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   8 心の闇に射す光

「……どーにもこいつは……のんびりはできないな」
 紅い光を放つ魔方陣の前で、アヴェルは低くこう呟いた。右手の傷はまだ塞
がってはいないが、出血は止まっている。左手には、紫水晶をあしらった黒い
杖が握られていた。
「しかし、バインドされた状態で力を吸収するとはね……とんでもないっての」
 ぶつぶつと文句を言った矢先に再び島が揺れた。アヴェルは舌打ちをして空
を見上げる。
「こっちに集中したら、あれは破られるか……時間稼ぎ頼むぜ、愛しのイヴち
ゃん」
 冗談めかした呟きの直後に、その表情が引き締まった。
「……古より、世の理を司りし者、彼方の刻より世を見守りし者……天地の事
象を天より導く者、理の六霊王よ。我、我が真名において結びし盟約に基づき、
その力の行使を求める……」
 呟くような詠唱に呼応するように、杖の先の宝珠が光を放ち始めた。

 グォオオオオオっ!!
 猛々しい咆哮が響き、雷光のブレスが放たれる。島を覆う結界はどうにかそ
れを弾いてはいるものの、その輝きは大分弱まっているようにも思えた。結界
が破られるのも時間の問題だろう。それと察したイヴは、素早くシェーリスに
飛び乗っていた。
「どうするつもりだ?」
「結界が破られるのと同時にここを離れて、彼の注意を引きつける」
 カヤトが低く問うのに、イヴは静かにこう答える。
「死した者の……滅びを是とした存在の想いに、本気でかけると?」
「そうよ、おかしい?」
「何故、そこまでできる。そこまでいれ込む意義が、どこにあるというんだ」
「理由なんてない……ただ、あたしがそうしたいだけ。そうするのが正しいと
思うから、やりたいだけ。ただ、それだけよ」
 ため息まじりの問いに素直な思いで答えると、カヤトは深くため息をついた。
「別にわかってくれなくていいし、手伝ってくれとも言わないわよ。ただ……」
「貴様には、記憶力というモノが存在せんのか」
 ただ、邪魔はしないで、という言葉をカヤトは淡々と遮った。
「オレは、何者にも干渉されるいわれはない。そして、邪獣を野放しにする事
はできん。オレはオレで勝手にやる。貴様も勝手にしろ」
 きっぱりこう言いきると、カヤトは槍を片手に頭上の邪獣を睨む。これ以上
の問答は無用と、その態度が言いきっていた。イヴは小さく息を吐き、自分も
邪獣を見る。邪獣は爛々と輝く目で竜使いとその竜たちを睨みつけていた。
 ウグゥゥゥ……グワォオオオオゥっ!!
 咆哮の直後に再び雷光が放たれた。それを受け止めた結界は一際大きく震え、
その表面に細かい亀裂が走る。
「ティムリィ、シャイレルとここにいなさい! シェーリス!!」
「ヴェルパード、行くぞ!」
 竜使いたちの声に嵐竜と魔竜は咆哮で応え、仔竜たちはか細い声を上げて物
陰に身を潜めた。紺碧と漆黒が舞い上がると、イヴは周囲に守護陣を張り巡ら
せる。
 亀裂の入った結界は、それでもしばらくは持ち堪えていたのだが、断続的に
放たれる雷光を押し止めきる事はできず、パァンっ……と音を立てて砕け散っ
た。それとほぼ同時に、イヴとカヤトは邪獣の前に飛び出す。目の前に現れた
その姿に、邪獣はグゥゥ、と低く喉を鳴らした。
 こちらを睨む目にあるのは、ただ、怒りのみ。それ以外の感情と呼べるもの
全てが、その中に飲まれてしまったかのようだった。
「……幼稚だな。ただ、怒りに飲まれる事……果てにあるのは、滅びのみだと
言うのに」
 思わず眉を寄せるイヴの横で、カヤトが低く呟く。
「例えそうでも……でも、『滅ぶだけ』にはさせないっ!」
 宣言と共に抜き放たれた銀の刃が、微かに光を放つ。カヤトは呆れたような
一瞥を言イヴに投げかけつつ、槍を構え直した。

「……我、天の理を司りし者、天霊王の名において求めん。
 天地の理を歪める事、禁忌なると知るも求めん。
 静寂の地、魂の揺り篭。
 僅かなるこの刹那、彼の地へと扉、開かれん事を」
 静かな言葉と共に真紅の魔方陣の上を黒い炎のようなものが走る。炎は魔方
陣の紋様を一通りなぞり、そしてふわりと浮かび上がった。
『……新たなる天霊王……扉を叩くは、何故ぞ?』
 黒い炎の魔方陣から、静かな声が問いかけてくる。
「怨嗟を断つべく、光を求め」
 その問いに、アヴェルはこちらも静かな声で答えた。
『常闇なる揺り篭の、何処に光ありきか?』
「我が求めしは、ただ一人にのみの光。それ以外には、変わらぬ闇」
『では、汝の求めし光とは?』
「……狂える雷を鎮めし闇。全てを閉ざせし嘆きの巫女」
『……しばし、時を』
 短い言葉の直後に、黒い炎の魔方陣はその揺らめきをぴたりと止めた。アヴ
ェルは厳しい表情のまま、視線を空へと向ける。結界の砕け散った島の上空で
は、紺碧と漆黒、そして薄紫の影が猛々しい乱舞を繰り広げていた。それを見
て取ったアヴェルはまた、炎の魔方陣へと厳しい目を向ける。

「……はっ!」
 気合と共に繰り出された槍が、邪獣の胸を捉える。銀色の穂先は鱗を突き破
り、反対側へと突き抜けた。カヤトは槍を両手で持って引き戻し、穂先を邪獣
の体内に止めたまま、魔竜を瞬間的に急上昇させた。銀の穂先は音を立てて邪
獣の筋肉を食い破りつつ、上へと飛び出す。
 グギェエエエっ!!
 さすがにこの一撃は痛手となったらしく、邪獣は奇声を上げつつカヤトを睨
む。カヤトは無表情にその視線を受け止め、やや眉を寄せた。
「再生している……こんな、短時間にかっ!?」
 苛立たしげな呟きの通り、今カヤトが与えた傷は早くも塞がりつつあった。
邪獣は低い唸り声をもらした後、雷光を放ってくる。カヤトはとっさの旋回で
それを避け、そこに僅かに生じた隙を突くようにイヴが背面から仕掛けた。剣
が翼を捉え、皮膜を切り裂く。何とか動きを封じようと思っての事だったのだ
が、切り裂かれた皮膜はあっさりと再生してしまった。
「……なんて力っ……」
 振り回された尾の一撃を急上昇でかわしたイヴは、戦慄を込めて小さく呟く。
「吸収した力の規模からすれば、当然とも言うが……どうやら、律しきれては
いないようだな」
 邪獣の様子を観察していたカヤトが冷静に呟いた。イヴはえ? と言いつつ
そちらを振り返り、それから、とっさの急上昇で放たれた雷光を回避する。
「それ、どういう事よ?」
 カヤトと同じ高度を保ちつつ問うと、魔竜使いは無言で槍の先を邪獣へ向け
た。それが指し示す先を見たイヴは、びちびちと音を立てて爆ぜる邪獣の鱗に
息を飲む。脚の部分の鱗が、飛んでは生え、を繰り返しているのだ。
「なっ……何よ、あれ!?」
「内側に貯め込んだ力が暴発し、綻ぶ端から再生しているだけだ」
 思わず上擦った声を上げると、カヤトが淡々と目の前の現象に説明をつけた。
「無作為に力を食らい、己が許容範囲を超えたものを求めた結果だな。情けな
い」
 冷たくこう言い放つと、カヤトは睨むようにイヴを見た。
「……どうするつもりだ」
「え……どうするって?」
「あの調子では、遠からず自分の魂すら食いつくして自壊するぞ」
「……えっ!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げると、カヤトは呆れたようにため息をつく。
「頭を冷やして力の流れをたどれ。一目瞭然だ」
「そんな事、いきなり言われてもっ!」
 さらりと言われても、正直困る。だが、邪獣を取り巻く力が暴走しつつある
のは感じられていた。
「どうすれば……」
 魂を救う前に、それが消滅してしまっては意味などない。いや、それ以前に
邪獣の取りこんだ力が暴発すればこの辺り一帯が消し飛びかねないだろう。
「……くっ……」
 きつく、唇を噛み締める。自分には何もできないのか――そんな思いが、ふ
と、過った。
『弱気になるな』
 つい弱気になっていると、シェーリスの低い唸り声が頭の中で言葉を結んだ。
「シェーリス……」
『絶望は、全てを閉ざす。それに、先ほど言ったばかりだろう、諦めぬと』
「……そうよね」
 静かな言葉に、イヴは小さくこう呟いた。
「諦めたら……そこで、終わっちゃうものね」
 だから、諦めない。そう決意し直した所に、
「精神論より、具体策を論じる気はないのか、貴様らには」
 カヤトが呆れ果てたと言わんばかりに突っ込んできた。
「いっちいちうるさいわねぇ……そのくらい、わかってるわよ!」
「なら、策を講じろ。とはいえ、既に取り得る策は限られているがな」
 さすがにむっとしつつ反論すると、カヤトは素っ気なくこう言いきった。
「限られてる……って?」
「中途半端に攻撃しても即時再生するなら、再生するもの、それ自体を吹き飛
ばすしかあるまい。それこそ、跡形もなくな」
「……っ!? でも、それじゃっ……」
「力を備えた器が存在する限り、破壊を求める本能はそこに固執し、再生を続
ける!」
 それじゃ痛みを与えるだけ、という言葉を、カヤトは鋭く遮った。
「そういう存在だ……邪獣というのはな」
 一際鋭い口調にイヴは一瞬気圧され、それから、付け加えられた呟きにきょ
とん、と瞬いた。呟く刹那、カヤトの瞳に微かな陰りのようなものが伺えたか
らだ。だが、その陰りはすぐさま冷たい紅に飲み込まれてしまう。
「器の束縛から、魂を解放する……つまり、そういう事?」
 感じた疑問をひとまず横において問うと、カヤトはつまらなそうに鼻を鳴ら
した。
「そこまでは知らん。だが、このままではこちらが限界に達するだけだ。そん
な下らん消耗戦に、オレは興味などない」
 冷たく言い放つ少年の、真紅の瞳は邪獣に向けられている。イヴは小さくた
め息をつき、同じように邪獣を見た。邪獣は低く唸るだけで攻撃する素振りは
見せていない。どうやら、取り込んだ力の制御ができなくなりつつあるようだ。
「……でも……どうやって器を……身体だけを、消滅させるつもり?」
「力を食わせて、破裂させるのが一番早かろうな」
 振り返りつつ問うと、カヤトは冷たくこう言いきった。
「破裂させるって……」
「ヘタに両断などすれば、そこから増殖しかねん。もっとも、貴様の腕力では
不可能だろうがな」
 そんなムチャな、という言葉を、カヤトは笑えない現実の定義で遮る。確か
にあの異常な再生能力を思えば増殖の危険性は否めないし、イヴの腕力では硬
い竜鱗を裂いて邪獣を両断するのも不可能だろう。そうなるとここはカヤトの
言う通りなのかも知れないが、それはそれで別の懸念も生んでいた。
「でも……それで、魂が砕け散ったとしたら……」
「そこまでは、オレの知った事ではない。で、やるのか、やらんのか?」
 眉を寄せるイヴに、カヤトは苛立たしげにこう問いかける。
「やるのであれば、一気に畳みかけた方が都合がいい。タイミングを合わせる
都合もある、さっさと決めろ」
 カヤトの催促に、イヴは眉を寄せたまま邪獣を見た。それから、眼下の浮き
島にちらりと目を向ける。島には何ら、変化は見受けられない。
(……招霊に、手間取ってるの?)
 変化のなさが苛立ちを募らせる。だが、そちらに対してはどうする事もでき
ないのが現状だった。イヴは軽く唇を噛み締め、それから、わかったわ、と頷
いた。
「でも、あたしは諦めない。魂を救う事は」
「……勝手にしろ、と言っている」
 決意を込めて言い放つ言葉を冷たく受け流しつつ、カヤトは槍の先に黒い光
を灯す。イヴも深呼吸を一つして、剣に力を集中した。銀の刃が、淡い緑の光
をキラキラとこぼし始める。
「それで、どうするの?」
「一気に距離を詰めて武器をねじ込み、力を解放して離脱。無論、遅れたなら
ば自分の力で自分が吹き飛ぶがな」
「大雑把ねぇ……」
「遠距離から狙って避けられては意味などない。そも、追尾性のない貴様の精
霊剣では、力を食わせるのには向かん」
 アバウトな策につい呆れたように呟くと、カヤトはさらりとこう返してきた。
反論のしようのない突っ込みに、イヴは大きなお世話よ、とむくれて見せる。
当然と言うか、カヤトは全く意に介していないが。
「……準備はいいのか」
 淡々と投げかけられる問いに、イヴは表情を引き締めてええ、と頷いた。
「あたしが先に行くわ。あたしの方がリーチが短いし、それに、離脱速度は嵐
竜の方が速いから」
「妥当な選択だな……下らん事を考えて、手を抜くなよ」
「……あなたって……」
 容赦と言うもののカケラもない物言いに、イヴは思わず呆れたような声を上
げていた。
「なんだ」
「ぜんっぜん、可愛げがないわよねっ」
「男に可愛げがいるか、気色悪い」
「……そういう問題じゃないわよ」
 真理のような、でもピント外れのような言葉にため息をつくと、イヴは剣と
手綱を握る手に力を込めた。緊張が伝わったのか、シェーリスが僅かに身体を
震わせる。
「……行くわよ!」
 シェーリスとカヤト、そして目の前の邪獣。それらに向けてこう言い放つ。
シェーリスはそれに咆哮を持って応え、その大きな翼で大気を打った。僅かに
遅れて、カヤトも漆黒の魔竜を加速させる。
 グォオオオオっ!!
 突っ込んでくる竜使いたちに対し、邪獣は咆哮と共に雷光を放ってきた。イ
ヴは上へ、カヤトは下へ、それぞれとっさの判断で移動する事で竜使いたちは
それを回避する。
「これ以上……自分と周りを傷つけないで!」
 祈りを込めた言葉と共に、イヴは緑に輝く剣を邪獣の肩に食い込ませた。左
手を手綱から離して剣に沿え、下降の勢いを生かして胴の半ばまで刃を食いこ
ませる。通常であれば剣が折れるかイヴの肩が抜けるかしかねない荒技だが、
剣の切れ味はそのどちらも選ぶ事なく、邪獣を切り裂いた。
 グゲエっ!!
 邪獣の絶叫が響いた直後に、一度は下へと抜けたカヤトが急上昇して距離を
詰めた。無言で繰り出された槍が邪獣の喉元を捉える。それを見て取ったイヴ
は剣に込めた力を解放した。カヤトも素早く槍に宿した力を解き放つ。
 緑と黒の光が、まだ晴れない空にあふれ返った。

 二つの閃光が空を染める少し前。
『……天霊王』
 それまでぴくりとも動かなかった黒い炎の魔方陣が、再びゆらゆらとゆれ始
めた。
「……光は?」
『闇の奥へ逃げ込まんとしていたが、引き戻し、ここに』
 アヴェルの問いに、声は静かにこう答える。アヴェルがそうか、と呟いた直
後に、空に対称的な輝きを持つ光があふれ返った。アヴェルはちらりとそちら
を見やり、小さくため息をつく。
「……ムチャしてくれる」
『して、この光は如何に』
「必要としているのは、上だ。悪いが、上手く導いてくれ」
 嘆息するアヴェルに声は淡々と問い、それにアヴェルは静かに答えた。
『承った。して、天霊王は如何に』
「……力の暴発を鎮める。面倒と言えばそうだが、仕方ない」
 冗談めかした言葉に黒い炎は笑うように揺らめき、直後に上空へと飛び上が
る。それを見送ったアヴェルは杖を両手に構え、すっと目を閉じた。

 剣と槍に込めた力、その全てを解き放つと、イヴとカヤトはそれぞれの武器
を引いて素早く距離を開けた。二つの力は邪獣の身体の中を駆け巡り、蓄積さ
れていた力と時に反発し、時に融合しつつ荒れ狂う。
 グギエエエエエっ!!
 ほとばしる絶叫と共に、薄紫の鱗が音を立てて爆ぜる。鱗が爆ぜた後からは
黒い霧状のものが噴き出し、大気に溶けるように消えて行った。
 ガアアアアアっ!!
 再び咆哮が響く。それを追うようにめきめき、ばきばきという音が響き、邪
獣の身体が膨らみ始めた。
「な、何?」
「破裂するな」
 その膨張にイヴは困惑し、カヤトが冷静に解説する。ここに至り、イヴはふ
とある事に気がついた。
「それって……あの中に溜め込まれてる力が一気に解放される……って事?」
「当然だろうが」
 何を今更、と言わんばかりの口調で、カヤトは平然とこう言い放つ。
「って、そんな気楽にっ……」
 本来なら、それになりの日数をかけて自然拡散させるべき力である。それを
一気に暴発させればどうなるかは、言葉を尽くすまでもない。イヴやカヤトは
高速離脱で容易に逃れる事もできるが、浮き島に残っているアヴェルと仔竜た
ちはそうもいかないだろう。
「……っ!! いけない!!」
 導き出された結論に焦りを感じたイヴはシェーリスを下降させようとするが、
『案ずるは不用なり、竜の巫女』
 その機先を制するように黒い炎が目の前に揺らめいた。イヴはぎょっとしつ
つ、それでも急停止をかける。カヤトはちらりと炎に視線を向け、微かに眉を
寄せた。
「なっ……何!?」
『我は揺り篭の管理者。天霊王を案ずるは不用。自らの安全を繋げ、竜の巫女』
 戸惑うイヴに炎から響く声が淡々と告げる。その中の思いも寄らない言葉に、
イヴはきょとん、とまばたいた。
「て……天霊王?」
 天霊王。それが何かは知っている。理の六霊王と呼ばれる存在――六祖竜に
対応するとされるものたちと盟約を結び、世界で唯一その力の行使を可能とす
る最高位の魔導師の事だ。
(あ、あれ? そう言えば……)
 色々とごたごたが立て込んで忘れていたが、つい最近、この言葉を聞いてい
た。そう、イシュファの島の神殿島と、古竜の湖で。
「……え?」
 おおよそ場にはそぐわない、とぼけた声がもれる。最初の時は気が動転して
いた上に、その直後に影竜との対決となってしまい、二回目の時はアヴェルの
ペースに飲まれて気にかける余裕が持てず、結果、ものの見事に忘れていたの
だが。
(あ、い、つ、が……天霊王!?)
 たどり着いたその結論に、イヴは状況を忘れて呆然とする。だが、言うまで
もなくそんな悠長な事をしている場合ではない。
「呆然とするのは勝手だが……巻き込まれても、知らんぞ!」
 露骨な呆れを交えつつカヤトが警告し、それにイヴが我に返るよりも早く、
シェーリスが急上昇した。バランスを崩したイヴは慌てて態勢を整え、邪獣を
見る。
 過剰な力の暴走によって膨れ上がった邪獣には、竜の形は残っていない。内
側から押し上げられたその姿は巨大な肉塊に見え、直視に耐えうるとは言い難
いその様にイヴは眉を寄せた。
『イヴ、守護陣を』
 シェーリスの唸りが静かな言葉を結ぶ。こみ上げて来るものを堪えつつイヴ
はそれに頷き、光の守護陣を張り巡らせた。
『巫女よ、これは一つの在り方。覚えておくがいい』
 いつの間にかすぐ側に来ていた黒い炎から、声が聞こえた。
「一つの……在り方?」
『過ぎし力を求めしは、かような結末となり得る事。秘めし力の制御を誤るも
また、同じ』
「過ぎた力……力の、制御」
 静かな言葉を反芻したその直後に、派手な破裂音が響き渡った。力の保持が
限界に達した邪獣が、文字通り破裂したのだ。
「……きゃっ!!」
 解放された力に煽られ、イヴは思わず声を上げる。増幅されたエナジー・ス
トームの前には光の守護陣などあまりにも非力――と思ったその矢先。
「……え?」
 唐突に、衝撃波が止んだ。淡い紫の光が、空間にちらちらと舞っている。光
は空間に渦巻く力の流れに溶け込み、暴走する力はそれに導かれるように一点
へ、眼下の浮き島へ向けて流れて行った。
「力が……鎮まって行く?」
 それに伴い力の暴走が鎮まって行くのに気づいたイヴは呆然とこんな呟きを
もらし、それから、力の流れに取り残されるようにふわふわと漂う光球に気が
ついた。
「あれって……」
『心の残滓、魂の欠片』
 静かな言葉の直後に黒い炎は魔方陣へとその形を変えた。魔方陣の紋様の上
を黒い光が走り、それが一巡りするのと同時に紅い光が空へ向けて立ち上った。
その紅い光の中から、すうっと白い影が現れる。
「あれは……あれが、沈んだ巫女?」
 白いドレスをまとった半透明の少女の姿に、イヴは小さく呟く。少女はふわ
りと魔方陣から離れると頼りなく漂う光球に手を伸ばし、手の中に収まったそ
れをそっと胸にかき抱いた。
 光球が微かに明滅し、少女の目から涙らしきものがすっと零れ落ちる。
 静寂を経て、光を抱いた少女の姿は、かき消すように見えなくなった。
「……終わった……の?」
 少女の消えた辺りを見つめつつ、イヴは小さく呟く。
「死者の気配も、歪んだ力の波動もない。過程はともかく、邪獣は消滅した」
 それにカヤトが素っ気なく解説をつけ、手にした槍を鞍につけた。その言葉
にイヴは安堵の息をもらし、
「あ……ちょ、ちょっと! ちょっと待って!!」
 無言で飛び去ろうとするカヤトを慌てて呼び止めた。だが、少年は素知らぬ
様子で飛び去ってしまう。
「ちょっと待ってってば!!」
 まだ抜いたままだった剣を鞘に収めたイヴは、とっさにその後を追おうとす
る。カヤトにはまだ、話したい事がある。このまま行かれてしまう訳にはいか
ないのだが。
『あちらを追うのは構わんが、天霊王は未だ傷の治療をしておらぬはず。それ
は忘れぬ方が良いぞ』
 加速しようとしたその矢先、黒い炎からこんな声が聞こえた。え? と言い
つつ振り返った時には、炎の魔方陣は既にどこにも見えない。
「……」
 カヤトが飛び去った方と、眼下の島。イヴは唇を噛み締めつつ双方を見比べ、
「……シェーリス、戻るわよ!」
 島へ戻る方を選択していた。

 雲が切れ、さし込み始めた陽の光が、風に流れる金の髪の上できらりと弾け
た。

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