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 翌日の早朝、ランディはレオード、シアーナ、ヴェイン、ラウア、ファリア
の五人と共にアルトラの街を出発した。王女を拉致した賊の居場所は、宮廷魔
術師団の総力を上げての探索によって突き止められている。アルトラの街から
北に三日ほど進んだ森の中にある洞窟がその潜伏場所だった。
「しかし、わかってんなら、なんでもっと早く手ぇ打たねえんだ?」
 洞窟の場所を聞いたヴェインは呆れたようにこんな事を呟いた
「……事を荒立てたくはないのだと思います。王女殿下とルセリニアのマリウ
ス王子の間で、お見合いが予定されていましたから……」
「……あまり騒いで、波風立てたくないってか?」
 ランディの答えにヴェインは投げやりに問う。それに、ランディは恐らく、
と頷いた。
「まあ、そうよねぇ……ルセリニアって、確か太陽神信仰の本拠地なんでしょ?
あそこの人って、ひたすら口うるさいもんね」
 それに、ラウアが処置なし、と言わんばかりの口調で言って、肩をすくめた。
ラウアたち森妖精はそも、一般に信仰されている理の十二神に対する信心を持
たない。そのためか、宗教国家であるルセリニア神聖王国に対する評価は辛い
ようだった。もっとも、ルセリニアという国に対する評価は、信仰を持たない
森妖精ならずとも厳しい物があるのだが。
「まあ、国の思惑はどうあれ、捕われの姫を見捨てる訳にはいかんだろう。急
いで行くぞ」
 そこにレオードが冗談めかした口調でこんな言葉を投げかけ、冒険者たちは
道を急いだ。道中、何度か怪物たちの襲撃を受けたが、冒険者たちは慣れた様
子でそれらを撃退していた。ランディもやや危なっかしい剣さばきで戦いに加
わり、その度に遠慮会釈のないレオードの注意を受けていた。さすがにと言う
か、実戦経験の豊富な剣匠レオードの指摘は的確であり、ランディの方もそれ
を素直に受け入れ、積極的な改善に務めた結果、洞窟に着く頃にはその動きか
らは大分無駄が省かれていた。それでも、レオードに言わせれば、まだまだ無
駄な動きをしている、という事になってしまうのだが。
 レオードは少年の秘めた優れた素質に着目し、でき得る限りその成長を手助
けしようと決めていた。恩師の孫だから、という訳ではない。ランディの秘め
る可能性を、少しでも引き出したい――そう思ったのだ。彼が、騎士という型
にはめ込まれてしまう前に、少しでもその素質を開花させたい。それがレオー
ドの思いだった。本当にいつの間にか、そんな気持ちになっていたのだ。
 必要もないのに、つい入れ込みたくなる。それは華奢な体躯と幼さを残した
表情がもたらすものなのか、それとも、深く澄んだ紫水晶の瞳が魅入らせるの
かは定かではない。いずれにしろ、冒険者たちは単なる依頼の枠を超えてこの
少年に入れ込みつつあった。
 この出会いが、彼にとっては通過点に過ぎない事に、一抹の寂しさを抱きな
がら。

「で、ここがその洞窟って訳だな」
 たどりついた洞窟の入り口から中を伺いつつ、ヴェインが誰に言うともなく
低く呟いた。それから、レオードを振り返って問う。
「んで? 並びはどうする、大将?」
「先頭はお前とランディ。後ろはオレとシアが固める。ファリアとラウアは中
央だ」
「……だとさ、坊ちゃん。大役だぜ?」
「は、はいっ!」
 冗談めかしたヴェインの言葉に、ランディはぴんっと背筋を伸ばした。
「そんなに気負っちゃダメよ。焦りは禁物なんだから」
 その様子にくすくすと笑いつつ、ラウアがこんな事を言う。
「あ……はい」
「さて、そんじゃ行くとしよーぜ」
 てきぱきと灯りの準備を終えたヴェインの言葉を号令に、冒険者たちは洞窟
へと踏み込んだ。罠や奇襲を警戒しつつ、慎重に歩みを進める。洞窟の中は無
意味に曲がりくねってはいるが、それでも分岐点のない一本道が続いている。
それはこの洞窟が侵入者を内部で一網打尽にできうる可能性を示していた。一
本道に仕掛けられたトラップには、一撃必殺性を持たせやすいのだ。
 極端な例を挙げれば、前なり後ろからなり通路いっぱいサイズの岩が転がっ
てくれば避けようがない。岩を砕くという手もあるが、押し寄せてくるのが熱
湯だった場合はそうもいかないだろう。結果として、用心するに越した事はな
い……のだが。
「……妙だな」
 曲がりくねった道を一時間ほど歩いた所で、突然ヴェインが声を上げた。
「えっ……?」
 ランディは不思議そうな声を上げてヴェインを見る。
「妙って……何がですか?」
「……仕掛けがねえんだ。この手の場所にゃあ、必ずと言っていいほど大がか
りな仕掛けがあるはずなのに……」
「はあ……」
「魔法で隠されてる気配もないし……ヘンなの……」
 ヴェインの言葉を補足してファリアが呟く。
「……うーん……」
 迷宮のお約束に疎いランディは、どうにも会話について行けなかった。
「……おい、お喋りはそのくらいにしておけ」
 不意にレオードが厳しい声を上げた。
「前方に殺気を感じる。ランディ、注意しろ」
「え? 殺気?」
「とにかく、静かにしてろってこった」
 ヴェインの言葉に、ランディは疑問を抱きつつもおとなしく口をつぐんだ。
(どうしてわかるんだろ、そんな事……)
 極力音を立てないよう気を配りながら歩きつつ、ランディはそんな事を考え
ていた。
 レオードの注意を受けてから少し進むと、前方から人の話す声が聞こえてき
た。ヴェインは一度レオードを振り返り、足音を忍ばせて一人先行する。やや
時間を置いて戻ってきたヴェインは低い声で状況を説明した。
「見張りは五人。部屋の奥には階段。さて、どうする?」
「……戦いになりそうか?」
「『あと二日、ここを守れば一万シルオン』だとさ。かなりリキ入れて、突っ
かかってくるんじゃねーの?」
 レオードの低い問いにヴェインはひょい、と肩をすくめてこう答える。ちな
みに、シルオンというのは一般通貨である銀貨の事だ。
「……突破するの?」
 シアーナがどこか悲しげに問うのに、レオードは向こうの態度次第だな、と
呟いた。それから、厳しい表情をランディに向ける。
「……ランディ」
「は、はい」
 自分を見つめる瞳の厳しさに、ランディは居住まいを正した。
「覚悟をしておけ。戦いになれば……お前は、自分の心を試される」
「え……?」
「すぐにわかる。行くぞ」
「は、はい」
 一方的な言葉に釈然としないものを感じつつ、ランディはヴェインと並んで
歩き始めた。通路はやがて開けた空間に行き当たり、そこに踏み込むと、奥に
いた五人の男たちが立ち上がった。
「……なんだい、あんたら?」
 リーダー格とおぼしき男が低く問いかけてくる。
「所用で、この奥へ進む通りすがりだ」
 それにはレオードが答えた。剣呑な響きが場の緊張を高める。
「ほう……そりゃあいいが、通行料は高くつくぜ?」
 別の男が、剣の柄頭を撫でつつ何気ない口調で言った。
「おいくらかしら?」
 それに、ラウアが涼しい顔で問いかける。翠珠色の瞳に宿る色彩は厳しい。
問われた男はひょい、と肩をすくめてリーダー格を振り返り、その無言の振り
にリーダーはにやり、と口元を歪めた。
「そうさな……あんたらの命を、置いてってもらおうか!」
 言葉と共に男たちは動いていた。引き締めた表情には妥協の余地は見られな
い。倒すか倒されるか――この場にある選択肢はそれだけのようだった。
(まさか……本気で殺し合うつもり……!?)
 ふとこんな思いが過り、ランディは思わず呆然とするが、向こうはそんな事
はお構いなしという事らしい。距離を詰めてくる五人の内、二人は杖を持って
いる。どうやら魔道師のようだ。
「ヴェイン、ラウア! 魔道師は任せる!」
 剣を抜き放ちつつレオードが指示を出した。
「シアとファリアは支援! ランディ!」
「は、はいっ!」
 呼ばれて、展開に呆然としていたランディは慌てて剣を抜いた。
「ファリアを守れ! 敵は、魔道師から潰しにくる! いいな、必ずだぞ!」
「わ、わかりました!」
 ランディが答えた頃には、ヴェインとラウアはもう動いている。通常、ラウ
アのような吟遊詩人には戦闘能力がない、とされているが、長く旅を続ける間
に自衛の術を身につける者も小数だが現れる。彼らは短剣を用いる事で、一撃
必殺の攻撃をも繰り出せると言う。そして、一見少女に見える森妖精の吟遊詩
人は、まさにその『少数』の一人だった。
「はっ!」
 短い気合と共に研ぎ澄まされた刃が舞う。一本に編んだ長い金髪がくるり、
と輪を描いた。一瞬の後、呪文を唱えていた魔道師が喉から血を吹いて後ろに
倒れる。見事と言う以外にない早業だった。その早業に男たちは一瞬隙を作り、
その隙が、もう一人の魔道師の命運を決めた。素早い動きで背後に回り込んだ
ヴェインが短刀を振るう――とんっという感じで背中から胸を突かれた魔道師
はどっ……と音を立てて倒れ伏した。こちらもやはり一撃必殺、見事に急所を
突いている。
「てめえ、よくも! ただで済むと思うな!」
 リーダー格の男が咆える。それに、レオードが不敵な笑みを持って応えた。
「元より、ただで通すつもりはあるまい! それはこちらも同じ事!」
 ガキィィィンっ!
 鋭い金属音と共に、二振りの剣がぶつかり合う。残った男たちの内、神官と
思われる軽装の男が祈りを唱え始めると、ヴェインとラウアが息の合った連携
でそれを阻み始めた。この二人、とにかくやたらと呼吸が合っている。シアー
ナは戦いが始まってからずっと、祈りを唱えていた。それが何を意味するのか、
考えている余裕はランディにはない。男たちの最後の一人がランディとその後
ろで魔力を集中するファリアを狙ってきたのだ。
 キインっ!
 二振りの刃が交差する。
「くっ……」
 振り下ろされた刃は重く、剣を伝って衝撃が肩まで走り抜けた。危うく剣を
取り落としそうになるのを必死で堪えるが、向こうはランディの実戦不足を一
目で見抜いていた。口元が笑みの形に歪み、次の瞬間、
 どごっ!
(えっ……!?)
 足に衝撃が走り、身体のバランスが崩れた。戦士はよろめくランディを難な
く突破し、詠唱中で無防備なファリアに刃を向ける。
「……っ!? やべっ!」
 それに気づいたヴェインがとっさに短刀を投げた。肩に直撃を受けた男は一
瞬怯むが、そのまま剣を振り下ろそうとする。
「……いけない!」
 身体が勝手に動いていた。ランディは傾いたバランスを無理やり戻すと、手
にした剣を戦士の背中へ繰り出していた。騎士にあるまじき行為――などとい
う儀礼的理屈が口を挟む余地は、状況にはない。
 が、くんっ
 手に鈍い衝撃が伝わり、戦士がよろめいて無防備な前面をさらけ出す……ラ
ンディは感覚の導くまま、引き戻した剣を振り上げ、袈裟懸けに振り下ろして
いた。
「……魔力の矢よ、我に仇成すものに光の一撃を!」
 同時にファリアの呪文が完成した。杖の先から光の矢が走り、敵に突き刺さ
る。魔法攻撃に彼らがバランスを崩した瞬間、勝負はついていた。
 ヴンっ!
 レオードの大剣が大気を裂き、向こうのリーダーを斬り伏せる。それと同時
に、ラウアの放った見事な回し蹴りが神官を気絶させた。
「……終わったわね」
「しかし、何でこう、命ムダにするかね……相手見てケンカ売ればいいだろう
に……」
 ラウアとヴェインが事も無げにこんな言葉を交わす。
「相手を選んで逃げていては、この稼業はできんさ。まして、用心棒ともなれ
ばな」
 ひょい、と肩をすくめつつレオードがさらりとこんな事を言う。
「……レオ」
 その傍らにシアーナが歩み寄り、不安げな声で名を呼んだ。
「……どうした、シア?」
「あの子……」
 言いつつシアーナはランディを振り返った。この言葉にレオードはそちらを
見やり、厳しい面持ちで眉を寄せる。そして、当のランディは。
 ぱちくり。
 そんな感じで、瞬いていた。剣が紅く濡れ、足元に屍が伏している。その命
の火を消したのは……自分。それを認識した瞬間、言いようのない衝撃が全身
を駆け抜けた。
 人を殺した――自分の手で。
 その事実を認識した途端、ランディはかくん、とその場に膝を突いた。
「……ランディ?」
 それに気づいたファリアが傍らに膝を突いてその顔を覗き込む。アメジスト
の瞳はぽかん、と目の前の死体を見つめていた。
「ランディ? ランディってばどうしちゃったの? しっかりして!」
 声をかけて肩を揺すると、少年の身体がびくんっと震えた。大きな震えに、
ファリアはぎょっとして手を離す。ランディは数回瞬きをすると傍らのファリ
アに目を向け、それから、周囲を見回した。レオードもラウアも、当たり前の
ように今用いた刃を手入れしている。
「……なんだよ?」
 目の前の屍から短刀を引き抜いて刃を拭っていたヴェインが、不思議そうに
こう問いかけてきた。ランディは答えずに、自分の手に目を落とす。
(ぼくだけだ……こんなになってるの……)
(剣は……人を殺す力……)
(……自分から、望んで、持った力だろ!? しっかりしろ!)
 自分で自分を鼓舞してみるが、人を殺した、という衝撃は妙な倦怠感となっ
て身体に残っている。
「……ランディってば! どうしちゃったの?」
 突然、ファリアの声が響いた。ランディはゆっくりと首を巡らせ、魔道師の
少女を見る。
「あ……と……え……と……だい、じょうぶ」
 ようやく出てきた声でこう答えると、ランディは傍らに投げ出した剣を見た。
自分より年下だと言うファリアでさえ、この状況に取り乱してはいないという
のに、自分は何をしているのか――そんな思いがふと過る。罪悪感と奇妙な自
己嫌悪に苛まれていると、厳しい視線が感じられた。顔を上げ、視線をたどる
と、厳しい表情でこちらを見つめるレオードと目が合った。剣匠の瞳は厳しく、
ランディはその視線に射すくめられる。
「……ランディ?」
 不安を織り込んだファリアの声がランディを我に返らせた。ランディはゆっ
くりとそちらを振り返り、弱々しく笑って見せる。それから、ふらふらと立ち
上がって紅く染まった剣を拾い上げた。
(負けるもんか……くっ……この程度で……音を上げてたまるか!)
 持ち前の負けん気が衝撃にふらつく心を叱咤する。ランディは負けるもんか、
と心の中で繰り返しつつ剣の紅を布で拭い、鞘に収めた。
「……よし、下に下りるぞ」
 ランディが剣を収めると、レオードが号令をかける。それと前後して、死者
の冥福を祈っていたシアーナも祈りを終えて立ち上がった。微かに陰ったその
横顔は、今の戦いと流血が冒険者たちにとって決して本意ではなかった事を物
語っているように見えた。
「……誰だって、好きでやってる訳じゃねーよ」
 階段を下り始めた矢先にヴェインがぼそりと呟いた。え? と言いつつ顔を
上げてそちらを見ると、ヴェインはにやっと笑って見せる。
(好きでやってる訳じゃない……当たり前の事……でも、必要な事だから?)
 だからと言って容認してしまうには、あまりにも重い命題に思えた。故に、
ランディは何も言わずに目を伏せる。重い沈黙が階段を閉ざし、一行がそれに
耐え兼ね始めた時、目の前が開けた。階段の途中に、踊り場のような空間が開
いていたのだ。一行はごく自然に、ここでしばらく休息する事を決める。下で
起こりうる戦いに備えて……という名目だったが、その休憩が初めての実戦の
衝撃が抜けていないランディを気遣ったものなのは間違いなかった。
 シアーナが魔物除けの結果を張り、冒険者たちは思い思いに休息をとる。ラ
ンディは隅の壁に寄りかかり、膝を抱えた。鎧を着けたままの身体が軋むが、
それを気にかける余裕は持てそうにない。
「……ファリア」
 結界を張り終えたシアーナは、そわそわと落ちつかないファリアにそっと声
をかけた。
「え……なに?」
「今、ランディに声をかけてはダメ」
「……どうして!? だって、あんなに落ち込んじゃってるのに……」
 静かな言葉にファリアはやや感情的な問いを返した。シアーナは静かな表情
でそれに答える。
「自力で、乗り越えなくてはならないの。彼が、自分でね」
「……でも……でも、あのままじゃ……」
 厳しい言葉にファリアは一転不安げな声を上げるが、シアーナは静かなまま
で言葉を続けた。
「ここで誰かに頼ったら、彼はとても弱くなってしまうわ。彼の事を思うなら、
今はそっとしておいてあげなくてはダメ」
「……わかった……」
 依然、心配そうな瞳をランディに向けたまま、ファリアはこくんと頷いた。
それに頷き返すと、シアーナはレオードの傍らに腰を下ろす。
「ねえ、レオ。彼、やっぱり、都へ戻るのでしょうね」
「だろうな……しかし、それがどうした?」
 独り言のような問いかけにこう問い返すと、シアーナは小さなため息をもら
した。
「かわいそうで、ファリア……あの子、自分ではまだ気づいてないけど……少
しずつ、ランディに惹かれてるわ」
「……仕方あるまい。あいつの道は、あいつが決める。誰も口出しはできんさ」
「……本当は、あなたも口出ししたいんじゃないの?」
 茶目っ気を交えた問いに、レオードは言うなよ、と苦笑しつつシアーナの肩
を抱いた。シアーナは安堵の表情で身を寄せる。穏やかな沈黙がそこに生まれ
るのと同時に、結界の中はしん……と静まり返った。

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