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   ACT−1:平和は突然壊れるものさ 04

 そして――翌日。
「どうも、お世話になりました」
 わざわざ見送りに出てくれたリズに、アキアはこう言って頭を下げた。
「いいんだよ、そんな……なんでかんで、助けてもらったのはあたしの方だし
ねえ」
 そんなアキアにリズは笑いながらこう言った。
「でも、ほんとありがとうリズさん♪ 泊めてもらって、その上、お弁当まで
作ってもらっちゃって」
 続けてフレアがにこにこと笑いながらこんな事を言う。リズは二人のために、
店の準備を遅らせてまで弁当を作ってくれたのだ。ちなみに、泊めてもらって
その上それでは心苦しい、というアキアの主張はさらりと受け流されてしまっ
ていた。
「さて、それじゃ二人とも、気をつけてね……ここに来る事があったら、また
寄っておくれよ?」
 リズのこの言葉にフレアはもちろん! と即答するが、何故かアキアは何も
言わない。紫と藍の異眸は、厳しい様子で背後に視線を向けていた。
「……アキア?」
 突然の事にフレアがどうしたの、と問おうとした時、
「ア、アニキっ! あいつらです!」
 アキアの見ている方からこんな声が聞こえてきた。突然の事にフレアはきょ
とん、と瞬きリズは眉を寄せる。そして、アキアはゆっくりとそちらに向き直
った。道行く人々を押し退けるように、強面の男たちがずかずかとやって来る。
その内の数人は昨日、悶着を起こした男たちだ。
『なんだなんだ? 親方担ぎ出してお礼参りか?』
 ヒューイが呆れたように呟く。アキアは多分な、とため息まじりに呟いた。
「え、昨日の人? やだ……ホントに、頭悪いのねぇ……」
 二人の会話にフレアが呆れきった声で呟く。そうこうしている間に、男たち
は食堂の前までやって来た。近くにいた人々は潮が引くようにざっと距離を開
け、アキアたちと男たちとを見比べた。
「なんだ、バングスじゃないか。何か用かい? 言っとくけど、家はただ食い
はお断りだよ!」
 一団の中で一際目立つ体格の良い男に向け、リズがぴしゃりとこう言い放っ
た。この言葉にバングスと呼ばれたその男はふん、と鼻を鳴らす。
「相変わらず威勢だけはいいな、リズの女将さんよ。ま、心配しなくても、今
日はそっちにゃ用はねえよ」
 こう言うと、バングスはアキアの方へ視線を移した。アキアは露骨につまら
なそうな、冷ややかな目でその視線を受け止める。バングスは舐めるような目
つきでアキアを見、それからフレアに目を向けた。品定めでもしているかのよ
うなその視線に、フレアは露骨に不機嫌な様子を作る。バングスはにやりと笑
うと一歩前に進み出て、アキアの前に立った。
「ほおう……こいつはまた……話には聞いてたが、確かにこいつは大した別嬪
さんだな、おい?」
 ぴくっ……
 下卑た笑いを伴った揶揄にアキアの眉が微かに動く。ほんの一瞬、表情を怒
気がかすめ、一瞬後にはクールな笑みがそれに取って代わった。その変化に気
づいたフレアはバングスへの怒りも忘れてすっと後ろに下がり、リズの腕を引
きつつ更に距離を置いた。傍目にはバングスに気圧されて後ろに下がったよう
にも見えるが、当然のごとくそんな事はない。
『……バカなヤツ……怒らせてやんの』
 ヒューイが呆れ果てたと言わんばかりにこんな事を呟く。
「……あたし、知らない〜……」
 リズの腕に掴まりつつ、フレアもこう呟いた。そして、アキアは。
「……言いたい事は、それだけか?」
 ふっ、と笑いつつ、こんな問いを投げかけていた。
「……あん? なんだって?」
 バングスは余裕の態を崩さず、わざとらしくこう聞き返してくる。それを、
アキアは強引に肯定と判断した。
「……はっ!」
 短い気合と共に、銀色の髪がうねる。
 ばき、げし、どごっ!
 フェイントを絡めた後ろ回し蹴りから腹部に強力な突きが入り、前のめりに
なった顎に見事な後方回転蹴りが決まる。鮮やかすぎるコンビネーションだ。
挙動に合わせてふわりと舞った銀髪がさらり、と落ちつくのに前後して、顎を
蹴られたバングスが後ろに向かってどっと倒れた。派手な物音と共に砂ぼこり
が舞いあがる。
「………………」
 重苦しい沈黙が周囲に立ち込める。対峙してからわずか数分で、筋骨隆々と
した巨漢が見るからに優男然とした青年にのされてしまったのだ。何かの冗談、
出来のいい悪夢――居合せた者の大半はふとそんな事を考えていた。しかして、
それは冗談でもなければ悪夢でもない。紛れもない現実なのだ。
「……ふん……『口は災いの元』っていうんだ、覚えとくんだな」
 憮然とした面持ちでこう吐き捨てると、アキアはふう、と息を吐く。一拍間
を置いて、その表情はいつもと変わらぬのほほん、としたものに戻った。
「さて……それじゃ、行くとしようか、お嬢?」
 あまりに早い切り替えに周囲の野次馬は面食らったようだが、フレアはさし
て気にした様子もなく、うん、と頷いた。アキアの切り替えの早さにはもう慣
れている。これを気にしていては一緒に旅などできはしないのだ。
「……それじゃ、リズさん、お元気で」
 まだちょっと面食らっているリズの手を放すと、フレアはこう言って頭を下
げた。それで我に返ったリズはああ、とほうけた声を上げる。
「あんたたちも元気でね……仲良くやるんだよ?」
 最後の部分はフレアにだけ聞こえるようにこう言うと、リズはぽん、と少女
の背を押した。フレアは突然の言葉に面食らいつつ、歩き出したアキアを追っ
て走り出す。
『……お嬢、顔が赤いぞ』
 ぼそりと突っ込むヒューイの柄を、うるさい、と言いつつぎゅっと握り締め
ると、フレアは足を早めた。

 ……それから、五分ほどして。
 周囲の野次馬が立ち去り、リズも店の中に入ってしまってから、目を回して
いたバングスが目を覚ました。
「……んん?」
 周囲を見回しても、誰もいない。取り巻きたちも、やや彼を遠巻きにしてい
た。バングスはしばらくその場に座り込んでいたが、やがて、アキアの連続技
をまともにくらって目を回していた事実に気がついた。
(……負けた? あんな、ひょろひょした野郎にかっ!?)
 腕っ節の強さで鳴らし、近隣のごろつきたちをまとめていた自分が、女と見
紛うような優男にのされた。認めたくはないが、しかし、胸と腹、顎に残る痛
みが敗北の事実をひしひしと思い知らせる。
「……くっ……くそっ!」
 立ち上がったバングスは、腹立ち紛れに近くにあった樽を蹴り飛ばした。強
烈な蹴りに空っぽの樽は呆気なくバラバラになる。
(負けた……負けただと? このオレが……あんな野郎にっ!!)
 単に相手が悪かっただけなのだが、当然の如くそこまで頭は回らない。回る
ようならこんな騒ぎは起こさないだろう。そんな理屈はさておき、彼にとって
は『負けた』という事実は非常に許し難いものがあった。
「……ちきしょお……このままじゃ、すまねえぞ……」
 力によって君臨する者は、敗北よって全てを失う。そこまで深く考えてはい
ないようだが、しかし、困惑した面持ちで遠巻きにしている取り巻き立ちの様
子が、このままにはできない、という思いを強く心に根ざさせていた。
『そう……このままにしてはいけない……』
 不意に、頭の中に虚ろな声が響いた。
「な……なんだ?」
 突然の事にバングスは戸惑いながら周囲を見回すが、すぐ近くには誰もいな
い。通りすがる旅人たちは皆、物々しい雰囲気を漂わせる彼を避けるように足
早に通りすぎていく。
『このままではいけない……このままにすれば、お前は全てを失う……』
『倒さねばならぬ……滅さねばならぬ……』
『お前には、その力がある……』
 困惑するバングスに、声は立て続けにこんな言葉を囁いてくる。
「……倒さなければ……全て失う……」
 それはイヤだ。痛切に、そう思った。そのためには、あの男を倒さなければ
ならない――そんな思いがじわじわと心を占めていく。それにつれてバングス
の表情は少しずつ険しさを増していった。
「あいつを……倒さなければ……」
『そう、何もかもなくなる……』
「なら……倒す」
『そう……お前には、その力がある……』
「……力が……」
「ア……アニキ?」
 ぶつぶつと呟くバングスに、引いていた取り巻きがそろそろと近づいて声を
かける。しかし、バングスはそれに答える事なく、ゆっくりと歩き出した。
「ア、アニキ!?」
「どこ、行くんですっ!?」
 ただならぬ様子に取り巻きたちはバングスに駆けよって口々に呼びかけるが、
バングスの方はそれには答えず、ふらふらと歩いて行く。
 アキアたちの向かった方へと。

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