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   二 推参・守護龍王レイ その一

 くわん、くわん、くわん、くわん……
 けたたましい音が、スピーカーから響いて行く。音だけ聞くと時代劇に出て
くる半鐘のようだが、これは実は学校のチャイムである。腐れ懐古趣味として
知られる校長の趣味で導入された、水沢南中学校のチャイムの音がこれだった。
 担任が担当する英語の授業が終わり、そのまま帰りのホームルームが終わる
と、烈気は脱兎の勢いで教室を飛び出した。
「ちょっと、烈気!?」
 突然の事に驚いた朱美が呼び止めると烈気は律儀に立ち止まり、
「オレ、ちょい用事あるから、先帰るぜ!」
 素っ気なくこう怒鳴ってたんっと階段から飛び降りた。周囲の生徒がぎょっ
とする中、涼しい顔して着地した烈気はそのまま走って行く。
「……くぅおら、月神――っ!!」
 烈気の階段ジャンプに気づいた教師の怒鳴り声を聞きつつ、朱美は傍らの雅
美と顔を見合わせる。
「……なぁに、あれ?」
「変なの」
「烈気、はっえーなー」
「なに、急いでんだろな?」
 呆れたように呟く二人の横では、大樹と洋平が呑気にこんな事を呟いていた。
「たっだいま〜!!」
「あら、早かったのね」
 慌ただしく帰って来た烈気に、母はやや、面食らったようだった。久しぶり
の学校の後だから、のんびりしてくると思っていたのだろう。烈気はちょいね、
と答えると二階に駆け上がり、手早く着替えてまた慌ただしく駆け下りてきた。
「ツキト、散歩連れてくっ!! そのあと、ちょいでかけるからっ!!」
「でかける? 誰と?」
「雅也にーちゃんっ!」
 言うが早いか、烈気は散歩用の道具を入れた袋を引っつかみ、外に飛び出し
た。玄関横の犬小屋では、飼い犬のツキトが尻尾を振って待っている。朝の散
歩は父の担当だが、午後の散歩は烈気の担当なのだ。もっとも、ここ数日は外
に出られない烈気の代わりに朱美が散歩に連れていたのだが。
「よっしゃ、行くぞツキト!」
 嬉しそうなツキトの頭をわしゃわしゃと撫でると、烈気はリードを片手に走
り出す。ツキトは一声吠えてから、それに続いた。
「……気をつけるのよ〜」
 一歩遅れて出てきた母に軽く手を振ると、烈気はいつもの散歩コースへ向か
う。散歩と言うよりは、既にランニングの領域だが。元々走りまわるのが大好
きなツキトは、好きなだけ走れる烈気との散歩が事の他お気に入りらしい。烈
気としても、思いっきり走れるこの時間は一日の楽しみと言えた。
 川沿いの道を抜け、近所の児童公園をぐるり一周し、川原で軽く休憩。それ
からまた、道を戻って住宅街の中の自宅へと帰る。一週間ぶりの散歩メニュー
をこなすと、本来ならば二階で課題……なのだが、今日はそれは後回しにする
つもりだった。故に、烈気はツキトを小屋に戻すと、外の水道で手を洗ってま
た外へと走り出す。財布などの必須小物は、散歩に行く時点で用意済みだ。目
指すは大通りのバス停。そこで、雅也と待ち合わせをしているのだ。
 昨日の出来事の後、烈気は事故に遇った日にも見ていた夢と、事故の直後に
見ていた光景の事を雅也に話して聞かせた。突然の発光現象や力の奔流と関係
のありそうな事が他に浮かばなかったためだ。
 話を聞いた雅也は、やや突拍子もない話に戸惑いつつも理解を示してくれた。
そして今日、一緒に瑞穂に相談に行くと言ってくれたのだ。これは、瑞穂をや
や苦手としている烈気としては非常にありがたい話である。
 バス停につくと雅也は先に来て烈気を待っていた。手には例の刀の包みと酒
屋のビニール袋を下げている。瑞穂への土産の清酒だろう。
「や、烈気君……大丈夫? かなり疲れてるみたいだけど……?」
 全力疾走に息を切らす烈気に、雅也は心配そうにこう問いかけてきた。烈気
はうん、と頷くが、学校の帰りからツキトの散歩、そしてここに来るまでとず
っと走り続けて来たため、さすがに息が苦しい。それを見た雅也は酒屋の袋の
中からスポーツドリンクの缶を出し、プルタブを起こして烈気に差し出した。
「さんきゅっ!」
 天の助け、と烈気はそれを喉に流し込む。ほとんど一息で缶を空にすると、
ようやく人心地ついた。そこに折よくバスが入って来たので、二人はがらがら
に空いたバスに乗り込む。
「それで、瑞穂姉ちゃんなんて言ってた?」
 一番後ろの席を二人で占領すると、烈気は早速雅也に問いかけた。雅也は昨
日の内に瑞穂に事情を説明してくれているはずなのだ。
「取りあえず、刀と君を連れて来いって。話を聞いただけじゃ判断しかねるっ
てさ」
 それに、雅也は刀を見やりつつこう答えた。それからふと思いついたように、
包みを烈気に差し出す。
「……え?」
「これは、君が持ってて。その方が良さそうだからね」
「あ……うん、わーった」
 こくん、と頷いて受け取った刀を手にしていると、不思議と気持ちが落ち着
いた。刀も、烈気の手にあるのが当然、と言わんばかりにしっくりと馴染む。
「でもこれ……一体なんなんだろ?」
「それは誰にもわからないね」
 こんな脳天気としか言いようのない言葉を交わしている間に、バスは数度の
停車と発車を繰り返していた。四度目の停車の後で雅也が停車ブザーを押し、
降りる意思を示す。それと同時に、烈気はあれっ? と言って背後を振り返っ
た。
「……烈気君?」
 どうしたの? という雅也の問いに、烈気はちょっと、と答えて空に目を凝
らした。そちらの方から、こちらを見つめる視線のような物を感じたのだ。
「……気のせいかな?」
 と、考えるのがこの場合は妥当だろう……などと考えていると、バスが止ま
った。烈気は後ろを気にしつつ、雅也に促されてバスを降りる。運賃は雅也が
出してくれた。
「さて、行こうか」
 雅也の言葉に烈気が頷き、二人はバス停のすぐ側にある鳥居の先の石段を登
り始めた。この石段の先に、瑞穂が護る神社があるのだ。
 二人の姿が濃い緑のプロムナードの奥に消えると、バス停の近辺からは急激
に人の気配が絶える。一応、バス通りから延びる坂道を下って行くと商店街を
中心とした住宅地に行き着くのだが、上の道は静かなものだ。
 ……ヴヴンっ!
 不意に、その静寂が打ち破られた。空間が不自然に歪み、そこから黒い影が
現れてバス通りに降り立つ。現れたのは蒼い鎧に身を包んだ若い男──煌魔イ
ムセンである。
 イムセンは鳥居の前まで近づくと、探るような視線を石段の先へ投げかけた。
その瞳には困惑とも取れる色彩が微かに宿っている。何事か、戸惑っているの
だろうか。
「……まさかとは思うが……」
 しばし石段の奥を睨むと、イムセンは低く呟いた。
「あのような子供が、御主の宿敵である守護龍王なのか? まさかな……」
 ここで、イムセンはふう、と小さく息をついた。
「しかしあの波動……そしてあの刃が放つ力は、間違いなく守護龍王と月神刀
のものだった……」
 言いつつ、イムセンは顔を上げて再び石段を見上げた。
「ともあれもう少し様子を見るとするか……とはいえ、あれが守護龍王だとし
て……御主のお手を煩わせる必要は、全くないのではないのか……?」
 低く呟くイムセンの身体を鈍い蒼の光が包む。先ほどと同様に空間が歪み、
ヴンっ!という音と共にイムセンの姿が消え失せた。
 後にはいつもと変わらぬ、バス停の佇まいだけが残る。

 石段を登って境内に出ると、深緑の中では一際目を引く色彩が目に飛び込ん
できた。小袖の純白と袴の真紅が、しなやかな髪の黒と共に鮮やかに自己主張
をしている──瑞穂だ。手にした竹ボウキが巫女装束と相まって、何とも言い
がたい雰囲気を醸しだしている。
「来たか、烈気」
 息を切らしてやって来た烈気に、瑞穂はこんな言葉を投げかけた。凛々しい
表情に、ハスキーボイスが良く似合う。
「しかし雅也、お前も苦労性だな……こんな面妖な事に関わるとは」
 次に、瑞穂は雅也に向けてこんな事を言う。この言葉に雅也はあはは、と乾
いた声で笑って見せた。
「ともあれ……立ち話もなんだ、家に来い。ちょうど、境内の掃除も終わった
所だ」
 艶やかな笑みと共に言いつつ、瑞穂は踵を返して奥へと向かう。烈気と雅也
もそれに続いた。拝殿の横を通り、社務所を兼ねる瑞穂の自宅へと入って行く。
瑞穂は家を離れ、住み込みでこの神社を護っているのだ。
「さて……では、件の刀を見せてくれ」
 取りあえず茶の間に落ちつき、ちゃぶ台を挟んで向き合うと、瑞穂はこう言
って烈気から刀を受け取った。包みを慎重に解くと、澄んだコバルトブルーの
鞘に納まった刀が姿を見せる。鞘は同じ色の勾玉に飾られ、美しい光の層を織
りなしていた。
「……ほほう……これはこれは……」
 呟いて、瑞穂は軽く鞘の模様をなぞった。
「……逸品だな。凄まじい力を感じる……」
 独り言のようにこう呟くと、瑞穂は顔を上げて烈気を見た。
「これは烈気にしか抜けない、という話だったな」
 烈気がうん、と頷いて答えると、瑞穂は柄に手をかけた。それから、ふむ、
と呟いて手を放す。どうやら、瑞穂にもこれを抜く事はできないようだ。
「なるほど……烈気、ちょっと抜いてみろ」
 言いつつ差し出された刀を両手で持って、烈気はそれを引き抜いた。例によ
って、烈気の手にかかると刀はすい、と何の抵抗もなく鞘から姿を見せる。瑞
穂はそのまま烈気に刀を持たせて刀身を見やり、
「……!?」
 唐突に息を飲んだ。突然の事に烈気と雅也はきょとん、と瞬く。
「……瑞穂姉ちゃん?」
 きょとん、としたまま烈気が名を呼ぶと、瑞穂は何故かふう、と息をついて
何でもない、と応じた。
「どうかしたんですか、瑞穂さん?」
「……大した事ではない……烈気、もういいぞ、刀はしまっておけ」
 心配そうな雅也に答えて烈気に刀を収めさせると、瑞穂はつい、と立ち上が
って奥に向かった。刀を収めた烈気は雅也と顔を見合わせ、瑞穂の動きを視線
で追う。
 奥に入った瑞穂は、少しすると桐製とおぼしき箱を三つ持って戻って来た。
二つはちゃぶ台の上に置いて、一番小さい物の蓋を開く。興味をかられた烈気
は中を覗き込み、入っている物を見てきょとん、と瞬いた。
「……なにこれ……紐?」
 不思議そうなその言葉の通り、中に入っていたのは青、赤、白、黄、黒の五
色の糸を組み合わせた組紐だった。予想外の物の登場に、烈気はまたきょとん、
と瞬く。
「紐は紐だが、ただの紐ではないぞ……龍神の力を折り込んだ、聖なる組紐だ」
 きょとん、としている烈気に妙に楽しそうにこう告げると、瑞穂はその手か
ら刀を取って、柄に組紐を結び付けた。紐の一端を引っ張るとすぐに解ける、
一つだけ輪を取った形の結び方だ。
「あ、あれっ!?」
 五色の組紐が結わえられた途端、刀に異変が生じた。赤い光がぱっと飛び散
り、刀が消えてしまったのだ。
「な、なんだなんだ!? 瑞穂姉ちゃん、一体何やったんだよ!?」
「何をしたと思う?」
 困惑しながら問いかける烈気に、瑞穂はからかうような口調でこう言って、
組紐を差し出した。
「何をって……それがわっかんねえから、聞いてんじゃんかよ!?」
 楽しげな問いに、烈気は憮然とこう答える。瑞穂は相変わらず楽しそうなま
ま、烈気に五色の組紐を持たせた。紐から伝わる感触に、烈気はあれっ? と
言ってきょとん、と瞬く。
「この感じって……刀と同じ……」
 戸惑いがちに呟く通り、組紐から感じる力の波動は、刀から伝わる力と同じ
だった。烈気は同じように戸惑っている雅也と顔を見合わせると、思い切って
紐の一端を引っ張り、結び目を解いてみた。
「……わわっ!?」
 紐を解いた途端、青い光が待ってました、と言わんばかりにぱっと飛び散っ
た。そして烈気の手の中には、当たり前、と言わんばかりの涼しい様子で刀が
納まっている。
「ど……どーなってんの?」
 戸惑う烈気の様子にくくっと笑いつつ、瑞穂は持って来た中で一番大きな箱
の紐を解いて蓋を開けた。中にはいかにもいわくあり気な、古びた巻物が納ま
っている。
「……これは?」
 知的好奇心で目を輝かせつつ雅也が問う。
「この神社に代々伝わる古文書だ」
「古文書!? わあ、一体、何が書いてあるんですかあ?」
 古文書という言葉を聞いた途端、雅也は急にわくわくした口調になって、更
に問いを接いだ。さすがは町内でも名の知れた考古学マニア・日高雅也である。
「……相変わらず、古い物好きだな」
 そんな雅也の様子に苦笑しつつ、瑞穂は巻物の綴じ紐を解いて、それをちゃ
ぶ台の上にゆっくりと広げた。巻物はかなり古い物のようだが、保存状態が良
かったらしく、中に書かれた物ははっきりと見て取れた。
「……これは……龍?」
 描かれた物を見るなり、雅也が訝しげな声を上げる。そしてその言葉の通り、
巻物に描かれているのは日本昔話などでお馴染みの龍の姿だった。
「……これは?」
「ここに祀られている、龍神の絵姿らしい。それで、これは、何に見える?」
 雅也に答えつつ、瑞穂は更に巻物を開いて行く。それに従って現れた絵に、
烈気ははっと息を飲んだ。
「これ……この刀!?」
 言いつつ、絵と手にした刀を見比べる。さすがにと言うか、巻物に描かれた
形はやや大雑把だが、そこに描かれているのは間違いなく烈気が手にしている
刀だった。
「……どーなってんの?」
 烈気は顔を上げると、やや当惑気味に瑞穂に問うた。瑞穂は軽く肩をすくめ
ると、巻物を一度持ち上げて雅也にちゃぶ台を片づけさせた。ちゃぶ台が片づ
くと、瑞穂は畳の上に巻物を長く広げて行く。
 巻物に描かれているのは、龍神と刀の絵。そして、烈気に取っては見覚えの
ある鎧が描かれていた。
「あーっ、これっ!」
 それがあの夢の中で自分と思われる戦士が身に着けていた鎧であると気づい
た烈気は、思わず大声を上げていた。
「瑞穂姉ちゃん……この巻物って一体……」
「言っただろ? 我が家……と言うか、私たち月神一族に、先祖代々伝わって
いた古文書だ。三代前に一族が月神、日高、星野の三つの家に分かれた時に、
この神社共々、我が星野家が引き取ったものだが……本来は烈気、お前の家に
伝わっていたはずの物だ」
「あ……そうなんだ」
「それで結局、この巻物に描かれている物は、何を意味してるんですか?」
 バツ悪そうに頭を書く烈気を横目に、雅也が瑞穂に問いかける。この問いに、
瑞穂はひょい、と肩をすくめた。
「我々月神一族に伝わる使命についてのものらしいが……言葉として記されて
いるのは、これだけだ」
 ため息まじりにこう言うと、瑞穂は絵の横に記された達筆な一文を指差す。
つられるようにそこを覗き込んだ烈気は、きょとん、と瞬いた。

──龍王現臨・聖鎧招来・臥龍覚醒──
――守護龍王 龍鎧覚醒之言――
――祈願 我 混沌龍王 勝利――
 
「……なんでしょうね、これは……?」
「わからんが……この『守護龍王』というのが、この龍ではないかと、私は考
えている」
 雅也と瑞穂のやり取りを聞きつつ、烈気はあの夢の事を思い出していた。守
護龍王と混沌龍王、これらの言葉には覚えがある。夢の中の自分は、戦う相手
の事をそう呼んでいた。そして光と同化したあの時、烈気は自分が守護龍王で
ある、と認識したのだ。
「……」
 はっきりした事はわからない。ただ、自分が守護龍王であり、混沌龍王と戦
わねばならない、という事実だけは、やけにはっきりと認識できた。
「……すっげえ……」
 それと認識した瞬間、こんな呟きが口をついた。

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