02 その、小さな村に立ち寄ったのは、本当に偶然。 特に何か理由があるわけでなく──いわば、そこにある空気に惹かれたから と言えようか。 穏やかで……ゆっくり、ゆっくりと、時の流れる田舎の村。 人間界を歩き始めてまだ百年にも満たぬ身ではあるが、それほどにゆるりと した場所にはお目にかかった試しはなく。 しばし、休息するのもよいだろうかと、ふとそんな事を思っての事だった。 旅人が訪れる事、それ自体が珍しいらしいその地では、来訪者たる彼は何処 に行っても興味と注目を集めていたが、とりわけ、強い興味を示していたのが 村外れの丘に建つ屋敷に住む少女・リアナだった。 「みーつけたっ!」 好意で滞在させてもらっている村長の家を出て散策を始めればすぐ、元気の いい声が駆け寄ってくる。それに、何か言う間もなく、左腕に重みがかかり。 「……あのですねぇ……」 はあ、とため息をつきつつ、左腕に両腕を絡めるリアナを見る。リアナはオ トフリートの疲れたような様子など気にした様子もなく、にこにこと笑ってい た。 「なーに? どうかした?」 「いや、どうかと言うか……いきなり人を捕まえて、どうするおつもりですか、 と」 「昨日のお話! 続き、聞かせて?」 問いに対する答えは簡潔で、オトフリートはやれやれ、とため息をつく。知 り合ってから、そして旅の話をしてやるようになってから、ほぼ毎日がこんな 調子だった。 つい先ほども、村長夫人に「お嬢様のお相手、しっかりね」などと揶揄され てきたばかりで、どうやら、彼がリアナのお気に入り、というのは既に村では 公認の事であるらしい。 (余り、懐かれても困るんだがな……) そんな認識に時空竜としての彼はこんな思いを抱いているのだが、それは他 者には知る由もなく。結果、それは呆れたような疲れたようなため息として、 零れ落ちるに止められていた。 「? どーしたの?」 そのため息に、リアナが不思議そうに問うのに、いえいえ、と返して。 「それでは、参りましょうか、お嬢様?」 立ち話は疲れるから、と冗談めかした口調で言うと、リアナは本当に嬉しそ うな様子で、うんっ! と頷いた。 そんな感じで、日々は過ぎ。 いつか、村に立ち寄ってから、一月が過ぎていた。 「……いくらなんでも……のんびりし過ぎか」 そんな呟きを窓辺でもらしたのは、朝から雨の振る日の昼下がりだった。天 気が悪い日は、リアナは尋ねて来ない。それ故に、雨の日はオトフリートにと ってはのんびりと時を過ごせる、希少な一日となっていた。 そしてその希少な日に、彼はそろそろ旅立ちの時かと、思いをめぐらせてい た。 予想を遥かに超える長期の滞在。村の人々は快く受け入れてくれてはいるし、 居心地のよさも感じてはいる。 しかし、それ故に──居心地がよい、と感じるが故に。そう、感じてしまっ ているが故に。立ち去れなくなる前に離れなくては──という意識もまた、根 強くそこにあった。 人の形を模してはいるが、彼の本質は人ならざるもの。 無限の虚より生じし時空の竜。 人と同じ刻を歩む事は、刹那の交差を除いては不可能なのだから。 ……にも、関わらず。 いざ、旅立とうと思っても、そのために動き出す事ができずにいた。 準備などは、いらない。 人が旅する時のような支度は、彼には無用なのだ。 勿論、『人であると見せかける』目的のために、それらを行いはするのだけ れど。 そして、それを行うのはごく容易いと、わかっているだけれど。 「……何故だ?」 零れる問いは、自身へと。しかし、自身はそれに答えられず。 その事と、まとめるべく広げたもののそこから先に進まない荷物の整理への ほんの僅かな苛立ちをこめて息を吐いた、丁度その時。 こつこつ、と。ドアが控えめにノックされた。特徴のある叩き方は、この家 の主──即ち、この村の村長のものだ。 「よろしいですかな?」 ノックと共に投げかけられる問いに、どうぞ、と返す。部屋に入ってきた村 長は広げられた荷物を見、それからオトフリートを見た。 「……お邪魔でしたかな?」 「ああ、いえ。そんな事は」 向けられた問いに返すのは、笑み。村長はならよいのですが、と笑みを返し てくる。 「それで、何か?」 ごく何気ない口調で問いかける。村長はしばし言葉を探すような素振りを見 せ、そして。 「……ヴァイス殿は……これから、どうなさるのでしょうか?」 「……え」 投げかけられた問い。それに対する答えは決まっている。いる……はずなの に。 何故か、即答はできず。零れたのは、どこか呆けた声だった。 「これから……って。俺は……」 この村を離れ、新たな地へ向かう。勿論、行くあてなどはないのだけれど、 そうしなければならないのだから。 にも関わらず、言葉は、途切れた。 (……何故?) 掠める疑問。何故、答えられないのか、自分でもわからずに。 「ヴァイス殿?」 思わず黙り込んでいると、村長が訝しげに呼び掛けてきた。その声に、オト フリートははっと我に返る。 「すみません、つい、ぼんやりと」 どうかなさいましたか、と問う村長に、平静を装いつつこう返す。村長はい え、と言いつつ、じっとこちらを見つめてきた。 問いの答えを、待つ視線。 それに、小さく息を吐いて。 「……いつまでも、こちらにご厄介になっている訳には行きませんし……」 近い内に、発ちます、と。告げた瞬間、村長の表情を過ぎったのは、微かな 落胆の色だった。その色と、それが意味するものを察しつつ、表面上は穏やか なまま、オトフリートはゆっくりと広げた荷物をまとめる作業を再開した。 そうする事で、留まる意思はないのだと。そう、報せるために。 そして、自分自身にもそう思い定めさせるために。 「……どうしても……発たねば、ならぬのですか?」 空白を経て、再び村長が問いかけてくる。 「ええ。どうにも、一箇所に留まれる性分ではありませんので」 「……そうですか」 「村長殿……?」 あからさまな落胆を込めた嘆息。それに揺らいではならない、と思いつつも、 その落胆振りが気になってしまい、手が止まった。訝るような視線を向けると、 村長は静かにこちらを見返してくる。 「ヴァイス殿」 「……はい」 「もし……もし、どうしても発たねばならぬ、という事でなければ……もう少 し、この村にいてはいただけませんか?」 「それは……何故?」 問うてはならない。そんな警鐘が過ぎるよりも、言葉が口をつく方が、僅か に早かった。 「……リアナ様に。残りの時間を、穏やかに過ごしていただきたいのです」 そして、それを後悔するより先に返された答えに。 手にしていた本が滑り、床に落ちて広がった。 |