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   二 推参・守護龍王レイ その二

「……烈気君?」
 突然の事に、雅也が訝しげに声をかける。瑞穂も微かに眉を寄せて烈気を見
た。
「すっげえよ……すっげえ、カッコいいじゃん、それって!」
 その直後に、烈気は実にの〜天気な事を言いつつ、がばあっ!と勢い良く顔
を上げた。さすがにこの反応は予想を逸脱していたのか、雅也と瑞穂は呆気に
取られた顔で従弟を見る。
「なんっか、全然良くわかんねえけどさっ! それってすっげえカッコいいじ
ゃんっ! なんか特撮ヒーローみてーで、イカスよ、それって!」
「……はあ?」
 一人で盛りあがる烈気に二人は度々とぼけた声を上げて顔を見合わせ、それ
から、瑞穂がどこからともなく出したハリセンで烈気の頭に一撃を入れた。
 すっぱぁんっ!!
 なんとも小気味良い音が響き、衝撃に烈気はかくん、とのめる。
「いってぇなあ〜……なんだよ、瑞穂ねーちゃん?」
「一人で納得していないで、ちゃんと説明をしろ?」
 突然の一撃に文句を言うと、瑞穂は艶やかに微笑みながらこう返してきた。
笑みの奥に潜む怒気に気づいた烈気はぴし、と音入りで硬直し、それから、ご
めんっ! と言いつつ瑞穂を拝んだ。
「あ、まあ、とにかくさ、ちゃんと説明してよ烈気君?」
 場の雰囲気に引きつりつつ、雅也がフォローを入れる。烈気は顔を上げると、
まだ誰にも話していなかった出来事──不思議な光との同化現象の事を話して
聞かせた。この事は事故の時の出来事の中でも際立って荒唐無稽だったので、
伏せておいたのだ。
「……なるほどな。お前のその奇妙な夢は、恐らく魂の記憶か、単なる空想か
の何方かと思っていたが……どうやら、魂に刻まれた前世の記憶らしいな」
 一通り話を聞くと、瑞穂はこう言って、改めて巻物の龍を見やった。
「多少、荒唐無稽ではあるが……その守護龍王と言うのがこの龍で、お前はそ
の魂を継ぎし者──つまりは、転生体なのだろうな……」
「ところでさー、こっちの箱って、なに入ってんの?」
 眉を寄せる瑞穂に、烈気はふと気づいてこう問いかける。雅也の興味も、最
後の箱に移っているようだ。瑞穂はため息をつくと巻物を丁寧に丸め、元のよ
うに紐で閉じた。
「それがな……わからんのだ。この二つの箱と一緒になっているのだが……ど
うしても、開ける事ができん」
「……開けられない?」
 瑞穂の言葉に烈気と雅也は声を合わせてこう呟き、それから、改めて小さな
箱を見た。一見するとごく普通の桐の箱のようにしか見えず、開けられない、
と言われてもどうもぴんと来ない。烈気はきょとん、と瞬くと、何気なく箱を
手に取った。
「ああ、何をやっても開けられ……こら、烈気!!」
 それに気づいた瑞穂が上擦った声を上げる。雅也もぎょっとしたように烈気
を見た。烈気は二人には構わず、箱の蓋に手をかける。根拠は全くないのだが、
開けてくれ、という声が箱の中から聞こえたような気がしたのだ。その声に導
かれるまま、烈気は箱の蓋を持ち上げる。どうしても開けられない、と瑞穂は
言っていたが、桐の箱の蓋は何の抵抗もなくすっと持ち上がり――
 ……きゅううううんっ!!
 蓋が開いた途端、甲高い声と共に中から何かが飛び出した。突然の事に雅也
はばっと後ろに飛びずさり、瑞穂は厳しい面持ちで懐に手を入れる。そして、
烈気は。
「……へ? ……龍?」
 目の前に浮かぶものに、とぼけた声を上げていた。
 箱の中から現れたもの――それは、小さな龍だった。銀色に輝く鱗に覆われ
た、碧い瞳の龍。それは空中でくるくると数回回転し、烈気の目の前にぴたり、
と止まった。
 ……きゅうん?
 碧い瞳が怪訝そうに烈気を見つめる。それと同じくらい怪訝な思いで、烈気
はその瞳を見つめ返す。
 ……きゅん♪
 しばらく見詰め合うと、龍は突然嬉しそうな声を上げてくるん、と回り、烈
気の肩にちょこなん、と止まった。烈気はごく自然にその小さな頭を撫でてや
る。撫でられて嬉しかったのか、龍は小さな頭を烈気の顔に摺り寄せた。ふわ
ふわとした毛の感触が、なんともくすぐったい。
「わ、ちょい、止めって……くすぐんなよっ!」
 きゅんきゅん♪
 思わず声を上げると、龍は甲高い声を上げた。それは烈気の頭の中で言葉を
結ぶ。
「……ばく……りゅう? そっか、お前、バクリューか!」
 きゅうんっ!
 烈気の言葉に龍はまた嬉しげな声を上げた。
「……おい、烈気……?」
 そこにようやく、瑞穂が言葉を挟んできた。烈気はなに? と言いつつそち
らを振り返る。
「……お前……事の異常性が、わかっているか?」
「……え?」
「……いや……いい」
 突然の問いの意味を理解しあぐねて首を傾げると、瑞穂はこう言って深くた
め息をついた。烈気はきょとん、としつつ、肩の龍と顔を見合わせる。その様
子に瑞穂はまた、ため息をついた。
「……どうやら、その龍は、烈気君を待っていたみたいですね?」
 やや引きつりながら雅也が話をまとめ、瑞穂が苦笑しつつ頷いた時、
 ……ジリリリリリンッ!
 古風な黒電話がけたたましく騒いだ。瑞穂はちょっと待ってろ、と言いつつ
立ち上がり、電話を受けに行く。しばらくすると、瑞穂はやれやれ、と言いつ
つ茶の間に戻ってきた。
「すまんな、退魔の依頼が来てしまった。急ぎ行かねばならん」
「今度は、何の御祓いですか?」
 雅也の問いに、さあな、と答えつつ、瑞穂は巻物を箱に収め、空になった二
つの箱の蓋を閉じた。
「取りあえず、二人とも今日は帰ってくれ。それでまた今度……烈気が休みの
日に、もう一度話し合ってみるか。蔵にはまだ、こんな古文書が眠っているら
しいからな、それまでに調べておこう」
「いいの? さんきゅ、瑞穂姉ちゃん♪」
 瑞穂の言葉に、烈気は呑気にこう答える。太平楽なその様子に、瑞穂は形の
いい眉をややひそめた。
「まあ……いい。とにかく烈気、その月神刀はお前が持っていろ。さっきやっ
て見せたからわかるとは思うが、その紐を結んでおけば、刀の姿を消しておく
事ができるからな。紐で隠して、それを必ず持ち歩いておけ」
「ん、わかった」
 相変わらず脳天気なまま、烈気は月神刀の柄に五色の組紐を結び付ける。組
紐は取りあえずジャケットの内ポケットに押し込んでおいた。
「この……バクリューくんは、どうするんです?」
 雅也の問いに、瑞穂はまた大きくため息をついた。
「烈気に任せるしかあるまいが……烈気、くれぐれも、そいつを人に見せるな
よ? 面倒な事になる」
「わあってるって♪ バクリュー、取りあえずここ入ってろな?」
 瑞穂の言葉に頷くと、烈気はジャケットの胸ポケットを開ける。バクリュー
はきゅん、と素直に頷いてその中に入った。
「じゃあ、瑞穂さん」
「まったね〜♪」
「ああ、気をつけてな」
 こんな呑気な別れの挨拶を交わして、従姉弟たちはひとまず解散する。瑞穂
は境内まで出て二人を見送ってから社務所に戻り、烈気と雅也は石段を駆け降
りてバス停に向かう。
「……ん?」
 二人を見送り、社務所へ戻ろうと踵を返した直後に、瑞穂は訝しげな声を上
げて石段の方を振り返った。そちらの方から何か、異様な気配を感じたのだ。
「……今のは……?」
 低く呟いて、気配を感じた方へと意識を凝らす。しかし、神社の近辺はしん
……と静まり返り、既に異様な気配など感じ取れない。
「……気のせい……か」
 取りあえずこう呟いてやや強引に納得すると、瑞穂は一つため息をついてか
ら、社務所へと歩き出した。

「ふう……やっぱり、瑞穂さんに相談したのは、正解だったみたいだね」
 一方、烈気と雅也は石段を駆け降りた所でタイミング良くやって来たバスに
乗り込み、例によって後部座席を占領して、呑気に言葉を交わしていた。
「ん、そだね。でもさ、この紐……どーっすかな? いつも持ち歩いてろって
言われてもなあ……」
 それに答えつつ、烈気は内ポケットの組紐を見やってこんな事を呟く。
「うーん……手首にでも巻いておいたら? ワイシャツの中に隠しておけば、
冬服の間は誰にも見つからないしね。でなきゃ、髪を縛っておくとか」
「それっきゃないかあ」
 言いつつ、烈気は手首のボタンを外して軽く袖をまくり、雅也の提案の通り
くるり、と手首に巻き付けて袖で隠した。
 その後は特に言葉を交わす事もなく、二人は待ち合わせ場所にしていたバス
停でバスを降りた。買い物をしてから帰る、という雅也と別れ、烈気は一人住
宅地へと足を向ける。夕暮れの道はやや薄暗いが、桜並木まで来ると花明かり
が周囲をぼんやりと照らしだしていて意外に明るい。街灯と花明かりに照らさ
れた道を、烈気は家へと急ぎ足に歩いて行った。
 ……くっくっくっくっくっ……
 何の脈絡もなく、不気味な笑い声が周囲に響いたのは、桜並木を抜ける直前
だった。
「な、何だ!?」
 突然の事に烈気は思わず足を止めて周囲を見回す。しかし、散っていく花び
らが小雪さながらの様相を見せる並木道には、烈気以外の人影はない。
「……空耳……かな?」
 一応周囲を警戒しつつこんな事を呟いていると、胸ポケットから顔を出した
バクリューがきゅんっ! と甲高い声を上げた。
 ヴヴンっ!
 直後にそれまで悠長に漂っていた大気が、鋭い唸り声を上げる。のほほん、
とした春風が鋭い大気の刃となって、烈気に襲いかかってきた。
「わわっ!?」
 突然の事に動転しつつ、烈気は横っ飛びに飛びのいてそれをかわした。奇襲
に失敗した風の刃は、空中で反転して再び烈気に襲いかかってくる。
「ととっ!」
 慌ててもう一度避けるが、やや避け損ねて風の刃が頬を掠った。熱い感触が
しゃっ!と通りすぎ、頬に紅い線をぴっと引く。
「つつっ……」
 後からじわじわと広がるその痛みに顔を顰めていると、反転した風の刃が三
度襲いかかって来た。烈気は反射的に首をすくめ、顔を庇うように腕をかざす。
勿論、この程度の防御で風の刃の勢いを止められるとは思えない。それは完全
に、無意識の行動だった。
 ……カッ!
 だがその瞬間、かざした左腕から閃光が迸った。明るく暖かなレモンイエロ
ーの光だ。光は烈気を護るように包み込み、その光に触れた風の刃は勢いを無
くして消え失せた。
「な……なんだ?」
 予想外の展開に、烈気はきょとん、としながら左腕を見た。突然の光は左腕
の、先ほど五色の組紐を巻き付けた辺りから放たれている。試しに袖をまくっ
て見ると、組紐の中の黄色の糸が柔らかな光を放っていた。これが障壁か何か
を作って、風の刃の直撃を防いでくれたらしい。
「……これって……」
 呆然として呟く烈気の目の前で光は少しずつ静まり、やがて完全に消え失せ
た。光が消えた後にはいつもと変わらぬ桜並木の静寂が、何事もなかったかの
ように立ち込めている。
「……何だったんだ?」
 呆然と呟いていると、突然右の頬が痛んだ。そっと手をやると濡れた感触が
指に伝わり、離した手には紅い色が残っている。痛みの元は先ほどの風に切ら
れた傷だった。
 きゅうう……?
 バクリューが不安げな声を上げる。烈気は心配すんなよ、と言って小さな頭
を撫でてやった。
「……ま、何でもいいや」
 それから、こう呟いて家へと急ぐ。あまりのんびりしていては夕食に遅れる
し、好きなテレビも見られない、と割り切ったのだ。多分に脳天気な考えでは
あるが、一種の真理である。
 ワン、ワンっ!!
 家に帰りつくと、ツキトが元気良く出迎えた。烈気はその横に膝を突いて、
愛犬を撫でてやる。胸ポケットのバクリューに気づいたのか、ツキトは一瞬怪
訝そうな顔をしていたが。
「ただいまー。ねーかーさん、バンドエイドないかー?」
 家に入ると、烈気は脳天気な口調で言いつつキッチンを覗き込んだ。夕食の
支度をしていた母は、え? と言って烈気を振り返る。
「バンドエイドって……あらやだ、どうしたのそのほっぺ?」
 振り返った母は、烈気の頬の傷を見て眉をひそめた。返事に困った烈気は、
んーと、と言いつつカリカリと頭を掻く。
「ちょっとね、なんかで引っ掻いたみたい」
「別に、誰かとケンカしたんじゃないのね?」
 エプロンで手を拭きつつ、やや厳しい口調で問う母に、烈気はうん、と頷い
て答えた。この返事に、ならいいけど、と言いつつ、母は棚から薬箱を取り出
して蓋を開けるが、バンドエイドの小箱は空だった。
「……あら? ちょうど切らしてたんだったわ。買って来ようと思って、忘れ
てた」
「えー? ……じゃいいよ、金ちょーだい。コンビニ行って買って来るから」
 言いつつ、ひょい、と手を出す烈気の手を、母はぴし、と軽く叩いた。
「まずは、朱美ちゃんに聞いてみなさい。多分持ってるから、わけて貰うとい
いわ」
「えー? なんで朱美に……」
「ゴチャゴチャ言わないの! あなたの部屋の窓から声かければすぐでしょ」
 一理ある。烈気と朱美の部屋は向かい合っており、互いの部屋のベランダの
柵を越えれば簡単に行き来できる近さなのだ。
「ちぇ……わかったよ。ところで夕飯、何? いい匂いしてるけどさ」
「クリームシチューと、サラダ作ってるわ。楽しみにしてなさい」
 この言葉に烈気はひゃはっ、と嬉しそうな声を上げた。母の特製クリームシ
チューは、烈気の大好物の一つなのだ。なんとなく浮かれた気分になりつつ部
屋に戻った烈気はベランダに出て、朱美の部屋の方に声をかけた。
「おーい、朱美ー」
「え、烈気? 何よ?」
 朱美の返事はやや間を置いてから聞こえた。声に続けて部屋のカーテンが揺
れてサッシが開き、トレーナーにキュロット、というスタイルの朱美がベラン
ダに出て来た。
「どうしたのよ?」
「あんさ、バンドエイド持ってねーか?」
「あるけど……やだ、烈気、どーしたのよ、そのほっぺ!?」
 母とほぼ同じ内容の朱美の問いに、烈気は思わずかっくん、とコケた。その
様子に、朱美はややムッとする。心配して問いかけてコケられては、それも無
理ないが。
「ちょっと烈気、ふざけてないで答えなさいよ! ……とにかく、ちょっと待
ってて。お薬持ってそっちに行くから」
「え? いいよ、別に。バンドエイドだけくれればじゅーぶんだって! ……
って、おいこら、聞いてんのかっ!?」
 復活した烈気が押し止める間もあらばこそ、朱美は部屋の中に戻って小さな
薬箱を持って来た。そして烈気にその薬箱を押しつけ、自分はよいしょっと言
いつつベランダの柵に登って烈気の側にやって来る。
「別にいいって言ってんのに」
 やって来た朱美に、烈気はやや呆れながらこう言って渡された薬箱を返した。
「そういう問題じゃないでしょ? 大体ね、ちっちゃなケガからおっきな病気
って、良くあるパターンじゃない」
「……へいへい、わーったよ」
 結局は白旗を上げてしまう烈気であった。そんな烈気に、朱美は鷹揚な口調
でわかればよろしい、と言って微笑う。それに対し、烈気はやや大げさにため
息をついた。

「ふむ……」
 ちょうどその頃、月神家の上空に怪しい人影があった。言うまでもなく煌魔
イムセンである。
「……先ほどの障壁……あれは紛れもなく、守護龍王の地精障壁。と、なると、
やはり奴が守護龍王の転生体、か……」
 ここで、イムセンは何事か思案するように腕を組んだ。
「……御主の宿敵……ではあるが、今はどうやらただの雑魚のようだな。なら
ば、ここで私が引導を渡してしまうのも良いかも知れぬ。御主には、力を温存
していただかねば……」
 一しきりぶつぶつと呟いて理由をこじつけると、イムセンはふいっとその場
から姿を消す。とはいえ、それに気づく者などあるはずもなく、夕暮れの住宅
街は平和なままだった。

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