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   ACT−3:決して、交差しないもの 03

 半ば勢い任せでレプシアスを出た二人は、当初の予定通り北へ続く街道を進
んだ。フレアは相当機嫌が傾いたらしく、何も言わずに黙々と歩いていたのだ
が、
「……お腹すいた……」
 一時間も歩かない内に、ぽつん、とこう呟いていた。
「まあ、お昼、食べ損ねたからね」
 その言葉にアキアは苦笑する。うん、と言って頷くフレアの表情は生彩を欠
いていた。その理由は空腹が主なものだろうが、先ほどのレフィンとの口論も
少なからず影響しているのは間違いないだろう。
「とはいえ、進むも戻るも半端だし……」
「戻るのはイヤ」
 何気ない呟きにフレアはきっぱりとこう言い切る。それに、はいはい、と苦
笑しつつアキアは周囲を見回した。
(さて、どうしたものか)
 正直な所、このタイミングで街を出る、というのはアキアにとっては予定外
の事だったのだ。レプシアスで一泊してから早朝に発つ、という予定がレフィ
ンの登場で見事に引っ繰り返されてしまった。
 それが、何を意味するのかと言うと、
(食料計算が、丸一日狂った……)
 という事になる。これは結構、由々しき問題だ。徒歩の旅という事で荷物の
量は計算されており、余剰は無いに等しい。ここで狂った一日分をどう調整す
るかは、かなり重要なのだ。
(オレ一人なら、どうにでもなるけどね……)
 ふと、こんな虚しい事を考えてしまう。そう、アキア一人なら切り詰めるの
は簡単なのだ。しかし、フレアがいてはそうは行かない。最近は大分大人しい
ものの、フレアのお嬢様気質は思いも寄らないタイミングで噴き出し、面倒を
起こしてくれるからだ。
「……アキア?」
 一人、暗い考えにはまり込んでいると、フレアが怪訝そうに呼びかけてきた。
それに、何でもない、と答えつつアキアはフレアの頭をぽんぽんと叩く。
「さて、取りあえずどうするかだけど」
「うん。どうするの?」
 頭を叩くと言うのが子供扱いと思えたらしく、問い返すフレアはどことなく
不満げだった。事実、子供扱いではあるのだが。その不満をアキアは笑顔で受
け流しつつ、言葉を続ける。
「もう少し進むと、道が川沿いになる。取りあえず、そこまで行こう」
「え〜」
 もう少し進む、と言う言葉にフレアは露骨に不満げな声を上げた。それに、
アキアはにっこりと微笑みながらうん、と頷く。
「その方がのんびりできるし、安心して火も使えるから。と、言う訳で、頑張
って参りましょう♪」
 こう言うとアキアはすたすたと歩き出した。フレアは不満げに頬を膨らませ
ていたがも結局は後を追って来る。食料の類はアキアが持っているし、何より、
街道の真ん中に一人で取り残されたくはないのだろう。勿論と言うか、アキア
の行動はそこまで見越してのものなのだが。
 しばらく進むとせせらぎの音が耳に届き、進む道と平行するように流れる緩
やかな川が視界に飛び込んできた。
「これが、さっき言ってた川?」
 澄んだ水面を見つめつつ、うきうきとした口調でフレアが問う。
「そう。カジェストとクレストを隔てる、ルガリス山脈から流れるフィオーラ
川。山越えルートでクレストに行くと、上流にあるヴェゼリアの滝を見る事も
できるよ」
「ほんとっ!?」
 アキアの説明に、フレアは大きな瞳をキラキラと輝かせた。ストレートな反
応に苦笑しつつ、アキアはうん、と頷く。
「まあ、山越えだからちょっとキツイけどね。じゃ取りあえず休もうか?」
 この提案にフレアはうん、と頷き、二人は河原の開けた所へ降りて行く。河
原に着くと、フレアは座り心地の良さそうな平らな石の上にぺたり、と座り込
んだ。
「あ〜、疲れちゃったあ。お腹すいたし、もうへとへと〜」
『って、大して歩いてねーじゃん』
 座り込むなり文句を言うフレアにアキアはまた苦笑し、ヒューイが呆れたよ
うに突っ込む。
「なによぉ、全然歩かないヒューイが言えるのぉ?」
『オレに、どやって歩けってのよ、お嬢!?』
「うーん……努力して?」
『どーゆー努力だよ……』
 どこまで本気かわからないフレアの言葉に、ヒューイは呆れとも諦めともと
れる響きを込めてこう呟いた。二人のやり取りに低く笑みをもらしつつ、アキ
アは背負っていた荷物を下ろして水面を覗きこむ。
「……アキア?」
 不思議そうに首を傾げるフレアを静かに、と制すると、アキアは右腕の袖を
捲り上げて膝を突き、
「よっと!」
 掛け声と共に右手を川の中に入れて水を跳ね上げた。突然の事にフレアは目
を丸くし、直後に、河原で跳ねる銀色の影に気づいてわぁ、と歓声を上げた。
活きの良さそうな魚が二匹、河原の石の上でぴちぴちと跳ねている。岸辺付近
に群れていた川魚をアキアが手で跳ね上げたのだ。俊敏な川魚を手で捕らえる。
決して簡単な事ではないはずだが、アキアにかかると造作もない、という事に
なるらしい。
 場所を変えて更に二匹を跳ね上げた所で、その調理にかかる。腹をナイフで
裂いて腸を取り、塩を振って馴染ませる。時間があれば食用になる野草を探し
てきて詰め込むといいのだが、今回は割愛した。探す時間にフレアがダウンし
かねないからだ。代わりに、先ほどレプシアスで調達したハーブを少し魚の腹
に詰めておく。
「大体、こんなとこかな?」
 呟いて、今度は火を起こす準備にかかる。こんな雑事も全てアキアの担当だ。
フレアも、もう少し元気なようなら薪拾いくらいはできるのだが、無理をさせ
ると次に動かなくなるのが読めるため、今は休ませておく方が無難だった。
 薪を集めるついでに、焼き串になりそうな枝と大き目の木の葉を集めてくる
と、アキアは石を集めてかまどを組んだ。串代わりの枝に刺した二匹をその周
囲に立て、残る二匹は木の葉に包んで薪の内側に入れる。あとは着火するのみ、
という所でアキアはヒューイを呼んだ。
『……おりゃ、火打ち石かい』
 短い呼びかけの意図を察したヒューイはぼそっとこう呟いた。
「ヒューイは歩かないんだから、このくらいやってもいいでしょ?」
 それにフレアがさも当然、と言わんばかりにこう言い、ヒューイはへいへい、
と疲れ果てた声を上げた。柄の金緑石が光を放ち、かまどにくべられた薪に火
がつく。初歩の着火の魔法だ。魚が焼けるまでの間に、アキアは日保ちするよ
うにと硬く焼かれたパンを切り分け、かまどの石の上に並べて火を通しておく。
(取りあえず、これで一食分は切り詰められたけどな……)
 今後、どうペースが狂わされるのか、それを考えると頭の痛いアキアだった。
『ま、しゃーねーやな。お嬢だし』
(何の救いにも、慰めにもならないぜ、それ)
 どことなく投げやりなヒューイの言葉はあまりにも的確かつ救いがなく、ア
キアはただ、苦笑するのみだった。

 幸いにと言うか、それからの行程にはさしたる問題もなく、一行は最初の宿
場にたどり着けた……のだが。
「お菓子食べたい」
「……は?」
 小さな宿の部屋に落ち着くなり、フレアはこんな呟きをもらしてアキアを絶
句させた。
「……今、何か?」
「お菓子食べたいっ!」
 引きつりながら問い返すと、フレアははっきりとこう返してきた。
 ついに来た。
 そんな思いがふと脳裏を過る。ここに到るまでの五日間に言われる事はなか
ったため、完全に油断していたのだが、どうにも甘かったらしい。
「そうは言うけどね、お嬢……この宿場のどこに、ケーキ屋があるとお思いで
すか?」
 ため息まじりにこう言うと、フレアはわかってるけどぉ、と言ってむくれて
見せた。
 今、二人が居る宿場は元々農村で、街道の整備に伴って宿場としての機能が
追加された場所だ。はっきり言って、『のどかな田舎』以外の何物でもないこ
の場所に、洒落た菓子の専門店など、到底あるとは思えない。
「わかってるなら……」
「だって、食べたいんだもんっ!!」
 始まった。
 こんな思いがふと過り、アキアはため息をつく。こうなると、絶対に持論を
曲げないのがフレアだ。自分の気持ちに正直なのは結構なのだが、こういう形
で発揮されると手におえない。
(……仕方ない)
 こんな所で、こんな事でごねられてもかなわない。こう割りきると、アキア
は最終手段を選択する事にした。
「はいはい、わかりました! ……オレが作りましょう」
 ため息とともにこんな言葉を吐き出すと、フレアは不思議そうに瞬いた。
「アキアが?」
「うん」
「お菓子も作れるの?」
 問いかけるフレアは心底不思議そうだった。これまで、野外の食事を作りこ
そすれ菓子など作った事はないのだから当然かも知れないが。
「作れなかったら、言わないよ。取りあえず厨房使わせてもらえるか交渉して、
あとは材料がどれだけ集るか次第だけどね」
 きょとん、とした瞳に苦笑しつつ、アキアはこう言って椅子から立ち上がり、
部屋を出た。
「……まさか、今になって料理人に戻るハメになるとはね……」
 妙に自嘲的な表情でこう呟くと、アキアは一階の厨房を覗く。ちょうどのん
びりしていた宿の女将に事情を説明して場所と道具を貸してくれるようにと頼
み込むと、女将はあっさりとそれを了承してくれた。
 もっとも、アキアに微笑みながら頼み事をされて、それを無下にできるのは
フレアくらいのものだろうが。
 作る環境を確保した所で、材料の調達に行く。小さな市場には、地元で採れ
た物が並んで賑わっている。出発前の補充のための下見も兼ねて市場をぐるり
と見て回ったアキアは、フルーツケーキの材料を揃えて宿に戻った。
「さて、上手くできますか」
 冗談めかして呟きつつ、手際良く粉をふるって卵を泡立て始める。てきぱき
とした動作に、横で見ていた女将がへぇ〜、と感心したような声を上げた。
「慣れたもんだねぇ、お兄さん」
「……昔、賄いの仕事をしていた時期がありまして」
 にこりと笑って答えながらも手は止まらない。その内、口元が自然と綻んで
きて、楽しくなっている自分に気がついた。

――お前、料理人とか菓子職人が天職だな、きっと――

 昔、誰かに言われた言葉が、ふっと蘇って、消えた。

 そんなこんなで焼き上がったフルーツケーキはフレアは元より、試食を頼ん
だ女将にも好評で、アキアはしばらく宿に滞在して様々な菓子を作らされる羽
目になり――その足止めは、思いも寄らない事態を招き寄せつつあった。

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