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「わっ……」
「きゃああ!」
 突然、光に飲み込まれた――そう思った直後に光は消え失せていた。同時に、
二人は足元の質量の消滅を感じ取る。有体に言って、空中に投げ出されていた
のだ。ランディはとっさにファリアの手を握り、ファリアも夢中になってその
手を握り返した。直後に二人は冷たい床の上に落下する。ランディの鎧ががし
ゃん、という金属音を立て、しばし、空間に反響を生み出した。
「っつう〜……」
「いったあ〜い!」
 石の床に強かに腰を打ちつけた二人は、痛む所を摩りつつそれぞれこんな事
を言った。特に装備の重いランディには、こんな落下のダメージはかなり厳し
いものがある。
「いたたたた……ファリア、大丈夫?」
「うん、何とか……ランディは?」
「かなり痛いけど……取りあえず、大丈夫みたいだ」
「そう……」
 引きつった声で答えるとファリアはひとまず安堵の息をつき、それから急に
表情を険しくして、ランディ! と大声を上げた。突然の事に驚いたのかちょ
こちょこと出てきたリルティがさっとフードの中にもぐり込み、ランディもた
じろぎながらな、なに? と問いかけた。
「どーしちゃったのよ、いきなり! あんなの、全然らしくない!」
「……うん……ごめん」
 半ば怒鳴り声のような問いにランディは素直にこう謝り、その反応にファリ
アは拍子抜けしたようだった。二人はその場に座って黙り込んでしまい、沈黙
が空間を閉ざす。
「……ねえ」
 その沈黙を破って、ファリアが小声で呼びかけてきた。ぼんやりとしていた
ランディははっと我に返ってそちらを見る。
「え……何?」
「ここ……どこなのかな?」
「刻の遺跡にいるのは間違いないよ。それも、多分……前人未到の場所じゃな
いかな」
 この返事にファリアはきょとん、と不思議そうに瞬いた。
「なんで、わかるの?」
「周り、良く見て。この部屋の埃、随分長い間動いた様子がない……大型の生
物がここを訪れなくなって、少なくとも百年単位の時間が流れてるんだ」
「あ……ホントだ」
 ランディの説明に周囲を見回したファリアは、その通りの状況を確認してと
ぼけた声を上げた。それから、栗色の瞳に不思議そうな色彩を宿してランディ
を見つめる。
「……どしたの?」
「ランディ……いつの間に、そんな事まで覚えたの?」
「え……? ああ、ヴェインさんにね。夜のヒマな時とかに、色々と教えても
らってたから」
「ヴェインに?」
「うん。やっぱり、色んな経験してる人だからね。ぼくの知らない事、その中
の知りたい事、知るべき事、たくさん知ってるから。ま、唯一の欠点は……」
 ここで、ランディはため息をついて言葉を切った。
「欠点は……なに?」
「授業料が高いんだよね……お店で一番高いお酒飲んで、それぼくに払わせる
んだから」
 言いつつ、ランディは悪戯っぽく笑って見せた。つられるようにファリアも
笑い出す。先ほどまでの張り詰めた緊張がややほぐれ、穏やかな雰囲気が場に
広がった。リルティも安心したらしく、フードから出てくる。
「ねえ、ランディ」
 一しきり笑った所で、ファリアがまた問いを投げかけてきた。
「なに?」
「ランディは……このまま、冒険者続けるの?」
「え……まあ、そうなると思うけど……それが、どうかしたの?」
「え……ううん、ちょっとね」
 問い返しに曖昧に答えると、ファリアは心持ち目を伏せた。その様子にラン
ディはきょとん、と瞬き、俯き加減の横顔を覗き込む。
「……どうしたのさ、ファリア?」
「別に……何でもないってば」
「ならいいけど……」
 素っ気無い返事にランディはかりかりと頬を掻き、それから、ずっと抱えて
いた疑問を投げかけてみる事にした。
「あのさ、ファリア」
「なに?」
「前から気になってたんだけど……ファリアは、どうして冒険者になったの?」
「え……それは……」
 ランディとしては、本当にごく何気ない問い――しかし、この問いにファリ
アは困惑した面持ちでランディを見、それから、一気に表情を陰らせて目を伏
せた。その様子にランディは興味に任せた今の問いを後悔する。どうやら、聞
くべきではない事を聞いてしまったらしい。
「あ、ごめん。やな事聞いちゃったみたいだね」
 素直に謝ると、ファリアはいいの、と呟いて顔を上げた。一見いつもと変わ
らないように見えるが、栗色の瞳には陰りが残っている。
「話したくないなら、別に、いいよ……」
 その陰りを気遣ってこう言うと、ファリアは何故か眉を寄せた。
「……そうは言ってない。それに……」
「それに……?」
「ランディには、ちゃんと知っててほしい……あたしの事」
「……え?」
「だ、だってホラ……他にみんなは、知ってるのに、ランディだけ知らないの
も変でしょ!? だから……聞いて」
「あ……うん」
 妙に取ってつけたような理屈に戸惑いつつ頷くと、ファリアは一度目を閉じ
て息を吐き、ゆっくりと話し始めた。
「あたしの両親もね、冒険者だったの。お父さんは魔導剣士でお母さんは魔導
師……もう、これ以上はないってくらい、古代語魔法の好きな二人でね。その
影響で、あたしもそれなりの魔力は持ってたの。
 それで……あたしが五歳の時に、伝説の大魔導師の研究所の跡が見つかって
……二人してそこの調査隊のメンバーに抜擢されたの。それで、あたしはお母
さんの知り合いに預けられて、帰りを待ってた……でも……」
 ここでファリアは一度言葉を切り、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「でも……二人とも、帰ってこなかった……調査隊、一人を除いて全滅しちゃ
ったんだって。それで……」
「……」
「それでね、あたし……一人になっちゃったから……取りあえず、お母さんが
もしもの時のためにって、色々頼んでくれてたから……お母さんのお師匠様に
引き取ってもらって、魔道師の修行始めてね。二年前にギルドに認定してもら
って、それで、お師匠様の紹介でレオ兄たちと冒険に出る事になったの……」
 話し終えると同時に、ファリアは抱えた膝の上に顔を伏せた。その様子に一
抹の罪悪感を覚えつつ、同時に、ランディはある事を納得していた。
(そうか……それで、あの時……あんな風に言ってくれたんだ)
 アルガード家からの絶縁を正式に伝えられた時、覚悟はしていたものの、ラ
ンディが受けた衝撃は大きかった。その痛みに落ち込んでいた時、ファリアは
こんな言葉で慰めてくれたのだ。
「そんなに落ち込んじゃダメだよ、ランディ。それは……家に帰れないの、辛
いかも知れないけど……でも、ランディの家族は、ランディが嫌いになった訳
じゃないでしょ? それに……生きてれば、また会えるかも知れないじゃない?
だから……元気出して……」
 正直、言われた時には困惑した。ただ、ファリアが自分を気遣ってくれてい
るのは感じられたから、素直に頷く事ができたのだ。『生きてれば』という部
分には多少の飛躍も感じたのだが、こんな経緯があったのなら、この表現も納
得できる。
「……ごめん。辛い事、思い出させちゃって……」
 短く謝ると、ファリアは顔を上げてううん、と言いつつ首を振った。
「そんなに、気にしないで。あたし、大丈夫だから」
「でも……」
「いいの! ランディ……あたしのコト、不幸だと思ってるでしょ?」
「え!? いや、それは……」
 少なからず考えた事だけに、ランディは返事に窮してしまう。口篭もるラン
ディの様子に、ファリアはくすっと微笑って見せた。
「でもね、そんな事ないよ。それは、お父さんたちの事は……悲しかったけど
……でも、あたし、自分が不幸だとは思ってないの。それは、全然思わなかっ
た、って言ったら、ウソになるけど……でも、今はそうは思わない」
「……どうして?」
 きょとんとしつつ問うと、ファリアは眉を寄せて睨むようにこちらを見た。
「わかんない?」
「う……うん」
 その通りなので素直に頷くと、ファリアはますます表情を険しくする。
「ほんっとに、わかんないの?」
「いや、その……そんなに凄まれても……」
「もお……鈍感なんだから……」
「え……なに?」
「なんでもない!」
 こう言うと、ファリアは拗ねたような表情でぷいっとそっぽを向いた。ラン
ディは対処に困ってかりかりと頬を掻き、それから、ふう、とため息をつく。
「でも……そうなると、凄い偶然……なのかな、今って」
 それから、ふと思いついた言葉をそのまま口にする。ファリアはえ? と言
いつつ不思議そうにこちらを見た。
「偶然って……何が?」
「いや、だから……今、ぼくと君がこうやって、時間と場所を共有している事。
もしかしたら、あり得なかったかも知れないんだなって思ってさ」
「あ……」
「……不思議だよね、人と人の出会いってさ。直接は関係ないような事同士が
影響しあって、出会ったり出会わなかったり。そう考えると……出会いって、
究極の偶然なのかな」
 独り言めいて呟く、その脳裏にふと蘇るのは王女ジュディアと魔導剣士ラー
シィスの事だ。偶然がもたらしたであろう二人の出会いは、ランディの人生に
大きな影響を与え、本来ならばあり得なかった出会いを多くもたらしている。
(……どうしてるのかな、今……)
 ぼんやりとこんな事を考えていると、
「そうかも知れないけど……でも、偶然なのかな、出会いって」
 ファリアが呟くようにこんな言葉をもらした。ランディはきょとん、としつ
つそちらを見る。
「……どういう意味?」
「だから……運命的な出会いっていうのも、あると思うよ、あたしは。って言
うか……あたしは、あるって信じたい……ううん……今、物凄く信じてる。お
かしい……かな?」
 言いつつ、ファリアは顔を上げてランディを見た。真摯な光を宿した栗色の
瞳に、ランディは思わずどきりとする。
「……ランディ?」
 囁くような呼びかけが、短い意識の空白からランディを呼び覚ました。我に
返ったランディは心持ち視線を逸らしつつ頬を掻き、
「……ん?」
 動かした視線の先に奇妙な物を見つけて眉を寄せた。
「……どしたの?」
「なんだろう、あれ……」
「あれ……って?」
「ほら、あそこにある……水晶球みたいなの」
 ファリアに答えつつ、ランディはゆっくりと立ち上がった。ファリアもリル
ティを肩に乗せて立ち上がり、二人は警戒しながら、今ランディが見つけた物
――部屋の隅の台座に乗せられた丸い物体に近づいていく。ランディが予想し
た通り、それは一抱えもある巨大な水晶球だった。埃の積もった部屋の中で、
何故かそれだけは全く汚れる事無く、静かな輝きを放っている。
「ほんとだ、水晶球……わぁ、凄い力、感じる」
「力? 力って、魔力?」
 ランディの問いにファリアはう〜ん、と言いつつ首を傾げた。
「……魔力とは少し違うみたい……シア姉が使う、神聖魔法の力みたいな……
違うみたいな……」
 ファリアの説明に、ランディはやや眉を寄せて目の前の水晶球を見つめた。
それから、部屋の中をぐるりと見回す。
「……この部屋って、完全に閉鎖空間なんだよね……ぼくたちがここに入った
状況とか考えても、普通の出口はない。と、なると……」
 独り言のように呟きつつ、ランディは改めて水晶球を見た。
「と、なると……なに?」
「ここから出るための鍵は、この水晶球って事になるんじゃないかな? 他に
は何もなさそうだし……まあ、確証はないんだけどね」
 ランディの立てた予想にファリアはちょっと首を傾げつつ水晶球を見つめる
が、それはかすかに煌めくだけで当然の如く何も語らない。静かなその色彩を
見ているだけで、吸い込まれそうな心地さえした。
「でも……どうすればいいのかな? 確かに、この水晶球には凄く強い力が働
いてるけど、でも、どんな力なのか全然判別がつかないし……って、ちょっと、
ランディ!?」
 ぶつぶつと呟いている途中で、ランディが水晶球に手を伸ばしているのに気
づいたファリアは素っ頓狂な声を上げた。そんなファリアに、ランディはにこ
っと微笑って見せる。
「ちょっと、触ってみるだけだよ。心配いらないって」
「って、どんな力が働いてるかもわかんないのよ!? いくらなんでも危ないわ
よ!」
「だからって、このままぼーっとしている訳には行かないじゃないか。とにか
くここを出て、レオードさんたちの所に戻らなきゃならないんだからね」
「それは……そうだけど、でも……」
「大丈夫だよ、きっと」
 根拠は全くないがこう言いきると、ランディは水晶球に向き直った。ファリ
アはしばしためらう素振りを見せたものの、ランディの左腕に両腕を絡めてぎ
ゅっとつかまった。リルティも妙に必死な様子でファリアの肩をつかんでいる。
「……ファリア?」
「……ランディ一人だけ、どっかに飛ばされちゃったら、あたし、取り残され
ちゃうじゃない……」
 きょとん、としつつ名を呼ぶと、ファリアは微かに震える声で、どことなく
拗ねたようにこう言った。それに妙に納得しつつ、ランディは水晶球に右手を
伸ばす。

――来れ、我が許へ!――

 伸ばした手が水晶球に触れた瞬間、頭の中に例の声が響いた。同時に水晶球
が眩い光を放つ。祭壇の間で二人を包み込み、ここに連れてきたものと同じ光
だ。ランディは目を細めつつ右腕をかざし、ファリアはぎゅっと目をつぶる事
でその直視を避ける。やがて光の乱舞は静まり、ぼやけた視界が回復した時、
「……え?」
 ランディは思わず呆けた声を上げていた。

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