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 ともあれ、ランディは二人を部屋に招き入れ、刻神のやや曖昧な警告と時空
の剣の事、そして昼間の出来事を話して聞かせた。
「……なるほどな。そんな事があったのか」
 一通り話を聞いたレオードは、ため息と共にこんな呟きをもらした。
「すみません……ほんとは、もっと早く話すべきだったんですけど……」
「仕方あるまい、事が事だ……それで、ランディ」
「……はい」
「どうするつもりなんだ?」
 静かな問いに、ランディは目を伏せた。じっとこちらを見つめるファリアの
視線が、妙に痛く思えてしまう。それでも、既に心は決まっていた。
「……行くつもりなんだな?」
 レオードが静かに問いかけてくる。ランディは顔を上げて、一つ頷いた。
「ランディ……」
 か細い声で名を呼ぶファリアに苦笑めいた笑顔で応えると、ランディは表情
を引き締めてレオードに向き直った。
「今まで散々お世話になっておいて、いきなりこんな勝手な事を言うのは……
正直、心苦しいんですけど……でも」
「でも……なんだ?」
 途切れた言葉の先を、レオードは静かに促す。ランディは一つ、深呼吸をし
てから言葉を続けた。
「でも、これ以上皆さんに甘える訳には行かないって、そうも思うんです。と
ても、大きな力を手にしてしまったから……だから、その力と、それを受け入
れた自分自身に、ちゃんと責任を持たなきゃいけないって……だから……」
 だから、の先をどう続けようかと思案するランディの頭の上に、レオードは
ぽんっと手を乗せる。上目遣いに見上げると、穏やかな光を宿した瞳と目が合
った。
「お前は自分の意思でここを訪れ、そして、自分の意思でここに残る事を選ん
だ。そして、ここを離れようとしているのも、お前の意思……お前自身の選択
だ。なら、オレがどうこう言う事じゃない」
「レオードさん……」
「シアやヴェイン、ラウアも同じだ。オレたちに、お前を束縛する権利はない
……自分の、思うように生きろ」
「……はい……ありがとう、ございます……」
 どこまでも静かな、それでいて強い思いのこもった言葉に対し、返せたのは
こんな言葉だけだった。レオードはくしゃっとランディの髪をかき回すと、頭
をぽんっと軽く叩いて手を離す。手を離したレオードは、困惑しきった面持ち
でランディを見つめるファリアの方を軽く見やってから、部屋を出て行った。
そして、部屋の中にはランディとファリアの二人だけが残る。
「……ファリア……」
「行っちゃうの、ランディ?」
 じっと見つめる瞳に戸惑いながら名を呼ぶと、ファリアは震える声でこう問
いかけてきた。ランディはうん、と一つ頷く。
「どうして……どうしてよ!? 別にいいじゃない、そんな……みんなと離れな
くたって、別にいいんじゃないの!?」
 感情的な問いに、ランディは静かにかぶりを振った。
「そうは、行かないと思うんだ。この力が狙われてるのは事実だし……ぼくの
都合で、お世話になった人たちを危険な目に合わせたくないしね」
「だけど……でも、あの人信用できるの!? エスティオンって……古代語で、
復讐者なんて名乗ってる人、信用していいの!?」
「それは……まだわからないけど。でも、彼は嘘は言ってないよ。信用できる
かどうかは、これから確かめてもいいんだしね」
「それはそうかも知れないけど、でも……」
「もう、決めた事だから」
 更に言い募ろうとするファリアを、ランディは静かに言いきる事で遮った。
ファリアは困惑を込めた瞳でランディを見つめ、それから、震える声で、なん
でよ、と呟いた。突然の事にランディはえ? と戸惑う。
「……なんで、そうなの? なんで、みんな一緒にいられないのよ!? あたし
……あたしは……」
「ファリア?」
「あたしは……あたしは、誰とも離れたくない! ランディと……ランディだ
けじゃなくて、みんな、誰とも、別れたくないのに!」
 叫ぶようにこう言い放つと、ファリアは部屋を飛び出して行く。突然の事に、
ランディはただ呆然とその背を見送っていた。
「……ファリア……」
 低く呟く声に、ドアの乱暴に閉まる音が重なる。ファリアが自室に飛び込ん
だのだろう。ランディは開け放たれたままのドアを閉めると、それに寄りかか
ってため息をついた。背を向ける直前の栗色の瞳――明らかに濡れていた瞳と
苦しげな叫びが、胸に痛い。
 誰とも離れたくない――幼くして両親を亡くしたファリアにとって、それは
何よりも強い願いなのだろう。親しい人と離れてしまうのが辛いのは誰でも同
じだろうが、人懐っこいファリアにとっては、それはより大きな痛みとなるの
かも知れない。それは理解できるが、しかし、決意を翻す事はできなかった。
優しい環境に甘えてはいけない――そんな思いが、それを阻んでいた。
「泣かれても困るよ……でも、仕方ないじゃないか、他に、どうしようもない
んだから……ぼくだって……できるなら……」
 かすれた言葉の最後の部分の代わりに一つため息をつくと、ランディは気持
ちを切り替えた。明日の旅立ちのため、準備をしなければならないからだ。
「……後悔はしない……絶対に」
 服の上からペンダントを握り締めつつ、ランディははっきりとこう呟いた。

 明けて、翌日。
「それじゃ……皆さん、お世話になりました」
 見送りに出たレオード、シアーナ、ヴェイン、ラウアとディレッドに向け、
ランディはもう一度深く頭を下げた。
「ランディ、元気でね」
「ま、しっかりやるこったな」
 顔を上げたランディに、ラウアとヴェインがそれぞれこんな言葉をかける。
これに、ランディははい、と頷いた。
「歩くだけ歩いて気が済んだら、また戻ってこいや。土産話、楽しみにしてる
からな」
 続けて、ディレッドが笑いながらこんな事を言った。その目には暖かい光が
宿っている。いつでも帰って来い――その光には、そんな思いが込められてい
るようにも思えた。
「はい、ありがとうございます、ディレッドさん」
 その光と、言葉に込められた無事を願う思いにランディは精一杯の笑顔で応
える。
(帰ってきていい場所なんだ、ここは……ぼくが、帰る所……)
 それを再確認していると、シアーナがねえ、と声をかけてきた。
「ランディ、いいの? ファリアに何も言わなくて」
 シアーナの問いに、ランディは心持ち表情を陰らせる。
「……できれば、話をしたかったんですけど……全然ダメで。口もきいてくれ
なかったし……だから……」
 それから途切れがちにこう答えると、シアーナはため息まじりにそう、と呟
いた。
「ほんとに、素直じゃないんだから……ランディ、身体に気をつけてね?」
「シアーナさんこそお身体をお大事に……元気な赤ちゃん、産んでくださいね」
「ふふっ、ありがとう」
 答える刹那、シアーナの表情は言いようもなく穏やかで優しかった。そのま
ま傍らのレオードに視線をずらすと、剣の師でもある剣匠は静かに頷いた。ラ
ンディは表情を引き締めて頷き返し、それから、全員の顔を改めて見回し、
「今まで、本当にありがとうございました……行ってきます!」
 こう宣言して走り出した。冒険者たちはしばらくその背を見送っていたが、
やがてシアーナがくるりと踵を返して店のドアを開けた。
「シアーナ?」
「ファリアと話してくるわ。このままランディと別れたらあの子、絶対後悔す
るもの」
 怪訝な面持ちで呼び止めるラウアにこう答えると、シアーナは足早にファリ
アの部屋へと向かった。ドアをノックしても返事はなく、シアーナはそのまま
部屋に入る。ファリアはベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。
「ファリア、ランディ、行ってしまったわよ……いいの、このままで?」
 静かな問いにファリアは無言で俯いた。
「本当にいいの、このままランディと離れてしまって? もう、二度と逢えな
いかも知れないのよ?」
 重ねて問うと、ファリアはかすれた声でだって、と呟いた。
「だって……なに?」
「だって……だって嫌なんだもん……みんなと離れるの、嫌なんだもん……そ
れに……怖いし……」
「怖いって、なにが?」
 静かに問うと、ファリアは何事か言いかけるものの、結局口をつぐんでしま
った。その様子にシアーナはふう、とため息をつく。
「一体、何が怖いのかはあなた自身の問題だから深くは聞かないけど。でも、
このままランディと別れたら、あなた、一生後悔する事になるわ。それでもい
いの? それは、わたしたちと一緒にいても、一向に構いはしないわ。でもね
……それじゃあなた、いつか一人きりになってしまうわよ? いいの?」
 厳しさを帯びた問いにファリアは唇を噛み締めた。シアーナはその隣に腰を
下ろし、俯く横顔を覗き込む。栗色の瞳は迷いに陰っているようだった。
「……そんな感じだったのかしらね、あの時のわたしも」
「え……?」
 突然の思いも寄らない一言に、ファリアは怪訝そうな声を上げてシアーナを
見た。物問いたげなその瞳に、シアーナは穏やかに微笑って見せる。
「十年前、レオがヴォルフ様の所から飛び出すって決めた時、わたしもすごく
悩んだの。一緒に行きたい……側にいたいけど、でも、わたしじゃ足手まとい
になるんじゃないかって、すごく怖かった」
「シア姉……」
 突然の話に、ファリアはふと昨日の事を思い出していた。シアーナが話して
いるのは、どうやら昨日ラウアが言っていた事らしい。
「でも、その時、ラウアに言われたの。『だったら、あたしがレオードをもら
うからね』って。そう言われて……でも、それだけは嫌だった。
 だって、子供の頃からずっと想ってたのよ? 側にいたいから……あの人が
冒険者になるって決めた時、わたしもそうなろうって思ったの。だから、その
時の気持ちを思い出して……すごく怖かったけど、でも、思いきって一緒に行
ったの。そして、今はあの時思いきって走り出して良かったって思ってる……
想いを貫いて、良かったって……」
 言いつつ、シアーナはそっと腹部を撫でた。そこは新たな命の宿っている場
所――彼女が想いを貫き、その結果として授かった、二つの想いの結晶が息づ
く所だ。
「でも……それは結局、レオ兄がシア姉の事、想ってたからでしょ? あたし
の場合は……」
「ランディに、想われていないと思ってるの?」
 細々と反論すると、シアーナはやや厳しくこう問いかけてきた。
「だって……わかんないじゃない……言ってくれないし……大体、怖くて……
聞けないもん……」
「なら、まずはそれを確かめなきゃダメじゃない。直接ぶつかって、ちゃんと
確かめなきゃ」
 どんどん小さくなる主張を、シアーナは厳しい口調で一蹴した。
「でも……でも、」
「行きなさい、ファリア。ランディが王女様の事を振りきれていないのなら、
あなたが振りきってあげればいいの。想いをぶつけて、想いを返してもらえば
いいの。確かに怖い事だけど、でも、ほんの少し勇気を出すだけでいいんだか
ら……ほら、立って!」
 言いつつ、シアーナはファリアの手を引いて立ち上がった。
「シア姉……あたし……」
「大丈夫よ、きっと受け止めてくれるわ……ほら、急いで! 追いつけなくな
るわよ!」
 まだためらうファリアにこう言いきり、シアーナはその手に荷物袋を押しつ
けた。ファリアはそれをぎゅっと握り締め、それから、顔を上げてシアーナを
見た。シアーナは穏やかな笑みで不安な瞳を受け止める。そして、ファリアは
一つ頷いてから動き出した。
 小さなクローゼットの中の着替えや小物を慌ただしく袋に詰め込み、魔道師
のマントを羽織る。直後に、成り行きを不安げに見守っていたリルティがフー
ドの中にぴょん、と飛び込んだ。下ろしたままだった髪は、お気に入りのリボ
ンで一本に束ねておく。
 ひとまず支度が整うと、ファリアはもう一度シアーナを見た。シアーナは変
わらぬ笑顔でそれに応える。それに今できる、精一杯の笑顔を返すと、ファリ
アは部屋を飛び出して階下へと駆け下りた。下の酒場では他の仲間たちが穏や
かな表情で待っていた。
「レオ兄、ヴェイン、ラウア……あたし……」
「早く行けよ、置いてかれんぞ?」
 言いかける言葉をヴェインが軽く遮る。言葉で言わずとも、皆ファリアの意
思は理解しているのだ。それとわかったから、ファリアはうん、と頷いて走り
出そうとするが、
「ちょいまち!」
 不意にディレッドに呼び止められた。何事かとそちらを見やったファリアに、
ディレッドは小さな革袋を投げ渡す。受け取った感触からして、中は宝石の類
らしい。
「餞別だ、持ってけ」
「え……」
「ほらほら、いいから早く行きなさい」
 戸惑うファリアをラウアが急かす。ファリアはもう一度仲間たち、いや、彼
女にとっての『家族』の顔を見回し、それからもう一度、精一杯の笑顔を作っ
てこう言った。
「……今まで、ありがと! 行って来るね!」
 言うが早いか身を翻し、店の外へと走り出して行く。その姿が見えなくなる
と、ヴェインがやれやれ、とため息をついた。
「どこまでもまあ、お前らによく似てるよな、あの二人はよ?」
 からかうようなこの言葉に、レオードは苦笑めいた面持ちでそうだな、と頷
いた。
(二人とも、ちゃんと帰って来い……必ずだぞ)
 口に出しては言わなかった思いを心の奥で呟くと、レオードは階段を降りて
きたシアーナを振り返る。シアーナは穏やかな微笑みで、それに応えた。

 待ち合わせ場所の中央広場は、今日も今日とて人で賑わっている。広場にや
って来たランディは周囲を見回し、一際目立つ黒一色の姿に目を止めてそちら
に歩み寄った。
「……やはり、来たか」
 池の縁に腰掛けていたウォルスは、やって来たランディにこう言った。ラン
ディはうん、と頷いてそれに答える。
「一応確認するが、後悔するつもりはないだろうな?」
「……後悔?」
「オレと一緒に来れば、かなり面倒な事に巻き込まれかねんぞ。それでも、本
当にいいのか?」
 突然の問いにランディはやや面食らうが、直後に蒼氷の瞳に宿る楽しげな光
に気づいて緊張を緩めた。
「冒険者になってから、なるべく後悔はしないようにって、決めてるから……
だから、多分大丈夫だよ」
 それから、茶目っ気を交えてこう答える。この返事に、ウォルスは楽しげな
まま、そうか、と言って立ち上がった。
「なら、それは良しとして……あれは、どうするんだ?」
 立ち上がったウォルスは、ランディの背後に視線を向けつつこんな事を言う。
この問いにランディは怪訝な面持ちで振り返り、
「え……ファリア!?」
 息を切らせてこちらを見つめるファリアの姿に息を飲んだ。
「ファリア、どうして……それに、その格好って、まさか……」
「……あたし……あたしも、一緒に行く!」
 困惑しつつ問うと、ファリアは半ば予想していた通りの言葉を、叫ぶように
返した。対処に困ったランディはウォルスを振り返るが、ウォルスはひょい、
と肩をすくめるだけで何も言わない。曰く、そっちで決めてくれ、という事ら
しい。ランディは頬を掻きつつファリアに向き直り、ふう、と息を吐いた。
「……そんな、悲壮な顔しなくてもいいよ、ファリア。一緒に行こう」
 それから、にこっと微笑ってこう告げる。この一言にファリアを捕らえてい
た緊張は、一気に緩んだらしかった。張り詰めていた表情に安堵が広がり、肩
の力が抜けるのが傍目にもわかる。
「話はまとまったな。それじゃ、出発するぞ」
 そこにウォルスが素っ気なくこう呼びかけてくる。それにうん、と頷いてか
ら、肝心の事を聞き忘れていた事にはっと気づいたランディは慌ててこんな問
いを投げかけた。
「それはいいんだけど、一体、どこまで行くつもりなのかな?」
「ん? ああ……別に、大陸の果てまで行こうっていうんじゃない。隣の国の
王都までだ」
「隣って……」
 きょとん、とするランディにウォルスはふっと笑いかけ、そして、西の空を
見上げた。
「魔導王国カティス……そこが、オレの目的地だ」

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