取り出し、その一
枚の角を右手の指先に滑らせた。鋭く尖った角は皮膚を裂いて血を滲ませる。
「え?」
 突然の事に困惑する二人を余所に、ウォルスは血の滲む指先を白いカードの
上に走らせて何かの文様を書きつけた。次にそのカードを口にくわえ、先に取
り出したルーンカードと白いカードを一枚ずつ重ね合わせてそれぞれの間に血
を垂らす。その血に反応するかのように紅い光がちかっと瞬き、それを確認し
たウォルスはルーンカードをケースに戻し、手元に残した三枚のカードを二人
に見せた。
 一枚はウォルスが自分の血で文様を描きつけたカードで、残りの二枚は先ほ
どルーンカードと重ねたカードなのだが、それには紅一色で見事な図案が描か
れていた。
「……それは?」
「ルーンカードの覇王と封印を魔力複写した物と、波動のルーンを描いた物だ。
これを組み合わせる事で、取りあえず力の波動を押さえ込む事はできる」
「そんな事、できるの?」
「まあ、見てる事だな」
 きょとん、とするファリアに軽くこう言うと、ウォルスは目を閉じる。
 きゅっ!?
 同時に、ファリアの肩の上のリルティが甲高い声を上げて縮こまった。
「リルティ、どうしたの?」
 きょとん、とするファリアに、リルティはきゅうきゅうと何事か訴えかけて
いる。声が妙に不安げだった。ファリアは戸惑いつつ、リルティを両手で包み
込むようにしてそっと撫でてやりながらウォルスの方を見た。その身体を包む
力の波動に、ファリアはきょとん、と瞬く。
(え……なによ、あれ? 古代語魔法の波動じゃないけど……精霊魔法とも、
違うみたいだし……神聖魔法な訳はないしぃ……)
 困惑しつつ、ともあれ、今は成り行きを見守る事にする。ウォルスは三枚の
カードを持った右手を頭上に翳し、それに力を集中しているようだった。それ
を示すかのようにカード自体が淡い輝きを放ち始めると、ウォルスは閉じてい
た目を開けランディの胸のアメジストをきっと見据えた。
「強大なる力の波動よ、全てを封ずる力の下に、その躍動を鎮めよ……封!」
 ヒュッ!
 鋭い声と共にカードが天へと投げ上げられる。三枚のカードは舞うような動
きで空中に上がり、そして、白い閃光を放って砕け散った。光はしばしその場
に止まり、子供の手のひらほどの大きさの光球となる。光球はゆっくりとラン
ディの所に舞い降り、ふわりとペンダントを包み込んで消え失せた。
「……ま、こんなもんでいいだろ」
 光が消え失せると、ウォルスは軽い口調でこんな事を言った。あっけらかん、
とした物言いにランディはえ? と間の抜けた声を上げる。
「こんなもんでって……もう、いいの?」
 それから拍子抜けしたようにこう問いかける。この問いに、ウォルスはああ、
と事も無げに頷いた。ランディとファリアは怪訝な面持ちで顔を見合わせ、そ
れから、ファリアがアメジストに顔を近づけて目を見張った。
「わ……すっごい……魔力波動、ほとんど感じられなくなってる……」
 半ば呆然と呟くとファリアはウォルスを振り返った。
「今、一体何やったの? 魔法なの、それ?」
 好奇心を帯びた問いかけに、ウォルスは肩をすくめるだけで何も答えなかっ
た。その態度にファリアは不満げに顔をしかめる。
「もうっ! 態度悪いんだからっ」
 不満を隠しもせずに言い放つファリアの肩を、ランディは苦笑しつつぽんぽ
んと叩いてウォルスに向き直った。
「とにかく、これで、レムニアまで行けるんだね?」
「ああ、取りあえずはな。とはいえ、」
 ……バササササササッ!
 ランディの問いに対するウォルスの答えを遮るように、近くの木々で囀って
いた鳥たちが一斉に飛び立った。突然の不自然な出来事に、ランディとウォル
スは表情を引き締める。ただファリアだけは状況についてゆけずにきょとん、
と瞬くだけだったが。
「ね……どしたの?」
「……静かに」
 恐々問いかけるファリアに、ランディは静かな声でこう答えながらペンダン
トをしまった。ウォルスは白いカードを取り出し、まだ血の滲んでいる指先を
その上に走らせる。
「……大物が来るな」
 カードに紋様を描きつけたウォルスは低くこう呟いた。
「大物?」
 問いかけるランディに一つ頷いて、ウォルスは静かに目を閉じる。
「かなり大型の……魔獣。それと、それに追われている人間が、三人いるよう
だな……どうする?」
 しばしの沈黙を経て、ウォルスが目を開けつつこんな問いを投げかけて来た。
「そんな話を聞いて、放っておける質じゃないんだよねぼくは」
 その問いに、ランディは茶目っ気を交えてこう答える。
「……自由がついても、騎士は騎士、と言う所か?」
「そんなとこかな」
「損な性分だな」
 この一言に苦笑しつつ大きなお世話、と答えると、ランディはまだきょとん、
としているファリアを振り返った。
「よし、行こうファリア」
「え……あ、うん……」
 完全に状況から取り残されていたらしく、ファリアの返事は頼りない。とも
あれ、三人はウォルスが気配を感じた方角へ向けて走り出した。

 ヒュっ!
 鋭い音と共に弓から矢が放たれる。矢は鋭く大気を引き裂き、迫りくる怪物
の鱗に突き刺さった。しかし、竜の頭部を備えた巨大な蛇を思わせる怪物──
ストゥアウォームは、その一撃をものともせずに迫ってくる。
「くっ……効いてないのかっ!?」
 じわじわとこちらに近づいて来るストゥアウォームに、チェスターは苛立た
しげにこう吐き捨てた。
「どうするんですか、チェスター殿! 走って逃げるのにも、限度があります。
私はともかく、ディアーヌ様が……!」
「そんな事、言われなくてもわかってますよ、ニーナ殿!」
 ややヒステリックな問いについ声を荒らげて答えつつ、チェスターは背後を
振り返った。二人の少女は共に、激しい疲労で表情を陰らせている。それでも、
今問いを投げかけて来た方──ニーナは気丈な様子で迫るストゥアウォームを
睨み付けつつもう一人を支えており、彼女に支えられている少女は心細げな表
情でチェスターを見つめていた。
「チェスター……」
「御心配なく、姫。何があろうとお護りいたします……必ず」
 不安げに名を呼ぶ少女に力強く宣言すると、チェスターはストゥアウォーム
に向き直った。木々が密生している事と、怪物自体の動きの鈍さのお蔭で接近
速度は大した事はない。しかし、相手は最強の幻獣と称される竜族に末端とは
いえ名を連ねる怪物である。正直、彼一人で相手をするには荷が重い所だった。
 とはいえ。
(姫をお護りするのが、オレの役目……それを投げ出す訳にはいかない!)
 真摯な決意はそんな不安にも負けず、その存在をはっきりと主張している。
故に、チェスターはためらう事なく愛用の弓に矢をつがえ、狙いを定めて引き
絞った。
 ヒュっ!
 放たれた矢が鋭く大気を引き裂いて飛ぶ。飛来した矢はストゥアウォームの
眼を掠り、瞬間、その動きを止めた。
 グギャアアアっ!
 突然の痛みにストゥアウォームは絶叫し、その場でじたばたと暴れ始めた。
闇雲に振り回された尻尾が周囲の木々をなぎ払い、ばりばりばりばり……とい
う破壊音が周囲を埋めつくす。
「……ちっ……さして効いてはいない、か。それなら!」
 遠距離戦で埒が開かないならば近距離戦に持ち込むしかない──こう判断を
下すが早いか、チェスターは弓にはめ込まれたエメラルドをぴんっと弾いた。
澄んだ翡翠の光が弾け、次の瞬間、優美な造りの長い弓はエメラルドをはめ込
んだ銀のアミュレットに再び形を変えた。それを胸ポケットに押し込み、腰に
下げた剣を抜くと、チェスターは呼吸を整えてストゥアウォームとの距離を詰
めた。
「っとっ!」
 振り回される尻尾を間一髪、ジャンプで避けつつ距離を詰めていく。頼りに
なるのは、天性の身軽さだけだ。
「はっ!」
 尻尾の一撃を回避したチェスターはそのまま手近な木の枝に飛び上がり、弾
みをつけて更に高く跳躍した。そのままストゥアウォームの頭を狙う作戦だっ
たが、魔獣はこの奇襲を本能的に察知したようだった。
 グウウウウ……オオオっ!
 低い唸り声と共にストゥアウォームは頭をチェスターの方に向け、くわっと
ばかりに口を開いた。その口腔の奥では鈍い色のガスが渦を巻いている。ガス
ブレスを吐こうとしているのだ。
(まずいっ!)
 と、思った時には既に遅く、ウォームの巨大な口からガスが吐き出される。
チェスターはガスを吸い込むまいと反射的に身体を丸めるが、それによって態
勢が崩れた。
「……チェスターっ!」
「チェスター殿!」
 離れた所から戦いの様子を見つめていた少女たちがそれぞれ叫ぶ。そしてス
トゥアウォームは、落下するチェスターを一呑みにしようと貪欲な笑みを浮か
べた口を大きく開いた。
「ダ……ダメえええええっ!」
 少女の絶叫が響く中、ストゥアウォームの貪欲な牙がチェスターを捕らえよ
うとした、その瞬間。
「疾駆する雷光よ、その鋭き牙にて我が敵を貫け……ライトニングっ!」
 森の中から疾った雷光がストゥアウォームの首を貫いた。突然の衝撃に魔獣
は絶叫し、目をむいてのけ反る。
「え……?」
 突然の事に二人の少女、そしてチェスターも困惑する。しかし、チェスター
には困惑している余裕はなかった。ウォームの腹の中こそ免れたものの地面と
の激突は避けようがなく、固い木の根に右肩を強かに打ちつける羽目となる。
「……くっ……」
 どうにか上体を起こしたものの、直後に右肩が激しく痛んだ。どうやら、衝
撃で骨をやられたらしい。痛みを堪えつつ周囲を見回せば、突然のダメージに
暴れるストゥアウォームの姿が目についた。痛みで我を忘れているらしいウォ
ームは際限なく周囲の木々をなぎ倒している。それは森を愛する森妖精の血を
引き、森という空間に一方ならぬ愛着を持つ半妖精の彼にとって、到底見過ご
せる事態ではないが、しかし、肩の痛みはそれを止める行動を妨げてしまう。
「くっ……このままでは……」
 このまま放っておけば自分は元より、護るべき少女たちまでこの暴走に巻き
込まれかねないだろう。何とかしなければ……と、そう思った矢先、目の前を
ストゥアウォームの尻尾が過った。このままでは返す尻尾を食らってしまうと
判断したチェスターは身体の痛みを押して動こうとするが、
「……動くな!」
 それを押し止めるようにこんな声が響き、直後に白い物体が飛来して弾け飛
んだ。
「……な、何だ?」
 呆然と呟くチェスターの目の前で、砕けた物体は淡い碧に煌めく光のドーム
となってチェスターの周囲を取り巻いた。その直後にストゥアウォームの尻尾
が勢い良く戻り、
 びしいっ!
 派手な音を立てて弾かれた。光のドームが尻尾の一撃を弾き飛ばしたのだ。
「これは一体……」
 呆然と呟くのに重ねて、
「はあああああっ!」
 鋭い気合が大気を裂いた。はっと声の方を見やったチェスターは、剣を両手
で構えた黒髪の少年の姿に息を飲む。アメジストの瞳が印象的なその横顔には、
微かな覚えがあった。
「まさか……ランディール、なのか?」
 グギィィィィィィッ!
 呆然とした呟きをかき消すようにストゥアウォームが吠えた。見れば、先ほ
どチェスターが傷つけたウォームの片目は深く切り裂かれ、その機能は完全に
停止しているようだった。残されたもう一方の目は怒りで爛々と輝き、目の前
の少年──ランディを睨み付けている。
「そのまましばらく引きつけておけ! 少し、手間がかかるからな」
 呆然としていると、すぐ横からこんな声が上がった。先ほど、動くのを押し
止めた声だ。痛みを堪えつつそちらを見やったチェスターは黒一色に身を包ん
だ男──ウォルスの姿に息を飲む。すぐ近くにいると言うのに、今の今までそ
の存在に気づかなかったのだ。
(……何だ? 何者なんだ?)
 困惑と警戒を込めて見つめていると、視線に気づいたウォルスがこちらを見
やった。
「どうやら生きているようだな。ああ、今動くのは止めておいた方がいい。肩
が砕けるぞ」
 淡々とこんな事を言うと、ウォルスは手にしたカードに力を込める。チェス
ターは戸惑いつつもそれに従う事にして、ストゥアウォームと対峙するランデ
ィを見やった。
「はっ!」
 短い気合を発してランディが動く。振り回される尻尾の一撃を避けつつ繰り
出された刃が的確に、ストゥアウォームの名の由来となった長い胴体を捉えて
切り裂く。切り裂く痛みに首を巡らせたウォームの首筋に、光の矢が突き刺さ
った。マジックアローの呪文によるファリアの援護だ。二人がウォームを攪乱
している間にウォルスはカードに力を込め、そして、
「……いいぞ、離れろ!」
 集中が臨界に達するのと同時にこう怒鳴った。それを受けてランディは後方
に大きく飛びずさる。当然の如くストゥアウォームは後退するランディを追う
が、それを遮るようにウォルスがカードを投げつけていた。
「……過剰なる力に溢れし生命、破滅の力の名の下に、永久に滅びよ!」
 ウォルスの言葉に応じてカードは砕け散り、後には黒光りする靄が残される。
靄は素早く広がってストゥアウォームを包み込み、
「……滅!」
 この鋭い一言に呼応して鈍い光を放った。刹那、空間を光が埋めつくし、そ
して。
「……一丁上がり、だな」
 光の消滅と共に、森の中には静寂が訪れた。ストゥアウォームの姿は何処に
もなく、ただ、不自然になぎ払われた森の木々が、つい先ほどまでそこにいた
存在の名残を止めている。
「……何だ、今のは……」
 呆然と呟く声をかき消すように、
「チェスター! チェスター、大丈夫!?」
 今にも泣きそうな少女の声がチェスターを呼んだ。はっと我に返り、そちら
を振り返ったチェスターは、ドレスの裾に足を取られそうになりながら懸命に
駆けてくる少女の姿に気がついた。
「姫……つっ!」
 思わず立ち上がろうとした矢先に、右肩が激しく痛んでそれを阻んだ。
「……随分と、無謀な奴だな」
 肩を押さえて痛みに堪えていると、ウォルスが露骨に呆れ果てた口調で言い
つつ、傍らに膝を突いた。
「……何を……」
 困惑しながらの問いに、ウォルスは行動で答える。チェスターの肩にかざし
た手に柔らかい光が灯り、その光に触れた途端、痛みが引いていくのがはっき
りとわかった。どうやら治癒魔法らしい。
「……君は……一体……」
 戸惑いながら問いかけるが、ウォルスは答えずに立ち上がる。それと入れ代
わるように、少女がすぐ側に駆け寄ってきた。
「チェスター! 大丈夫なの?」
 今にも泣きそうになって問いかけてくるのに、チェスターは微笑ってはい、
と応じた。この一言で安堵したらしく、少女はほっと息をついた。遅れてやっ
て来たニーナも安堵の息をもらしている。
「……大丈夫、みたいだね?」
 続けて、こんな問いが投げかけられる。そちらを見やったチェスターはラン
ディの顔を見つめ、それから、ふう、と息を吐いた。
「まさかこんな形で君に救われるとはね……正直、驚いたよ、ランディール」
「ぼくも驚いたよ、チェスター……それと、お久しぶりです、ディアーヌ姫様」
 苦笑しつつチェスターに答えると、ランディはその傍らの少女──カティス
王国第二王女ディアーヌ・レリアオーサに一礼した。
「貴方は……ランディール? ランディールなの?」
 一方のディアーヌは、この挨拶にランディが誰か特定したらしく、きょとん、
と目を見開いてこんな問いを投げかけてきた。
「……知り合いなの、ランディ?」
 そんな三人の様子に、ファリアが不思議そうに問いかけてくる。それに、ラ
ンディはまあね、と頷いた。
「とにかく、ここじゃちゃんと話もできないし……どこか、落ち着ける場所に
移動しようよ。それでいいだろ?」
 それから、ウォルスとチェスターに向けてこう問いかける。この問いにウォ
ルスは無言で頷き、チェスターもそうだな、と言いつつ立ち上がった。
「でも、落ち着ける所なんてあるの?」
 きょろきょろと周囲を見回しつつファリアがこんな疑問を定義する。
「それなら、御心配なく。オレたちの目指していた離宮まで、大して距離はな
いよ」
 その疑問にはチェスターが答え、ファリアはほっと息をつく。その様子に、
ウォルスが露骨に呆れ果てた口調でこんな事を言った。
「おいおい、まさか、あの程度で疲れた、何て言うんじゃあるまいな?」
「違うわよっ! もう、一々厭味なんだからあんたは……」
 ウォルスの問いにファリアは一転、不機嫌な面持ちでこう言い返す。この反
論にウォルスは無関心な口調でそうか、と応じ、ファリアはじとーっ……とそ
の背を睨み付けた。当然と言うか、ウォルスは全く気にした様子はないが。
「まあまあ、ファリア、そんなに膨れないで……それじゃ行こうか?」
 むくれるファリアを軽くたしなめつつランディはチェスターに声をかける。
チェスターはああ、と頷いて傍らのディアーヌを振り返った。
「姫、行きましょう」
「ええ……でもチェスター、本当に大丈夫?」
 問いかける瞳は不安に陰り、その瞳が、王女がチェスターの身を心から案じ
ている事をはっきりと物語っていた。その様子に、チェスターは苦笑めいた笑
みを浮かべてはい、と頷く。この返事にディアーヌの不安はやや薄れたらしく、
大丈夫だと判断したチェスターはニーナを振り返った。
「オレが先頭に立って案内しますから、ニーナ殿、姫をお願いします」
「それは構いませんけど、でも……」
 言いつつ、ニーナはランディとファリア、そしてウォルスを順に見やり、そ
れから、物言いたげな眼でチェスターを見た。突然現れた彼らを、王女と同行
させる事に懸念を抱いているのだ。ある意味、当たり前の事だが。
「大丈夫ですよ、ニーナ殿……ランディールは信頼できる人物です。その彼の
連れが、信用できないはずないでしょう?」
 そんなニーナに、チェスターはにこっと微笑ってこう言い切った。太平楽と
言えば太平楽だが、妙に筋の通った物言いにニーナは困ったように眉を寄せる。
「御心配なく、姫は、オレが責任を持ってお護りします……それより、急ぎま
しょう。急がないと日が暮れますよ?」
 そんなニーナに、チェスターは相変わらずの笑顔でこう告げた。ニーナはは
あ……とため息をつき、わかりました、と一つ頷く。
「よし……じゃ、行こう、ランディール」
「うん……あ、その前に、一つだけ言っておきたいんだけど、いいかな?」
「え……?」
 突然の事に、チェスターは不思議そうな声を上げて瞬いた。
「言っておきたいって、何を?」
「いや……大した事じゃないんだけど、ぼくに取っては、凄く大事な事……今
のぼくは、ランディールじゃないんだ」
「ランディールじゃ……ない?」
 さすがにと言うか、チェスターは怪訝な面持ちでこう聞き返してくる。それ
にランディはうん、と頷いた。
「アルガードの家からは、縁を切られてる。今のぼくはランディ・アスティル
……旅の自由騎士だ」

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