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   一 突然目覚める神秘の力 その三

 取りあえず、自覚のない異変があるかも知れない、と言う事で、烈気は念の
ため病院で精密検査を受ける事になった。しかし、内臓にも脳にも骨にも異変
は無く、結果。
「……完全な健康体……異変のカケラもありませんな」
 完全な健康体、とのお墨付きをもらうだけで検査は終わった。
 多少腑に落ちない物はあったが、異変がないのはめでたい事である。しかし
念には念を、と言う訳で、烈気はしばらく自宅で静養させられる事となった。
「別に何ともねえんだけどな」
 とは思うのだが、おおっぴらに学校を休めるのだから楽しくないはずは……
普通だったら無いのだろうが。
「ほら烈気、起きて! お休みだからって、のんびりしてんじゃないわよ!」
 烈気のサボリをあおるような休み癖をつける訳には行かない、という理由付
けで、朱美は相変わらず早朝に烈気を起こしに来ていた。
「はい、これ今日のノート。ちゃんと写して」
 そして帰ってくるとすぐ教科書とノートを持って来て、烈気に授業のノート
を写させ、課題をやらせるのだ。これでは何の休みかわからない──とは思い
つつ、言った所でどうにもならないとわかっているため、烈気は心の奥で愚痴
をこぼしつつも授業内容を書き写していた。
 それでも、昼間は家にさえいれば好きな事をやっていていいのである。そう
思うと、少しは気は楽になった。朱美の『授業』が終わる頃を見計らって遊び
に来る大樹と洋平のおかげで、気持ちも塞ぐ事はない。
 そんな調子で一週間が過ぎ、その間、特に異常は見られなかった事から、病
院は烈気の通学に許可を出した。烈気としても家の中に閉じ込められる事に退
屈を覚え始めた矢先であり、この許可にほっと胸を撫で下ろしていた。

 そして、その日の午後。
 ピンポーン……
 奇妙に長い包みを抱えた若い男が、月神家のインターホンを鳴らした。
「はい、どなた……あら、雅也君」
 応対に出た麗子は、見慣れた眼鏡顔に笑顔を見せる。尋ねて来たのは日高雅
也、雅美の兄だったのだ。
「やあ、どうも。烈気君、どうですか?」
 雅也の問いに、麗子はくすっと笑みをもらした。
「元気を持て余してるわよ。でも、明日からまた学校に行けるから、少しは静
かになるんじゃないかしら? さ、どうぞ上がって」
 麗子の言葉に雅也ははい、と言って頷いた。雅也を招き入れた麗子は二階へ
と声をかける。
「烈気ぃ、雅也君がお見舞いに来てくれたわよぉ」
「……え? 雅也兄ちゃんが……あちゃっ!」
 その時、烈気は格闘ゲームをやっている所だった。そして母の声につい集中
を解いてしまい、同時に固めていたガードも解けて、画面の中のキャラはボコ
ボコにラッシュを食らってしまった。
「あらら〜」
 あっと言う間もなくライフゲージは真っ赤になってキャラは倒れ、画面には
『KO』という文字がでかでかと映し出されてコンティニューのカウントが入
り始めた。
「ま、いっかあ〜」
 ボタンを連打してカウントを進めると、烈気はゲームとテレビのスイッチを
切って立ち上がった。
「烈気君、入るよ」
 そこに折よく雅也が声をかけてくる。烈気はいいよ、と答えてゲームを片付
け、ベッドに腰を下ろした。
「やあ……元気そうだね。安心したよ」
 部屋に入ってきた雅也は開口一番、人のいい笑顔でこんな事を言った。
「まっね。でも雅也兄ちゃん、どったの? がっこは?」
 座布団を投げ渡しつつ問いかけると、雅也は笑いながらそれを受け取り、腰
を下ろした。
「午後からの講義が、まとめて休講になってね。早く帰れたから、ついでに君
の顔を見て行こうと思って。でも、元気そうだね。ほんとに事故に遇ったの?」
 からかうような問いの返事に困って、烈気はかりかりと頭を掻く。
「烈気、雅也君、お茶が入ったわよ」
 そこに麗子が顔を出し、アイスティのグラス二つと、クッキーの乗ったお盆
を置いて行った。
「でもさ、オレにも良くわかんないんだよね。確かに事故って……すっげ痛か
った覚えあるのに、気がついたら怪我、ぜんっぜんないんだもんな」
 お盆の上のグラスを手に取りつつ、烈気はごく素直な感想を述べた。
「ふうん……そういや、その事では雅美もかなり驚いてたな」
「ま、生きてるだけいいや、とは思うけどさ」
「ははっ、確かに! そうそう、麗子伯母さんが言ってたけど、明日から学校
に行けるんだって?」
「ああ、やっとね」
 紅茶を一口啜ってグラスを置き、クッキーを一つ口に放り込みつつ、烈気は
適当に相槌を打った。
「そうかあ、じゃあ、朱美ちゃんも喜ぶだろうな」
「へ!?」
 それと同時に雅也がこんな事を言ったため、烈気は今、口に入れたクッキー
を丸のまま飲み込み、喉に詰まらせる。目を白黒させつつグラスを取ってアイ
スティでクッキーを流し込み、どうにか人心地着くと、烈気は雅也を睨んで大
声を上げた。
「い、一体、何で、そこで朱美が出てくんだよ!」
「あれ? だって烈気君、朱美ちゃんを庇って事故に遇ったんだろ? 雅美が
そう言ってたよ?」
「そ、それは……まあ、一応そゆ事になってっけどさ……」
 その点は否定のしようがないため、烈気はもごもごと問いを肯定した。
「それじゃあ、責任感の強い朱美ちゃんの事だもの、気にしてるはずだよ、そ
の事は……まして烈気君の事とあっては、心配で仕方ないと思うよ?」
 雅也の言葉には意味深長なニュアンスが込められていたが、烈気の方はそれ
に気づいてはいなかった。頬をかりかりと掻きつつ、そんなもんかな、と呟く
烈気の様子に、雅也はくすっと笑みをもらす。
「まあ、それはいいや。ところで雅也兄ちゃん、その長い包み、何だ?」
 一方の烈気は話題を転換すべくそのタネを探し、ふと、雅也の持ってきた包
みに目を止めて、早口にこう問いかけた。
「え? ああ、これ? 隣町の造成地で発掘された竹光だよ」
「……竹光?」
「うん。見た目は刀にかなり近いんだけど、どういう訳か誰にも抜けなくてね。
試しにX線通してみたら、鞘と刀身が一体化してたんだ……」
 言いつつ、雅也は包みを開いて中身を烈気に見せた。黒ずんだ鞘に納まった
細身の刀で、その鞘は歴史の教科書で見た勾玉らしい物で飾られている。
「これが……竹光?」
「ほんとに竹光かどうかはわからないけど、抜いて確かめられないから便宜上
そう呼んでるんだ。実際には、金属製らしいんだけどね。
 でも、正直これって研究のしようがないんだ。時代考証からして全く立たな
いんだもの」
「そうなの?」
「無いんだよ、歴史上存在する刀剣に、これと同形体の物が。なんて言えばい
いかな……」
 ここで、雅也は適当な言葉を見つけるべく目を閉じてしばし思案する。
「見つかった場所とか深さからすると、どう考えても成立は古代まで逆上れる
んだ、これ。
 でも、その時代にはここまでしっかりした刀剣を作る技術は無かった。と、
言うより、こう言う片刃・反り身の刀剣が用いられるようになったのは平安中
期以降なんだよ。
 古代期に作られた刀剣って言ったら、直刃の古代和剣を言う。だから……こ
れ、凄く異様なんだよ。言うなれば、古代におけるオーバーテクノロジーの産
物ってとこかな」
 ここで、雅也はわかる? と言う感じで烈気を見た。烈気は今言われた事を
理解しきれず、頭を抱えている。その様子に雅也は苦笑しながら頬を掻いた。
「……でもさ、なんで、そんなのを兄ちゃんが持ってる訳?」
 一しきり悩んでから、烈気はふと思いついて雅也にこう問いかけた。
「それがね……押しつけられたっていうのが、本当の所なんだ。理由はわから
ないんだけど、何故かぼく以外の人がこれを持つと、頭痛とか歯痛とかの妙な
症状が出る。それが気味悪がられて……仕方ないから、瑞穂さんのとこに持っ
って御祓いしてもらってから、蔵にしまっとく事になったんだ。そのまま、預
かってもらってもいいしね」
 問われた雅也は苦笑しつつ理由を明かした。ちなみに瑞穂──星野瑞穂とい
うのは町内の神社を預かる若い巫女で、彼らの従姉でもある。霊的な能力がか
なり高い彼女は、よく御祓いを依頼されては手際よくそれを解決しているらし
い。
「ふうん……ねえ、ちょっとオレ、それ持ってみてもいいかな?」
 気の無い声で相槌を打った所で、烈気はふと好奇心にかられてこう問いかけ
た。雅也はえ? と言って烈気を見る。
「でも……」
「ちょっとだけでいいからさ〜。ほんっの、ちょこっと持ってみるだけ! 振
り回したりしないからさ〜、ねー、雅也兄ちゃ〜ん」
 言いつつ、烈気は大げさに雅也を拝んで見せた。雅也は刀と烈気を見比べて
しばし思案する。
「まあ……いいか。でも、何か異常を感じたら、すぐに放すんだよ?」
 それから、大した事にはならないだろう、と判断して、ごく軽くこう応じた。
烈気はぱっと顔を上げると、らっきい! と言って指を鳴らす。その様子に苦
笑しつつ、雅也ははい、と言って烈気に刀を差し出した。烈気はうきうきしな
がらそれを受け取り、
「……!?」
 硬直した。
「……烈気君?」
 雅也が訝しげに声をかけてくるが、烈気には答える事ができない。その原因
が、今手にした刀だった。より正確に言うと、今手にした刀から流れ込む力の
波のためだ。
 流れ込んだ力は一通り身体の中で荒れ狂うと、一点にどっと集まった。場所
的には心臓のある辺り……だろうか。そこにも力が集まっていた。まるで突然
の力の奔流を、受け止めようとするかのように。
 力の暴走に伴い、それまで黒くくすんでいた刀が輝きを放ち始めた。光はそ
の輝きを増し続け、呆然とする雅也の目の前でふわり、と烈気を包み込んだ。
「な、何だ……何が起きたんだ?」
 突然の事に雅也はただ、呆然と呟くしかできない。
 対する烈気は、と言うと。
(なんか……なんか、すっげえ事が起きる!)
 呑気にも、わくわくしていた。
 半端に常識人の雅也と違って、物事をフラットに受け止められる……と言え
ば聞こえはいいが、ようは何も考えていない、好奇心むき出し状態なだけであ
る。
 突然の力の奔流に対する戸惑いは、確かにある。しかし、力の感触は決して
苦しいものではないのだ。むしろ懐かしく、心地よくさえある。ずっと待って
いた邂逅の瞬間が訪れる──根拠はないが、そんな気がしていた。
 烈気はゆっくりと目を閉じる。二つの力の激突の瞬間がやって来る──自分
でない自分が、ずっと待ち受けていた瞬間だ。
(……ぶつかるっ!)
 その瞬間を、烈気ははっきり捉えていた。それと同時に、烈気を包んでいた
光が激しい閃光を放つ。雅也はとっさに腕をかざして、その直視を避けた。
 力と力がぶつかり合い、一つに絡み合って、全身に広がっていく。心地よい
力の波が身体を柔らかく包んでいた。
 一つ深呼吸をして、目を閉じたまま刀を握る手を動かす。左手で刀身をしっ
かり握り、右手を柄にかけた。刀には既に汚れた所など無く、新品さながらの
様相を呈している。
「れ……れっき、くん?」
 どうにか視力を回復させた雅也が問うのには答えず、烈気は刀を持ったまま、
両手を左右に延ばした。
 シャッ!
 小気味よい音が耳に響き、雅也は目を疑った。どんなに強い力をかけてもび
くともしなかった刀が、少年の手であっさりと引き抜かれてしまったのだ。突
然の発光現象共々、驚かずにはいられない。
「……どうやら、ぼくはこれの運搬人に選ばれたみたいだなあ……」
 とはいえ、ものの五分もするとすっかり立ち直り、冷静にこんな事を呟いて
いるのだから、大した男である。立ち直った雅也は、烈気の手の白刃をしげし
げと観察し、銀の見事な輝きにほう、と嘆息した。取りあえず、発光現象の方
は特に気にしていない。

 そして、それと同じ頃。
「……むっ!」
 深緑の美しい森の中で座禅を組んでいた男が、はっとしたように顔を上げて
いた。龍を模した鎧に身を包んだ美丈夫──謎の岩から現れた、あの男である。
 彼はしばし梢越しの空を睨み付けていたが、突然視線を下ろして目を閉じ、
ふっ……と冷たい笑みをもらした。その仕種が、何とも言えず似合っている。
「ついに、目覚めたかルィオラ……我が宿敵」
 実に満足げにこう呟くと、男は両手を複雑に組み合わせた。組んだ両手に紫
の光が灯り、それはふわり、と男を包み込む。
「……刻の狭間の虚空より……出ませい、煌魔イムセンっ!」
 光に包まれた男は鋭い気合と共にこう叫び、同時に、その身を覆っていた紫
の光が弾けた。光は蒼の光球となり、地面に下りて黒い人影となる。
「煌魔イムセン、お呼びにより参上いたしました、御主」
 光球の転じた人影は恭しく膝を突き、頭を垂れた。それに伴って影が薄れ、
蒼い鎧に身を包んだ若い男の姿が木漏れ日の下に現れる。
「うむ……早速だが、お前に命を与える。我が宿敵、守護龍王ルィオラがつい
に目覚めた。奴の居所を探り当て、その動向を監視せよ!」
「監視……で、ございますか?」
 イムセン、というらしい男は、この命にやや訝しげな声を上げた。それに、
男は真剣な様子で一つ頷いて見せる。
「うむ。覚醒したばかりとはいえ、相手はかの守護龍王。かなりの力を有して
いるはずだ……心してかかれ!」
「……御意」
 短い言葉に、取りあえず納得して頷くと、イムセンの身体を蒼い炎が包み、
しゅっという音と共に消え失せた。後に残った男は、再び空に目を向ける。
「……二度と……遅れはとらんぞ、ルィオラよ……」
 低く呟くその瞳には、やや危険な決意の炎が激しく燃え上がっていた。

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