03 聞かなければよかったと。 後悔したのは、それからどれだけ時を重ねてからだったろうか。 少なくとも、その時は。 自分自身、はっきりと言い表せない感覚に押し流されるように……動き出し てしまったのだけれど。 「……ここ、か」 小さく呟き、頑丈な門扉を見上げる。 やって来たのは、丘の上の屋敷。リアナの住むそこを、自分から訪れるのは 初めての事だった。 「……で、来たはいいんだが」 どうやって入ればいいんだ? と呟く。 がっちりと施錠された門扉と、そして、屋敷全体を包み込むような結界の存 在。それは、他者の立ち入りを頑なに拒んでいるように思えた。思えば、この 村に興味を抱いたのはここを包み込む魔力の結界のせいだったな、と今更のよ うに思い出す。 (……それにしても) 昨夜、村長から聞かされた話──リアナの生い立ちを思い返しつつ、オトフ リートは小さくため息をついた。 丘の上の屋敷に、一人で住む少女。 彼女は、この地方を治める領主の落胤であり──昔からこの地を密かに守っ ていた、魔女の娘でもあるという。 母である魔女は彼女を産んで間もなくの騒乱の際に力を使い果たし、父であ る領主からの認知は受けられず。父がせめて、と用意した屋敷で一人暮らして いるのだと。 そして、生来の魔力キャパシティの高さの代償故か、身体は弱く。 医師の診立てでは、余命幾許もないのだと、聞かされた。 村の者たちはリアナの両親それぞれに恩義を感じている事もあり、親身にな ってその身の回りを世話してきたらしく。 素性の知れぬ旅人のオトフリートがあっさりと村に受け入れられたのも、結 局はリアナが彼を気に入って、それを望んだからなのだと。 「……そんな事、言われても、ねぇ……」 一通り話を聞いて、最初に思った言葉を改めて、呟く。 リアナの事情、村の事情。それらは一通り飲み込めはしたものの。 その状況に対して自分が何かできるのか、というのは疑問として付きまとっ ていた。 無限に存在し続ける彼に取っては、人の生は余りにも刹那的で──それ故に、 愛しいとも思えるのだけれど。 そこに、深く関わっていいのかという疑問を抱えていたから、常に一定の距 離を保とうとしていた。 そうする事で何かをなそうという意識があった訳ではなく──ただ、そうし なければならない、という考えがあったから。 それが、自身を縛る『律』の影響である、との自覚は、持てぬままに。 一つ息を吐き、軽く頭を振る。何はなくとも、頼まれ事は果たさなくてはな らない、と思った。即ち、村長夫人の作った菓子をリアナに届ける、というも のを。 「それに、挨拶はしないとならないし、な」 それから、自身に言い聞かせるかの如く、小さく呟く。 話を一通り聞いて、それでも、ここに残ってくれ、という願いには頷けなか った。それだけは、受け入れられない──否、受け入れてはならない、という 警鐘に妨げられて。 そしてその意思を示すかのように、旅立ちの準備を整えてここへと足を運ん でいた。 そうしなければ──何か、大事なものが、軋んでしまうような気がして、そ れが奇妙に怖かったから。 「……っ」 もう一度、今度はやや強く頭を振る。言葉で現せない、感情の乱れ、それを 振り払うように。 「とにかく、ここに突っ立ってても仕方ないだろってのに……」 取りあえず来訪を報せて、用件を済ませなければ、と。しかし、どうすれば 中にそれと伝えられるのか──と考え始めた矢先。羽ばたきの音と共に、頭上 を影が過ぎった。突然の事を訝りつつ上を見ると、昨日の雨が嘘のように晴れ 渡った空を白い影が飛び過ぎていくのが目に入る。その影は屋敷の二階の窓へ と消え、それから五分ほどして。 「……オトフリート?」 戸惑うような声が名を呼んできた。振り返れば屋敷の扉がいつの間にか開き、 そこから、困惑した面持ちのリアナが顔を覗かせていた。その肩には鮮やかな 真白の翼を持つ梟が一羽、悠然と止まっている。先ほど見えた影は、この梟ら しい。 「えっと……どうしたの? なんで、家に? それに……」 その格好、と。最後の部分は、やや掠れているように思えた。 「村長夫人に、お届け物を頼まれましてね」 掠れた部分には触れる事無く、オトフリートはいつもと換わらぬ笑顔を向け つつ問いに答える。 「……お届け物?」 「ええ、焼き菓子を届けてくれ、と頼まれたので」 「そう、なん、だ。えっと……待ってて、今、開けるから」 まだどこか困惑したように言いつつ、リアナはつい、と軽く手を振る。それ に呼応するように硬く閉ざされていた門扉が口を開けた。オトフリートはごく 軽い口調でお邪魔します、と言いつつ、屋敷の敷地内へと踏み込む。直後に、 鉄の門扉は音もなくその口を閉じた。 |