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   ACT−2:忘れられし神の祈り

 そして――それから、半年が過ぎた。
「ランディ、右、来るぞ!」
「……はいっ!」
 シャッ!
 レオードの警告に身を翻した直後に、それまで立っていた場所に槍の穂先が
繰り出された。ランディは一つ息を吐いて態勢を戻すと、槍を繰り出してきた
骸骨戦士との間合いを一気に詰め、下段からの切り上げでその身体を打ち砕い
た。そのまま身体を返し、側面から迫る一体に剣を打ち下ろす。その一撃で態
勢を崩した骸骨戦士にはヴェインが止めを刺した。同時にレオードが最後の一
体を打ち砕き、戦いはひとまず終わる。
「やれやれ、終わったかぁ……しかし、やってらんねーな、ったく」
 敵の消滅を確認するや、ヴェインが大げさなため息をついた。
「この遺跡に入ってから、出くわす敵出くわす敵、みぃ〜んな不死怪物でよ〜
……気が滅入るっちゃね〜や」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、ヴェインは打ち砕いた骸骨戦士の残骸を調べ始
める。その様子を眺めつつ剣を収めるランディの傍らに、ファリアが駆け寄っ
てきた。
「ランディ、大丈夫?」
「ん、まぁね。とはいえ、なんて言うか……凄いとこだね、ここ……」
 心配そうな問いかけに笑顔で答えつつ、ランディは額の汗を拭う。
 王女ジュディア誘拐の一件から、はや、半年。ランディはアルガードの名を
捨て、自由騎士ランディ・アスティルとして冒険者生活を続けていた。生真面
目で知られた準騎士が任務に失敗した事で一時王都は騒然となった。責任問題
も持ち上がりはしたものの、アルガード家の当主――つまりランディの父が絶
縁と追放を公的に宣言した事で一応の決着はつき、ルセリニアとの縁談も、第
二王女であるシェリア姫がマリウス王子と意気投合した事でどうにか丸く収ま
りそうだった。
 任務に失敗した事で当然騎士資格は剥奪されたものの、ランディはそれに対
してなんの屈託も持ってはいなかった。表層的な事よりも、もっと大きな事を
成し遂げたと言う自負があったから、そして、支えてくれる仲間を得る事がで
きたから――だから、『失墜騎士』と揶揄されても笑って受け流す事ができた。
 自由騎士となってから半年の間の様々な経験は、頼りなかった少年にいくば
くかの精悍さを与えていた。とはいえ、人を殺める事に対する罪悪感を自分な
りに処理しきれていないため、人や亜人種と呼ばれるもの――ゴブリンやコボ
ルドなどとの戦いではどうにも詰めが甘い。これはもう、ランディ自身の問題
だから、と周りは何も言わずにいるが。
 そういう意味では今いるこの場所――『刻の遺跡』はランディにとっては戦
い易かった。先ほどヴェインが愚痴っていた通り、出てくる敵は全て不死怪物
と呼ばれる類のものばかりなのだ。とはいえ、それはそれで違う問題も引き起
こしているのだが。
(シアーナさん、大丈夫かな?)
 こんな事を考えつつ、ふとシアーナを振り返る。シアーナはレオードにもた
れかかって目を閉じていたが、ランディの視線に気づくと目を開けて穏やかに
微笑んで見せた。心配するな、と言っているのだ。そうは言ってもこの遺跡に
入ってからの不死怪物との連戦は、司祭である彼女に大きな負担をかけている。
不死怪物の撃退には聖なる祈りを唱える司祭の神聖魔法が特に有効となるため、
どうしてもシアーナ頼みになってしまいがちなのだ。
「……ねえ、ランディ」
 ヴェインの調査が終わるのを手持ち無沙汰に待っていると、ファリアが小声
で呼びかけてきた。
「ん……なに?」
「シア姉なんだけど……何か様子、おかしくない?」
 ファリアの言葉にランディはきょとん、と瞬いた。
「……そう……かな?」
「おかしいよぉ、何だか、いつもより疲れ易くなってるし……体調、崩してる
んじゃないかなぁ?」
「……あ……確かに」
 言いつつ、ランディは改めてシアーナを振り返った。シアーナは取りあえず
は落ち着いたらしいが、確かにいつもに比べて疲労の度合いが深いようにも思
える。ランディはう〜んと言いつつファリアに向き直った。
「そうは言っても……見た感じじゃ、ちょっとわからないよ」
「なっさけないなぁ、もう。仮にも名医で知られるルクシス様に弟子入りして
たんだから、もう少しさあ……」
「だから、ぼくが教えてもらったのは魔法だけなんだってば。ルクシス先生だ
って忙しいんだから、医術習ってる時間なんて、とてもなかったよ」
 呆れたようなファリアの言葉に、ランディはやや憮然としてこう答えた。ち
なみにルクシスというのはアルトラの街に住む治癒術師で、治癒魔法のみなら
ず医術にも通じ、名医としてその名を知られている。ランディはこの遺跡を訪
れる直前まで、彼に師事して治癒魔法の習得に励んでいたのだ。
 治癒魔法はその名の通り回復に重点を置いた魔法の系統であり、神聖魔法の
ような多様性こそないものの、強い信仰心や神殿への奉仕を必要とせず、また
魔力的な資質にこだわる必要もあまりない事から、ある程度熟練した戦士が冒
険の補助として習得する事が多い。ランディも剣以外に何か役立つ能力を身に
着けよう、という思いから、治癒魔法を習得しようと思い立っていた。
「いずれにしろ、注意しなきゃいけないのは確かだね。まあ、簡単な傷の手当
てならぼくができるし、あとは無理させないよう、みんなでフォローしてくし
かないよ」
 ランディが定義した当り障りのない意見にファリアがそうね、と頷いた直後
にヴェインが立ち上がった。冒険者たちは一斉にそちらに注目し、ひょい、と
肩をすくめる独特の仕種から成果ナシ、という言葉を読み取る。
「んで、どーする? このまま進むのか?」
 ぱんぱんと手を叩きつつヴェインはレオードに問いかけた。レオードは傍ら
のシアーナを見やり、何事か思案するように眉を寄せる。明らかに体調不良の
シアーナを伴って探索を続行するのは得策ではないが、しかし、引き返すには
やや中途半端な位置まで進んでいるのもまた事実なのである。
「……さて、どうしたものか」
 独り言のように呟くと、レオードはヴェインを見る。ヴェインはひょい、と
肩をすくめてその視線に応じた。曰く、そっちに任せる、という意思表示だ。
その傍らのラウアは難しい顔でかぶりを振る。シアーナの事を考えて引き返し
た方がいい、という事だろう。次に目を向けたファリアはマントのフードの中
から肩の上に登ってきたリルティと顔を見合わせ、困ったようにランディの方
を見た。進むべきか戻るべきか、判断しかねているらしい。レオードは最後に
ランディを見た。
「えーっと……」
 視線を向けられたランディは傍らのファリアを見、それからシアーナを見た。
個人的にはこれまで誰も踏破した事のない遺跡の探索を続けたいが、しかし、
シアーナの身体も心配なのである。ここで無理をして何かあったら……と考え
れば、引き返すのがベストだろう。
(まあ、遺跡は逃げないからね……)
 こんな考えでひとまず好奇心を押さえ込んだ、その時。
――来れ、我が許へ―― 
 何の前触れもなく、頭の中に声が飛び込んできた。ランディは言いかけた言
葉を飲み込んで反射的に背後を振り返る。
「ランディ? どうかしたの?」
 突然の事にファリアが怪訝そうに呼びかけてきた。他のメンバーも訝るよう
にランディを見る。ランディはそれに答えず、目の前に立ち込める薄暗闇をじ
っと見つめた。
――来れ、我が許へ――
 再び、頭の中に声が響く。その声に引かれるように、ランディは暗闇の奥へ
と歩き出していた。
「……ランディ!?」
 ファリアが素っ頓狂な声を上げてその後を追い、レオードたちも困惑しつつ
それに続く。
「ランディ、ねえ、ランディってば!」
 ランディに追いついたファリアはその前に回り込んでもう一度呼びかけた。
この呼びかけに、ランディははっと我に返って足を止める。
「もう……どーしちゃったのよ、いきなり?」
 足を止めたランディに、ファリアは憮然とした面持ちで問いかけてくる。ラ
ンディは眉を寄せて、どう答えたものかと思案した。
「ランディ、一体どうした?」
 そこにレオードたちが追いついてきて、更に問いを重ねる。ランディは決ま
り悪い思いで頭を掻くと、一つ息をついてこう答えた。
「それが……声が聞こえたんです」
「声〜?」
 あらかじめ予想していた通り、最初にヴェインが呆れた声を上げた。それに、
ランディははい、と頷く。
「どういう事、ランディ?」
 続けてラウアが問いかけてくる。
「それが……いきなり、頭の中に声が響いて……『来れ、我が許へ』って」
 それにこう答えると、レオードとシアーナが顔を見合わせた。
「……それで、その声に引かれてつい奥へと進もうとした、と?」
 それから、レオードがこう問いかけてくる。その通りなので、ランディはは
い、と頷いた。
「……その声、女だったか?」
 続けてヴェインがこう問いかけてくる。突然の問いに戸惑いつつランディは
先ほどの声を思い返し、首を横に振った。
「女の人の声……じゃ、なかったですね。どっちかっていうと、中性的って言
うか……でも、それが何か?」
「そっか。いや、お前って単純だからな。タチの悪いアンデッド女の声にでも
引かれたんじゃねーかと思ってさ」
 問い返すとヴェインはさらりとこう答え、ランディはえ、と言って絶句して
しまう。
「ちょっとお! ランディが、アンデッドの誘惑なんかに引っ張られるワケな
いでしょお、あんたじゃあるまいし!」
 絶句するランディに代わり、ファリアが頬を膨らませて反論する。これに対
し、ヴェインはにや〜りと意地悪く笑って見せた。
「そぉかあ? こいつだから逆にって事もあり得るぞぉ?」
「……なんでよ?」
「なあんせ、こいつと来たら!」
 言いつつ、ヴェインはランディの首をがっきと抱えこんだ。突然の事に避け
られず、ランディはまともに首を締められる。
「とにっかく、色恋沙汰に関しちゃあ、昨今珍しいくらいにウブな坊ちゃんだ
からな〜。誘惑のしがいはあると思うぜぇ?」
「ほ、ほっといてくださいっ!」
 反論の余地のない言葉に、ランディは憮然として言いつつ、その手を振り払
った。直後に先ほどの声が響き、ランディははっと奥の暗闇を振り返る。
「……ランディ?」
 前方の薄暗闇を見つめる横顔を、ファリアが先ほどとは一転、心配そうな表
情で見つめる。その視線に気づいたランディは一つ息をつくと表情を緩め、そ
ちらに微笑いかけてからレオードを振り返った。
「……とにかく、一度戻りましょう、レオードさん。ぼくらは大丈夫でも、シ
アーナさんが心配ですから」
「……いいの、ランディ?」
 それから、先ほど言いかけた言葉をレオードに告げると、シアーナが微かに
眉を寄せて問いかけた。そもそも、噂を聞いてここに来たいと言い出したのは
ランディなのだ。それを気遣っての問いに、ランディはにっこり微笑ってはい、
と頷いた。
「……ごめんなさいね、みんな。ここまで来たのに、わたしのせいで……」
「そんなに気にしなくていいわ、シアーナ」
「そーそ、遺跡は逃げねえんだからな。また来りゃいいだけの事よ」
 本当に済まなそうに頭を下げるシアーナに、ラウアとヴェインがごく軽い口
調でこんな事を言う。最後にレオードが穏やかな表情で一つ頷くと、シアーナ
はありがとう、と言って安堵の笑みを浮かべた。

 取りあえず今回は大事を取ることで一致した冒険者たちは、来た道を引き返
して行く。その間にもランディの頭の中には先ほどの声が繰り返し響いていた
が、ランディはその事は考えないように務めた。耳を傾けたら最後、また薄暗
闇の向こうへ踏み込んで行きそうで怖かったのだ。
 ほどなく、一行はこの遺跡に入ってすぐの所にある祭壇の間に戻ってきた。
ここには不思議な結果で覆われた祭壇が設えられており、その上にはいかにも
曰くありげな長剣が横たえられている。ここを訪れた冒険者たちは皆、この結
界を破る術を求めて遺跡の奥へと進むのだ。
「しっかしまあ、何なのかね、あの剣は」
 祭壇の間に入ると、ヴェインがふと思い出したような口調で言いつつ部屋の
奥を見た。それにつられるようにランディがそちらを見た瞬間、
――来れ、我が許へ!――
 先ほどから聞こえ続けていた声が、一際大きく頭の中に響いた。合わせるよ
うに祭壇を包む結界がキラキラと輝き始める。突然の事に戸惑う一行の前で結
界は輝きを増し、出し抜けに鋭い閃光を放った。
「お、おいおい、何だよこりゃあ!?」
「そんなの、わかんないわよ!」
「あ……ランディ!」
 素っ頓狂な声を上げるヴェインにラウアが答え、直後にファリアが悲鳴じみ
た声でランディを呼んだ。当のランディは何かに引かれるように祭壇の方へと
近づいていく。ファリアは夢中になってその後を追い、ぎゅっと手を掴んだ。
暖かい感触にランディははっと我に返る。それとほぼ同時に、祭壇の上の剣が
虹色の輝きを放った。輝きは光の渦となり、突然の事に立ち尽くすランディと
ファリアを飲み込んでしまう。
「ランディ、ファリア!」
 レオードが叫ぶ。虹色の光の渦は二人を飲み込むと一際強い輝きを放ち――
そして、二人諸共、ふっ……と消え失せた。
 
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