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   3 神の住む山

 それからしばらくの間、イヴと何とか神殿に入れないものかと色々試してみ
たが、一向に成果は上がらなかった。結局、ここにいても仕方がない、という
結論に達した四人は、急いで本島へと戻る事に決めた。先ほどの妖魔が本島を
襲わないとも限らないからだ。
 途中、ちょっかいをかけてくる妖魔たちを適当にあしらいつつ、入り江に戻
った四人は、待っていた竜たちに乗り込んで本島へと急いだ。神殿島から離れ
ると妖魔の気配は薄れ、本島にたどり着く頃には、その気配は微塵も感じ取れ
なくなっていた。
「……あいつら、神殿島の周りにだけ出るみたいだな」
 本島の浜辺にたどり着くと、カイルが低くこう呟いた。
「どうも、そうみたいね……まるで、神殿に誰も近づけないためにいるみたい
だった」
「でも、何でかなぁ?」
 ふわり、と浜辺に着陸したイヴの呟きに、ハーベルから飛び下りたレラが困
惑した面持ちで呟く。
「いずれにしろ……長殿と巫女殿に相談した方がいいのは確かだな」
 浜辺に降り立ちながらのアヴェルの言葉に、イヴはそうね、と頷いた。
「さて……んじゃ、オレは先に話に行ってる。イヴちゃんは、嵐竜君を休ませ
てから来るんだろ?」
「え、ええ……」
「じゃ、先に行ってる。カイルも、イヴちゃんと一緒に来てくれよ?」
 相変わらず軽い口調で話をまとめると、アヴェルは村へと入って行く。その
背を見送ったカイルは、不思議そうな目をイヴに向けた。
「……なに?」
「アヴェル、今……『イヴちゃん』って言ってた?」
「だって、ちゃん付けが嫌なら呼び捨てにするって言うんだもの」
 ぽかん、とした問いにイヴは憮然とした面持ちで答えてシェーリスを舞い上
がらせた。カイルは浜辺のレラと顔を見合わせる。
「レラ……アヴェルって他の誰かの事、ちゃん付けて呼んでたっけ?」
「多分、やってないよ……ボクなんか、呼び捨てだもん」
「あたしは、ああいうのに呼び捨てにされるのが嫌なの!」
 きょとん、としながらとぼけた事を話す二人に、イヴはつい苛立った声でこ
んな事を言っていた。
「大体あたし、あーゆータイプは一番嫌いなんだから! ほんっとにもう……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、イヴはリェーン一族の館へと向かう。
「……何かあったのかな?」
「……アヴェルだからねぇ……」
「何かそれ、説得力あるよレラ……ま、オレには関係ないかぁ……んじゃ、後
でね」
 呑気な口調で納得しつつ、カイルはハーベルを促して自分も館へと向かう。
レラも村へと戻ろうとして、ふと、神殿島の方を見た。
「……どうなっちゃうんだろ、一体……」
 不安げな様子でこんな呟きをもらしてから、レラは家へ向けて走り出した。

 竜舎にシェーリスを休ませたイヴは、こちらもフォウルたちを休ませたカイ
ルと共に長の館へと向かった。執務室ではラドルとレナが落ち着かない様子で
二人を待っており、アヴェルは窓越しに神殿島を見つめていた。
「遅くなりました、長殿」
 そっと声をかけると、ラドルははっとしたように顔を上げ、それからああ、
と言って深くため息をついた。アヴェルから神殿島での話を聞いて、動転して
いるのだろう。レナも同様のようで、俯き加減の顔は微かに青ざめていた。
「あの、イヴ様……」
 重苦しい雰囲気に声を出すのをためらっていると、レナがそっと呼びかけて
きた。
「あ、はい……」
「神殿島の様子は、アヴェル様から聞きました……まさか、そんな事になって
いるなんて」
 ここでレナは言葉を切り、小さくため息をついた。
「それで、イヴ様……お願いがあるのですが」
「……お願い?」
 突然の言葉に、イヴはきょとん、と瞬いた。顔を上げたレナは、真剣な表情
でこちらを見つめている。
「お願いって……なんでしょうか?」
「この島の中央にあるオルヴァ山に、私を連れて行って下さいませんか?」
「……え?」
「レナ! それはいかんと言っているだろう! 危険すぎる!」
 イヴが何か言うよりも早く、ラドルが立ち上がって大声を上げた。
「ですが、お父様! こうなってしまっては、オーヴル様に直接お伺いを立て
るしかありませんわ!」
「いかん! 神殿島に異形の者が現れていた以上、聖域とてどうなっているか
わからんのだぞ!?」
「なら、尚更ですわ! 聖域の様子を確かめなくては……」
 きょとん、としているイヴを完全に蚊帳の外において、親子は口論を始めて
しまう。イヴは困惑した面持ちでカイルと顔を見合せ、それから、窓の外を見
つめているアヴェルの方を見た。それに気づいたアヴェルは処置なし、と言わ
んばかりにひょいと肩をすくめる。
「もう……長殿も巫女殿も、落ち着いて下さい! 一体どういう事なんです?
順を追って、説明して下さい!」
 このまま親子喧嘩をされると話がこじれる、と感じたイヴは、やや苛立ちを
交えた口調で言いつつ二人の間に割って入った。親子はひとまず口を噤んで腰
を下ろす。
「それで……どういう事なんです? その、オルヴァ山って言うのは、どうい
う場所なんですか?」
「……オルヴァ山は守護神オーヴル様の聖域……神の御座がある、聖地なので
す」
 イヴの問いに、レナは静かな口調で話し始めた。それによると、この島の守
護神であるオーヴル神は元々、島の中央にそびえるオルヴァ山をその聖域とし
ていたらしい。しかし、山腹の聖地は人の来訪を拒み、巫女の勤めが果たし難
い事と、島を守る竜使いの一族が水に属する竜を従えていた事から、今の神殿
島に神殿を築き、祭事を執り行うようになっていたのだそうだ。
 そして、神殿島が今のような異常な状態になっている以上、本来の聖域であ
るオルヴァ山に行かねば守護神にこの件についての伺いを立てる事はできない
──というのがレナの意見であり、こんな状況では山の聖域とてどうなってい
るかわからない、そんな危険な場所に唯一の巫女であるレナをやる訳にはいか
ない、というのがラドルの主張であるらしい。勿論、そこには父親としての心
情もあるのだろうが。
「……巫女殿、一つ確認したいんですけど、村にある神殿では、守護神の声は
聞こえないんですか?」
 イヴの問いに、レナは真剣な面持ちで一つ頷いた。
「今まで、こんな事は一度もなかったのです……こんな時に、巫女である私が
何もしない訳には行きませんわ! ですから、イヴ様、お願いです。私をオル
ヴァ山まで連れて行って下さい!」
「そうですね……今のままでは、何も解決しそうにないし……長殿、私からも
お願いします、どうかご理解いただけませんか?」
「しかし……」
 イヴの言葉に、ラドルは眉根を寄せて呻くような声を上げる。
「長、このままにはしとけないですよ。あの化け物たち、今の所は神殿島から
離れる様子はないけど、あれがそこらへんに出てくるようになったら、魚採り
に出られなくなっちゃいますよ?」
 更にカイルがこう言うと、ラドルは苦しげにむう、と唸り、アヴェルの方を
見た。
「……アヴェル殿は、どのようにお考えになりますかな?」
「オレも、巫女殿の意見に賛成ですね。とにかく、この件については妥協せず、
守護神の示唆を請うべきです」
 救いを求めるような問いかけにアヴェルは淡々とこう返し、この返事にラド
ルはそうですか、とため息まじりに呟き、それから、レナに向かって一つ頷い
た。
「お父様……」
「ただし、若い娘二人だけでというのは、いくらなんでも不用心に過ぎる。ア
ヴェル殿もご同行して下さいますな?」
「オレは、一向に構いませんが」
 ラドルに答えつつ、アヴェルはちら、とイヴの方を見た。どことなく楽しそ
うなその瞳に、イヴは露骨に不機嫌な一瞥で応える。
(仕方ないって言えばそうだけど……何でまた、こいつも一緒なのよぉ)
 そんな事を考えつつ、イヴは一つため息をついてから、わかりました、と頷
いた。

 さすがに今日はイヴたちも疲れているから、という訳で、聖域行きは明朝と
なった。ラドルはよほどレナが心配らしくしばらくあれこれと注文をつけてい
たが、最終的にはイヴとアヴェルに任せる、という事で納得したらしかった。
「はあ〜〜〜……なんて言うか、疲れちゃうなあ、もお……」
 客室に戻ったイヴは深いため息と共にこんな言葉をもらし、ベッドに身を投
げだした。ラドルに悪意がないのはわかるのだが、あの親馬鹿ぶりには正直、
うんざりしていた。
(そりゃ、自分の娘で、しかも唯一の巫女、なんていうんじゃ、そうなっちゃ
うのかも知れないけどね……)
 それにしても極端じゃないかな……などと思いつつ、イヴはよいしょっと声
をかけて起き上がり、荷物袋から道具を出して剣の手入れに取りかかった。そ
れが一段落するのとほぼ同時にドアがノックされ、レラがひょこっと顔を出す。
「あれ、どしたの?」
「あ、えっと……アクアナッツの冷たいの、食べる?」
 突然の来訪を訝って問うと、レラは手にした籠を見せてこう答えた。
「え? いいの? なら、御馳走になろうかな……ちょっと待ってて、片づけ
るから」
 にこっと微笑って言いつつ、イヴは剣と手入れの道具を片づける。部屋に入
ってきたレラは空いている椅子に腰を下ろしつつ、真紅の鞘に納まった剣を不
思議そうに見つめた。
「……なに?」
 その視線に気づいて声をかけると、レラはびっくりしたように顔を上げたこ
ちらを見た。
「え、えっと……あのさ、ちょっと聞いていいかな?」
 それから、やや言いにくそうにこう問いかけてくる。突然の事に戸惑いつつ、
イヴはいいけど? とそれに応じた。レラは持ってきた籠をテーブルの上に置
き、しばし逡巡する素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。
「あのさ……竜使いさん……」
「……イヴでいいわよ。あたしも、名前で呼ばせてもらうから」
「ん、そう? んじゃ、イヴ。竜使いってさ……なんで、竜を使うのかな?」
「え……?」
 予想していなかったこの問いに、イヴは思わずとぼけた声を上げた。
「ボク、前からずーっと気になってたんだ。何で、島を守るのは竜使いなのか
なって……どうして、竜使いは竜と気持ち、通じ合えるのかなってさ」
「どうしてって……真面目に聞かれると困るわね……」
 思いがけない問いに、イヴは思わず眉を寄せて考え込んでいた。
「んーとね、そもそも、竜使いの最初っていうのは、今から五百年ちょっと前
の人でね、ルディ・リュースって言うの」
 しばし考えてから、イヴは取りあえず竜使いの歴史を説明する事にして話を
始めた。
「ルディ・リュース?」
「うん。この人がね、何か事故にあった時に、竜に助けられたんだって。それ
までは、竜っていうのは破壊の化身っていうか……妖魔とかと、同じに見られ
てたらしいのね。
 でも、この時、この人が竜には人と同じ、凄く強い意思と心がある事に気が
ついて……その力が、人や島を守れるんじゃないかって思って、竜と付き合う
方法を探し始めたの」
「……それって、凄く大変なんじゃないの?」
 イヴの話に、レラはややぽかんとした声を上げた。
「うん、凄く大変だったみたい……周りの理解は得られないし、この人、女の
人だったから……相当大変な思いもしたらしいわ」
「女の人? じゃ、イヴと同じだね」
「え……ま、まあね」
 何気ないレラの言葉に、イヴは思わず苦笑していた。
「で、それで……上手くいったんだ?」
「ええ。ルディの行動はどうにか周囲に認められて……ルディは島を回って、
竜と付き合う基礎的な技術を伝えたの。それで、後は島の人が、それぞれの島
の竜に適した方法で交流をするようになって、今に至るってわけ」
 こう言って話を結ぶと、イヴはテーブルの上のアクアナッツを一つ手に取っ
た。レラはしばらくイヴを見つめていたが、やがて、やや言いにくそうにあの
さ、と切り出した。
「え……なに?」
「もう一つ聞きたいんだけど……いいかな?」
「え……答えられる事なら」
 突然の事に戸惑いつつ、イヴはこう言って頷く、レラはありがと、と言うと、
こんな問いを投げかけてきた。
「じゃあ聞くけど……イヴって何で、あんなに強いの?」
「……え?」
 これまた予想外の問いに、イヴは度々とぼけた声を上げていた。
「だってさ、凄く……強いんだもん。剣、上手だし……それって、竜使いだか
ら?」
「え……えっと……別に、そういう訳じゃないけど。ただ……」
「ただ……なに?」
「……ただ……自分の身を、自分で守るためにって、お祖父様から教えられた
の。勿論、竜使いの勤め上必要って言うのもあったんだけどね……あたしの場
合は、自分を守るためって言うのがほんとのとこ」
「自分を……守る?」
 静かな言葉にレラは不思議そうな声を上げた。イヴはうん、と頷く。
「でも……どうして?」
「だって、他には、誰もいないんだもん。あたしの事を守れるのは、あたしだ
け。自分が頑張らなきゃダメだから……」
「ふうん……大変なんだ」
 イヴの答えにレラはやや釈然としない様子だったが、ひとまずはそれで納得
したらしくこんな呟きをもらした。そんなレラに、イヴはこんな言葉を投げか
ける。
「……レラはいいね」
「え……どうして?」
「だって、家族がいるでしょ? それに、友だちも……特に、家族が揃ってる
のって、あたし、羨ましいな」
「そうでもないよ……父さんは、ボクの事なんか構ってくれないし。いっつも
姉さんの事ばっかりでさ……」
 拗ねたように言いつつ、レラはアクアナッツを手に取り、皮を破いた。イヴ
も手にしたアクアナッツの皮を破いて、冷たい果汁で喉を潤す。
「まあ、確かに長殿の、お姉さんに対する過保護さは凄い……かな? でも、
レラは……独りぼっちじゃないでしょ?」
「え?」
 静かに問うと、レラはまた、不思議そうにイヴを見た。
「あたしは……家族、いないから。シェーリスとティムリィがいなかったら、
ほんとに独りぼっち……だから、家族がいるレラは、羨ましいな」
「え……あ、ご、ごめんね、ボク……」
 寂しげな呟きに、レラははっとしたように謝ってきた。それに、イヴは笑顔
でいいの、と答える。
「気にしなくてもいいわ。独りぼっちはもう、当たり前の事だもん、慣れちゃ
った。それに、シェーリスたちがいてくれるから、寂しいとは思わないしね」
「そうなの……?」
 探るような問いにうん、と頷くと、レラは感心するような目でイヴを見つめ
た。
「やっぱり……凄いね、イヴ。凄く、強いんだ……ボクも見習わなきゃ!」
「見習うって……へんなとこ見習われても、困るんだけど……」
 元気いっぱいの宣言にこんな呟きをもらすと、レラはそお? と軽く返して
きた。沈黙がしばしその場に立ち込め、直後に弾けた笑いがそれを取り払う。
「明日、姉さん連れて、聖域行くんだよね」
 一しきり笑ったところで、レラがこんな問いを投げかけてきた。
「え? うん、まあね」
「ん……じゃあさ……気をつけてあげてね。姉さん、目的に集中すると回り見
ないから、危なっかしくてさ」
「え? あ、うん。わかった」
(そっか……やっぱりお姉さんの事、心配なんだ……)
 父に溺愛される姉に嫉妬や羨望の念は絶えないのだろうが、それでも、その
身を案じるレラの優しさに、イヴはふと笑みをもらす。突然の笑みに、レラは
怪訝な面持ちで、どしたの? と問う。イヴは何でもない、と答えてアクアナ
ッツを縦に割る。果汁同様に良く冷えた果肉は、口に含むと甘く溶けた。

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