目次へ




   ACT−5:狂夢のみ知る遠い刻 02

 一言で言えば、全くの予想外。それだけに、一瞬身動きが取れなかった。
 何が求められているのかは、感じられた。そして、飛び込んできた柔らかな
肢体に、なんらざわめきを感じない、とは言い難い。
 しかし、それでも。
「……止めとかない、こーゆーの?」
 それでも、彼女は触れるべき相手ではない、という認識はそのざわめきを鎮
め、ソードはそっとメイファを引き離してこう言った。メイファは何も言わず
に、じっとソードを見つめている。淡いヘーゼルの瞳には寂しさと、それから
諦めのようなものが微かに浮かんでいた。
「オレは……オレは、さ。何にも、ないんだ。目を覚まして、歩き出すより前
の事は、オレの中には何にも残ってない。
 時々、カケラみたいな夢を見るけど、でも、それにも形はないから……だか
ら」
 ここで一度言葉を切ると、メイファは消え入りそうな声で、だから? と先
を促してきた。
「だから……だから、オレは、なれない。キミの求める、クロードには……だ
からさ、抱けないよ、オレ、キミの事は」
 静かなままでこう言い切ると、メイファは小さくそう、と呟いた。
「それじゃ……もし、今のがあたしじゃなくて、あの子だったら?」
 それから唐突に、こんな問いを投げかけてくる。この問いに、ソードはえ、
と間抜けな声を上げていた。そんなソードの様子に、メイファは微かに笑みを
浮かべる。
「……あの子の事、好きなんだ」
「……そう、すっぱりと言い切られても、答えようがないんだけど、オレ」
 楽しげに言われ、何となく所在無いものを感じつつぼそぼそと言うと、メイ
ファはあら、と言いつつ首を傾げる。
「否定、できるのかしら?」
「……できません」
 否定も反論も、する余地は一切無かった。ソードはあっさりと白旗を揚げ、
拗ねたようにも見えるその様子に、メイファはくすくすと声を上げて笑いつつ、
ソードから離れて立ち上がる。
「でも、一つ聞いてもいいかしら?」
 立ち上がったメイファは、取り替えた包帯や当て布をまとめつつ、ふと思い
出したようにこう問いかけてきた。
「え……なに?」
「どうしてあの子と一緒にいて……護ろうとしてるのか」
 投げかけられた問いは、やや唐突に思えた。ソードは思わずきょとん、と瞬
く。
「どうしてって……んー、そうしなきゃならないって、そんな気がしたから。
根拠なんて、全然ないけどね」
「そんな気がって……それじゃ、あの子が誰なのか。何をしようとしてるのか
……全然知らずに?」
 例によってごく軽く返した言葉に、メイファは微かに眉を寄せつつ更に問う。
その通りなので、ソードはうん、と素直に頷いた。
「知りたいって、思わないの?」
「思わなくはないけど……でも、ミィが自分から話さないって事は、聞かれた
くないって事なんだろうし。なら、無理に聞こうとは思わないかな」
「……あなたって……」
 ソードの答えに、メイファははっきりそれとわかる呆れを交えた声を上げた。
「物凄く優しいのか、それとも大雑把なのか、単に何も考えてないのか、のど
れかね」
「……もしかすると、全部かも」
 その呆れた口調ままでされた辛辣な評価に、ソードは乾いた笑いと共にこう
返す。メイファはくす、と笑いつつ、確かにね、と止めを刺して来た。
「さて、それじゃあたし、戻るわ。無理はしないでね、怪我人なんだから」
「いや、だから、無理のしようがないってば」
 さっきもこんな会話したなあ、と思いつつこう返すと、メイファは大げさに
息を吐きつつ肩を竦める。
「あんなの見ちゃったら、中々信用できないわよ、それ」
「う……またもや人外宣告された」
 さらりと言われた言葉に思わずこんな呟きをもらすと、メイファは楽しげに
笑いながらじゃあね、と言って部屋を出て行った。その姿が消え、走るような
足音と共に気配が遠のくと、ソードは一つ息を吐いた。
「……ごめん」
 それから、微かに表情を翳らせつつ、小さく呟く。
 言ったところで意味はなく、恐らくは傷つけるだけのような気がして、言え
なかった短い言葉。それが大気に溶けるとソードはまた小さくため息をつき、
先ほど脇に避けた剣を改めて手に取った。
「……魂喰いの刃……『焔獄剣』ティルフィング……か」
 呟きつつ、その柄に手をかけて鞘から引き抜く。銀の刃が微かな光を弾き、
煌めいた。
「オレが望んだ力……なら、何故、オレはこれを望んだ……?」
 問いに答える声などはなく、ただ、真紅の宝珠が哂うように煌めきを放つの
みだった。

 緑の光に触れた瞬間、同じ色の光が空間を埋め尽くした。その眩しさにミィ
は目を閉じ、そして。

『……きみたち、だぁれ?』

 唐突に聞こえてきた声に戸惑いつつ、そっと目を開き。
「え……これは」
 目の前に浮かぶそれに、呆けたような声を上げていた。
 一体、いつの間に現れたのだろうか。目の前に巨大な球体が浮かび上がり、
そこに森の中の開けた空間に座り込むまだ幼い少年の姿が映し出されている。
赤茶色の髪と翠珠色の瞳の少年が誰かは、すぐにわかった。
「……ソードさん」
「否。この者の名はクロード。クロード・ヴェルセリス」
 思わずもらした呟きは、狂夢王によってすぐに否定された。
「クロード……魔導帝国の、『焔獄の聖魔騎士』?」
 戸惑いながら向けた問いに、狂夢王は然様、と頷く。仕種に合わせ、長く伸
ばされた髪がさらり、と揺れた。白のようにも銀のようにも見える長い髪は、
虹を思わせる色とりどりの光彩をその上に散らしていた。

『とも……だち? あそんで、くれるの?』

 球体に映る少年が消え入りそうな声を上げる。不安と、期待。大きな瞳には、
その両方が浮かんでいた。空白を経て、その顔に無邪気な笑みが浮かぶ。少年
は虚空へと手を差し伸べ、その手の上に光が弾けた。
「あの光は?」
「精霊。我が眷属であり、我や我が同胞の子ら。
 聖王女。『大破壊』は存じておろう?」
 ふともらした呟きに狂夢王は淡々と答え、それから、こんな問いを投げかけ
てきた。
「『大破壊』……真言魔法のもたらした、破滅の炎……」
「そう。我ら精霊を、忌むべき存在に貶めし災禍」
 振り返ったミィに、狂夢王は皮肉っぽい笑みを向ける。その笑みは自嘲のよ
うにも、そして全てのものへの嘲りの笑みようにも見えた。
「かつて人の子は我らを真なる言語によって束縛し、それにより力を行使した
汝らが『真言魔法』と呼び、忌み嫌うその技はやがて『名も無き天聖なる君』
の怒りを買い、力に酔いしれし者どもは罰を受けた……」
 淡い紅の瞳を虚空へ向けつつ、狂夢王は歌うようにこう呟く。
 『真言魔法』──ラ・ワーズとも呼ばれるその技術は、かつて大陸に比類無
き繁栄をもたらした。だが、強大なる力はやがてその制御を失し、暴走と言う
最悪の結果を導いてしまう。
 現在、『大破壊』と呼ばれるその災禍を生き延びた人々は、自戒の意味を込
めて『真言魔法』を禁忌の物とし、精霊への接触を固く禁じたという。
「先人の戒めとは、常に歪むもの……人の子は、天地聖王国の者を除いて、我
らの存在を忘れ去った。そうする事で、災禍そのものを忘れんとするかのよう
に。
 ……だが、それは、我らにとっては苦痛だった」
「……苦痛?」
 思わぬ言葉に、ミィはきょとん、と瞬いた。その様子に、狂夢王は薄く笑む。
「そう、苦痛。
 真言による意に沿わぬ使役さえ、忘却に比べたなら瑣末なもの。
 だが、人の子多くは頑なに我らを、我らが『在る』という事実を拒み続けた。
 己が罪を忘れるため。
 己が存在を正当化するため。
 破壊は災禍であり、人の子に起因せし物ではないと。
 そう、思い込むために……な」
 静かに静かに、歌うように語られる言葉は、重たく響いた。
「それでも……全ての人が、そうでは……」
 今にも消え入りそうな声で、ミィはようやくそれだけ呟く。この言葉にも、
狂夢王は薄く笑うだけだった。
「確かにな。天地聖王国は我らを忘れず、しかし、我らの声が届く事も無く。
人という存在に我らが絶望を感じかけていた折……この者が生まれた」
 虚空にむいていた瞳が、つい、と球体の中の少年へと向けられる。ミィもつ
られるように、球体を見た。
「我らの存在を見、感じ、認め、在りのままに受け入れる者。力ある、無垢な
る者の誕生。それは、我らにとってはこの上ない喜びであった。
 我を除く精霊王は皆、この者との間に魂の盟約を結んだ。友愛を持って我ら
の力を用いる事を、承認したのだ」
 静かに語られる言葉。その一部にふと疑問を感じたミィは、首を傾げつつ狂
夢王を振り返った。
「あなたは、どうして盟約を結ばなかったのですか?」
 ごく何気ない問いかけに、狂夢王はくく、と低く笑う。
「我は人の子の、そして全ての『心』を自身の領域とするモノ。異なる存在に、
人の子が如何に為すかを知るが故に、早急な盟約は是とできぬ、と判断した」
「それは……?」
「こういう事だ」
 戸惑うミィに淡々と返しつつ、狂夢王はつい、と手を振る。穏やかな雰囲気
の森の小広場が消え、小さな村の広場らしき光景が映し出された。広場には、
何かを取り巻くような人だかりができている。

『化け物!』
『魔物の子!』
『お前がいるから、災いが起きるんだ!』

 罵声と共に、何かを殴打するような音が響く。

『忌み月の魔物の子じゃ……』
『あいつは、自分の母親を喰らって生まれたんだよ』
『魔物、魔物』
『クロードは魔物』

「……っ! これは……」
 映し出された光景が意味するものに気づいたミィは、呆然と目を見開く。広
場に集まった人々が、まだ幼い少年に集団で暴行を加えているのだ。
「酷い……どうして、こんなっ!」
「重なり過ぎたが故の事」
 思わず上げた声に、狂夢王はさらりとこう答える。
「重なり過ぎたって、何がですか!?」
「力、出生、場所、誕生時の不幸。それらが、余りにも絶妙に交差した。
 失われし力の意を理解できる者なき地で、月なき夜に、母親の生命と引き換
えに生まれし、父親の知れぬ、力ある子。恐れ、忌まれる要素は、十分にあろ
う?」
 理不尽としか思えない暴行に声を荒げて問うミィに、狂夢王は気だるげな調
子でこう答えた。
「そんな……そんな、理由で……」
「人の心とは、そのようなモノ。強くもあり、また、脆い。それ故に愉しく、
また、哀しくもある。それが、我が領域」
「……」
「全てのモノが非を持ち、しかし、全てのモノは非を持ちはしない。敢えて非
を問うのであれば、それは『無知』の咎となろう。
 そして、それに対する裁きは……滅び」
 歌うような言葉、その直後に。

『……きらい……だ』

 掠れた声が球体の方から響き、ミィははっとしてそちらを見た。
 球体に映る人だかりの中心、そこに、淡い光が灯っていた。光は様々な色彩
を放ちつつ、その輝きを増していく。

『みんな……きらい、だ……きえろ……』

 冥いものを孕んだ声が響く。その光と声に、人々は恐れ戦くように退いた。
光に包まれた少年はゆっくりと立ち上がり、後ずさる人々を睨む。その瞳に、
ミィははっと息を飲んだ。
「瞳の、色が……」
 最初の映像では、穏やかな翠珠色だった少年の瞳は、血を思わせる真紅にそ
の色彩を違えていた。その変化はミィ自身も既に二度、目の当たりにしている
ものと全く変わらず、身体が微かに震えた。
「血の瞳は、仮面。自身を護ろうとする意思が生み出したもの……」
 呆然とするミィに、狂夢王が気だるげに告げる。その言葉の意を問おうとす
るのに重ねるように。

『きえて……消えて、なくなれっ……』

 少年が低く呟き、そして、光が弾け飛んだ。

「……みう」
 重く、不安げな曇り空。その灰色を、リュンは落ち着かない様子で見上げて
いた。
「……どうした?」
 ふらりと彷徨い出た外でその姿に気づいたシュラは、できるだけ穏やかに声
をかける。リュンは不安げな表情のままシュラを振り返り、みぅぅ、とか細い
声を上げた。
「何か、あったか?」
「……みゃう」
 問いに、リュンはふるふる、と首を横に振る。
「では、どうした? 元気がないと、皆、心配するぞ?」
「みゅうん……」
「……ソードたちの事か?」
 ややためらってからこう問いかけると、リュンはこくん、と頷いた。
「ソード、たべられちゃったら……どしよ」
 ぽそり、と呟く言葉に、シュラは微かに眉を寄せる。
「シュラ、リュン、やだよ。ソードとばいばいも、ミィとばいばいも、やだ。
シュラとばいばいするのも、や。みんな……ばいばいしちゃうの、ぜったい、
やだ」
 小さな声で言って、しゅん、とうな垂れる頭にシュラはそっと手を置き、宥
めるように緑の髪を撫でてやった。リュンはみうう、と言いつつ上目遣いにシ
ュラを見上げる。
「シュラ、ソード、たべられちゃう?」
「お前は、そう思うか? 奴が、剣に負けてしまうと」
 消え入りそうな問いに、シュラは逆にこう問いかける。リュンはふみゃう、
と声を上げて眉を寄せた。
「……信じていろ、奴を。奴は、ソードは、剣如きに負けはせん」
 そんなリュンに、シュラは静かな口調で、諭すようにこう告げる。
「しんじ……て?」
 きょとん、と瞬いて首を傾げるリュンに、シュラは苦笑していた。どうやら、
『信じる・信頼する』という事に関しては感覚としての認識はあっても、言葉
で表現しうる段階には到っていないらしい。
(さて、どう説明した物か)
 とはいえ、『信じる』、というのは言葉では説明し難いものと言える。間違
った説明をすれば、無垢な竜人の子はそのままで認識してしまうのだから、そ
の点では、『全てを学習によって身に着ける』という特性は厄介と言えた。
「ソードは負けぬと、そう、思い続ける事。その想いが奴を支える力となる」
 しばしの思案を経て、シュラはこんな説明で答えてみた。リュンはふみ? 
と言いつつ首を傾げる。
「……おもい? ささえ……る?」
「難しいか?」
 苦笑しつつ問うと、リュンはみゅん、と素直に頷いた。
「難しく考える事はない。負けぬと、そう思う事。大切なのは、それだ」
 言いつつ、シュラはまた、緑の髪を撫でてやる。リュンは金色の瞳でじいっ、
とシュラの蒼氷の瞳を見上げ、それから、小さな声で問いを投げかけてきた。
「……ソード、まけない? たべられちゃわない?」
「皆でそう、思っていれば、きっと、な」
 その問いに静かに、しかし、はっきりとこう言って頷くと、リュンはみゅん、
と声を上げた。それからきゅっ、と眉を寄せて何事か思案するような素振りを
見せ、やがて顔を上げてみゃう、と頷いた。
「ソード、まけないよね。ミィも、ばいばいしないよね。みんな、みんな、だ
いじょぶだよ、ね?」
 どこか真摯な問いかけに、シュラは大丈夫だ、と頷き返す。
(そう……負けは、すまい? 自らの心を持つ、今の貴様であれば……)
 肯定の返事に嬉しげな表情を見せるリュンを撫でてやりつつ、シュラはふと、
こんな事を考えていた。

← BACK 目次へ NEXT →