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     2 女神の啓示

 貿易都市ラドニア。
 周囲を険しい山脈と海洋に閉ざされたヴァーレアルドと他国との、数少ない
接点の一つである。
 古代の妖魔たちの跳梁跋扈する古の森を真北に、主神である大地母神ラーラ
の聖域を真南に望む小高い丘の上の城砦都市で、ここを訪れる者の目的は綺麗
に二分される。
 一方は豊富な品物を求める旅人や商人。もう一方は、女神の聖域に参る参拝
者たちだ。聖域を間近に望むこの街には女神ラーラの大神殿があり、近隣諸国
に名の知れた大司祭ザーヌが人々に女神の教えを説いていた。
 途中襲いかかる怪物たちを、文字通りなぎ倒しつつラドニアにやって来たル
アとリーンは、下町の安宿に落ち着いた。
「さて、んじゃ、買出し出るぜ」
「……え?」
 宿に荷物を下ろしてすぐのルアの言葉に、リーンは露骨に疲れた表情を見せ
た。
「そんな慌てなくても、いいんじゃ……?」
「ここじゃ、慌てたもん勝ちなんだよ。ほれ、行くぜ!」
「……はいはい……」
 ため息混じりに言いつつ、リーンは渋々という感じで立ち上がった。そして、
二人は再び通りの雑踏へと向かう。
 例え魔王が幅を利かせていても、商いができれば商人はめげる事はない。故
に、ラドニアの市場は賑わっていた。ルアは勝手知ったる様子でどんどん歩い
て行くが、リーンの方はそうも行かない。とにかく、全てが物珍しいのか何か
と立ち止まりがちになり、結果。
「ん?」
 ふと気づいたルアが振り返った時、背後にリーンの姿は無かった。
「げっ……はぐれたのかよ!? ったく! あの坊ちゃんは……」
 自分のペースで歩いていた事を棚に上げて愚痴りつつ、ルアは今来た道を引
き返して人込みに戻って行った。

 一方のリーンはルアとはぐれた事にも気づかず、市場を眺めて歩いていた。
琥珀色の瞳は子供っぽい、無邪気な好奇心で彩られている。
 閉ざされた貴族社会で幼年期を過ごしたリーンには、下町の市場に当たり前
に展開する喧騒がこの上なく新鮮なものに思えていた。目に入る物、全てが目
新しく、新鮮に思えて仕方がない。
「……あれ?」
 そうやって市場をきょろきょろと見回していたリーンは、建物の隙間に人だ
かりを見つけた。興味を引かれて近づいてみると、建物の隙間の細い路地に、
黒いテントが建っていた。黒い垂れ幕の前には人々が立ち並んでいる。
「何を、してるんですか?」
 興味を引かれたリーンは列に並んで、前に立つ少女に尋ねてみた。
「なにって……順番待ってるんじゃない、占いの」
 尋ねられた方は、何言ってんの、と言わんばかりの表情で答える。
「占い?」
「ええ、水晶玉占い。よく当たるって評判なのよー? せっかく並んだんだか
ら、あなたも占ってもらったら?」
「えっと、でも……あ、そうですね」
 少女の言葉にリーンは一瞬ためらうものの、ふとある事に気づいて一つ頷い
た。
 今、抱えている不安。それに対する指針のようなものが何か、もらえるかも
知れない……ふと、そんな気がしたのだ。
 やがて列は前へと進み、妙に意気消沈した若い男と入れ代わりに少女が中に
入って行く。しばらくすると、何やらうきうきした表情の少女がテントから出
て来た。リーンはしばしそのままぼーっとしていたが、後ろに並んでいた中年
女性に促されて垂れ幕をくぐった。
 テントの中は暗く、明かりと言えば小さなテーブルに置かれたランプの灯火
だけだった。物珍しさからついきょろきょろするリーンに、テーブルの向こう
から穏やかな声がかかる。声の主は黒いヴェールで顔を隠した占い師だ。
「どうぞ、おかけ下さい」
「あ……はい」
 促されるまま、リーンはテーブルの前の小さな椅子に腰を下ろす。テーブル
の上には布を掛けた水晶玉が置かれていた。
「何を、占いましょうか?」
 穏やかな口調で占い師が問う。声からすると、まだ若い女性らしい。
「ぼくの行く先に、何が見えるか、知りたいのですが」
 その問いに、リーンは静かにこう返す。占い師は一つ頷くと、静かに水晶玉
の布を取り払った。水晶玉は神秘的な虹の光彩を放っている。見つめていると
引き込まれそうだ。
「水晶玉に、両手で触れて……そして、見たい時を念じて下さい……目を閉じ
て」
「はい……」
 言われるままに、リーンは水晶玉に手を当て、目を閉じる。
「雑念を払って……先視は、不確かな存在。望む者の心に、大きく影響されま
す……」
 雑念を払う、という占い師の言葉に、リーンは剣の師匠が口癖のように言っ
ていた平静無心を思い出していた。静かに息をして、ゆっくりと心を澄ませて
いく。
 雑念は剣の行方を狂わせると師は言っていた。この場合は、見たい未来を創
ってしまう、という事になるのだろうか。リーンは静かに静かに、心を空洞に
しようと試みる。
「……よろしいですわ。目を、お開けになって下さい」
 意識の空白を経て、占い師の声がリーンを現実に引き戻した。目を開けると、
吸い込まれそうな輝きを放つ水晶玉の中に青い光が灯っている様子が真っ先に
飛び込んでくる。
「……とても、複雑な運命を背負っておいでのようですわね……」
 その光につい目を奪われていると、占い師が静かにこんな事を言った。リー
ンはえ? と言いつつ水晶玉から目を離し、占い師を見る。
「……聖域にお行きなさい。そこで、あなた方を待つ存在があります……それ
と」
「それと……?」
「あなた自身の未来。今のままでは、偽りが全て……真実の紐を解いた瞬間に、
あなたの取るべき道が決まります……」
「……っ!?」
 静かな言葉に、リーンははっとしたように胸元に手を当てた。
「そして、それを解いた時、あなたがどのような態度を取るか。それが、先を
決めます」
「……」
 占い師の言葉が妙に重く響く。リーンは知らず、俯いて唇を噛み締めていた。
「さあ……もう、お行きなさい。あなたの勇者殿が、お探しなのではありませ
んの?」
「え……?」
 ここに至りようやく、リーンはルアとはぐれた、という事に気づいたようだ
った。勝手に歩き回ったとあれば、相当に怒られるのは想像に難くない。
「あ……そうだ、お金……」
 テーブルの横の貝殻の椀に目をやって、リーンは慌ててポケットを探る。椀
の中にはぽつぽつと、銀貨や銅貨が入っていた。
「お代は構いませんわ」
「え……でも?」
「お金が欲しくてやっているのではありませんもの。早く行かないと、通りす
ぎてしまいますよ?」
 言われて、リーンは耳を澄ませた。自分を探しているらしいルアの声が聞こ
える。確かに、早く行かないと通り過ぎてしまうだろう。
「でも、それじゃぼくの気が……これで、いいですね!?」
 小銭を入れておいたポケットから適当にコインを取り出すと、リーンはそれ
を椀に入れて外に飛び出した。
「まあ……困ったお客様だこと」
 椀の中を覗き込んで、占い師は困ったように微笑んだ。白い貝殻の椀の中で、
他とは異質な黄金色のコインが光っている。リーンは金貨を二枚放り込んで行
ったのだ。
「こんな大金、他のお客様が萎縮してしまうのに……」
 こう言うと、占い師は二枚の金貨を椀から拾い上げ、ローブのポケットにし
まいこむ。
「ルア!」
 占い師のテントを飛び出したリーンは、行き過ぎようとしているルアの背中
を見つけて慌てて声をかけていた。
「リーン! どーこほっつき歩いてんだよ、ったく!」
 走って来たリーンに、ルアは開口一番こう怒鳴る。一方的な物言いに、リー
ンはややむっとしていた。
「そういう言い方ってないだろ! 元をただせば、ルアがどんどん歩いて行く
から、追いつけなくなったんじゃないか!」
 この切り返しに、ルアは次の言葉を飲み込んだ。そう言われれば、そうとも
言う。
「……それは、悪かったよ。でもなあ! はぐれたんならはぐれたなりに、ど
っかでおとなしく待っててくれよ! 市場中、探して回ったんだぜ?」
「……ごめん」
 結局のところ、どっちもどっちなのである。
「ま、いいや。行くぞ。すっかり予定狂っちまった……」
「え……? そういえば、ルア。買い物は?」
「お前探してて、それどころじゃなかったってーの! とにかく行くぞ!」
 こう言うと、ルアはさっさと歩きだした。それでも今度はリーンがちゃんと
ついて来れるように、ゆっくりしたペースで歩いている。リーンも、今度はル
アを見失わずにすみそうだった。

 目的地の万屋は市場からやや街の奥に入った所にある。店に入ると、ルアは
かってしッたる様子で奥に声をかけた。
「ドロイドのじーさん、いるかー?」
「おや、ルア坊。久しいねえ」
 呼びかけに応じて奥から出て来たのは、頭のはげ上がった初老の小男だった。
「ドロイドのじーさんもな」
「口の悪さも相変わらず、と……それで、何の用だね?」
「毛布とか敷布とか、旅に必要なもん、一人分一揃い。それと、方位魔石ある
かい?」
「方位魔石? どうしたね、古の森にでも行くつもりかい?」
「ああ」
 事も無げに言うルアに、万屋の店主ドロイドはほんの一瞬、驚きを垣間見せ
た。それでもすぐに事情を察したらしく、ドロイドは穏やかな表情に戻ってそ
うか、と呟く。
「とうとう行くのか……だがな」
「なんだよ?」
「方位魔石は、売り切れだ」
「……売り切れえ!?」
 ドロイドの言葉に、ルアが大声を上げる。突然の大声にリーンはきょとん、
とした様子でルアをつついて問いかけてきた。
「その……方位魔石? それ、一体何に使うんだ?」
 この問いかけでドロイドはようやくリーンの存在に気がついたらしく、怪訝
そうな面持ちでルアとリーンとを見比べる。
「ルア坊、そちらは?」
「え? ああ、こいつは……」
「自由騎士のリーンです。よろしく」
 リーンは背筋を延ばしてドロイドに挨拶する。ドロイドは、これはご丁寧に、
と言って頭を下げた。
「それで、方位魔石っていうのは?」
「薬草師連中が、森の隅の方に薬草を採りに行く時に持ち歩くもんでしてね。
最初に決めた方向を、正確に示す魔法をかけた代物なんですよ」
「……無いよりマシだと思って来たのに……売り切れかよお」
 情けない声を上げつつ、ルアは頭を掻いた。
「そう、気を落としなさんな。三日後に、また入荷するよ」
「三日あ? ……ま、しゃあねえか……」
 時間がかかる事に渋い顔をしつつ、ルアはわかったよ、と頷く。
「んじゃ、三日たったらまた来るから。さっき頼んだ一式と一緒に、とっとい
てくれな」
「それはいいが……ひょっとして、そっちの騎士さんも行くのかい?」
 ルアとリーンとを見比べつつ、ドロイドが問う。
「しゃあねーじゃん。ついて来るってんだからよ」
 その問いに、ルアは投げやりな口調で答えた。それから、リーンを促して店
を出て行く。
「しっかしまあ……」
 その背を見送りつつ、ドロイドはぼそっと呟いた。
「相も変わらず、鈍いもんだね。ルア坊は」

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