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   ACT−1:平和は突然壊れるものさ 02

「え……なに?」
 突然の事にフレアはきょとん、と瞬く。道行く人々も足を止め、何事かと食
堂を遠巻きにしていた。
「ふざけてんのはそっちじゃないか!」
 きょとん、としていると、威勢のいい声がこう怒鳴り返すのが聞こえた。そ
の声には微かに覚えがある。先ほど、席が無くて意気消沈するフレアに準備し
といてあげるから、空いた頃においで、と言ってくれた食堂の女将だ――と、
アキアが認識した時にはフレアは店へ駆け込んでいる。
「……あた……なんでこうかな、いつも……」
 ため息まじりに呟きつつ、アキアもその後を追う。テーブルも椅子もめちゃ
めちゃにひっくり返された店の中では、見るからに人相風体の悪い数人の男と、
恰幅のいい女性が睨み合っている。女性は店の女将、男たちの方はどこにでも
いるごろつきといった風情だ。
「んだとお? おい、オレたちは客だぞ客! その客に飲ませる酒がないたぁ、
どういう了見なんでえ!?」
 フライパンを手に仁王立ちになる女将に男の一人が凄みを効かせつつこう言
うが、女将は全く動じた様子を見せなかった。
「はん、何言ってんだい! 客ってのはね、ちゃんとお代を払ってくれる人の
事を言うのさ! あんたたちみたいに、ただ酒ただ飯かっくらおうなんてケチ
な了見の連中は、家じゃお断りなんだよ! さ、とっとと出てっとくれ!」
 びしっ!とフライパンを突きつけつつ、女将はこう言いきる。一目で使い込
まれているとわかる、黒光りするフライパンは妙に迫力があった。
(包丁よりもコワイな、あれは……)
『……なに、呑気に構えてんだよお前は……』
 ふと浮かんだ考えに、ヒューイが呆れきった口調で突っ込んでくる。とはい
え、当のヒューイもアキアと同じ思いなのは否めないようだが。
「んだとぉ!? おいババア! てめぇ、オレたちが誰だか、わかってんのか、
ああ!?」
 筋肉の盛り上がった肩を殊更に強調しつつ男が言う。男の肩には、炎と六芒
星、そして二本の蛮刀を組み合わせた図案が刺青されていた。男たちは皆、肩
に同じ紋様の刺青をしているようだ。
「……何アレ、趣味悪い……」
 フレアが呆れたように、しかも聞こえよがしにこんな事を呟くと、男たちは
一斉にこちらを振り返った。
「なんだあ!? おい、そこのガキ! てめえ、今なんて言いやがった!?」
 女将の対する怒りなどけろりと忘れたように、男はその矛先をフレアに向け
てくる。それに、フレアは得意げに笑って見せた。
「『趣味悪い』って言ったのよ、もしかして聞こえなかったのかしら? 趣味と
顔だけじゃなくて、耳も悪いのねぇ、おカワイそうに」
 しれっと言いつつ、天使の笑顔でころころと笑って見せる。それで男たちが
逆上するのは計算済み、完全な確信犯だ。
「こ、このアマ……ナメやがって!」
 元々頭に血が上っていた男たちは、自分が乗せられた事に気づかない。完全
にキレた男の一人がフレアの胸倉を掴もうとするが、
「……おいおい、大人げないな……真理突かれた程度で、女の子に手を上げる
のかい?」
 その手はフレアに届く事なく虚空で動きを止められた。アキアが呆れたよう
に言いつつ、男の腕を掴んで引き止めたのだ。
「な、なんでえ、テメエはっ!?」
「見ての通りの旅の者さ……はっきり言って見苦しいから、こういう騒ぎ、起
こさないでくれるかなぁ?」
「んだとおっ!? テメエふざけんじゃっ……」
 ふざけんじゃねえぞ、という罵声は途中で途切れた。アキアに掴まれた腕が
びくり、と痙攣し、男の額に脂汗が滲み始める。アキアの方にはほとんど変化
はない。強いて言うなら、表情がやや厳しさを帯びた程度だ。
「ふざけてるのは、そっちだろう? どこの何方の配下の下っ端さんかは存じ
上げないが……」
「……ぐっ……」
「誰かの威光をカサにきて、それで食べてこうなんて、ムシ、良すぎだとは思
わないのかな? まあ、思ったらやらないんだろうけどねぇ……」
「う……うう……」
 不気味な緊張が場に張り詰める。見るからに荒事とは無縁の優男が筋骨隆々
とした、こちらは見るからに力自慢の男の腕を掴み、動きを封じているのだ。
他の男たちも店の女将も、呆然とその様子を見つめている。唯一、変わらない
のはフレアだけだ。
「さて、どうするのかな? このまま穏便に帰るって言うなら、オレも下がる
けど?」
「い……嫌だって、言ったら……」
「……利き腕、折らせてもらうけどいいのかな? 多分、凄く痛いよ?」
 爽やかに笑いながら言う事ではない。しかも目だけが笑っていないのだから、
かなり怖いものがある。男は苦しげにうめきつつ仲間の方を見るが、既に他の
男たちはアキアの気迫に飲まれていた。
「……返事がないね……折るよ。それとも、砕いた方がいいかな?」
「ひいいいっ! ま、待って、止めてくれっ!」
 静かな言葉に男は悲鳴じみた声を上げる。アキアは静かな瞳のまま、次の言
葉を待った。
「わかった! わかったから! は、放してくれえっ!」
「あ、そ」
 絶叫に近い声にアキアは素っ気なくこう言って手を放した。解放された男は
這うように店の外に出、それから、呆然としている野次馬に気づいて慌てたよ
うに立ち上がった。
「ち、ちきしょお……てめえ、覚えてやがれっ!!」
 ありきたりな捨て台詞と共に男はよろよろと店の前から走り去る。他の男た
ちも芸のない捨て台詞を置いてそれに続いた。
「なあに、あの態度! 悪いコトして、ごめんなさいも言えないのかしら!」
「……それができるようなら、あんなコトしてないって……」
 呆れたように言うフレアに、アキアは違う意味での呆れを込めてこう突っ込
む。それから、二人はぽかん、としている女将の方を振り返った。
「大丈夫ですか? あ〜あ、お店の中メチャクチャあ……」
 テーブルから何から、ひっくり返されてメチャクチャになった店内を見まわ
しつつフレアが嘆息する。
「……ま、お客が途切れてたから、良かったよ。お二人さん、ありがとうね」
 ため息まじりに呟いた後、女将は二人にこう言って笑いかけた。
「まあ、こちらとしてもあんなもんのせいで食事ができないのは困りますから
ね、お互い様ですよ」
 それに、アキアはにっこりと笑いながらこう返した。
「そうかい? それじゃあ、お礼もかねて、サービスさせてもらうよ。お兄さ
ん、イイ男だしねぇ」
「それはどうも。ま、その前に……」
 言いつつ、アキアはぐるりと店内を見回した。
「片付けの手伝いから、させてもらった方がいいですね」
 苦笑しながらの言葉に、女将は似たような表情で悪いねぇ、と嘆息した。

「さて、どうするか」
 店の者を手伝って片付けを終え、女将の心づくしの料理で空腹を満たすと、
アキアはお茶のカップを傾けつつこう呟いた。この言葉に、フレアはきょとん、
とまばたく。
「どうするかって……なにを?」
「そりゃもちろん、今日これから。発つには遅いし……でも、宿は取れなかっ
たろ?」
 ため息まじりに答えると、フレアはあ、と短く声を上げた。
「そう言えば、どこの宿屋も満員だったのよね……どうしてかな?」
 頬に指を添えつつ首を傾げるフレアに、アキアはさあねぇ、と言いつつ肩を
すくめた。小耳に挟んだところでは、この宿場の先にある国境の街アイルグレ
スで奇妙な事件が続いているため、国境そのものが一時的に閉鎖されているら
しいのだ。そのため、国境が開くのを待つ旅人たちがこの宿場に集まってしま
い、宿は満員御礼なのだと言う。
「……アキア」
「んー?」
 あれこれと考えていると、フレアが低い声で呼んだ。何気なくそちらを見や
ったアキアは、じと〜っとこちらを見つめる碧い瞳に気圧される。
「な……何かな?」
「……町にいるのに野宿なんて、あたし、嫌だからね」
「『嫌だからね』って、そう言われてもなぁ……」
 最悪、その選択肢を選ばざるをえない状況なのだが。もっとも、この状態の
フレアに正論を説いたところで意味はないので言いはしない。
「なんだいあんたら、宿がないのかい?」
 どうしたものか、と考えていると、女将がこんな問いを投げかけてきた。
「ええ、まあ。こんな状況ですからねぇ……」
 ため息まじりに答えると、女将はそりゃそうだね、と肩をすくめた。
「みんな足止めくらって、ここから動けないでいるからねぇ……そうだ、良か
ったら、家に泊まってかないかい?」
「……え?」
「わあ、いいんですかぁ!」
 女将の申し出にアキアは戸惑い、フレアははしゃいだ声を上げた。アキアは
渋い顔でそちらを見る。
「……あのねぇ、お嬢……」
「なによ、何か問題でもあるの?」
「問題って言うか……普通は、遠慮するもんじゃないのかなぁ?」
「それで、野宿するの? あたしはイヤ」
 アキアの一般論に対し、フレアはきっぱりとこう言いきった。座り気味の目
が、これ以上の論議は無意味と言外に言い切っている。実際、こうなると何を
言っても無駄なのだ。
「……ま、オレとしても野宿は避けたいけど……でも、本当にいいんですか?」
 フレアとの論議を無駄と切り捨てたアキアは、女将に向き直って問う。これ
に、女将はもちろんさ、と頷いた。
「大体、悪かったら聞きやしないよ。あんたたちには面倒かけてるし、それく
らいはどうって事ないさ。だから、遠慮しなくていいんだよ?」
 にっこり笑ってこう言われてしまうと、断る理由がなくなってしまう。アキ
アは天井を仰いで嘆息すると、女将に向き直ってありがとうございます、と頭
を下げた。

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