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(これは……空間転移?)
 何度か経験している感触に、ふとこんな事を考えた直後に両足が地面につい
た。同時に右足の傷が激しく痛み、ランディは思わずその場に座り込む。
「あいたぁ〜……」
 痛みに顔をしかめつつ、傷に手をかざして回復の呪文を唱える。傷が癒える
とランディは周囲を見回し、そこが見慣れたディレッドの店の、すぐ横の路地
である事を確認してから黒マントを見た。そちらはちょうど引き被ったマント
のフードを跳ね上げているところで、長く伸ばして一本に束ねた漆黒の髪が青
空をバックに跳ねていた。鋭い、あるいは冷たい――整ってはいるが、そんな
印象を受ける顔立ちをした、二十歳前後のまだ若い男だ。
「ったく……恐ろしいまでに無用心だな、お前は」
 ランディと目が合うなり、男は呆れきった口調でこんな言葉をぶつけて来た。
アイシクルブルーの瞳には、口調と同様に呆れ果てた、と言わんばかりの光が
宿っている。
「あの……えっと……」
「力を持つ者は、それに対して自覚と責任を持つ義務がある。自分の持つ力と
強大と認識しているなら、相応の自覚を持て。でないと、力に潰されるぞ」
「はあ……」
 厳しい言葉への返答に困り、ランディは気の抜けた声を上げてしまう。そん
なランディに男はほとほと呆れ果てた、と言わんばかりに大きくため息をつき、
それから、心持ち表情を和らげた。どうやら言いたい事が一段落したらしい、
と判断して、ランディはずっと抱えていた疑問を投げかける。
「あの……君は一体? どうして、ぼくを助けてくれたんですか?」
「強大な力を手にした運命の鍵――それに死なれてはかなわんからな」
「え……?」
 素朴な疑問に男は曖昧な言い回しで答え、ランディはとぼけた声を上げた。
「あの、それはどういう……」
 要領を得ない言い回しに更に問いを接ごうとした時、
「ランディ? 何してるの?」
 耳慣れた声が呼びかけてきた。はっとそちらを見ると、路地の表通り側の入
り口にシアーナとレオードが立って、怪訝な面持ちでこちらを見つめていた。
男もちら、とそちらを見やり、無言で路地の奥へと歩き出す。
「あ、ちょっと!」
「……あとで、また来る。とにかく、まずは身体を休めるんだな」
 慌てて呼び止めると男は足を止め、振り返りもせずにこう言った。そのまま
歩き去ろうとする男を、ランディはもう一度呼び止める。訝しげにこちらを振
り返る男に、ランディは立ち上がって一礼した。
「助けてくれてありがとう。差し支えなかったら、名前を教えてもらいたいん
ですけど?」
 にこっと微笑ってのこの言葉に、男は毒気を抜かれたらしかった。アイシク
ルブルーの瞳の厳しさが緩み、彼は苦笑めいた面持ちで自分の名を告げる。
「ウォルス……ウォルス・エスティオンだ」
 短い名乗りを残してウォルスは路地の奥へ歩き去る。立ち上がり、その背を
見送るランディの傍らにレオードがやって来る。
「ランディ、今のは……」
「ちょっと、あって……助けてもらったんです」
「……助けられた?」
「ええ……あ、ところで、シアーナさんの方はどうですか?」
 ふと思い出して問うと、レオードは何故か困ったように頭を掻いた。
「……レオードさん?」
「いや、その……まあ、それはこれから話す。まずは中に入ろう」
「あ、はい……」
 珍しく言葉を濁すレオードの態度に戸惑いつつ、ランディは一つ頷いた。
 そして――
「はあ? 子供お!? お前らの?」
 治癒術師ルクシスによるシアーナの診察結果を聞かされるなり、ヴェインが
素っ頓狂な声を上げた。ラウアがあらあ、ととぼけた声を上げ、ファリアはき
ょとん、と目を見張る。ランディは何を言えば言いかわからず、取りあえず指
先で頬を掻いた。
「ん、まあ……そう言う事だ」
 対するレオードは妙に落ち着かない様子でばりばりと頭を掻いている。豪放
磊落で知られる剣匠らしからぬ姿だ。その隣のシアーナが実に幸福そうな笑顔
でにこにこしているため、なんとも対照的だ。
 シアーナの不調の原因は妊娠だった。レオードの子が宿っているのだという。
もしあのまま探索を強行していたらどうなっていたかわからなかった――と、
いうのがルクシスの見解だそうだ。
「そうかぁ……じゃあやっぱり、あそこで戻って正解だったのね〜」
 状況を把握するなり、ラウアが軽い口調でこんな事を言った。ヴェインは呆
れたようにため息をつき、ファリアは不思議そうな面持ちでシアーナを見つめ
ている。
「でも、なんて言うか、良かったですねシアーナさん。おめでとうございます」
 そして、ランディは一番ストレートな言葉を選んでシアーナに投げかけた。
それに、シアーナは笑顔でありがとう、と返す。
「しかし、そうなると……シアーナ、お前さんは冒険者引退か?」
 そこにヴェインが真面目な面持ちで問いかけると、シアーナはやや表情を陰
らせてそうね、と呟いた。
「せっかく授かった命だし、やっぱり大切にしたいから……みんなには、迷惑
をかけてしまうけど」
「でも、仕方ないわよね……で、レオードはどうするの?」
 ラウアの問いにレオードは表情を引き締め、それからふう、と息を吐いた。
「それが問題だな……とにかく、こうなった以上ここの下宿に厄介になり続け
る訳にもいかんからな。近くに、家を探すしかないか……」
「い〜加減に所帯を持て、所帯を」
 言葉を濁すレオードにカウンターの向こうからディレッドが突っ込みを入れ、
剣匠は渋い顔でディレッドを見る。
「ま、なんにしてもよ」
 突然、ヴェインがぱんぱん、と手を叩いて軽い声を上げた。
「めでたい事に変わりはねえんだ! 今夜はよ、他の連中も巻き込んで、思い
っきり騒ごうじゃね〜の!」
「それもそうね……そうしましょ、レオード。シアーナも、いいでしょ?」
 ヴェインに続いてラウアもこんな事を言い、レオードはシアーナと顔を見合
わせた。そして、二人は表情を綻ばせて一つ頷く。それを見たヴェインは得た
り、と言わんばかりににやっと笑って指を鳴らした。
「よおっし、決まりだ! っつー訳でマスター、頼むぜぃ♪」
「やれやれ、しょーがねーなぁ……」
 口では面倒そうに言いつつ、でもどことなく楽しそうな様子でディレッドが
立ち上がる。かくて、店内はにわかに宴会ムードに包まれた。

 突発的に始まった宴会は、来る者全てを巻き込んで夜半まで続いた。とはい
え、当のシアーナは身体に障るからと早々と引き上げ、レオードも、シアーナ
が気になるからと途中で抜けて行ったが。
「ふう……」
 そして、ランディも適当なところで宴会を抜け出し、二階へと引き上げた。
ヴェインに付き合うと二日酔いになるまで飲まされるのがわかっているため、
隙を見て逃げてきたのだ。
「……急に盛り上がるんだもんなぁ……ヴェインさん、少しハメ外しすぎだよ」
 こんな事を呟きながら部屋に入ると、冷たい夜風が頬を撫でた。とはいえ、
窓は閉めておいたはずである。怪訝に思って室内を見回したランディは、開け
放たれた窓枠に腰掛ける黒い影に気がついた。
「……誰だ? そこで、何をしている?」
「心配するな、物取りをするほど食い詰めてはいない」
 警戒しつつ呼びかけると、影はこんな言葉を返してきた。微かに聞き覚えの
ある声に、ランディは戸惑いながらランプを手に取り、持ってきた火種で火を
つける。ぽうっと灯ったレモンイエローの光の中に、漆黒のマントが浮かび上
がった。
「君は……」
「下が随分と騒がしいんでな。勝手に待たせてもらっていた」
 戸惑うランディに突然の訪問者――ウォルスは軽い口調でこんな事を言う。
ランディはランプを梁から下がる掛け鉤に吊るしてベッドに腰掛けた。
「一体、何の用なのかな?」
「警告に来た」
「……警告?」
「ついでに、勧誘もな」
「……え?」
 戸惑うランディに向け、ウォルスは右手に持っていた数枚のカードを突き付
けた。カードには、色鮮やかな図案が描かれている。
「……これは?」
「ルーンカード。占術に使うカードだが……その顔だと、初めて見たようだな」
 その通りなので、ランディは素直に頷いた。
「ま、ルシェードじゃ水晶占いと占星術が主流だから、カード占いは珍しいだ
ろうな……ま、それはいい。とにかく、このカードが現しているのはこの世界
の一つの未来だ」
「一つの……未来?」
 戸惑うランディに頷きかけると、ウォルスは器用にカードをまとめ、その内
の一枚を見せた。カードには、王笏をかざした老人の姿が描かれている。
「このカードの名は支配……その意は絶対にして不定。これが、未来全体とし
て提示されている」
 こう言うと、ウォルスはひょい、とカードをまとめて別のカードを示した。
何か巨大な渦のようなものに飲まれて行く建物や人の姿が描かれたカードだ。
「これは破滅のカード、体現するのはその名の通りの破滅だ。これが、未来の
鍵――即ち、起こり得る出来事を意味している」
 静かな言葉に、カードに見入っていたランディははっと顔を上げた。
「それは、つまり……」
「現状、未来に提示されているのは破滅……しかし、未来を暗示するのは絶対
にして不定。つまり、変革を期待する事もできるって事だ。そして、それをも
たらす因子として提示される運命の鍵がこれだ」
 言いつつ、ウォルスは再びカードをまとめて別の一枚を示す。それには、剣
と花を携えた少女が、翻る旗の前に佇む姿が描かれていた。
「このカードの名は聖戦。己の信念と言う意味を持つ」
「己の……信念?」
「そうだ。そして、現在に提示されたのが強大な力の解放を意味する、覇王と
封印の逆位置……思い当たる節はあるだろう?」
 きょとん、とするランディに、ウォルスは薄く笑いながらこんな問いを投げ
かける。ランディは思わず、服の上からペンダントをつかんでいた。
「結論から言おう。今、世界は過剰な力の集中によって、破滅の危機に瀕して
いるらしい……実感はないがな。だが、それを覆す事のできる力もまた、解き
放たれた……その力を持つ者が己の信念を貫き通せば、絶対は不定となる……」
 こう言うとウォルスは静かな瞳でランディを見た。ランディは今のウォルス
の話と刻神の話とを重ね合わせ、多くの共通する部分に唇を噛み締める。
「ぼくに、どうしろって……」
 それから、低い声でこう問いかけると、ウォルスはふっ、と笑って見せた。
「言ったろ、オレは、警告と勧誘に来たんだってな……お前が手にしたその力、
それをオレに貸す気はないか?」
「この力を……貸す?」
 突然の言葉に戸惑いながら問うと、ウォルスは一つ頷いた。
「一体、何をしろって言うんですか?」
「別に、その力を振るって何かしてくれって訳じゃない。ただ、オレの目的を
果たす上で、その力は重要な位置付けにある……。
 有体に言って、昼間の連中。あいつらの親玉とオレは浅からぬ因縁を持って
いる。それだけに、ヤツらに力をつけられては困るって訳だな」
 ここで、ウォルスはわかるか? という感じでランディを見た。
「つまり……敵に回られると困るから、味方につかないかって……」
「まぁ、そう言う事だ」
 あっけらかん、と言ってのけるその態度に、ランディは言葉をなくしていた。
そんなランディに、ウォルスは真面目な面持ちでこんな事を言う。
「だがな、それだけでもないぜ。昼間のヤツらの態度は覚えているはずだ。ヤ
ツらは、目的のためには手段を選ばない。お前がその力を持っている限り、ど
んな手を使ってでもそれを奪い取ろうとするだろうな」
「どんな手でもって……」
 問いかける刹那、嫌な予感が胸を過った。
「まず間違いなく、お前の仲間が狙われる。そのくらいは平然とやる連中だ」
 問いに答えるウォルスの瞳は真剣で、その厳しさが、今の言葉が冗談ではな
いとはっきり物語っていた。
「つまり……みんなを、巻き込みたくなかったら……」
「力の放棄は論外だろう? なら、ここを離れるのが賢明だな。相手は、国家
権力にもかなり近い。護りきるのは、至難の技だ」
「…………」
 厳しい言葉にランディは唇を噛み締めた。
「とにかく、時間はあまりない……オレは、明日の昼にはここを発つつもりだ。
もし来る気があるなら、中央広場で待っている……ま、取りあえずは、ドアの
向こうで固まっている二人に事情を説明するのを勧めるがな」
「え……?」
 思いも寄らない言葉にランディはとぼけた声を上げてドアの方を振り返る。
直後に、ウォルスは身を翻して窓から飛び降りた。慌てて窓辺に駆けより、下
を覗き込むと、深い夜闇に飲まれた路地を駆けて行く黒いマントがおぼろげに
認識できた。それを見送ったランディは戸惑いながらドアを開け、
「レオードさん……それに、ファリア」
 とぼけた声でそこに立つ二人の名を呼んだ。

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