06

 その後は、どうにかお互いにいつもの調子を取り戻し。「調子悪いんなら、
休みなさいよ!」というリアナの主張に押しきられる形で、この客室に通され
たのだが。
「……良くなるどころか、悪化の一途、か」
 痛みを増す呪印に、自嘲を込めて呟いた時。
 ばさり、と。羽ばたきの音が背後に響いた。
「……なんだ?」
 唐突な音を訝りつつ、振り返る。目に入るのは、真白の翼と丸い瞳。リアナ
の連れていた白梟――恐らくは、彼女の使い魔か何かなのだろう。突然現れた
事からして、魔法的な力も強いのか……などと思いつつ、オトフリートはゆっ
くりと立ち上がり、何か? と問いつつ白梟に笑いかけた。
『……』
 白梟は椅子の背に悠然と舞い降り、じ、とオトフリートを見つめている。鋭
い、射抜くような視線にとっさに浮かべた笑みは消え、どこか険しい色彩が翠
の瞳を彩った。
「何か、言いたげなご様子ですが。一体、何か?」
『……貴殿は』
「はい、俺は?」
『人ならざる存在』
 投げかけられた言葉は問いのようにも、また、投げかけられた内容を確かめ
るもののようにも聞こえた。
「……ええ」
 そしてその言葉に、オトフリートはあっさりと頷く。強い魔力と野生の勘、
そして恐らくはそれなりの英知を備えているであろうこの白梟には、隠し立て
をした所で意味はないと。そう、思えていたから。
「お察しの通り、ですね。で、それを確かめて、君はどうなさいますか、と」
 一度は消した笑みを浮かべつつ、問う。どこか疲れたようにも見える笑みは、
自嘲を帯びていた。
『……何も』
 その問いに、白梟は僅かに首を傾げつつ、こう答える。思わぬ答えに、オト
フリートはきょとん、と瞬いていた。
「何も……?」
『我が主が、何も望まぬ故。私も、何もなしはしませぬ』
 今はまだ、と、付け加えつつ、白梟はさらりとこう言った。その付け加えら
れた部分に、オトフリートはやれやれ、と息を吐く。
「……ま、何れにせよ」
 つきり、と。また痛み出した呪印にやや顔を顰めつつ、オトフリートはゆっ
くりと窓を開ける。吹き込む夜風が、金緑石と魔導銀の髪留めでまとめられた
黒橡の髪を静かに揺らした。
「何か、望まれたとしても、俺は。応えることも、叶えることも、できはしな
い」
 静かに言い切る瞳はいつか、翠の双眸から右を紫に違えた異眸に。紫の上に
は、六芒星と無限の輪を組み合わせた銀色の紋章が浮かび上がっていた。
『それは、あなたが……』
 その変化に、白梟は一つ羽ばたいた後、何事か言いかけるが、
「意地悪で、自分勝手だから、ですよ、と」
 オトフリートは冗談めかした言葉でそれを遮る。直後に、ばさり、という羽
ばたきの音が響いた。白梟の翼の立てるそれ──では、ない。オトフリートの
背に開いた、真白の翼が立てた音だった。
「そして、そういうヤツだから……自分の都合で、逃げる」
 既に、それしか選べないから、とは口にしない。

 本当にそれを望んでいるのかと。
 本当に他に術はないのかと。
 問われるのが怖いから。
 何より──このままここにいて、これ以上の痛みを負いたくはない、と。

 今は温もりから安らぎを得られても。
 一時、律に叛く痛みを忘れる事ができたとしても。
 その温もりを失った時に感じる痛みの方が恐ろしくて。
 これまで、何かを望んだ事がなかったから。
 望んで得たものを失う、という事の意味がはっきりとはわからないから。
 いや、本来、何かを強く望むという事自体、赦されているかと言えば──是
とは断言できないから。

 だから──。

「俺は人ならざるもの。人と共にあっても、深くは交われぬもの」
 独り言めいた呟きを零す。それは白梟に、というよりは自分自身に向けたも
のかも知れなかった。
 だから、行かなければならないのだと。揺らぐ心の一部分を、強引に納得さ
せるために。
「全てに関わり、何者にも関わらぬ。ただ、そこにありて無限を刻むが、我が
在り方……孤独たるは、我が力の……絶対の、律」
 静かに、静かに、言い切ると。
 オトフリートは窓枠に手をかける。
『……!』
 白梟が羽ばたき、何事か言いかけるが──それを、聞き取る事はせず。
 真白の翼を大きく羽ばたかせ──夜空へ、飛び立った。

 ……翼から離れた羽根が一片。月光を弾きながら、床へと舞い落ちる。


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