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   3

「せいっ!」
「おらよっと!!」
 気合と共に、銀と黒が交差する。二振りの剣は互いを捉えて火花を散らし、
再び距離を開けて対峙する。
 銀の刃を持つリューディと、黒い剣を持つレクサ。二人の剣士は蒼と青の瞳
で相手の動きを伺いつつ、仕掛けるタイミングを計っていた。
 間に張り詰める空気は緊張しているものの、しかし、彼ら自身には妙な余裕
が見て取れる。特にレクサの表情はわくわくとしているようにも見え、彼がこ
の状況を楽しんでいると物語っていた。
(相変わらずというか、何というか……)
 口元に笑みすら浮かべているレクサの様子に、リューディは心の奥でこんな
呟きをもらす。
 五年前に共に戦った時も、不安を感じる少年たちの中で唯一レクサだけは妙
にわくわくとしていた。その時と変わらない、うきうきとした瞳。当時はそれ
に精神的に救われていた部分もあったが、さすがにこの状況下では何が楽しい
のか、と聞きたくもなる。
(ま、聞いた所で、『楽しいから』とか何とか返すんだよな、こいつは)
 こんな事を考えつつ、リューディはゆっくりと剣を握り直し、僅かに左足を
動かした。その動きに、レクサが微かに表情を引き締める。
(上手くかかれよ……)
 心の奥でこんな呟きをもらしつつ、リューディは左足を前へと踏み出した。
左方向から仕掛ける、と思わせるその動きに反応してか、レクサは僅かに左側
に集中する素振りを見せ、それによって右方向には微かな隙が生じた。
(かかった!)
 狙い通りの動きににやりと笑いつつ、リューディは踏み出した左足で強引に
地を蹴って右へと跳んだ。
「んだぁっ!?」
 フェイントにまともに引っかかった形のレクサは、上ずった声を上げつつも
身体の向きを変えようとするが、僅かに遅い。レクサの側面を取ったリューデ
ィは一気に距離を詰めつつ、下段に構えていた剣を斜め上へ向けて斬り上げた。
 手応えと共に、真紅が風に散る。
 リューディはそのまま更に踏み込み、追撃を試みるが、レクサは大きく後方
に飛びずさる事でそれをかわした。
「あいっ変わらずの型破りだな、月闇流」
 今、リューディの刃が捉えた左の上腕部を一瞥しつつ、レクサが呆れたよう
にこう吐き捨てた。
「型破りって……その筆頭みたいなお前が、人にそれ、言うか?」
 それにリューディは大真面目にこう返す。レクサはむっとしたように眉を寄
せ、どーゆーイミだよっ!? と問いかけてきた。
「どーゆーも何も……」
 レクサの場合、行動の全てが型破りである、と言っても過言ではないのだが。
「リューディ、お前、ヒトのコト型破りの代名詞とか思ってやがんなっ!?」
「……違うのかよ?」
 返事に困っているとレクサは更に問いを重ね、リューディは思わず素でこう
返していた。何とも間の悪い沈黙が、緊張の上に張り詰める。
「リューディ……て、め、え、なぁ……」
「大体、五年前の騒動が終わってからぱったり音信不通で、出てきたと思った
ら侵略側です、って行動の、どこが型通りなんだよ?」
 怒りで声を震わせるレクサに、リューディはこんな問いを投げかける。
 レクサがゼファーグに──クィラルについた、その理由。それがわかれば、
クィラルが何を考えているかを知る手がかりになるかもしれない。ふとそんな
考えが過ぎったのだが、しかし。
「んなモン、仕事でやってんだから、仕方ねーだろーが」
 それに対するレクサの答えは簡潔なものだった。
「……仕事?」
「オレらは傭兵。食ってくためにゃどこにでも行くし、何でもやる。でなきゃ、
生きてけねぇんだからよ。
 隣の大陸に出稼ぎに行きゃ音信普通にもなるし、仕事として請け負ったから
にゃ、侵略だの、防衛だのは、カンケーねぇんだよっ!」
 言葉と共にレクサは走り出し、一気に距離を詰めてきた。ストレートな答え
に呆然としていたリューディは反応が遅れるものの、振るわれた剣はどうにか
受け止める。
「仕事って……仕事だったら、何でも構わないってのかよっ!?」
「はあ? それが、何だってんだよ!」
 押し合いつつ投げかけた問いに、レクサは怪訝そうに眉を寄せた。
「盟約破りの理不尽な侵略に加担しても、平気なのかって聞いてる!」
 苛立ちを感じつつリューディはこう怒鳴り、この問いにレクサは更にきつく
眉を寄せた。
「……アホか、てめーはっ!」
 一瞬の空白を経て、レクサはこう怒鳴りながら剣を押し込んできた。このま
ま押し合うのは不利、と感じたリューディはその勢いに逆らわず、斬り込んで
来る剣を受け流しつつ後ろに飛んで、再び距離を開ける。
「って、どういう意味だよ、それっ!?」
 それでも、着地と共に噛み付くのは忘れない。
「戦に、理不尽もなんもあるか、ボケ!」
 それに対するレクサの返事は簡潔だった。言葉と共にレクサはまた、距離を
詰めてくる。振りかぶりからの一撃を弾きつつ、リューディは何とか距離を開
けようと試みる。
 剣の長さで勝る分、リューディの方が僅かに間合いが広い。余り踏み込まれ
てしまうとその広さを生かせず、逆に剣の長さが動きを鈍らせて不利になる恐
れがあった。
 大きく後ろに飛びずさり、着地と共に剣を大きく横になぎ払う。この一撃は
レクサの追撃を押し止め、二人は距離を開けて睨み合った。
「ようするに、だ」
 距離とタイミングとを図りつつ、リューディは低く呟いた。
「理由や、大義、そういうものは一切関係なしで、戦ってる……そういう事、
かよ?」
「あったりまえだろーが」
 投げかけた問いに、レクサはこちらも構えを直しつつ、こう返してきた。
「大体、甘いコト抜かしてんじゃねーよ、てめーは。理由? 大義? そんな
モンが、何の役に立つってんだ?」
「人を動かす契機になる」
 問いに、リューディは剣を握り直しつつこう答える。
「けっ……話になんねーな。いくらなんでも……」
 ここでレクサは一度言葉を切る。直後に、その背後に白く巨大な狼の姿が浮
かび上がった。
「……甘すぎらぁなっ!」
 叫びざま、レクサは地を蹴って一気に距離を詰めてきた。飛び込んできた漆
黒の剣を、リューディは銀の刃で受け止める。
「主義、主張、思想、理念。ついでに理想だの正義だの大義だの。そんなモン
を持ちこまなきゃ人を殺せねえんなら、戦場に出てくんなってんだよ!」
「理想も大義もなかったら、ただの戦闘狂だろうが!」
 叫びつつ、リューディは力を込めてレクサの刃を押し返す。
「それがどうした!」
 押し戻されたレクサは一度下がり、勢いをつけて再びぶつかってくる。
「戦闘狂だろーとなんだろーと、オレらはそうやって生きてきた。自分の腕、
自分の技、自分の剣を売って、それをメシに変えて食ってんだ! それに、ケ
チ付けられるいわれはねぇっ!」
 怒鳴りつつ、レクサはリューディの剣に自分の剣を叩きつけた。斬りかかる
一撃をいなそうと構えていたリューディは居を突かれ、体勢を大きく崩す。両
手で支えていた剣から右手が離れ、剣が左手と共に宙を泳いで前面ががら空き
になった。
「しまっ……」
「もらいっ!」
 しまった、と言うより早くレクサは斬り込んで来る。黒い剣が閃き、そして、
真紅が散った。

「……っ!!」
 何の前触れもなく走った悪寒に、ミュリアははっと顔を上げた。
「な……何?」
 理由はわからないが、身体が震えてならない。言葉にできない不安を感じつ
つ、ミュリアは自分自身を抱き締めるようにぎゅっと両肩を掴んだ。
「ミュリアお嬢、どったの?」
 突然震え始めたミュリアに驚いたのか、カールィがそっと呼びかけてくる。
ミュリアは数回深呼吸をしてから、大丈夫、とそれに応えた。
「ならいっけど……わっ!?」
 その返事にカールィがひとまず安堵した直後に、部屋が大きく揺れた。遠く
から爆発音らしきものも聞こえてくる。窓の鎧戸が下ろされているのではっき
りとはわからないが、ヴェラシアとガルォードの魔法戦は相当派手なものであ
るようだ。
「……びっくりしたぁ」
 揺れが静まると、カールィはため息と共にこんな言葉を吐き出す。ミュリア
も、ほんとね、と言いつつ小さく息を吐いた。
 突然の身体の震えはひとまず治まったが、しかし、心には不安が残される。
その不安は今の状況──リューディと離れている事への不安に取り込まれ、そ
れを更に大きくした。
(リューディ……)
 今までは、自由に会えなくとも同じ場所、同じ街にいた。思うように会えな
くとも、一緒にいる、近くにいる、という安心感があったのだ。
 だが、今はそれがない。距離を隔てている、という事実が重い。
『オレは、ミューを護る。そのために、戦いに行くんだ』
 最後に話をした時、リューディはこう言っていた。自分が戦火に晒される前
に、戦いを終わりにしたいのだと。
 言われた言葉は嬉しかった。だが、それと同じくらいに怖かった。
 戦いに行くという事は、生命のやり取りに行くという事。
 リューディが誰かと戦い、傷つけ、そして傷つけられる可能性がある、とい
う事なのだ。
 当たり前と言えば当たり前のそれが、ミュリアには怖かった。リューディが
戦いで傷つくのは勿論、誰かを傷つけるのも、怖い。
 忘れようと思っても、忘れられない光景。
 月の光の下、紅く染まった剣を手にしたリューディの姿がふっと蘇る。
 五年前のヴィズル戦役の際に偶然見てしまったその姿は、どうしても記憶か
ら消す事ができなかった。
 リューディがそうしなければ自分たちが危険だった事は、今は理解できてい
る。だが、目の当たりにした瞬間に感じた恐怖は、返り血を浴びた姿と共に焼
きつき、不安を感じさせてならないのだ。
 ずっと一緒にいて、良くわかっているはずのリューディが、わからなくなる
不安。
 それは離れている事で、その存在を少しずつ増してくる。
 その不安を消したいと思っても、今はどうする事もできない。リューディの
側に居られれば、他の不安と共に押し込む事ができるのだろうが、今は、それ
は叶わないのだ。
「……ミュリアお嬢?」
 不意に、カールィが声をかけてきた。はっと我に返って振り返ると、心配そ
うにこちらを見つめる緑の瞳と目が合う。
「あ……なに?」
「なに、じゃないよ。顔色、悪いよ〜?」
 とぼけた問いに、カールィは眉を寄せつつこう返してきた。
「そう、かしら?」
「うん、あんまりよくない」
 自覚がなかったため、軽く首を傾げつつ問うとカールィはきっぱりとこう言
いきり、それから、かりかりと頬を掻いた。
「えとさ……だいじょぶ、だと、思う」
 一しきり頬を掻くと、カールィはいきなりこんな事を言い、唐突な言葉にミ
ュリアはきょとん、と瞬いた。
「だいじょぶ……って?」
「だから、リューディ。だいじょぶだと思う」
 戸惑いながらの問いに、カールィはきっぱりと言いきった。
「カールィ……」
「ミュリアお嬢、リューディのコト、好きなんでしょ?」
「えっ!?」
「なら、信じてなきゃダメだよ」
 思わぬ言葉に思わず大声を上げるミュリアに、カールィはにこにこしつつこ
う言った。
「……信じて?」
 指摘にどぎまぎする心臓を押さえつつ、ミュリアはカールィの言葉の一部を
反芻する。カールィは笑顔のままでうん、と頷いた。
「リューディは、絶対大丈夫だって。オレは、仲間だから、そう信じてる。お
嬢に取ってはさ、リューディは『好きな人』で、『大事な人』なんだよね? 
なら、信じてなきゃ」
「大事な人だから……信じる」
「お嬢が信じてれば、きっと、リューディも頑張れると思うよ」
 屈託のない笑顔で言い切られる言葉は、妙に強く胸に響くように思えた。
(信じる……私が信じてれば……リューディも……)
 今まで、考えた事もなかったかも知れない。これまでは、『一緒にいる事』
だけが、想いを示す方法だと、そう思っていたから。だが、カールィの言葉は
離れていても、いや、離れているからこそ大きな意味を持つ想いの示し方があ
ると、そう教えてくれた気がした。
「うん……そうよね。私、信じる……リューディの事……」
 いつの間にか俯いていた顔をゆっくりと上げつつ、ミュリアは微笑みながら
こう呟いた。この言葉に、カールィは満面の笑顔でうん、と頷く。
(リューディ……信じるから……だから……だから、お願い。リューディは、
リューディのままでいて……それから……無事でいて……)
 祈るように組み合わせた手を胸に押し当てつつ、ミュリアはこんな想いを心
に浮かべていた。

「くっ……油断した」
 黒い剣に断ち切られた黒い革鎧を見やりつつ、リューディは低く吐き捨てた。
 反射的に身体をそらしたお陰で直撃は免れたものの、左の肩から胸にかけて、
決して浅くはない斬打を受けている。革鎧の裂けた縁には、紅い色がついてい
た。
(剣を振るのに、響くか、これは……)
 熱を帯びて疼く傷に、ふとこんな事を考える。そういう問題ではない、と言
われそうだが、現状ではそれが最も重要なのだ。傷の痛みにとらわれていては、
目の前の氷狼に喉笛を噛み切られかねない。
 ゆっくりと呼吸を整えつつ、リューディはレクサの様子を伺った。レクサは
片手で剣を構えつつ、同じようにこちららを伺っているが、その表情は妙に不
満げだった。
「つーか、よぉ」
 空いている方の手でぼさぼさの銀髪をがじがじと掻き回しつつ、レクサはた
め息まじりにこう言った。
「リューディ、お前、この五年間、何やってたんだよ?」
「何って……どういう意味だよ?」
 唐突な問いの意を掴みあぐね、リューディは眉を寄せる。
「んなモン、言ったとーりだっての。てめーの剣……気合が感じらんねー」
 口調は投げやりだが、こちらを見つめる瞳は厳しく、強い苛立ちらしきもの
も伺えた。
「気合……?」
「ヤル気が感じられねぇって、そう言ってんだよ!」
 叫ぶように言いつつ、レクサは地を蹴って距離を詰めてくる。下段の構えか
ら振り上げられた一撃を、リューディはとっさに両手で構えた剣で払いのける。
剣を両手に構えた瞬間、左肩に激痛が走ったもののリューディは僅かに表情を
歪めただけでその痛みに耐えた。この痛みにとらわれていては、更なる痛みを
受ける事になるとわかっているからだ。
「ヤル気って……なんのだよ!」
「ヤル気はヤル気だろーが! 五年前のてめーにはあったモンが、今は、全然
ねぇっ!」
「五年前……ヴィズル戦役の時に、オレにあったもの?」
 苛立ちと共にぶつけた問いにレクサは怒鳴り声で返し、その答えにリューデ
ィは戸惑う。
「って、何だよ、それっ!?」
「んなモンは、てめーで考えろ、このボケっ!」
 怒鳴り声と共にレクサは斬り込んでくる。負傷した状態で攻撃を真っ向から
受け止め続けるのは得策ではない──そう判断したリューディはレクサの剣を
一度受け止め、それを弾き飛ばしながら大きく後ろに飛びずさった。
「逃げの一手かよっ!」
 苛立たしげに吐き捨てつつ、レクサが追撃のための一歩を踏み出した時、
 ……オオオオオオオオっ!
 何者かの咆哮が戦場に響き渡った。

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