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   ACT−3:決して、交差しないもの 04

 夕暮れの街道を、騎乗の旅人が駆けて行く。カーキ色のマントのフードから
わずかにこぼれた金髪が震動に合わせて揺れていた。レフィンだ。
 フレアに手痛い拒絶をされた後、レフィンは実に一時間近くその場に立ち尽
くしており、不審人物として警備隊の詰め所に連れて行かれる、というトラブ
ルに見まわれていた。
 クライズの王子とはいえ、黙って国を飛び出して来た以上、身元は隠してお
かなくてはならない。国に知れれば連れ戻されるのは目に見えており、そうな
ればようやく追い付く事ができたフレアをまた見失ってしまう。それだけは、
なんとしても避けたかった。
 そんな一念が機転を利かせたらしく、レフィンは持っていた王家の紋章入り
の短剣を使ってその場を切り抜けていた。
「私は、故あって名は明かせないがクライズ国王レオン一世陛下より、この短
剣を下賜された者。詳細を明かす事はできないが、王家の存続に関わる重大な
密命を受けている」
 クライズ王家の紋章の入った短剣とこの言葉、そして臆した所の全くない態
度は相当に効いたらしく、レフィンはそこからとんとん拍子にレプシアスの領
主と会見し、支援を取り付ける事に成功していた。折り良く国境解放の視察に
訪れていたカジェスト侯バーンズ・グラン・カジェスティオがレフィンの正体
に気づいた事もあり、状況はレフィンにとって非常に有利なものとなっていた。
 そして、フレアたちがクレスト侯領を目指す、と話していた事がわかったの
が一週間前。フレアが勢い任せに街を出た三日後の事だ。クレイア湖という目
的地を得たレフィンは急いで準備を整え、街を出た。
 向こうは徒歩、こちらは馬。すぐに追いつけるはず、という読みは正しいも
のだった。通常であれば、最初の宿場を過ぎた所で追いつけただろう。
 アキアの菓子職人化による足止め、というアクシデントさえなければ。
 そう。 
 作る物作る物とにかく周囲に好評な事と、それが臨時収入につながった事で、
アキアは三日ほど宿場に滞在し、菓子作りに没頭していたのだ。
 そして。
 そんな事など知る由もないレフィンは日数計算の結果、最初の宿場にはもう
いない、と判断してそこを通過してしまっていたのだ。
 見事と言う以外にない、鮮やかなすれ違いだった。
「……ん?」
 気持ちの焦りに急かされるまま、文字通り突っ走っていたレフィンだったが、
ここでようやく馬のペースの乱れに気がついた。体力のある駿馬を選んで譲っ
てもらったのだが、さすがに休みなしの走行に疲れてきているらしい。レフィ
ンは馬を止めると、そっとその首筋を撫でてやった。
「すまないな、無理をさせてしまって……」
 呟くように言って、周囲を見回す。道は森の中に入り、夜の闇とも相まって
辺りの様子はぼんやりとしか見えない。先走り過ぎたか、と今更ながら後悔し
た時、周囲の茂みががさりと鳴った。
「……?」
 不審に思って音のした方を見た直後にヒュっ!という音が響き、馬の足元に
何かが突き刺さった。
「わっ!?」
 突然の事に脅えて棹立ちになる馬をどうにか制するのとほぼ同時に、茂みの
中から複数の人影が現れてレフィンを取り囲む。微かに射し込む月の光が、彼
らの手にした斧や山刀の刃を光らせた。
(な、なんだっ!? 物盗りの類!? 帝国領に、こんなものがいるのか!?)
「……依頼の二人連れとは違うようだが、中々の獲物がかかったなあ、おい?」
 困惑するレフィンを他所に、集団のリーダーらしき男が下卑た笑いと共にこ
んな事を言った。

 夜の静寂。それは、青と緑の瞳の少年にとって何よりも好ましいものだった。
そも人との関わりを嫌う質であるとか、理由は他にも多々あるのだが、野外で
夜を過ごすのは彼にとって最も心安らぐ時間と言える。
 故に、ファヴィスはその夜もぼんやりとしつつ、夜の静寂を楽しんでいたの
だが。
「な、なんだ、お前たちはっ!?」
 焦りと苛立ち、そして微かな脅えを含んだ声が、その静寂をかき乱した。
「……うるさい」
 低く呟いて、黒衣の少年は座っていた木の枝からふわりと飛び降りる。
『いいのー、ファス?』
 オレンジの光が瞬き、妙に気だるげな調子でラディッサが問う。
「うるさいのは、嫌いだ」
 それに、ファヴィスは淡々とこう言いきった。
『でもさ〜……』
「あの二人の対立など、ぼくの知った事じゃない」
『ん、まあ、それもそーだねぇ』
 取りつく島のないファヴィスの物言いに、ラディッサはあっさりと納得した。

「なんだって……見て、わかんねえかねぇ?」
 レフィンの放った問いに、リーダー格はニヤニヤと笑いながらこう返してき
た。
「わ、わかれば、聞きはしないっ!」
 それに物盗り、と素直に言いかけて、レフィンは慌ててこう言い直す。うか
つな物言いをして、一斉に襲いかかられでもしたら一たまりもない。たださえ、
どう切りぬければいいか思いつかないのだから、下手な事はできなかった。
(落ち着け、落ち着くんだ、レフィルネス……)
 必死にこう念じていると、
「見てわかんねぇんだとよ! 困ったモンだなあ、おい?」
 リーダー格がこんな事を言い、他の男たちも野次を飛ばし始めた。あからさ
まに馬鹿にされ、苛立ちを感じつつもレフィンは必死にそれに耐える。
「わかんねえなら教えてやるさ、見ての通り、おかわいそうな難民さんよ。五
年前、クレストの火竜に焼け出されちまって、それからずっと、その日暮らし
を強いられてる、なあ」
 芝居がかった物言いに、レフィンは思わず「どこがかわいそうなんだっ!?」
と突っ込みそうになる。剣呑なこの様子で『難民』と言われて、はいそうです
か、と納得するのはほぼ不可能に近い。
(大体、クレストの火竜って、クレスト侯が退治したっていう魔竜で、それに
対する補償は、クレスト、カジェスト共にちゃんとされたって聞いてるぞ!?)
 無関係な方向に思考が流れて行くのは、一種の現実逃避だろうか。勿論、全
く何の解決にもならないのだが。
「そんな訳だからよ、兄さん……かわいそうな難民さんに、一つ施しを与えち
ゃくれねぇか?」
「ほ、施し!?」
「そーう、施しだ……兄さん、どこぞの貴族サマだろ? 少しくらいなら、減
るもんじゃねえしよ……大体、元を正せば、そいつはオレたちから吸い上げた
モンなんだからよ。返してくれても、バチはあたらねえぜ?」
 凄みを利かせた言葉に、レフィンは一瞬言葉に詰まる。気圧された訳ではな
い。言われた意味がすぐにはわからなかったのだ。
「ふ……ふざけた事を!!」
 そして理解した瞬間、カッとなった思考が理性をどこかへ追いやった。
「難民という過去を盾に義務を果たさず、庇護ばかりを求める下衆が! 旅人
の財産をむしり取る事で生きようとする外道が、知ったような事を!!」
「なんだとおっ!?」
 鋭い言葉に、男たちの間をどよめきが駆け抜けた。しかし、レフィンの勢い
は止まらない。カジェスト侯と直接会い、その理念を聞いて間もないせいか、
この男たちの理屈はどうしても許せなかった。
「カジェスト侯もクレスト侯も、五年前の火竜暴走後の補償には尽力された!
それを理解せずに不満ばかりを述べ、現実を忌避するだけの者が施しを与えろ
だと? 失ったものを取り戻す努力もせずに、見返りだけを求めようなど、愚
かにもほどがあるっ!!」
 勢いで言い放った言葉は、状況に大きな変化をもたらした。雰囲気に温度を
つけたとしたら、一気に零下に達したのではないだろうか。
「……ガキがっ……下手に出てりゃあ、いい気になりやがって……」
 リーダー格が低い声を上げる。他の男たちの視線も鋭く、殺気だったものに
なっているのがわかった。
(……しまった……)
 怒らせた、と理解した途端、逆にレフィンの怒りは冷めて、ついでに血の気
も引くような心地がした。このままでは殺される。本能的に察知したその事実
が身体を震わせた。とにかく、なんとかしなければ――そう、思った矢先に、
足を何かが引っ張った。
「え? ……うわっ!?」
 突然の事に虚を突かれ、レフィンは呆気なく馬から引きずり下ろされる。そ
こでようやく、レフィンは周囲を囲まれていた事を思い出した。正面にばかり
気を取られていたため側面からの接近に気づかず、結果として馬から下ろされ
てしまったのだ。
(まずいっ……)
 騎乗していれば強行突破もできたのだが、こうなると逃げるのは絶望的と言
えた。首筋に突きつけられた山刀が、その絶望を更にあおる。顔を上げると、
リーダー格がにやにやと笑いながらこちらを見下ろしていた。
「大人しく施してくれりゃあ、ケガしねえですんだんだぜ、兄さんよ? こっ
ちとしても、手荒なマネはしたくなかったんだぜ?」
 この状況で言われても、説得力などない。そも、あるはずもないが。
「よくよく見りゃあ、なかなかイイ顔してるしよ……こりゃ、たんまり稼がせ
てもらえそうだなあ……」
「な……なんだと?」
 男の言葉にレフィンは困惑した声を上げる。妙に嫌な予感がして、背筋が寒
くなった。
「なんだって、決まってんだろ? 兄さんに、『商品』になってもらうんだよ」
「なっ……」
 男の言葉が意味するものは、今度はすぐに理解できた。
 人身売買。かつて、クライズがフェルアドと呼ばれていた頃に横行していた
と言う、忌むべき行為。
(それが行われている場所がある? あんなに、働きかけているというのに!?)
 奴隷制度の撤廃や人身売買の禁止は、クライズ王国が世界中に呼びかけてい
るものだ。当然と言うか、全ての国の賛同は得られていない。厳格な身分制度
によって強固な支配体制を築く国、自らを『商品』としなければ生きられない
人々が暮らす国など、それぞれの国の事情が訴えを遮るからだ。
 しかし少なくとも、アルゼナス帝国の現皇帝やカジェスト侯、クレスト侯は
理解を示し、厳しい規制を行っている。これもカジェスト侯自身から聞かされ
た話で、それはレフィンを大きく勇気付けていた。父の主張が、正しく受け止
められている手応えを得られたから。
 だが、そんな努力は水面下では嘲笑われている。
 男の言葉は、強い衝撃を伴ってレフィンにそれを理解させた。
(父上の努力は? 叔父上の努力は? 意味がないのか?)
 こんな言葉がぐるぐると頭の中を回り、身動きが取れなくなる。男たちはそ
れを恐怖ですくんだものと判断したらしく、ゆっくりとレフィンに手を伸ばし、
 ヴンっ!
 鈍い音と共に走った光弾にその手を阻まれた。
「な、なんだっ!?」
 立て続けに走る光弾と、それに触れて深くえぐられた地面が男たちの動揺を
あおる。レフィンも呆然と周囲を見回し、そして。
「夜中に騒ぐな、やかましい」
 状況から鑑みて相当に場違いな文句にえ? と間抜けな声を上げていた。場
の全員が声のした方に注目するが、何も見えない。だが、人の気配はある、と
レフィンが気づくのと同時に声の主――ファヴィスが前に進み出てきた。
「あん? なんだ、このガキ?」
 男の一人が露骨に馬鹿にした口調でこんな事を言うと、ファヴィスは無言で
右手に持った物をそちらへ向けた。細長い筒に持ち手をつけた奇妙なそれの先
から光弾が飛び出し、男の腕を貫く。一瞬の静寂を経て、絶叫が夜の闇を切り
裂いた。
「夜というのは、静かに過ごすものだ。無意味に騒ぎ立てるな、不愉快だ」
 淡々と言い放つ、その言葉に筋は通っているが、やはり状況からはズレてい
るような。もっとも、今のを見て反論できる者など、この場にはいないが。
「さっさと失せろ。でなければ、お前たち全員に、永久の静寂を与えるぞ」
 この言葉に、男たちはやはり反論できなかった。余計な事を言えば、この少
年は今の宣言を実行するだろう。本能的にそれと悟ったのか、男たちはじりじ
りと後退し、森の中へと消えて行く。こういう場ではお約束の安っぽい捨て台
詞はない。それすら許さぬ冷たさを、ファヴィスから感じたのだろう。
 ちなみに、ちゃっかりレフィンの馬を連れ去ろうとした者もいたのだが、足
元に炸裂した光弾により、それは阻まれていた。
「……えっと……」
 男たちが立ち去ると、レフィンはきょとん、と瞬いた。ともあれ、救われた
事に間違いはなく、礼を言おうと口を開きかけたその矢先、
「夜中に騒ぎを起こすな」
 機先を制するようにファヴィスがこう言った。有無を言わせぬ一言に面食ら
いつつ、レフィンは反射的にはい、と頷く。ファヴィスはまったく、と言うと
マントを翻して木々の間に姿を消した。
「……な、なんだったんだ」
 一連の出来事に対する感想を一言でまとめると、レフィンはふらふらと立ち
上がった。いつまでもここにはいられない、さっきの男たちが戻ってきたら、
何をされるかわからない――そんな思いに急かされつつ、レフィンは落ち着か
ない馬に近づいて手綱を手に取り、なだめ始める。
「もう一頑張りしてくれ……ここに居ると、危険だから」
 何気なく口にした言葉が、ずきんと心に響く。
 表向きは平和で安定している、アルゼナス帝国の各聖騎士侯領。その、見え
ない部分には澱のようなものが溜まっている。あの男たちとの邂逅は、その事
実をまざまざと見せつけた。
(アルゼナスに限った事じゃない……もしかしたら、クライズも……)
 戦いが終わってもう二十年。どこかが緩んでいるのかも知れない、崩れてい
るのかも知れない――ふと浮かんだその考えは、容易くは抜けない刺のように、
胸に深く突き刺さっていた。レフィンはぶんぶんっと首を横に振ると、馬に跨
って走り出す。
 その姿にはどことなく、鬼気迫るものが感じられた。

『いいのかなぁ?』
 走り去るレフィンを木々の間から見送るファヴィスに、ラディッサがこんな
事を言った。
「何が」
『何がって、え〜と、色々?』
「……ヤツがなんとかするさ、ぼくの知った事じゃない」
 要領を得ない表現をするラディッサに、ファヴィスは冷たくこう言い放つ。
ラディッサはそうだね〜、と納得して沈黙した。
(そのために自分がいる……ヤツ自身が、そう宣言したんだからな)
 心の奥でこう呟くと、黒衣の少年は闇へと溶け込んで行く。
 森の中はようやく、夜の静寂を取り戻したようだった。

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