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   5 力あるもの

 翌日、朝日は取りあえずいつもと変わらぬ輝きでイシュファの島を包み込ん
だ。人々は心に一抹の不安を感じつつ、それでも島の守り手を信じていつもの
生活を始める。
「ん〜〜っ! 今日も、いい天気だなぁ……」
 そして当の守り手はといえば、朝の見回りと海竜たちの世話を終え、呑気な
事を言いつつ客用竜舎の戸を開けていた。欠伸をかみ殺しつつ竜舎の中を見回
し、竜たちの様子を見たカイルは、嵐竜の傍らに異質な色彩を見つけて訝しげ
に眉を寄せた。
「……なんだ?」
 近づいて見るとそれが比較的見慣れたもの──アヴェルのマントであるのが
わかる。
「なんでここにこれが……あれ?」
 更なる疑問に首を傾げていると、マントがもぞもぞと動いた。そこでようや
く、カイルはマントにくるまっているイヴに気づく。
「……イヴ? 何で、ここで寝てんだ? しかも、アヴェルのマントにくるま
って……?」
 事情がわからなければ不可解としか言えない状況にこんな事を呟いていると、
差し込む光を感じてか、イヴがううん……と言いつつ目を覚ました。
「ん……あれ? あたし……」
 目を覚ましたイヴは自分の状態を掴みあぐねてとぼけた呟きをもらしていた。
身体を起こして目を擦りつつ周囲を見回すと、ぽかん、とした面持ちでこちら
を見ているカイルと目が合う。
「あ……カイル? おはよ……」
「ああ、おはよ……って、何で、ここで寝てる訳?」
 取りあえず挨拶すると、カイルは律儀に挨拶を返しつつ問いかけてきた。
「え? あ……ちょっとね。一回目が覚めたら寝つかれなくて……シェーリス
たちも気になったから、様子見に来て……そのまま」
「そのまま寝ちゃって……何で、アヴェルのマントにくるまってたの?」
「……え?」
 カイルの言葉に、イヴはようやく自分がくるまっている物に気がついた。
「や、やだ、なんでっ!? あたし……どうして……?」
「いや、だから、オレが聞いてんだけど?」
 動転してもらした呟きに、カイルは真面目にこう返す。とはいえ、当然の如
く眠ってからの記憶などはない訳で、イヴは答えようもなく、ふわりと身体に
かかる漆黒のマントを見つめた。
「……あ〜、それよりさ。身体の方はもう、大丈夫なの?」
 その様子に、さすがに今の問いは間が悪かったと悟ったらしく、カイルは話
題を変えてこう問いかけてきた。それに、何とか、と答えた所で、イヴははっ
とある事を思い出す。
「カイル! 島の古竜って、どこにいるの!?」
「え? こ……こりゅうって?」
 急に勢いづいた問いに、さすがにカイルは面食らったようだった。
「古竜は古竜よ! この島で、一番長く生きてる竜!」
「へ? ああ……それなら、親父のオルラナだよ。オレのじいちゃんが孵して、
そんで親父が引き継いだって言うから、もう結構なトシだよ」
「オルラナって……この前言ってた湖竜ね? どこにいるの!?」
「だから、内陸の湖……って、一体どーしたのさ、急に?」
 立て続けの問いに困惑しつつ、カイルはこう問い返してくる。それにイヴが
答えるよりも早く、
 ぐう〜……きゅるる……
 昨日の騒動でほとんど何も入れていなかった胃袋がその現状を訴えた。その
主張にイヴは勢いを削がれ、カイルは頭を掻きつつ苦笑する。
「オレ、これから朝飯なんだけど……一緒にどう?」
 笑いながらの誘いを断る理由は……いくら探しても、見つからなかった。

 リェーン一族の館で朝食をとるとすぐ、イヴは当主ロイルの出向いた。
「オルラナに? ふむ……島のためと仰るのであれば、反対する理由はありま
せんが……」
 湖竜オルラナに会いたいという言葉に、ロイルは難しい面持ちで言葉を濁す。
「何か、問題でも?」
「いや、問題って言うか……オルラナのいる場所がね……」
 その態度を訝るイヴに、カイルが頭を掻きつつこんな事を言った。イヴは戸
惑いながらそちらを振り返る。
「どういう事?」
「ほら、前に話したろ。オルラナは内陸の湖にいるって」
「まあね……でも、それが?」
「うん……実はさ、道がないんだ」
「……道がない?」
 思いも寄らない言葉に、イヴはきょとん、と瞬いた。
「ああ。オルラナの湖の周りの森って凄く入り組んでて、歩いて行くのはまず
ムリなんだ」
「じゃあ、空から行けば……」
 徒歩が無理なら飛んで行けばいい。嵐竜を駆るイヴからすれば至極当然の意
見は、
「それも難しいでしょうな。湖の上には木の枝が張り出しておりますから、大
型の嵐竜では入り込めません。よしんば入れたとしても、今度は降りる場所が
ないでしょう」
 ロイルの静かな言葉に否定された。
「オレはいっつも川を登ってくんだけど、今はフォウルもハーベルも海から動
かせないしなぁ……」
 ぼやくようなカイルの呟きに、イヴは言葉を無くしていた。陸路はなく、空
からは近づけず、状況柄、水路も無理とあっては湖竜の許へ赴く手段は全て絶
たれているも同然だ。
「それじゃどうしようもないの? 本当に?」
 だからと言って諦める訳には行かない──そんな思いから訴えるように問う
と、リェーン親子は困ったように顔を見合わせた。
「呼んでも……多分これないよなぁ。上流の川幅より、オルラナの方がでかい
し……」
「それができるなら、お前に世話を任せたりはせんわ」
 カイルのぼやきにロイルが冷静な口調で突っ込みを入れる。それに、そりゃ
ごもっとも、と返した所で、カイルは何事かに思い当たったらしく、あ! と
大声を上げた。
「ど、どしたの?」
「そぉだ……アヴェルなら!」
 突然の大声に戸惑いながら問うと、カイルは一転、弾んだ声でこんな事を言
う。
「あいつが……何よ?」
「アヴェルなら行けるよ! 前に、一回行ってるんだ!」
「え……どうやって!?」
 予想外の話にイヴも思わず大声を上げる。
「詳しくはわかんないけどさ、アヴェル前に湖の場所だけ聞いて、オルラナに
会いに行ってるんだ。だから、もしかすると連れてってもらえるかも!」
「それは……まあね……」
 勢い込んだカイルの提案に、イヴは何となく言葉を濁してしまう。
(そりゃ……それが可能なら、やってくれるかも知れないけど……)
 アヴェルに頼み事をするというのは、何となく気が滅入る。とはいえ、現状
では選択の余地はなさそうだった。
「とにかく、聞いてみるしかないわね……それではロイル殿、これで失礼しま
す」
 重いため息をついてひとまず自分を納得させると、イヴはロイルに挨拶して
部屋を出ようとする。
「……時に、イヴ殿。何故そうまでして、オルラナの許へ行かねばならぬので
す?」
 その背に向け、ロイルが静かに問いかけてきた。イヴは足を止めてそちらを
振り返る。
「確かめたいんです」
 それから静かにこう答えると、ロイルは訝しげに眉を寄せた。
「確かめる……何を?」
「古より、このイシュファの島を護る存在たち……彼らが、あたしに何をさせ
たいのか……何を求めているのか。そして、あたしは何をすべきなのか。それ
を知るには、古竜の許へ行くしかない……そう、思うんです」
 静かな言葉に、ロイルはふむ、と言いつつイヴを見つめる。イヴも静かなま
ま、その目を見返した。やがて、ロイルは何事か納得したらしく一つ息をつい
てイヴから目をそらす。ただ一人、状況から取り残されているカイルにじゃあ
ね、と声をかけると、イヴは館を出て、長の館へと急いだ。
「ま、一応、用事もあるしね……」
 丁寧に畳んだ黒いマントを眺めつつ、自分を納得させるように呟くと、イヴ
は館の門をくぐった。
「イヴ様! どちらにいらっしゃったのですか!?」
 館に入るなり、レイラ夫人の素っ頓狂な声が耳に飛び込んでくる。声を追う
ように駆け寄って来た夫人に、イヴはごめんなさい、と頭を下げていた。
「竜たちの様子を見に行っていたんです。ご心配をおかけしました」
 この言葉に、夫人はそうですか、とほっと息をつく。
「それじゃあれからずっと……今まで、カイルん家にいたの?」
 続けてやって来たレラの問いにイヴはうん、と頷く。
「いたのは竜舎の方なんだけど……結果的には、ね」
「ふぅ〜ん……アヴェルの言った通りか」
 妙に納得したレラの呟きに、イヴはえ? と瞬いた。
「今朝、イヴがいなくて騒ぎになった時さ、アヴェルが言ってたの。イヴは、
リェーンの館にいるから大丈夫だって。でも、何で知ってたのかな?」
 疑問に答えつつ、レラは物問いたげにイヴを見るが、それに関してはイヴの
方が聞きたい所だった。故に、イヴはその問いは黙殺して逆にあいつは? と
問いかける。
「アヴェルなら、珍しく部屋にいるよ。いつもなら、女の子からかってる頃な
のに」
「そう……ありがと」
 ため息まじりにこう言うと、イヴはレイラ夫人に一礼して客室に向かう。そ
の背を見送りつつ、レラはふと疑問を感じてきょとん、と瞬き、母を見た。
「ね、母さん。イヴが手に持ってたの……」
「アヴェル様のマント……だったわねぇ」
 この返事にレラはやっぱり、と呟き、それから腕組みをして首を傾げた。
「アヴェル今朝、マント着てなかったもんね……でも、何でかなぁ?」
 レラの疑問に夫人は微笑ってさあね? と答える。
「それよりも、そろそろ畑を見に行きましょう。収穫できる物は収穫して、ち
ゃんと保存しておかなければね」
「そうだよね。あ〜あ、姉さんはともかく、父さんもムダに悩んでないで、身
体動かせばいいのに」
「レラ、そんな意地悪を言わないの。さ、行きましょう」
 辛辣な事を言う娘を窘めつつ、夫人は籠を抱えて外に出る。レラも、はぁ〜
い、と言いつつ籠を抱えて外に出た。

「………………」
 取りあえずアヴェルの部屋までやって来たものの、イヴはそこで固まってい
た。妙に気後れすると言うか、気が進まないと言うか、とにかくためらわれる
のだ。それでも、このままここで立ち尽くしている訳にも行かず、イヴは思い
切ってドアをノックする。一拍間を置いて、どうぞ、と声が返ってると、イヴ
は深呼吸をしてからドアを開けた。
「ん……? やあ、お目覚めかい。昨夜は、良く眠れた?」
 部屋に入ると、アヴェルは茶目っ気のある笑顔でこんな問いを投げかけてき
た。それに一応ね、と頷くと、アヴェルはそりゃ何より、と軽い言葉を返して
きた。
「取りあえずこれ、返しとく……ありがと」
 言いつつ、畳んだマントを差し出すと、アヴェルは腰掛けていた窓枠からひ
ょい、と下りてそれを受け取った。
「どういたしまして♪ 役に立ったろ、オレの封護の結界?」
「封護の……結界?」
「ああ、何か夢見が悪いみたいだったんで、悪夢避けのお呪いを、ね」
 きょとん、しながら問うと、アヴェルはマントを羽織りつつこんな言葉を返
してくる。言われてみれば、昨夜は聖域で見た悪夢を見た覚えはなかった。
「悪夢避けの呪いって……高位の精神精霊魔法じゃないの?」
「……相変わらずオレの実力って疑われてんのね……ま、いいや。それで、何
の用かな? いくらなんでも、これ返しに来ただけってコトはないでしょ?」
 苦笑しながらの問いに、イヴはまあね、と頷く。これに、アヴェルはやっぱ
りね、と呟きつつ、再び窓枠に腰を下ろした。
「それで?」
「古竜に会いに行きたいの」
 この言葉は意外だったのか、アヴェルは一瞬、訝るように眉を寄せた。
「古竜……オルラナに? それなら、カイルに頼んだ方がいいんじゃないの?」
「それで何とかなったんなら、あんた何かに頼まないわよっ!」
 軽い物言いにかちん、と来たイヴは憮然としてこう言いきり、この一言にア
ヴェルはやや表情を引きつらせて、あ、そう、と呟いた。
「とはいえ、そこまで言いつつ、それでもオレの所に来てくれるんだから光栄
だね。一応、アテにはしてくれてるんだ♪」
「他に手段がないからってだけよっ!!」
「まぁたまた……別に照れなくても」
「勝手な解釈してんじゃないわよっ!!」
「はいはい、わかってますわかってます、わかってるからそんなに怒らない怒
らない。ま、怒った顔もカワイイけど、笑ってる方がオレは好きだよ。寝顔も
良かったけどね♪」
「あ、あんたねぇぇっ!!」
 どこまでもどこまでも、軽い上に掴み所のないアヴェルの物言いに、イヴは
言いようのない苛立ちと、そして、頭痛を感じていた。それでも、ここでメゲ
る訳には行かない。
「そ、それはともかくとしてっ!」
「構わないよ」
 何とか話題を修正しようと声を上げると、アヴェルは一転、穏やかな口調で
こう言った。あまりに静かなその言葉に、イヴは気勢を削がれてえ……? と
とぼけた声を上げる。
「行かなきゃならないんだろ?」
「あ……うん」
「で、現状ではオレ以外に君をそこへ連れて行けない」
「……まぁね」
「なら、断る理由はないさ」
 ごく当たり前、と言わんばかりこう言うと、アヴェルは窓枠から下りてこち
らに歩み寄り、ぽん、と肩に手を置いた。
「そんなに気負いなさんな。一人で全部背負い込む必要はないよ」
「べ、別にあたしは……」
 静かな言葉が妙に重く響き、イヴは目を伏せる。そんなイヴの様子に、アヴ
ェルは苦笑めいた笑みを浮かべた。
「ま、いいや。とにかく、行くにしても準備は必要だろ? オレは外で待って
るから、支度できたら声、かけてくれ」
 ぽんぽんっ、と肩を叩いてこう言うと、アヴェルは手を離して部屋を出てい
く。一人、取り残されたイヴは小さくため息をつき、それから、右肩に手を触
れた。肩にはまだ、アヴェルの手の温もりが微かに残っている。
「別に……そんなじゃないわよ。一人で背負い込んでなんか……ただ、他に誰
もできないって……ただ、それだけじゃない……」
 ため息と共にこう呟くと、イヴは二、三度頭を振って強引に気持ちを切り換
えた。自分の部屋へと向かい、剣を腰に吊るしてマントを羽織る。一つ深呼吸
をして気持ちを切り換えてから外に出ると、アヴェルは玄関横のアクアナッツ
の木に寄りかかってぼんやりとイヴを待っていた。
「準備は良さそうだね。チビ竜ちゃんは、連れてかなくていいのかい?」
 軽い問いに、イヴはええ、と頷く。この返事にアヴェルは怪訝そうに眉を寄
せた。
「でも、それで大丈夫な訳? 媒介ナシで、オルラナと交信できるのか?」
「ええ……今なら、ね」
 やや曖昧に答えるとアヴェルは一瞬難しげな面持ちを作り、それから、妙に
納得したように、いいけどね、と呟いた。
「さて、それじゃあ出かけるとしますか」
「それはいいんだけど……一体、どうやって行くのよ?」
 一転、いつもの調子に戻るアヴェルに、イヴはずっと抱えていた疑問を投げ
かける。この問いにアヴェルはきょとん、と目を見張り、それから、ああ、と
とぼけた声を上げた。
「別に、難しい事はしないよ。ちょいと空間を歪めるだけさ」
 それから、事も無げにこんな事を言う。この返事に、今度はイヴがえ? と
とぼけた声を上げていた。
「空間を、歪める?」
「そ。空間を魔力で歪めて、一時的に距離を無くしちまうって訳。んじゃ、行
くよ」
 目を見張るイヴにさらり、とこう答えると、アヴェルは左手をひょい、と前
に出す。その手の上に七色に輝く光の玉がふわり、と現れた。光の玉は二、三
度明滅してからアヴェルの手を離れ、地面に降りると閃光を放ってドアほどの
大きさに広がった。一拍間を置いて、渦巻く光の模様の上に全く異なる風景が
浮かび上がる。鬱蒼と繁る木々に囲まれた、澄んだ水面がそこに広がっていた。
「さて、んじゃ行くよ」
 ぽかん、とするイヴにアヴェルが呼びかけてくる。魔導師は芝居がかった動
作でイヴの手を取り、魔力の門へと入って行く。イヴも手を引かれる形でそれ
に続いた。門に触れた直後に全身を浮遊感が包み込み、バランスを崩したイヴ
は思わずアヴェルの腕にすがり付いていた。それから二呼吸ほど間を置いて浮
遊感は消え失せ、足が地面を踏みしめる。同時に、ひやりと冷たい空気が身体
を包んだ。

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