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 それと、多少時間は前後する。
「……っ!?」
 きゃううっ!
 不意に走り抜けた異様な力の流れにイヴははっと顔を上げ、その膝の上でア
クアナッツを待っていたティムリィが甲高い声を上げた。
「え……どしたの?」
 突然の事に、シェーリスの豪快な食べ方に見入っててたカイルが怪訝そうな
声を上げる。
「……今……何か、感じなかった?」
 とぼけた問いにイヴは周囲を見回しつつ逆に問い返すが、カイルはきょとん、
とまばたいて別に、と答えた。この返事にイヴとティムリィは困惑した顔を見
合わせる。
「あたしの気のせい……じゃないわよねぇ。ティムリィもなにか感じたみたい
だし……」
 きゃうう……
 呟くような言葉にティムリィも困惑した泣き声を上げる。ともあれ、イヴは
手にしたアクアナッツを割ってティムリィに食べさせた。怪訝そうにしつつ、
ティムリィはぺろりとそれを平らげてきゅうう、と低い声を上げる。もういい
よ、というサインだ。
「もうおしまい? カイル、これ、余っちゃった分もこの子のご飯にもらって
いいかな?」
「え……あ、いいよ。結構、小食なんだ」
 カイルの言葉にイヴは手を拭きつつくすっと微笑った。
「そりゃそうよ、この子、まだ小さいもの。輝竜そのものが小食な種族ってい
うのもあるけどね」
「あ、そうなんだ……ウチには大食らいしかいないからなぁ」
「大きいもんね、水属の竜は。でも、魚とかだけであんなに大きくなるんだか
ら、考えようによっては凄いよね」
 ブラシを取り出しながらのイヴの言葉に、カイルはまあね、と言ってイヴの
近くの樽に腰掛けた。
「でもさ、あいつらだって最初はこの、ティムリィ位の大きさしかなかったん
だぜ? 卵から孵ったばっかりの頃はさ、オレの手から必死になって魚食べて
たのに、最近じゃ泳ぎながら海水ごと、魚飲み込んでるんだよ」
「え……でも、その水、どうするの? そのまま吸収しちゃうとか?」
 カイルの話に感じた素朴な疑問を、イヴは素直にぶつける。
「いや、それが器用でさ〜、一頻り飲み込むと水面に出てきて、水だけばーっ
と吐き出すんだよ。んで、なんか出た時は、それを利用して攻撃するんだ」
「それってつまり……」
「だから、水だけがばっと飲み込んで、んで、相手に向かって思いっきり強く
吹き出す訳。火属の奴らみたいに火炎の息は吐けないけど、結構強力なんだ」
「あ、そうなんだ。あたし前から気になってたのよね、水属の竜が攻撃する時
のあの水ってどうやって出してるのか。そっかあ、地属の竜と大体同じ理屈な
んだ」
「え、そうなの?」
 カイルの説明にイヴは納得した表情で頷き、今度はカイルが疑問を感じて声
を上げた。
「うん。ここに来る前に岩竜使いの守る島に寄ったんだけど、その時聞いたの。
地属の竜が岩を食べるのは知ってるよね?」
「ああ、聞いた事がある」
「それで、地属の竜は必ず、必要な量よりも余分に岩を食べるの。それで、そ
の余分な分を身体の中の袋に溜めといて、戦いになったらその砂を吹きつけて
攻撃するんだって」
「へえ……面白いなあ。でもさ、オレ、疑問なんだけど……岩竜って岩しか食
べないんだよね。そうなると、その内、島そのものを食べ尽くすとかって……
ないのかな?」
「それは大丈夫みたいよ。岩竜……って言うか、地属の竜達ってね、自分で海
底から岩を運んできて餌場を作るんだって」
「あ……そうなんだ。オレ、地属の竜って泳げないのかと思ってた」
 カイルのとぼけた一言に、イヴは思わず声を上げて笑った。
「水がダメなのは、火属の竜だけよ。地属の竜もね、結構上手に泳ぐわよ。ま
あ、水属みたいに優雅じゃないけどね」
「そりゃそうさ! それが水属の竜の一番のらしさなんだから」
 イヴの言葉にカイルは得意気な笑みを浮かべ、竜使いたちは声をそろえて笑
いだした。
「……お〜い、カイル、いる?」
 ラドルに言いつけられたレラがイヴを呼びに来たのは、ちょうどその時だっ
た。やって来たレラは竜舎の中を覗き込み、打ち解けた様子で笑う二人の様子
にやや表情を強張らせる。
 きゃう!
 立ち尽くすその姿に気づいたティムリィが声を上げて注意を換気し、それで
ようやく二人はレラに気がついた。
「あれ、レラ? どしたのさ?」
 樽から立ち上がりつつカイルが問いかける。イヴはお喋りに夢中になって中
断してしまったティムリィのブラシ掛けを手早く済ませた。レラはどことなく
複雑な面持ちで立ち尽くしていたが、やがてくるりと背を向けて用件を告げた。
「父さんが、竜使いさんにすぐ来てほしいってさ。何か、姉さんが話、あるみ
たいだよ」
 素っ気ない口調でこう言うと、レラはその場から駆けだしてしまう。妙に不
機嫌なその様子に、カイルはきょとん、と瞬いた。
「なんだ? どーしたんだろ、レラ?」
「さあ……とにかくあたし、戻るわね」
 こう言うとイヴは腰掛けていた樽から立ち上がり、シェーリスに歩み寄った。
「シェーリスはゆっくり休んでてね。ここに来るまでかなり長く飛んだから、
まだ疲れてるでしょ?」
 イヴの言葉にシェーリスは低く喉を鳴らして頷いた。肯定の返事にイヴはに
こっと微笑み、カイルを振り返る。
「じゃあカイル、シェーリスはこのまま休ませておくから。眠ってる時に起こ
されると凄く不機嫌になるから、それだけ気をつけて」
「ん、わかった。よーするに、そっとしとけばいいんだね?」
「ええ、お願い。ティムリィ、おいで」
 カイルの言葉に頷くと、イヴはティムリィを伴って竜舎を出た。それから、
ふう、とため息をつく。
「……あんまり戻りたくないんだけど……仕方ないかぁ……」
 アヴェルと顔を合わせる事にやや憂鬱なものを感じつつ、ともあれ、イヴは
長の館へと急いだ。レナの話というのが、先に感じた異様な力と関係があると
思われたからだ。
「や、お早うさん♪」
 長の館に戻り、ラドルの執務室に入ると、アヴェルの軽い挨拶が出迎えた。
イヴはそれを無視して、レナに何か御用ですか? と問いかける。
「ええ……実は先ほど、奇妙な力の波動を感じたのです。イヴ様は、何か感じ
ませんでしたか?」
 イヴの問いに、レナは半ば予想していた通りの問いを返してきた。イヴは心
持ち表情を引き締める。
「ええ……何て言うか……とても、不自然な力を感じました。あの波動は、一
体どこから放たれたのですか?」
「私たちの守護神オーヴル様の神殿のある島からです。私たちは、神殿島と呼
んでいます」
 イヴに答えつつ、レナは窓の向こうの神殿島を見た。イヴも釣られるように
波に揺らめく島を見る。島は一見平穏な様子で静かに揺らいでいるが、イヴは
その静けさに不安なものを感じ取っていた。
(何だろ……あの島から、奇妙な感じがする……何か……不自然な力……)
 イヴはしばらく窓越しに島を見つめていたが、やがて、意を決してラドルに
向き直った。
「長殿……もし、差し支えなければ、神殿島に行ってみたいのですが」
「神殿島に? しかし……」
 突然の申し出に、ラドルはさすがに難色を示した。いかに力のある竜使いと
はいえ、余所者を島の聖域とも言える神殿に近づけるのは気が引けるのだろう。
「無理は承知のお願いです。このまま、放っておいたら、何か……良くない事
が起きるような気がするんです。ですから……」
「しかし……」
 イヴの懇願に、ラドルは眉を寄せて考え込んでしまう。
「お父様、私からもお願いします。イヴ様に、神殿島の様子を調べて来ていた
だきたいのです……」
「むう……」
 続けてレナもこう懇願するが、ラドルは唸るだけで返事をしない。
「……それなら長殿、竜使い殿の他に、島の方を同行させる、というのはどう
でしょう?」
 そこにアヴェルがこんな提案を出すと、ラドルはやや怪訝そうに魔導師を見
た。
「どういう事……ですかな?」
「ですから……彷徨い人が、一人で聖域に近づくのが問題なんでしょ? なら、
島の代表……そうですね、カイル君あたりに同行してもらって、その上で調査
するって言うのはどうです?」
「カイルを? ふうむ……」
 アヴェルの提案にラドルはしばし考え込み、やや間を置いて、それならば、
と頷いた。

 それから三時間後、イヴは竜たちと共に浜辺にいた。水辺ではフォウルとハ
ーベルが同じように出発の準備を待っている。
「あーあ……っとにもう、何で……」
 シェーリスに鞍を着けつつ、イヴは何となくため息をついていた。あの後、
色々と話し合った結果、神殿島の調査にはイヴとカイルの他にアヴェルとレラ
が同行する事になった。何かあった時の戦力として魔導師のアヴェルは希少な
存在なのだが、昨夜の事が引っかかっているイヴ個人としてはあまり嬉しくな
い。更に、慣れていない人間が海竜に乗るのは難しいという事で、アヴェルは
シェーリスに同乗する事になってしまったのである。これもまた、イヴ個人と
しては全く嬉しくない。
「……ごめんね、シェーリス。重くなるけど、我慢してね……」
 鞍を固定しつつこんな言葉を投げかけると、シェーリスは気にしないでくれ、
と言わんばかりの低い声を上げた。もっとも、五齢まで成長した嵐竜にとって
は、男性一人分の重さなどどうと言う事はないのだが。
「準備、できた?」
 ため息をついていると、カイルがやって来て声をかけてきた。手には手入れ
の行き届いた槍が握られている。イヴはもう少し、と答えて鞍の安定を確かめ、
それから、自分も愛用の長剣の存在を確かめた。
「……どうしたの、元気ないね?」
「……色々ね」
 きょとん、とした問いにため息で答えたところで、イヴは複雑な面持ちでこ
ちらを見ているレラに気がついた。
「レラ! 準備、大丈夫?」
 一歩遅れてそちらに気づいたカイルが問いかけると、レラはまあね、と答え
てこちらに歩み寄ってくる。レラは取りまわしの良さそうな短弓を携えていた。
「んじゃ、後はアヴェルだけか……」
 その不機嫌な面持ちに気づいた様子もなく、カイルは呑気にこんな事を言う。
直後に、当のアヴェルが村の方から歩いてくるのが見えた。一人ではなく、栗
色の髪の女性を連れている。
「……あ、あの人……」
 見覚えのある女性の姿に、イヴは短く声を上げる。今朝方、子供たちに捕ま
ってしまった時に助け舟を出してくれた女性だ。
「ああ、あの人? ……あの人はラミナ姉さんって言って……その、」
「島に新しい血を受け入れる、母体の一人だよ。で、今、アヴェルの子供、身
籠もってるの」
 言い難そうに口ごもるカイルに代わり、レラが素っ気なく説明してくれる。
その言葉に、イヴは改めてラミナと言う女性を見た。ラミナは心配そうな面持
ちでアヴェルと言葉を交わしている。どうやら、彼の身を案じているようだ。
「……あいつの子供って……島のためとはいえ、物好きねぇ……あんな奴のど
こがいいんだろ、っとに!」
 その様子につい、こんな呟きをもらすと、カイルはは? と言ってきょとん、
と瞬き、レラはやや意外そうな目をイヴに向けた。
「……なに? あたし、何かおかしな事言った?」
「いや、ええと……」
「おかしくないよ、ボクもそう思うもん」
 つい苛立たしげな口調で問うとカイルは困惑した面持ちでまた口ごもり、レ
ラはあっけらかん、とこう頷いた。
「あ、やっぱり、そう思う?」
「思うよお、だってあっちこっちに粉かけまくってさぁ……なんか、軽薄って
言うの? 感じよくないよね〜」
「そうよね! まったく、あんな軽薄な魔導師、初めて見たわよ! ほんとに
もう……」
 思わぬ所で得られた同意に、イヴは思わず力説してしまう。それはレラも同
じらしく、先ほどまでの不機嫌さなどすっかり忘れたようにうんうん、と頷い
ている。
「……何か、怖い……女の子って……」
 その様子に、カイルは思わずつつつと距離を取りつつこんな事を呟いていた
が、幸いにして少女たちの耳には入らなかった。
「よ、お待ちどうさん」
 そこに、当のアヴェルが相変わらずの軽いノリで声をかけてきた。イヴとレ
ラはぴたり、とお喋りを止めてじとっとした視線をそちらに投げかける。冷た
い視線に、アヴェルはややたじろいだようだった。
「な……なにかな、お嬢様方? 目が怖いよ〜ですけど?」
 事情を把握していないアヴェルの問いに、二人は素っ気なく別に、と答える。
アヴェルは物問いたげな視線をカイルに向けるが、カイルはあはは、と乾いた
声で笑うだけだった。
「……ま、何でもいいわ。とにかく、神殿島へ行ってみましょう」
 淡々とした口調で言うと、イヴはシェーリスに飛び乗った。ティムリィがち
ょこなん、と鞍の前に座る。カイルとレラもフォウルとハーベルに跨がり、ア
ヴェルも困惑しつつ、シェーリスに便乗した。二頭の海竜と嵐竜がそれぞれ鳴
き声を上げ、一行は神殿島へと出発する。
「……?」
 島に近づくにつれ、イヴは何か、異様な気配を感じとっていた。最初に感じ
た波動とはまた違う、異質な気配を感じるのだ。
「……何か、いるな」
 不意に、アヴェルが低い声でこんな呟きをもらした。その呟きに、イヴはは
っとそちらを振り返る。
「何かって……何が?」
「あんまり、楽しいモンの気配じゃない……この感触は……闇属の妖魔!」
 ざばあっ!
 アヴェルの言葉に呼応するように、海中から奇怪な姿の妖魔が躍り出た。人
間の半分程度の大きさの身体を暗緑色の鱗で覆った、トカゲのような妖魔たち
はその手の爪を振りかざして襲いかかってくる。
「……なんで、こんなのがっ!?」
 襲いかかるそれを槍で払いつつ、カイルが素っ頓狂な声を上げる。イヴは左
手で手綱を繰りつつ剣を抜いた。銀の刃に陽光が反射し、その輝きが一瞬、妖
魔たちを怯ませる。
「逐一構ってる暇はないわ……シェーリス、突破するわよ! カイル!」
「わかってる! レラ、しっかり掴まっててよ? 行くぞ、フォウル、ハーベ
ル!」
 竜使いたちの指示にそれぞれの騎竜は咆哮を持って答えた。その鋭い声に妖
魔が怯んだ隙を突き、竜たちは動きを早めて強行突破を仕掛ける。立ちはだか
るものに対しては鋭い剣と槍が、横合いから仕掛けようとするものにはアヴェ
ルが魔力によって生み出した光の矢が容赦なく牙をむいた。
 やがて、一行は妖魔の囲みを抜け、神殿島の奥へ至る道のある入り江へとた
どり着いた。
「ふう……びっくりしたなぁ〜、もう」
 浜辺に降り立つなり、カイルが深くため息をつく。浜辺にシェーリスを着陸
させたイヴも、剣を鞘に収めつつふう、と息をついた。
「でも、何で神殿島の周りにあんなのが……」
 浜辺に降り立ったレラがわずかに震える声でこんな呟きをもらす。それは今
ここにいる、全員に共通する疑問だった。
「とにかく、それを確かめるためにも神殿に行ってみるしかねえだろうな」
 真面目な面持ちのアヴェルの言葉に、イヴはそうね、と頷く。島に降り立っ
てみると、最初に感じた力の波動がはっきりと感じ取れ、その波動が言い知れ
ぬ不安を呼び起こした。
(なに……なんなの、この力は? でも……どうしてだろ、前にも感じた事が
あるみたい……)
 島の奥へと延びる道を見つめつつ、イヴはふとこんな事を考えていた。とも
あれ、四人はティムリィを伴って島の奥へと進む。神殿へと向かう道筋にも先
ほどと同じ妖魔たちが潜み、四人はそれぞれの特技を駆使してそれを撃退して
いった。
「どうなってんの? こんなの、おかしいよ」
 何度目かの戦いの後、レラがこんな呟きをもらした。聖域であるはずの神殿
島に異形の妖魔がはびこっている──というのは、確かに異常事態だろう。カ
イルも、さすがに困惑した様子を隠せないようだった。
 やがて、一行は目的地である守護神オーヴルの神殿へと到達した。石造りの
神殿は森の中にひっそりと佇み、一見すると異変は感じられない。
「……見た感じは、変わりないけど……」
 ぐるりと周囲を見回しつつ、カイルが呟く。
「でも……なんかヘンだよカイル……なんか……静か過ぎる」
 同じく周囲を見回したレラが呟く通り、神殿の周囲は重い静寂に包まれてい
た。イヴはぐるり、と周囲の様子を見て取ると、ゆっくりと神殿に歩み寄った。
が──
 ……ぱあんっ!
「えっ!?」
 神殿に近づいた途端、足元で激しい炸裂音が響いた。それと共に衝撃波が走
り、イヴは後ろにはね飛ばされる。
「イヴちゃん!」
「だ、大丈夫か!?」
「な……何とか……いたたぁ〜……」
 駆け寄ってきたアヴェルたちに答えつつ、イヴははね飛ばされた時、強かに
打ちつけた腰を摩った。それから、改めて神殿の方を見やる。神殿は何食わぬ
顔でそこに佇んでいた。
「一体、今の、何なのよ……?」
「……結界だな。それもかなりハイレベルの」
 苛立たしげなイヴの呟きに、アヴェルが淡々とこんな説明をつける。
「……結界?」
「ああ……誰かは知らないが、ここにいるヤツは中に入られたくないらしい」
「どういう意味よ?」
「言葉通りの意味しかないって」
 問いにアヴェルは肩をすくめつつこう答え、イヴは困惑しつつ神殿を見つめ
た。しかし、神殿は何かを語る事はなく、悠然とそこに佇むのみだった。

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