05

 手を伸ばさなければ掴めないのは道理で。
 欲さなければ何も得られないのは真理で。
 望んで、手を伸ばして、叶うなら、阻まれないなら、許されるなら、得られ
るのは理と。

 ……理屈ではわかっていた。

 それでも。

 求めてはならなかった。
 わかっているのだから。
 得たものを全て失うのは、無限なるものの性。

 ……わかっていたはずなのに。
 求める事で、得られるのは、最終的には喪失のみである、と。

 それが、無限であるという事。
 全ての他者は、自分よりも先に消えていく。
 それを止める事は、基本的には不可能で。
 ……勿論、術がない訳ではないけれど、それは残酷な選択肢だから、選びた
くはなくて。

 だから。
 だからこそ、気づいていても知らぬふりをして、笑って誤魔化していたのに。
 何故、ここに来て──その戒めを破ってしまったのかと。
 考えても考えても、その答えは出ず、オトフリートは一人になってから幾度
目かのため息をついた。
「……最悪、だな……」
 はあ、と。ため息をついて、窓越しに月を見上げる。直後に左胸の呪印が鋭
く痛んだ。
「くっ……」
 責め立てるような──否、ような、ではなく、自身を責め立てるその痛みに、
呻くような声と共にその場に膝を突く。
「……『律』に叛いた責め苦……って、ヤツですか、これが」
 自嘲の笑みを掠めさせつつ、ぽつり、呟く。
 竜は律を重んじ、律に沿う事を尊ぶもの。
 強き力を持つが故に、最も強き戒めを負う。
 その戒めに叛いたなら、相応の責め苦を負うのは、曲げる事の赦されぬ理。
「……限界に、達する前に……」
 ここを離れなければ、と思いはすれど。
 先ほどまで交わしていた言葉のやり取りはそのための行動へ移る事を躊躇わ
せ──結果として、痛みを増す結果となっていた。

 唐突な口づけは、ある意味当然だがリアナを驚かせたようで。
 それでも──それは少女の望みに叶っていたのか、拒否も拒絶もされる事は
なく。唇が離れた後も、温かさは変わらず腕の中に留まっていた。

 勿論、鋭い痛みも共に、だが。

 互いに何か言うでなく──オトフリートに限って言えば、呪印の痛みのせい
でもあるのだが、それを置いても言葉のない時間が、続いた。
 穏やかなような、違うような。
 落ち着くような、そうでないような。
 相反する感触を感覚が捉える。
 ただ、感じている温もりを離したくない、というそれは互いに共通の思いで
あるらしく、どちらも動こうとはしないまま──ただ、時間だけが、過ぎて。
「……このまま……」
 やがて、広がる静寂をリアナの小さな呟きが打ち破る。
「このまま……なに?」
「このまま……時間、止まっちゃえばいいのにっ……」
 そうすれば、ずっと一緒なのに、と。消え入りそうに呟きつつ、リアナは縋
る手に力を込める。
「……時間が、止まれば」
 呟きの一部を反芻する。確かに、そうすれば、少女の願いは叶うだろうけれ
ど。
「それは……できない、よ」
 時間を止めるという事は、オトフリートの……時空竜の本質からすれば、大
きな矛盾を孕んでいて。口をついたのは、短い否定の言葉だった。
「時間は、流れ続ける事でのみ、存在を示せるもの。止めてしまったら……消
えてしまう……」
 時が時として正しき在り方を刻むが故に、時空という属はあり。
 無限に積み重なる時の螺旋を見つめるために、彼は虚に生じ。
 そして、知らぬ事を求めて、識る事を求めて、竜として生まれた。

 ……その事を、今は、少しだけ。
 悔やんでいるような感覚が、微かに、あるのだけれど。

「……そんなの……わかんないよ」
 静かな言葉に、リアナはどこか拗ねたように言いつつ、上目遣いに睨むよう
な視線を向けてきた。
 いつもと同じ、変わらない仕種。それに、刹那、緊張が緩むのを感じる。
「あたしは、ただ……このままで。このままで、いたいだけ、だよ……」
 難しい理屈なんて関係ないもん、と呟くと、リアナは再び目を伏せる。
「……」
 『このままで』。短いその言葉に、呪印がまた、痛んだような気がして、思
わず眉を寄せた。
 鋭く、突き刺すような痛み。
 それは、ある種の警鐘のようにも思えて。
 ……嫌な予感が、ふと、掠めた。

『我らは力あるもの、力あるが故に御されるべきもの』

 竜郷を離れる際に、皇竜に言われた言葉がふと脳裏を掠める。

『力を力にて御すは容易く、難い。
 故に、我らは律に依りて力を御す。
 律と、意志と。
 在り方と共に、これだけは失する事なきようにな、虚のいとし子』

 今の自分は、意志が揺らいでいると言えるだろうか。
 そして、時空という属に与えられた律にも、叛こうと――いや、既に叛いて
いると言えるか。
 いずれにしろ、安定を失しつつあるのは確かで。
 ならば、これは。この痛みはそれへの警鐘と思うのが自然で、そう考えると
危険な状況であるのは容易に伺えた。
「……オトフリート?」
 ただならぬ様子と表情の変化に気づいたのか、リアナがそっと名を呼んでく
る。その声に我に返り、視線を向けると、不安げにこちらを見つめる瞳がそこ
にあり。
 知らず、苦笑が零れた。


← BACK 目次へ NEXT →