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   ACT−1:ドロップアウト

 その少年が扉を開けて中に入って来た時、一瞬だけ店の中が静まり返った。
一見、少女と見紛うような穏やかな容貌には不釣合いな白銀の簡易鎧を身に着
け、腰には長剣を下げている。恐らくは騎士見習いの貴族の坊ちゃんだろう。
「ええっと……」
 店でだべっていた冒険者たちの注目を一瞬だけとはいえ一身に集めてしまっ
たその少年は、全ての注意が自分から逸れると何とか、という感じで声を出し
た。良く通る高めの声だ。騎士よりは歌い手にでもなった方が身を立てられる
のでは――その声に、吟遊詩人のラウアはふとこんな事を考えていた。
「あ……あのお……」
 少年はきちんと扉を閉めると、とことことカウンターの方に行き、何食わぬ
顔でグラスを磨く店の主人に声をかけた。
「ミルクは銀貨一枚だよ、お嬢ちゃん」
 隅のテーブルでカードを玩んでいた盗賊のヴェインが、皮肉と冗談を込めて
言い放つ。
「ちょっと、お止めなさいよ……」
 その言い方に水神司祭のシアーナが眉をひそめてたしなめた。
「…………お嬢……ちゃん…………?」
 その一方で、聞こえよがしのその一言に少年は表情を厳しくしてヴェインに
歩み寄った。周囲は見て見ぬふりを決め込む。
「ちょっと。今、なんて言いました?」
「『ミルクは銀貨一枚』……聞こえなかったのかい、お嬢ちゃん?」
「て……」
 一拍、間を置いて。
「訂正して下さい!」
 その穏やかな容貌に似合わぬ大声が、さして広くもない店内に響き渡った。
ヴェインはカードを取り落としてぽかん、としている。
「そりゃあ、確かにぼくは女みたいな顔してるし、昔っからそう言われてもき
ました! でも……見ず知らずのあなたにまで言われる筋合いはありません!
訂正してください!」
 しいい――――――ん……
 店の中に白い沈黙が流れる。そしてその沈黙は、
「今のはヴェインが悪いと思うよ、あたし」
 階段の方から聞こえてきた声によって破られた。声の方を振り返ると、階段
の途中に肩に白いネズミをちょこん、と乗せた栗色の髪の少女が立って手すり
に頬杖をついていた。
「ファリア。もういいの?」
 シアーナが立ち上がって問うのに、ファリアと呼ばれたその少女はにこっと
笑って見せた。
「もう、すっかり平気。それにあんな大声だされちゃ寝てらんないもん」
 言いつつ、ファリアはとことこと階段を降りてきた。それから所在無く立ち
尽くす少年に向かって、
「今の、気にしないでね? いいトシして未だにむかあ〜しのコト引きずって
るオジサンの虚勢だから」
 事も無げな口調でこう言ってのけた。
「はあ……」
 言われた方はただ、きょとん、としている。
「くおら、ファリア! だ〜れがオジサンだ、誰が!?」
 がったん、と椅子を倒して立ち上がりつつ、ヴェインはファリアに食ってか
かる。
「……あなたでしょう? まったくもう、大人げないんだから」
 すさかずシアーナが釘を刺す。その一言に反論を封じられたヴェインはけっ、
と言って床に落ちたカードを拾い集めた。
「ねえ、キミ」
 ぽかん、とその様子を見ていた少年にファリアが声をかけた。
「なんか、用があったんじゃないの?」
「え……あ、そうだった!」
 言われて、少年は自分の目的をはた、と思い出した。ぱたぱたと真新しいバ
ックパックを下ろし、中から丸めた羊皮紙の書簡を取り出す。それから、それ
を片手にカウンターの主人に声をかけた。
「ええっと……ディレッドさん……ですね? 祖父から、これを預かってきま
した」
「……あんたの、ジイサン?」
 店主ディレッドはグラスを磨く手を止めて、横目で少年と彼の手にした羊皮
紙を見た。
「はい。あ……申し遅れましたが、ぼくはランディール・エル・アルガードと
いいます」
「……アルガード?」
 その名に店の中がざわめいた。アルガード家と言えば名門中の名門、このル
シェード王国でも一、二を争うと言われるエリート貴族なのだ。店の冒険者た
ちはそろってランディールと名乗った少年に注目した。
「ランディール? ランディール・エル・アルガード……そおか! あんた、
ヴォルフの孫だな!?」
「はい。ランディ、と呼んでください。祖父はいつもこう呼んでますから」
「そおか……あんたが、ヴォルフの自慢の孫か……で、なんだって? 手紙か
い?」
 先ほどまでの無愛想はどこへやら、ディレッドはにこにこしながらランディ
の差し出す書簡を手にとって開いた。
「お、おい……」
「ヴォルフって、まさか……」
 その一方で、冒険者たちは今ディレッドが口にした名に騒然、となっていた。
「ヴォルフ……『剣神』ヴォルフ・アスティルの事じゃあるまいな……」
「……そうですよ」
 交わされる言葉を、何の前触れもなくランディが肯定した。この一言に再び
店内は沈黙に閉ざされ、その沈黙を、手紙を読み終えたディレッドの問いが破
る。
「おい、シアーナ。レオードは?」
「え? レオならそろそろ……」
 言いかけた言葉を遮るように店の扉が開く。入って来たのはがっしりとした
体躯の若い男だった。背中には体と同じくらいがっしりとした造りの大剣を背
負っている所を見ると、剣士、あるいは剣匠と呼ばれる使い手であるのは間違
いなさそうだ。
「……?」
 店に入ってきた男は、きょとん、とその場に立っているランディを訝しげに
見た。それから無言で背中に手を回し、
「え?」
 文字通り電光石火の早業で大剣を引き抜くと、ランディ目掛けて無造作に振
り下ろした。ヴンっ!という鋭い音に、ランディは反射的に目をつぶって首を
すくめる。大剣の刃はその直前でぴた、と動きを止めた。
「……もう一度、一から修行をしなおせ」
 恐るおそる目を開いたランディに、男は冷たい口調で言い放った。この言葉
でようやく、ランディは自分が試された事に気づく。
「そんな事では満足に自分の身も守れまい。剣を取る者は他の者を守るのが役
目だ。そんな事では周りの足を引っ張るだけだぞ」
「…………」
 ランディは無言で唇を噛みしめた。向こうの言いたい事はわかる。武器を振
り下ろされた時に目をつぶっていては、満足に戦えない。それは、武器を取る
者全てが自力で克服せねばならない恐怖、言わば命題なのだ。
「……とーころがだな、レオード。そうもいかんらしい」
 そこに、頃合いよしと見たディレッドが声をかけた。
「どう言う事だ」
「ヴォルフからな、お前に依頼が来とる」
「……師匠から?」
 ディレッドの言葉にレオードと呼ばれた男は訝しげな声を上げ、その言葉に
ランディははっと顔を上げた。
「レオード……それじゃ、あなたが……」
「……何故、オレを知っている?」
「知ってて当然、ヴォルフの孫だ」
「……師匠の!?」
 さらりとついた説明にレオードは唖然とした面持ちでランディを見、それ
から、面白そうに成り行きを見守っているディレッドに向き直った。
「どういう事だ? ヴォルフ師匠は一体……」
 矢継ぎ早の質問を繰り出すレオードをまあまあ、と軽くいなしつつ、ディレ
ッドは書簡をその手に渡した。受け取ったそれを食い入るように眺めた後、レ
オードは書簡をカウンターに置いてランディに向き直った。
「名前は?」
「ランディール。ランディール・エル・アルガードです」
「年齢は?」
「先月、十七歳になりました」
「実戦経験は?」
「……ありません」
「何故、ここに来た?」
「……先日、王宮より第一王女ジュディア殿下が拉致されました。殿下を拉致
した賊の潜伏先は、このアルトラ近辺と判明しています。ぼくの目的は、王女
殿下の救出で……そのための助力を得るために、ここを訪ねろと言う祖父の助
言に従って、ここに来ました」
「何故、自分一人で救出に向かわない?」
「え? それは……」
「その鎧、騎士見習いに配備される物だろう? 仮にも未来の王宮騎士が、一
介の冒険者に助力を請うのか?」
「確かに……本来なら、ぼく一人で行くべきですが……でも、ぼくは、何も知
りません。罠のかかった洞窟を安全に進む方法も、傷の癒し方も……悔しいけ
ど、ぼくは基本的な剣の使い方しか知らないんです。そんなぼくが、意気込み
だけで進んでも、ジュディア様を助けるなんて、とても……できないでしょう」
 やや言い難いものはあったが、それでも、ランディはレオードから目をそら
す事なくこう言いきった。
「……へーえ、さすがは御大の孫、貴族のぼんぼんにしちゃわかってるねぇ」
 その様子に、ヴェインが皮肉を交えつつぼそっと呟いた。
「もぉ、いい加減にしなさいよね、ヴェイン!」
 その言い方に、ファリアが大きな栗色の瞳を細めてヴェインを睨む。
「なんだよ。随分と肩持つんだな?」
「なぁによぉ!」
「そのくらいにしておけ、ヴェイン。ファリア、身体の方は?」
 頬を膨らませて反論しようとするファリアを遮ってレオードが問う。ファリ
アは言いかけの文句を飲み込んで、大丈夫、と答える。
「よし、ならこいつの……ランディの買い物に付き合ってやれ。探索に必要な
物一そろい、見繕ってこい」
「え? それじゃ……」
 ランディの顔が明るくなる。その子供っぽい表情に、レオードは苦笑しつつ
頷いた。
「恩師の依頼とあっては無下にもできん。協力しよう」
「あ……ありがとうございます!」
 元気にあふれた言葉と共に、ランディは深々と頭を下げた。

 取りあえず二階の部屋に荷物を下ろすと、ランディは剣と財布を持って市場
へと向かった。同行するファリアの、音がうるさいから、という意見に従い、
鎧は外していく事にする。
「……あれっ?」
 鎧を外して部屋を出ると、廊下で待っていたファリアは何故かきょとん、と
瞬いた。
「え……何か?」
「身体、細いんだぁ……あんな鎧着てるから、もっとがっちりしてるのかと思
ってた」
 こう言うと、ファリアは肩の上の白いネズミと顔を見合わせた。
「……はあ……あはは……」
 ストレートな評価に、ランディは乾いた声で笑う。と言うか、笑う以外にリ
アクションは思いつかなかった。それからふと、ファリアの肩のネズミに興味
を抱く。
「あの……そのネズミは一体……」
「え? ああ、この子? この子はリルティ、あたしの使い魔」
「え!?」
 問いにファリアは事もなげに答えるが、その言葉はランディには驚きだった。
「使い魔って……魔道師の使い魔に、こんな可愛いのもいたんだ……」
 それから、呆然とこんな呟きをもらす。魔道師と呼ばれる人々が使い魔と呼
ばれる、精神の絆を結んだ相棒を持っている事は知っていたのだが、幼い頃に
見た祖父の冒険仲間だった魔道師が連れていた使い魔しか知らないランディに
は、リルティの可愛らしさはちょっとした驚きだった。
「……なに、ぼーっとしてるの? 早く行こっ!」
 呆然と立ち尽くしていたランディはこの言葉に我に返り、階段を降りて行く
ファリアを慌てて追いかけた。正直、この店に来るだけでも一苦労だったのだ。
市場の中心に行くと言うのに置いて行かれたら、帰って来られる自信はない。
そんな思いを抱かせる場所なのだ、ここ、『旅立ちの街』アルトラは。
 ルシェード王国の西の外れ、隣国カティスとの国境近くに位置するこの街は、
交易都市の常として品物と情報が集約する。それだけに、多くの冒険者がこの
街を訪れ、旅の支度を整えて行くのだ。『旅立ちの街』の異称は、そこに由来
していた。
「えーっと、ご飯はマスターに頼むからいいでしょ、んと、だから、バックパ
ックはあるから麻袋に、予備の水袋に、野営道具に、薬草も買ったから……あ
と、何か欲しい物、ある?」
 市場を歩いて通り一遍の物を買いそろえると、ファリアはランディにこう問
いかけた。
「え? ええと……そうだ、短剣を買っておくようにと言われています」
「……さっきから、気になってるんだけど……」
 通りを馴染みの武具屋の方へと歩きつつ、ファリアは呆れたような口調で言
った。
「騎士ってみんなそうなの? 喋り方、かたっくるしくて、なんか疲れちゃう」
「え? そうでしょうか……」
「そうだよぉ。あのね、あたし、あんたよりも年下なの。敬語使われるとなん
か……バカにされてるみたいでやなんだけど」
「別に、そんなつもりじゃ……」
「ならいいけど。他のみんなは年上だからいいけど、あたしには別にかしこま
んなくていいよ」
「……はあ」
「どうせ、短い付き合いだけどね。も少し気楽にいこ? ね?」
 こう言って、ファリアはにこっと微笑って見せた。屈託のないその笑顔に、
ランディもやや緊張を緩める。
「……じゃあ、そうさせてもらうね。正直、自分でも少しくどいかな、なんて
思ってたんだ」
 淡いアメジスト色の瞳に悪戯っぽい光を浮かべつつ、ランディは微笑ってこ
う言った。年齢相応の、子供っぽさを残した笑顔だ。
「ねえ……王女様って、どんな人?」
 武具屋で予備の短剣と手入れに使う砥石を買った後、二人は一休みする事に
して街の中央広場にある煉瓦造りの池の縁に腰を下ろした。近くの屋台で飲み
物を買って一息つくと、ファリアがふと思いついたようにこんな問いを投げか
けてきた。
「うーん……なんて言うのかな。とにかく、綺麗な方だよ。聡明で、思いやり
があって、お優しくて。周りの事をちゃんと考えていらっしゃるんだ」
 王女の姿を思い浮かべつつ、ランディは問いに答える。その瞳には、王女に
対する思慕の念がありありと浮かんでいた。
「でも……この頃、何故かひどくお寂しそうだったんだ。ぼんやりしておられ
る事も多かったし……」
「……好きなの、王女様の事?」
「あの方を嫌いになれるなんて、よっぽどだよ。お付きの侍女や近衛兵……誰
に聞いたって、嫌いなんて言えやしないさ」
 にっこり笑って、ランディはこう答えるが、どうやら質問の趣旨を外してい
たらしい。ファリアは一つため息をつくと、そうじゃなくて、と訂正を入れて
きた。
「なんて言うのかな……女の人として、好きなの?」
「え……」
 思わぬ問いにランディは沈黙する。正直、こんな質問をされたのは初めてだ
った。
「ええっと……どうかな、わからないや。でも……あの方をお護りしたい、あ
の方の笑顔をずっと見ていたいっていう、この気持ちをそう言うなら、ぼくは
ジュディア様が好きだよ。君の言っている意味でね」
 思案の末、こんな答えを返すとファリアは沈黙してしまう。それに戸惑いつ
つ、ランディは更に言葉を続けた。
「いずれにしろ、ぼくはあの方をお護りしたいんだ、ぼくの力の及ぶ範囲でね
……どこまでできるかは、わからないけど……」
 半ば独り言のようになった呟きに、何故かファリアはため息をつく。
「……どしたの?」
「あ……何でもない。それじゃ、帰ろっか」
「え? ああ……そうだね」
 態度の変化に戸惑いつつ、ランディは池の縁から立ち上がった。

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