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   ACT−1:平和は突然壊れるものさ 03

 日が暮れて最後の客が帰ると、女将は店の入り口に鍵をかけた。店内を照ら
すランプも、一つを残して全て消してしまう。
「さて、待たせちまって、悪かったね」
 それから店の隅のテーブルで待っていた二人に声をかけてくる。アキアはに
っこり笑っていえいえ、とそれに答えた。
「そもそも、文句言える立場じゃありませんしね」
「そうかい? ええと……」
「アキアといいます。こっちはフレア」
 突然言葉に詰まった女将の様子にまだ名乗っていなかった事を思い出したア
キアは、手短に自分たちの名を告げる。
「アキアに、フレアかい。あたしはリズってんだ。さ、こっちにどうぞ」
 笑いながら自分の名を告げると、リズは残しておいたランプを手に二人を奥
へと導いた。厨房を通り抜けて奥へ行くと、広くはないが居心地の良い雰囲気
の居間に出る。リズは手にしたランプを居間の梁に下げると、二人に椅子を勧
めた。椅子の数は四つだが、家の中には他に人の気配はない。
「……リズさん、一人で住んでるの?」
 居間を見回しつつ、フレアが何気ない口調で問いかけた。これに、リズはあ
あ、と頷く。
「旦那は、二十年前の戦でね……息子が二人いたけど、どっちも飛び出してっ
てきり、音沙汰ナシさ」
 ひょい、と肩をすくめて軽く答えるが、瞳にはやるせない陰りが浮かんでい
た。それと気づいたアキアは肘でつついてフレアに注意を促す。一歩遅れてそ
れに気づいたフレアはあ、と短く声を上げ、それからすぐにごめんなさい、と
頭を下げる。リズはいいんだよ、と言ってにこっと笑った。
「そて、それじゃご飯にしようか? 店の残りもんばっかりだけどね」
 それから、明るく言いつつ厨房の方へ戻って行く。その姿がドアの向こうに
消えると、フレアはバツ悪そうな面持ちでアキアを見た。
「……悪いこと、聞いちゃったかな……?」
「……さて、どうかな? 楽しそうではなかったけどね」
 小声の問いを、アキアは肩をすくめてはぐらかす。直後に、厨房の方からリ
ズの声が聞こえてきた。
「ねーえ、悪いけど、ちょっと、運ぶの手伝ってくれないかい?」
 この言葉にアキアとフレアは顔を見合わせ、それから、フレアがはーい、と
元気良く返事をする。言葉をあれこれと飾るより、今は、少しでもリズが楽し
い時間をすごせるようにした方がいい――取りあえずアキアはそう判断してい
た。そして、フレアも同じ結論に達したらしい。二人は連れ立って厨房に向か
い、リズの指示に従って食器や料理を居間へと運ぶ。リズは残り物などと言っ
ていたが、ちょっとしたパーティでも開けそうなボリュームだ。
『……よっぽど嬉しいんだな、あのばーさん』
 ヒューイがぼそりと呟く。フレアは失礼よ、と呟きつつ、その柄をぎゅっと
握った。そのやりとりにアキアはくくっと笑みをもらす。
「いずれにしろ、久しぶりにゆっくりできるのは間違いないかな」
 その笑みを残したままこう言うと、フレアはそうよね、とにっこり笑う。そ
こに、パンを盛った籠を抱えたリズが入ってきた。
「おやおや、なんだい立ちっぱなしで! さ、座って座って!」
 満面の笑顔で言う、その言葉に、二人ははい、と頷いた。

 その日の夜は和やかな雰囲気で更けてゆき、アキアもフレアも久しぶりにの
んびりとした気分を味わう事ができた。この宿場に着くまでの一週間は野宿続
きで、ゆっくりと休む事はできなかったのだ。
 夕食とその片付けが済むと、リズは以前の子供部屋に寝床を用意してくれた。
「狭い部屋に二人一緒で、悪いんだけどねぇ」
 冗談めかした言葉に、アキアは野宿よりはマシですよ、と微笑んで見せた。
それに、リズはそりゃそうだね、と豪快に笑いつつ、部屋の真ん中にカーテン
で厚く仕切りを作ってくれる。一緒の部屋、という事に最初はやや不満げだっ
たフレアも、リズのこの心配りにわがままを押さえ込んだらしかった。
 もっとも、わがままを言えるほど心身に余裕がなかっただけなのかも知れな
い。さすがにここ一週間の連続野宿は堪えたらしく、リズが行ってしまって間
もなく、規則正しい寝息が仕切りの向こうから聞こえてきた。
(疲れてたんだな、さすがに)
 こんな事を考えつつひょい、と仕切りの向こう側を覗き込んで見ると、フレ
アはすっかり安心した様子で眠り込んでいた。子供っぽい寝顔が何とも可愛ら
しい。本人は『成人』と主張しているが、あどけないその様子はフレアがまだ
まだ幼い事を物語っている。
(ほんと、可愛いもんだよね)
 苦笑と共にこんな事を考えつつ、アキアは音を立てないように気遣いながら
窓を開けて外に出た。ひやりとした大気の感触が心地よい。その感触を楽しみ
つつ、アキアはぼんやりと夜空の月を見つめた。
「……おや、眠れないのかい?」
 不意の呼びかけが、アキアを物思いから現実へと引き戻す。振り返った先に
は、ショールを肩からかけたリズの姿があった。
「そういう訳でもないけど……何となく、月に引かれて。そちらこそ、どうか
なさったんですか?」
 にこり、と微笑みながら問い返すと、リズはひょい、と肩をすくめた。
「なに、お喋りに夢中になってたら、旦那の事を忘れちまったもんでね」
 軽い口調で言いつつ、リズは持っていた小さな木のカップを花に囲まれた盛
り土の前に置いた。
「それは……ご主人の?」
 静かな問いに、リズはまあね、と頷いた。
「もっとも、中身は髪の毛一房だけさ。かろうじて、それだけが帰って来てね」
「……二十年前の……クライズ建国戦争に参加されたんですね」
「ああ。まぁ、レオン様の側についてくれたのが、唯一の救いだったかね。こ
れでついてたのが旧王家側だったりした日にゃ、あたしゃこんな所でのんびり
店なんて開いちゃいられないよ」
 ため息まじりの言葉に、アキアは微かに眉を寄せた。
 ここクライズ王国は大陸でも新しいと言える国だ。今から二十年前、当時フ
ェルアドと呼ばれていた頃の王国は圧政により疲弊していた。その状況を見か
ねたのが当時新米騎士だったレオン・クラーゼ、即ち現国王レオン一世とその
仲間たちだった。彼らは同志を集めて決起し、様々な戦いと苦難を経て旧体制
を打破。現在のクライズ王国を建国したのだ。
 戦後、レオンは民の生活の回復に重点的に力を注いでいたのだが、やはりと
言うか旧体制に与していた者やその家族への風当たりは厳しかったらしい。そ
れだけ、旧体制下の生活が辛く厳しかった、とも言うのだろうが。
「まあ、どっちにしてもさ……死んじまったのは、バカだと思うけどね」
 ゆっくりと立ち上がりつつリズがもらした呟きに、アキアは物思いから立ち
返ってそうかも知れないですね、と苦笑した。
「かも、じゃあないさね、ただのバカさ。遺されちまった方の事なんざ、これ
っぽっちも考えてやしないんだから」
 それに、リズはずばっとこう言い捨てる。伴侶を亡くし、戦後の混乱期に女
手一つで二人の息子を育て上げたというその言葉には、異様なまでの説得力が
あった。
「ま、今更だけどねぇ……ああ、そうだ」
 肩をすくめつつさらりとこう言うと、リズはふと思い出したようにぽん、と
手を打った。
「……何か?」
「立ち入った事を聞くようでなんだけどね、あのお嬢さんとはどういう仲なん
だい?」
 一際声を潜めた問いにアキアは苦笑し、それから、さてどうでしょう? と
言いつつ肩をすくめて見せた。
「少なくとも、親子や兄妹ではないだろ? 全然似てないしね」
「兄妹はともかく……親子だとしたら、オレは幾つなんですか?」
「まぁ、十四、五歳の娘がいるようには見えないけどねぇ。だとしたら……」
 ここでリズは言葉を切り、探るような視線を投げかけてきた。その視線を、
アキアはにこりと笑って受け止める。一見穏やかなだけだが、その笑みには本
心を伺う余地は全くない。
「……聞いた所で、答える気はないって感じだねぇ」
 その笑顔にリズはあっさりと追求を諦めた。アキアは笑顔のままでええ、と
頷く。リズはやれやれとため息をつき、それからしげしげという感じでアキア
を見つめた。
「今度は、何ですか?」
「いや……似てるなぁ、と思ってね」
「……え?」
 唐突な言葉にアキアはやや戸惑う。
「似てるって……何がです?」
「勿論、あんたがさ」
「オレが、何に?」
「解放軍を影で支えた、英雄さんにさ」
 こう言うとリズは楽しげにくすくすと笑って見せた。アキアはえ? と言っ
て微かに眉を寄せる。
「解放軍を、影で支えた英雄?」
「そう。滅多に表には出なかったんだけど、ここ一番って時には必ず姿を見せ
る、そんなお人がいたんだよ。あたしも、一度だけ姿を見た事があるんだけど、
ほんっとに、イイ男だった。年甲斐もなく、見惚れちまったくらいにね」
「へぇ……そんな人がいたんですか」
 どことなく気のない声で相槌を打つと、リズはじーっとアキアを見つめた。
アキアは苦笑しつつ、何か? と問いかける。
「ほんとに、似てると思ってねぇ。髪といい、目の色といい、別人とは思えな
いよ」
「まぁ、偶然の一致ってヤツでしょ」
 こちらを見つめるリズの視線に困ったような表情で返しつつ、アキアはさら
りとこう受け流した。
「偶然ねぇ……それで同じになるには、珍し過ぎると思うんだけどねぇ……」
「そう言われても。仮に同一人物だとしたら、それこそオレは一体幾つなんで
すか?」
 楽しげに笑いながら問いかけると、リズはうーん、と唸って首を傾げた。
「まあ、四十過ぎてるようには、とても見えないけどねぇ」
 それからため息まじりにこんな言葉を吐き出す。アキアはそうでしょ? と
言いつつにこりと微笑んだ。
「まぁ、いいんだけどね。さて、すっかり話し込んじまった。これ以上イイ男
と喋ってると、旦那が上でふて腐れちまうからね、戻るとしようか」
 冗談めかした言葉に、アキアはくす、と笑みをもらした。
「それはそれで、光栄……と、言えるかな?」
「ヤキモチ妬きだったからねぇ、旦那は。さ、あんたも早くお休み。明日は早
くに発つんだろ?」
 笑いながらの問いにええ、と頷くと、リズはじゃあね、と言って家の中へと
戻って行った。また一人きりになると、アキアは小さくため息をつく。
「……解放軍の、影の英雄……か。やれやれ」
 小さく呟く刹那、その口元には自嘲的とも取れる笑みが微かに浮かんでいる
ようにも見えた。
 
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