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   4

 それと最初に接したのは、ファミーナだった。
 飛行可能な天馬騎士である彼女は、自らの特性を生かして強襲と離脱を繰り
返す事で敵を撹乱しつつ、戦況を上から見渡していた。そうする事で、味方の
弱い所を援護し、敵の動きを味方に伝え、戦局を優位に導こうと考えたのだ。
「ふうっ……だいぶ、落ち着いてきたかな」
 また一箇所を撹乱した所で上空へ上がり、小さく息を吐く。
 リューディやリンナと違い、五年前の戦いに直接参加する事のなかったファ
ミーナは、実戦経験が少ない。野盗団の討伐や魔物退治の経験はあるが、こう
して人と人がぶつかり合う『戦場』は初めてなのだ。
 それ故に、恐怖がある。戸惑いもある。
 だが、それにとらわれている余裕はなかった。怖いから、と言って下がる場
所も、自分にはない。
 そう思う事で強引に自分を納得させつつ、ファミーナは額の汗を拭った。
「……みんなは?」
 呟いて、周囲を見回す。
 リューディは、レクサと他者の立ち入る余地のない一騎討ちを続けている。
リンナはやや距離を開けているのではっきりは見えないが、神聖騎士団とぶつ
かっているらしい。余裕ができたら援護に来てくれ、とは言われたが、そちら
に回れそうにはなかった。
 何か、嫌な予感がしてならない。
 最初は、神聖騎士団が現れる事への不安かと思ったのだが、彼らが現れ、聖
騎士団と先端を開いてもなお、それは消える事無く残っている。天馬のティー
シェも妙にそわそわとしており、それが不安を助長した。
「何なのよ、この感じって……」
 はっきりしない不安に、苛立ちを感じながらこう呟いた時。
 ……ヒュッ!
 鋭い音と共に、何かがすぐ側を勢い良く飛び過ぎた。ティーシェが大きく身
体を震わせ、それで我に返ったファミーナはこちらに狙いを定める弓使いの存
在に気がついた。
「いけないっ……」
 避けなくては、と思うものの、先ほどの攻撃で動転したティーシェはファミ
ーナの思うように動いてくれない。その連携の乱れに気づいたのか、弓使いは
口元を笑みの形に歪めつつ弦を引き絞り──
「……がはっ!」
 放つ直前に身体を大きく震わせて血を吐いた。体勢が崩れ、矢はでたらめな
方向へ飛んでいく。
「……な……何?」
 唐突な出来事にファミーナは戸惑い、それから、ぐったりとした弓使いの喉
元から突き出ている物に気がついた。鈍く輝くそれは槍の穂先らしい、と思っ
た矢先に弓使いはどっと倒れ伏し、草原を紅く染めていく。弓使いが倒れた向
こうには、槍を構えたレヴィッドの姿があった。
「……あ……」
「ボケっとしすぎ! 撹乱戦力がのんびりしてて、どーすんのっ!?」
 思わず呆けた声を上げるファミーナに、レヴィッドは珍しく真面目な表情で
こう怒鳴る。それにファミーナが反論するより早く、レヴィッドは大きくジャ
ンプしてそこから飛び退いた。直後に二筋の剣閃が走り、大気を鋭く切り裂く。
「おわっ、あっぶね……」
 着地したレヴィッドが低い呟きをもらす。ファミーナはつい先ほどまでレヴ
ィッドがいた辺りに立つ、双剣を構えた女剣士の姿に気づき、レイナ、と小さ
くその名を呼んだ。
「何故、避ける!」
 当のレイナはファミーナは眼中にないらしく、剣の切っ先をレヴィッドに突
きつけつつ、こんな言葉を投げつけていた。
「避けなかったら、当たるでしょーが!」
 その言葉に、レヴィッドは大真面目にこう返す。
「当たって斬られなさい!」
「ヤダ。オレ、イタイのは嫌いです」
 相当頭に血が上っているらしく無茶な事を言うレイナに、レヴィッドは真顔
のままで言いきった。
「問答無用!」
 それにレイナはこう返し、両手の剣を繰り出してくる。レヴィッドは素早く
槍を払い、その一撃を弾いて飛びずさった。ファミーナはレイナの剣幕に呆気
に取られつつ、着地したレヴィッドの横に降下する。
「あなた、何やらかしたの?」
 冷静な事で有名なレイナの異様な剣幕に、ファミーナは低くこう問いかける。
この問いに、レヴィッドはあのね、と言いつつ眉を寄せた。
「一体、人を何だとお思いですか?」
「何って……」
 何を考えているかわからない嫌な男。
 思わず素でこう言いそうになったものの、ファミーナは直前でそれを思い止
まった。さすがにきっぱり言いきるには問題のある内容、というものあるが、
唐突に感じた悪寒が言葉を押し止めていた。
「な……何?」
「この感じ……闇?」
 言葉の代わりに困惑した呟きをもらすと、レヴィッドも何か感じたらしく眉
を寄せてこう呟いた。瞬間、その表情が引き締まり、くるみ色の瞳に厳しいも
のが浮かぶ。
「……真に申し訳ありませんが」
 その変化に戸惑うファミーナに、レヴィッドは低くこう呼びかけてきた。
「な、何よ?」
「ここから、東の方角に、何かいるっぽい。その辺りにいる友軍に、余計なモ
ンにちょっかいかけないよう、教えてやっていただけますか?」
 口調こそいつもと変わらぬものの、その表情は真剣そのものだった。その様
子に、ファミーナはそれ以上の追求は避けてわかったわ、と頷く。
「それで、あなたはどうするの?」
「陽動を適当に切り上げて、リューディとそっち行く」
 問いに、レヴィッドは短く応じて槍を握る手に力を込めた。ファミーナはそ
う、と呟いてティーシェを舞い上がらせる。ファミーナが離れるのを待ってい
たらしいレイナが素早く動いて繰り出す刃を、レヴィッドは巧みな槍さばきで
いなしていた。
 槍は、その重量故に使いこなすにはそれなりの腕力や筋力が要求される。そ
れを素早く動かして双剣の乱舞を弾くとなれば、相当な鍛錬が必要なはずだ。
レヴィッドに対し、『鍛錬嫌いのサボリ魔』という印象しか抱いていなかった
ファミーナにとって、その姿は意外そのものだった。
 思わずその場に止まっていると、レヴィッドがちらりと視線を向けてきた。
くるみ色の瞳は、急げ、と無言で急かしているように見える。ファミーナは一
つ頷くと、ティーシェを東へと向かわせた。
「……」
 東へ向かうにつれて、感じていた不安が強くなる。それは自分自身のものな
のか、それとも、雷家直系の血が感じさせる精霊たちのものなのか──ふと、
そんな事を考えた時。
「……っ!?」
 それが、目に入った。
「なに……あれ」
 思わず、こんな呟きがもれる。
 闇。
 一言で言うならば、それが最も適当だろう。
 漆黒の全身鎧に身を包み、同じ色の馬に跨った騎士。手には特異な形状が目
を引く剣が握られている。先端が丸みを帯びた、エクスキューショナーズ・ソ
ード──死刑執行人の剣、と呼ばれるタイプの物だ。漆黒のその刀身には真紅
が絡みつき、凄惨な色調を織り成している。
 騎士の周囲には、その色彩の元となったと思われる屍が伏していた。アルス
ィード魔導騎士団の者もいれば、フェンレイン傭兵団の者も倒れている。どう
やら、この騎士はどちらの味方、という訳でもないようだった。
「い、いったい、何者……」
 騎士を遠巻きにしている魔導騎士が震える声で呟き、それが呆然としていた
ファミーナを我に返らせた。ファミーナはその傍らに降下して、一言告げる。
「後退して!」
 突然の言葉に驚いたのか、場にいた者たちが一斉にファミーナに注目する。
「し、しかし……」
「いいから、下がって! 普通の相手じゃないのは、見てわかるでしょう!? 
無謀な突撃で、生命を無駄にしてはダメ!」
 困惑した面持ちで何か言いかける魔導騎士を遮ると、ファミーナは改めて黒
い騎士を見た。
 何とも言い難い、暗く、重い波動。
 相対するもの全てを押し潰してしまおうとしているかのような、そんな威圧
感が感じられた。
「何なのよ、一体……」
 威圧感と共に感じられるもの──表現し難い不快感に眉を寄せつつ、ファミ
ーナは剣を抜く。その動きに反応するかのように、黒い騎士の剣がぴくり、と
動いた。兜の奥に紅い光が二つ灯り、それがファミーナへと向けられる。
「なっ……」
 その瞬間、騎士の放つ威圧感の全てがファミーナへと向けられた。異様な輝
きを放つ光の不気味さと、圧し掛かるような威圧感がほんの一瞬、身体をすく
ませる。
「な……何? 一体、何なのよ、こいつっ!」
 震えながら思わずもらした呟きを遮るように、
 ……オオオオオオオオっ!
 黒い騎士が咆哮した。

 ガキィィンっ!
 鈍い金属音と共に、繰り出した一撃が弾かれる。
「くっ!」
 剣を握る手に走る痺れに顔をしかめつつ、リンナはラグロウスとの間に距離
を開けた。ラグロウスは追撃してくるでなく、悠然と剣を構えている。その表
情には、明らかな余裕が見て取れた。
 遊ばれている。
 その余裕が物語る事実に、リンナはぎっと唇を噛んだ。
 実力的に及ばないのは、理解している。兄の足元にも及ばなかった自分は、
兄を倒した男にとっては取るに足らない相手だろう。にもかかわらず、一気に
仕掛けてこないのは、彼が自分を『獲物』と見なし、狩り立てる事を楽しんで
いるからのように思えた。
 馬鹿にされている、という事実。それも悔しいが、何より、その状況を覆せ
ない自分が悔しく、情けない。その苛立ちから更にきつく唇を噛んだ時。
 ……オオオオオオオオっ!
 咆哮が、大気を裂いて耳に届いた。それと共にリンナは何とも言い難い、寒
気のようなものを感じ取る。
「な……なん、だ?」
 突然の悪寒に、リンナは一瞬状況を忘れて周囲を見回した。精霊たちの感じ
る不安が高まり、悪寒と共に圧し掛かってくるように思える。
「……怯えている……の?」
 小さな声で呟いた時、激しい闘気がすぐ側から感じられた。それを放ってい
るのが誰かは、言うまでもないだろう。リンナははっとそちらを振り返り、切
り込んでくる剣を自分の剣でとっさに受け止めていた。衝撃が、痺れとなって
腕を突き抜ける。
「戦場でぼーっとしてるたぁ、大した余裕だな、火竜のボウズ?」
 押し込まれる剣の圧力に顔をしかめるリンナに、ラグロウスはにやにやと笑
いながらこう言った。ただし、その眼は鋭い。その鋭さに飲まれそうになるの
を必死で押さえつつ、リンナは剣を握る手に力を込めた。
 体勢的にはリンナに分があると言えるものの、力では圧倒的に負けている。
その差をどう補っていくか──と考えたその矢先、押し上げていた力が唐突に
緩んだ。ラグロウスが僅かに下がり、剣にかけていた力を抜いたのだ。
「わっ……」
 突然の事にリンナは大きく体勢を崩し、そこにすさかずラグロウスが切り込
んで来る。
「リンナっ!?」
「危ない!」
 そう遠くない所からマールとファディスの声が聞こえ、直後に視界が大きく
揺れた。だが、痛みや衝撃はまるで感じてはいない。視界が揺れたのは、攻撃
を受けたからではなく、リンナの位置が不自然に後退したためのようだった。
ラグロウスの剣は空を切り、傭兵騎士は表情を険しくする。
「え? 何、なんなの、今の?」
 マールがぽかん、とした声を上げる。
「リンナとレヴァーサが、一瞬消えて……また、出て来た?」
 同じくぽかんとしつつ、ファディスがこんな呟きをもらした。
「何だ……今の?」
 だが、彼らにもまして当惑しているのは、当のリンナだろう。自分で何かし
た覚えがないだけに、困惑が大きい。ただ、今の不自然な移動の感触は、テレ
ポートのそれに似ていたように思える。
 誰かがリンナを瞬間的に移動させ、ラグロウスの剣を避けさせたのだろうが、
それはそれで疑問を生じさせる。即ち、誰が何のために、という疑問だ。
(マール……じゃ、ないみたいだけど。それじゃ、一体?)
 ぽかん、としているマールの様子からして、彼女でないのは確かだろう。リ
ンナは戸惑いながら周囲を見回し、
「……え?」
 こちらを見つめる女性の存在に気がついた。
 長く伸ばした蒼い髪と、薄紫の瞳が印象的な美女。彼女はリンナの視線に気
づくと、艶然たる笑みを口元に浮かべた。その笑みと、バランスの取れた肢体
を惜しげもなく見せつける装いにリンナは思わずどきりとするものの、艶やか
さと共に感じる異様な気配が冷静さの完全な消失を押し止めていた。
(この人……一体……)
 味方ではない。それだけは、はっきりと感じられる。なら何故、彼女は自分
を助けたのか。そんな疑問を感じていると、
「人の仕事を邪魔してくれるたぁ、そこの姐さん、どういう了見だい?」
 ラグロウスが女性に向けて低く問うた。女性はリンナに向けていた視線をゆ
っくりとラグロウスへ向ける。
「そう、怖い顔しないでくれないかしらねぇ? アタシにも、色々と都合があ
るのよ」
「ほぅ……一体、どんな?」
 からかうような口調で女は答え、ラグロウスは更に問いを継ぐ。女性はくす
くすと楽しげに笑いつつ、再びリンナを見た。
「今ここで、このボウヤに死なれると面白くないのよね。このコにとっても会
いたがっているヤツがいるから」
「なに?」
「……え?」
 笑いながらの言葉にラグロウスは眉を寄せ、リンナはとぼけた声を上げる。
直後に、また先ほどの咆哮が響き渡った。その声は何故か、言い知れぬ不安を
リンナに感じさせる。
「おいで」
 戸惑うリンナへ向けて手を差し伸べつつ、女性は静かにこう言った。
「おいで、ボウヤ。狂気の炎が、あんたに会いたがってる……あんたの血を、
欲しがってるよ……」
 鮮やかな紅の唇から紡がれる言葉と、瞳に宿る冷たい光。それらは氷のよう
な威圧感を伴い、リンナに圧し掛かってくる。その冷たさに飲まれそうな自分
をどうにか抑えつつ、リンナはぼくに? と短く問いかけた。
「そう……悪いけどそこのお兄さん、ジャマはしないでちょうだいね。どうな
っても、責任は取れないからね」
 リンナに答えつつ、女性は険しい表情のラグロウスに艶然と微笑みかける。
ラグロウスは妙に大げさなため息をつきつつ、らしいな、と吐き捨てた。
「どっちにしろ、引き時に違いねぇからな……全軍、後退! 氷狼と合流して、
態勢を立て直すぞ!」
 混戦状態になりつつある戦場へ向けてこう怒鳴ると、ラグロウスはリンナを
見た。視線を感じてそちらを振り返ったリンナは、その鋭さに気圧される。そ
んなリンナの様子にラグロウスはにやりと笑い、悠然と踵を返して歩き出した。
「……くっ……」
 無防備な背中を晒すその態度からは、明らかな余裕が感じられた。そんな、
ちょっとした態度からも差を見せつけられるような気がして、それが悔しい。
「あらあら、物わかりのいいお兄さんだこと」
 立ち去るラグロウスを見やりつつ、女性が楽しげに笑いながらこんな事を言
った。それから、女性は唇を噛み締めるリンナに向き直る。
「さ、おいで、ボウヤ。急がないと……余計な血が流れるよ?」
 最後の部分は冷たい口調になってこう言うと、女性はふっと姿を消した。冷
たく言い切られた部分が心に妙な不安を呼び込み、リンナは眉を寄せる。
「余計な……血?」
「リンナ様!」
 低く呟いたところに、苛立ちを込めた声がぶつかってきた。カリストだ。
「神聖騎士団が後退していきます。追撃するのか、否か!」
 鋭い問いに我に返ったリンナは、慌てて周囲を見回した。
 神聖騎士団は隊をまとめて後退し、聖騎士たちはこちらの指示を待っている。
主戦場を見れば、魔力切れが起きているのか水家は押され気味だ。
 このまま神聖騎士団を追撃する方が確実なような気もするが、余力を有り余
らせているかのようなラグロウスの存在を考えれば、そちらの方が危険だろう。
そして、神聖騎士団を相手に手間取れば、友軍の被害が増えるのが確かである
以上、選択できるのは。
「本隊と合流し、陣を立て直します!」
 全体を整え、相対する力を集める。今は、それが最適の選択肢と思えた。こ
の返事にカリストは微かに眉を寄せ、それから、了解しました、と頷いた。
(ぼくを待っている、狂気の炎……)
 隊を整え、主戦場へとレヴァーサを向けつつ、リンナはふと女性の言葉を思
い返す。
 その『狂気の炎』が何であるのかを確かめる事が、何故か、言いようもなく
恐ろしい事のように感じられてならなかった。

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