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 翌日、二人は念のために剣と、財布他の小物だけを持って聖域行きの乗合馬
車に飛び乗った。こんな時代でも、いやこんな時代だからこそ、女神の聖域に
参る人々の数は多い。満員の馬車の中、ルアとリーンはかさばる剣が他人の邪
魔にならないよう、細心の注意を払って隅の方に縮こまっていた。
「うへえ〜、二度と乗りたかねえなあ、こんなもん……」
 聖域前で馬車を降りるなり、開口一番ルアはこう言った。
「仕方ないよ、聖域に入るには他に方法ないんだから。王侯貴族でもなきゃ、
乗合馬車を使うしかないんだ、愚痴らない愚痴らない」
 ついこの間まで自分がその王侯貴族であった事を忘れたように、リーンはル
アを諭す。
「しっかしまあ……」
 参拝客の列を横目で見つつ、ルアは頭を掻いた。
「ここで一体、何がオレらを待ってるってんだよ?」
「そんなの、わからないよ……とにかく、拝殿の方に行ってみよう!」
「……元気な奴……」
「何か言った?」
「別にー」
 こんな軽口を叩きつつ、二人は参拝者の列に入って拝殿に向かった。参拝者
のほとんどは老人で、十代の二人はどこに居ても目立つ。ただでさえ目立つ上
に、それぞれ背中と腰に剣を持っているから尚更目立った。
「お若いの、女神様にお願い事をするのに、そんな物騒な物はいらんのではな
いかね?」
 すぐ側を歩いていた老婆にこう言われ、それに適当な返事を返しつつ歩いて
行くと、前方で騒ぎが起こった。
「なんだ……?」
 訝しげに呟いて前方を見やったルアは、すぐに異変に気がついた。拝殿に続
く参道の門が、閉じているらしい。この門は、夜間以外は常に開放されていな
ければならないはずなのだが。
「行ってみようよ、ルア」
 リーンがルアの腕を引きつつ呼びかけてくる。それにそうだな、と応じると、
ルアは近くにいた老人たちにここらで待ってな、と言い置いて走り出した。一
歩遅れてリーンがそれに続く。突然閉まった参道の門の前には騒々しい人だか
りができていた。ルアはやや強引にその人群れをかき分け、最前列に出る。
「……こいつは!」
 前に出るなり、その表情が引き締まる。閉じた門を封印するような形で、逆
五芒星が刻み込まれていた。異世界とこちらを結ぶ、召喚のゲートに用いる紋
章だ。
「おい! 拝殿の方に、誰か残ってるか?」
 近くにいた司祭の一人を捕まえたルアは、厳しい面持ちでこう問いかけた。
「え? ど、どうしてですか!?」
「アホか! この紋章見て、何とも思わねえのかよ! 門の向こうに、なんか
厄介なもんが召喚されてるぜ!」
「ええっ!? そんな……ま、まだマルトが中にいるのに!」
 ルアの話を聞いた別の若い司祭が、悲鳴じみた声を上げた。
「マルト?」
「だ、大司祭ザーヌ様のご子息です! ど、どうしよう……」
「だーっ! ったく役に立たねえ連中だな!ちょっと下がってろ!」
 おろおろするだけの司祭たちの様子に苛立ちを隠そうともせず、ルアは集ま
った野次馬込みの連中を扉から遠ざけた。
「ルア!?」
「静かに!」
 呼びかけるリーンに短く言うと、ルアはベルトポーチから何やら護符のよう
な物と、予備の武器として持ち歩いている投げナイフを取り出した。細く折り
畳んだ護符をナイフにぐるぐると巻き付け、狙いを定める。
「ヒマな事しやがって……召喚門封印!」
 言葉と共に投げつけられたナイフは、逆五芒星の頂点の一つに突き刺さる。
紋章の上を蒼い電光のような物が走り、ぱあんっ!と、音を立てて弾けた。扉
全体が感電でもしたように震え、何とか人一人が通れそうな隙間が開く。
「おい、司祭連中! そのマルトってのは、どこにいるって!?」
「一番奥の、本殿に……」
「わかった。いいか、オレが戻るまで、この門には誰も近づけるな。わかった
な!?」
 途切れがちの返事に頷いてからこう言うと、ルアは開いた隙間から中に飛び
込んで行く。リーンもとっさにそれに続いていた。
 ズウウウン……
 二人が飛び込んだ直後に、扉は、重々しい音を立てて口を閉じた。
「ああ……女神ラーラよ……どうか、マルトを、そして、あのお二人をお護り
下さい……」
 司祭の一人がその場に膝をついて、女神に祈り始める。他の司祭たちも参拝
者たちを門から遠ざけると、同じように膝をついて祈りを捧げ始めた。

「リ、リーン!? お前、なんでついて来たんだよ!?」
 自分の後からやって来たリーンに気づいたルアはまず言葉を無くし、次いで、
怒ったような口調で問いかけていた。
「ルア一人じゃ、心配だからだよ!」
 対するリーンも怒ったような口調になって答える。それにルアが反論するの
を遮るように、頭上が不自然に暗くなった。
「話は後だな……行くぜ!」
 背中の大剣を抜きはなってルアが怒鳴る。
「わかってるよ、そのくらい!」
 腰の長剣を抜いて身構えつつ、リーンが返した。
「上等だ……ゲートの規模からして恐らく、かなりの大物が来てる。ザコはな
るべく相手にするな!」
「わかった!」
 たんっ、という小気味よい音と共に、ルアが参道の石畳を蹴る。リーンもそ
れに続いて走り出した。
 ギエエエエっ!
 最初に目に入ったのは、二つ首の怪鳥ツインヘッド・ヴァルチャーだった。
いつもなら聖域に近づく事すらできないザコだが、召喚ゲートがまき散らした
瘴気に引かれたらしく、低空を騒々しく飛び回っていた。
「どいてろ、化け鳥!」
 怒声と共に、ルアは剣を横に薙ぐ。どうもルアは黙って剣を振る、という事
が出来ないタイプらしい。
「はっ!」
 一方のリーンは短い気合と共に、正確に剣を繰り出す。体力でルアに劣るリ
ーンが同じように怒鳴りながら剣を振るえば、十分と持たないだろう。基礎体
力が格段に違うのだから。リーンの剣技はまだまだ教科書通りと言わざるを得
ないが、僅か十七歳で王国騎士に任じられただけあって洗練された印象が強い。
恐らく、秘めた素質はルアといい勝負だろう。
 ほどなくツインヘッド・ヴァルチャーは形勢不利と悟ったらしく、上空に逃
げて行く。ルアとリーンは抜き身の剣を下げて石畳の道を走った。時折ちょっ
かいを出してくる小鬼の類を適当にあしらいつつ、拝殿までやって来た所で二
人は足を止めた。
 この拝殿を抜けて、階段を登れば取り残されたマルトがいるという本殿だ。
しかし、拝殿の正面には巨大な影が佇んでいた。
 一見すると、その姿はドラゴンを思わせる。だが、前脚を持たないその体躯
と背中の大きな皮膜翼が、それがドラゴンではなく、その亜種であるワイバー
ンであると物語っていた。
「……ドゥーム・ワイバーンかよ。厄介だな」
「ドゥーム・ワイバーン?」
「魔界原産。山の辺り飛び回ってるワイバーンの、質の悪いヤツさ……いらん
もん呼び出してやがんな、あのヤロー……」
「あのヤローって……?」
「魔王気取りの迷惑ヤローだよ! 気いつけろ、こいつはかなり厄介だぜ!」
 ルアの警告が終わるよりも早く、ドゥーム・ワイバーンはくわっと口を開い
た。ルアはとっさにリーンの手を引いて横に飛びのく。直後に、それまで二人
がいた場所を紅蓮の炎が焦がした。
 通常のワイバーンには、炎の息を吐く能力はない。それだけに今の攻撃は、
初めて戦うリーンにもドゥーム・ワイバーンの危険性を充分に感じ取らせる要
因となりえていた。
「ルア、反対側にまわる」
 短くこう言うと、リーンはタイミングを計って走りだす。それを阻むように
振り回された尻尾の一撃をジャンプでかわし、リーンはルアの反対側に立ち位
置を定めた。
 自分を挟んで対角線に位置を取った二人の人間を、ドゥーム・ワイバーンは
うるさそうに見比べた。魔界原産のこの種族は地上の山岳部を飛び回っている
ワイバーンに比べて、遙かに高い知能を有している。ここにいるのは比較的小
物だが、年を経たものはエンシェント・ドラゴン並の知識量を誇るのだ。
 ドゥーム・ワイバーンは二人の人間を見比べ、結果、後ろに回った方を御し
やすい、と見たようだった。巨大な翼を広げ、前方の人間に襲いかかる、と見
せかけて素早く尻尾を振る。
「え!?」
 完全に虚を衝かれる形になったリーンは、回避する間もなく尻尾の一撃をま
ともに受けた。とっさに受け身を取ったはいいが、そのために剣を手放してし
まう。
「リーン!」
「だいじょうぶ……」
 とはいえ、鎧を着けていない所へ入った今の一撃はかなりの衝撃を与えてい
るらしく、リーンは強打された腹部を押さえて膝をついていた。ドゥーム・ワ
イバーンはその様子を満足そうに見下ろすと、身動きの取れないリーンに向け
て口を開く。
「やらすか! 氷霧乱舞!」
 ワイバーンの翼をめがけ、ルアは護符を巻き付けたナイフを投げつける。そ
れが巨大な翼に突き刺さると、そこを中心に氷の霧が発生し、ドゥーム・ワイ
バーンを包み込んだ。効果自体はさほどないようだが、炎の息の狙いはそれた。
その隙にリーンは左腕を腹部に当てつつ剣を拾って後ろに下がり、傍らにルア
が駆け寄って来る。
「大丈夫か?」
「うん……少し、効いてる……」
「ちゅーとはんぱに頭いいからな、あのやろ」
「それにしてもルア、君、魔法を使えるの?」
 苛立たしげに吐き捨てるルアに、リーンが不思議そうに問う。
「そんな立派なもんじゃねえよ。魔法の護符の力を開放してるだけさ」
 それだけでも十分大したものである。古の知識の守護者である魔導師の大半
は人々の偏見から人里離れた地に引きこもり、大陸全土で魔法が廃れつつある
のだから。
「それはさておき……どうしたもんかね」
「なにか、弱点でもあれば……」
「ねえよ、んなもん。仮にもドラゴンの亜種だぜ? それに、ドラゴンと違っ
て属性の細分化もされてねえからな……」
 ドラゴンたちはそのブレスの特性により弱点が明確になっている。冷気を吐
くホワイトドラゴンは単純に火炎系の攻撃に弱いし、火炎のレッドドラゴンは
冷気系に弱い。が、そういった細かい分類のないワイバーンは、明確な弱点が
ない分厄介なのだ。下手をすればドラゴンの方が御しやすいだろう。
「……正攻法しか、ないのか」
「そういうこった……くるぜ!」
 ルアの言葉に、リーンはとっさにその場を飛びのいた。ルアも反対側に避け
る。次の瞬間、石畳の上を炎が焦がした。
「……ルア。何とか、向こうの注意を逸らせないかな?」
 何度目かの炎をかわした後、リーンが真剣な面持ちで言った。
「リーン……?」
「見た所、頭の鱗はそんなに硬くないみたいだし……ぼくの剣なら、突き攻撃
もできる」
「……大丈夫なのか?」
 短い言葉からリーンの意図を読み取ったルアは、依然しっかりと左腕を押し
当てている腹部をちら、と見た。リーンは無言で一つ頷く。
「向こうは飛び回るぜ。うまく登れるか?」
「だから、気を引いてくれって言ってるんだよ……できる?」
「影呪縛は、さして長くもたない。いいな?」
「わかった……」
 短い言葉から言わんとする所を察したのか、リーンは一つ頷いてそっと左腕
を動かした。ルアはナイフに護符を巻き付ける。
「影呪縛!」
 ルアがナイフを投げるのと同時に、リーンはドゥーム・ワイバーンの後ろへ
走る。ナイフはこつん、という音と共にワイバーンの影を石畳に縫い付けた。
 硬直したワイバーンの背をリーンは悪戦苦闘、という様子で登っていく。腹
部の痛みがじわじわと体力を奪っているらしく、額には脂汗が滲んでいた。ま
た刺の多い背は手掛かりがなく、抜き身を下げた状態では登り難いのは明らか
だった。背の中ほどまで行った所でそれに気づいたのか、リーンは長剣を投げ
捨て、予備の短剣を抜いた。それを鱗に引っかけつつ、どうにか頭の上までた
どり着く。
「急げ、リーン!」
 影を縫いつけたナイフが震えているのに気がついたルアは、やや焦りながら
こう怒鳴る。リーンは短剣をしっかり握ると、ドゥーム・ワイバーンの右目に
それを突き刺した。
 ギャオオオウ!
 短剣の刃が黄色い目を貫くのと同時に、影呪縛が解けた。ワイバーンは痛み
に絶叫し、激しくと暴れる。リーンは振り落とされまいとワイバーンの角にし
がみつきつつ、右目に刺さった短剣を何とか引き抜いた。ワイバーンは頭上の
リーンを振り払おうとしているのか、唐突に大きく羽ばたき始める。
「リーン!」
 ルアの声を遠くに聞きつつ、リーンは神経を研ぎ澄ませた。そして、人間で
言えば眉間にあたる部分に、渾身の力を込めて短剣を突き立てる。
 グエエエエエッ!
 一際、化け物じみた絶叫が聖域中にこだまする。ドゥーム・ワイバーンは激
しい痛みに暴れ回り、角から手を離していたリーンは支える物もなく、空中に
投げ出される。
「リーン!!」
 ルアは大剣を放り出し、落ちて来るリーンを受け止めに走った。ワイバーン
はかなりの高さまで飛び上がっており、放っておいたらリーンは石畳に叩きつ
けられ、死ぬ。それではあまりにも目覚めが悪い。悪すぎる。
「よっと!」
 とっさに走りだしたのが功を奏し、ルアはすんでのところでリーンを受け止
めた。
「!? か……かるい……」
 受け止めたはいいが、あまりの軽さにルアは戸惑う。小柄ではあるが、自分
と一つしか違わないとは思えないほど、リーンの身体は軽い──軽すぎる。つ
いでに、柔らかい。
「……もしかして……?」
 思わず、まじまじと見つめてしまう。空中に放り出された衝撃で気を失った
らしいリーンの顔は、あどけなく見えた。
「……まさかな……」
 小さく呟くとルアは参道横の草地にリーンを下ろし、ドゥーム・ワイバーン
の方を振り返った。今の一撃はかなり効いたようだがさすがは魔界原産、とい
うべきか、ワイバーンはまだ生きている。
「さて、と……」
 先ほど放り出した大剣までの距離を計り、ルアは一気に走りだす。ワイバー
ンは右目と額から流れるどす黒い血に視界を塞がれ、その動きへの対処が遅れ
ている。その隙をついて剣を拾ったルアは、素早く体勢を整えて下段の構えを
取った。
「ったく、いくら上位種でも、ワイバーン相手にこんなもん使いたかなかった
んだぞ! 今ので死んでりゃいいものを、しぶとく生き残りやがって!」
 言い方はいかにも面倒くさそうだが、蒼い瞳は鋭い。ルアは目を閉じて呼吸
を整えた。
 風の流れが止まる。そして、手にした剣が淡いブルーの燐光を帯びた。
 その光がぽうっと周囲を照らしだすまでに高まると、ルアは目を開けて、跳
んだ。
「秘剣、竜破斬!」
 叫びと共に剣は翼の付け根の部分に斜めに食い込む。並の剣なら余裕で跳ね
返すドゥーム・ワイバーンの鱗を、青く煌めく刃は易々と切り裂き、強靱な筋
肉を断ち切った。
 グゲエエエエッ!
 断末魔の叫びが響く。左の翼の上から切り込んだ刃は、一切の抵抗を無視し
て右の翼の下に抜けた。ずりっ……という音入りで上半身がずれ、次の瞬間、
ドゥーム・ワイバーンは漆黒の閃光と化して消えた。
「手間取らせやがって」
 何事も無かったように呟くと、ルアはベルトポーチから布切れを出して大剣
の刃を拭い、鞘に収めた。それから投げ出されたリーンの剣と短剣を拾い、同
じように拭いて鞘に収めてやる。リーンはまだ目を覚まさないが、胸が微かに
上下しているのを見ると、生命に別状はないらしい。ルアは護符を使って魔除
けの結界を作ると、リーンが目を覚ますのを待った。本殿にいるマルトという
少年の事も気にはなっているが、気を失ったリーンを無理に起こすのも、いい
気分はしないからだ。
 リーンが目を覚ますまでの間、ルアは手持ち無沙汰にその寝顔を眺めていた。
今までは特に気にも留めなかったが、こうしてみるとリーンの線の細さや表情
のあどけなさが良くわかる。
 しばらくそうやっていて、ルアは唐突にリーンに見惚れている自分に気がつ
いた。一応、そちら方面の趣味は、ないはず、なのだが。
(……火炎ブレスの熱にでも、あたっちまったかな……?)
 そんなものにあたる奴は普通、いない。頭ではわかっているが、そうとでも
思わなければ今の自分を説明できないような気がした。
「うー……」
 このままでは、思考のどつぼにはまる。そう思ってルアはリーンを起こす事
にした。少なくともリーンが起きていれば見惚れる事もないだろう……と、思
ったのだが。
「……かあさま……」
 起こそうとした矢先にリーンが実に可愛らしい声で寝言を言った。気勢を削
がれて、ルアは動きを止めてしまう。ルアはリーンを起こすのを断念すると、
そちらに背中を向けてリーンが自然に目を覚ますのを待った。
(何だってんだよ、オレ……しっかり、しろっての。余計な事は、考えるな、
ルイシェレイド!)
 この先、古の森を抜けて疾風の峠を越え、更に虚無の迷宮と呼ばれる地下迷
宮を抜けなくては魔王ライヴォルの居城バルディニアにはたどり着けない。こ
んなもやもやした状態ではどこかでミスをしかねないだろう。だから、今は、
考えないに限る。
 そう心に決めると、ルアは早々と頭の中を切り換え、今の考えを頭の隅に押
し込めた。

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