目次へ




   ACT−5:狂夢のみ知る遠い刻 01

 闇の中に、声が響く。

『……力を、求めるのか?』

「うん」

『我は、汝に力を与え得る。だが……』

「だけど、何?」

『それは汝に多くを与え、同時に、全てを奪い取るやも知れぬぞ』

「構わない。どうせもう、何もないから」

『何もない……か。では、手にするがいい。我が力、我が剣を』

 暗闇の中に剣が浮かぶ。血を思わせる石のあしらわれた、銀の剣。それに向
けてまだ幼い、子供のものと思われる手がためらいなく伸ばされた。
 手は、剣をしっかりと握り──そして、紅い光が乱れ飛んだ。

「……っ!」
 紅い光に、夢が破れた。反射的にがばっ、と起き上がったものの、直後に鋭
い痛みが胸を貫き、ソードは呻き声を上げながら身体を丸めた。
「何をしている、馬鹿者が」
 激しい痛みに耐えていると、呆れたような声が耳に届いた。どうにか顔を上
げ、振り返った先には蒼氷色の瞳がある。
「……シュラ……っつ……」
「無理に喋るな、傷に響くだろうが?」
 その通りなので、ソードは無言で頷いた。左胸が焼け付くように痛み、ソー
ドはしばし、呼吸を整える事に専念した。息をするだけで激痛が走る、という
のは、正直勘弁してもらいたい。
「さ……さすが、に」
 呼吸がある程度落ち着き、痛みも鎮まると、ソードは掠れた声で呟いた。
「さすがに、なんだ?」
 突然の言葉に、シュラは訝しげに眉を寄せる。
「さすがに……小太刀と大剣じゃ……大剣の方が、イタイ」
 比較を立てる対象が大分間違っているような。
 いつもなら即、扇子の一閃がはいりそうなボケだが、さすがにこの負傷では
それは控えられ──。
「問題が違う」
 なかった。
 いつもよりは軽いものの、しかし、容赦のない一閃がソードの後頭部ですぱ
ぁぁぁんっ!といい音を立てる。衝撃にソードは前のめりになりつつ、左胸を
押さえた。衝撃が、軽い痛みを伝えてくる。
「じゅ……重症の人間に、これは随分、あんまりな仕打ちじゃっ……」
「その傷で生きている時点で、既に労わりを要する域は逸脱していようが」
 一理ある。それにしても手厳しい感があるのは、シュラ自身の感情を反映し
ての事、と言えるのかも知れないが。
「……っとに……いじめっ子っ……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、ソードはゆっくりと胸から手を離す。傷はまだ
完全には塞がっていないらしく、鋭い痛みと熱が感じられた。受けた傷の程度
を思えば、その程度で済んでいる、というのも奇跡的なのだが。
(普通、死んでるよなぁ……)
 天狼に刺された時もそうだったが、常人であれば確実に死んでいるだけの出
血をしたような気がする。いやそれ以前に、心臓を完全に貫かれても生きてい
る、というのはどういう事なのか。
 これまでは、それが自分の『自然』という根拠のない認識からさして気に止
めなかったその事に、ソードは初めて疑問を感じていた。
「……どうした?」
 考え込んでいるとそれが表情に出たのか、シュラが怪訝そうに声をかけてき
た。
「あ……いや、なんでも。そういや、ミィとリュンは?」
 それに曖昧に答えつつ、ふと浮かんだ疑問を投げかけて話題を逸らす。ソー
ドとしては何気ないこの問いに、シュラは何故か表情を険しくして眉を寄せた。
「……どしたの?」
 難しげな面持ちに困惑しつつ問うと、
「……聞いても大人しくしている、というなら、話してやっても構わんが」
 シュラはさらりとこう返してきた。思わぬ言葉に、ソードはきょとん、と瞬
く。
「なに、それ?」
「言った通りの意味しかない」
「……どっちにしろ、今のオレって、動きようがないんだけど?」
 妙に真剣なシュラの様子に気圧されつつ、ソードはこう返す。実際、軽く動
いただけで走る痛みは、大人しく寝ている以外の選択肢を与えてくれそうにな
い……のだが。
「ここまで見事に常識を破壊されては、どんな言葉も額面通りには受け取れん」
 それに、シュラはため息混じりにこう返してきた。否定こそできないものの、
あんまりと言えばあんまりな物言いにソードは眉を寄せる。
「そこまで、言うか?」
「否定できまい?」
 言いたい事はなくもないが、しかし、反論の余地なし、である。故に、ソー
ドは渋い顔で一つ頷くしかできなかった。
「とにかく、動かないで大人しくしてりゃいいんだろ? んで?」
「リュンは何事もない。が……一方は、原因不明の昏睡状態だ」
 ため息と共に言った後、投げやりに促すと、シュラは端的な答えを返してき
た。言われた言葉の意味を掴みあぐねたソードは、え、ととぼけた声を上げる。
「昏睡……状態? ミィ、が?」
「貴様が意識を失って倒れた直後に意識を失った。既に丸三日、目を覚ます気
配もない」
 呆然と繰り返すと、シュラはああ、と頷き、それから淡々と解説を付け加え
た。
「な、なんでっ!? いでっ……」
 思わず上げた大声が傷に衝撃を与え、ソードはまた胸を押さえる。その様子
に、シュラは呆れたようにため息をついた。
「なんで、と問われてもわからん。先にも言ったが、一切の原因は不明だ。一
応、身体の方はなんともないようだがな……」
「んじゃ……一体、何で……」
 傷の疼きを堪えつつ、ソードは低い呟きをもらす。それに、さてな、と言い
つつシュラは紙の上に黒い粒を乗せて差し出してきた。
「……なに、コレ?」
「痛み止めの丸薬だ。効いてくれば、多少は楽になる」
 妙に黒々と、艶々したそれに怪訝そうに問うと、シュラは短くこう説明する。
「そっか……じゃ、飲んどく」
 何となく嫌な予感はしたものの、しかし、楽になる、と言う言葉は魅力的で
ソードは素直に粒を受け取って口の中に放り込み、
「……っ!?」
 直後に広がった味覚に思わず目をむいた。
「にっ……にがっ……」
 予測していなかった訳ではない。が、その予測を超える苦味に思わず呻くよ
うな声が上がる。
「当然だろうが。良い薬ほど、苦いものだ」
 それに、シュラは平然とこう返しながら水の入ったカップを持たせてくれた。
ソードは無言でその中身を流し込む。
「に、してもっ! ……コレ、苦すぎ」
「何を軟弱な」
 どうにか人心地ついたところで訴えるものの、シュラはさらりとこう切り返
してくる。
「それ、ぜってー、問題違うっ……」
 通らないのは承知の上で更に文句を言うものの、シュラは違わん、の一言で
それも受け流した。
「とにかく、貴様は大人しくしていろ。後で、メイファが傷を診に来る」
「だーかーら、どうせ動けないってのに……あ、そうだ」
 釘を刺すような物言いにぶつぶつと文句を言ったところで、ソードはふとあ
る事に気づいて室内を見回した。
「どうした?」
「オレの、剣は?」
 短い問いに、シュラの表情がすっと厳しさを帯びた。
「……リュンが、怯えていた。あの剣は貴様を喰らうと。故に、離しておけ、
とな」
「リュンが?」
 思わぬ言葉に訝るような声を上げると、シュラはああ、と一つ頷く。
「精霊どもも、同じ事を言っていたらしい。故に、一応離しておいたのだが」
 言いつつ、シュラは部屋の隅へと目を向ける。その視線を辿った先には、布
で厳重に包まれた細長い包みがあった。
「……取ってきてほしいな〜、なんて、思うんだけど、オレ」
 妙にわざとらしく、明るい口調でこう言うと、シュラはきつく眉を寄せてソ
ードを振り返った。厳しい表情に、ソードはにぱ、と書き文字の浮かびそうな
笑顔を見せる。
「……何を、するつもりだ?」
「いや……特別何を、ってんじゃないけど……ただ、ちょっと、考えてみたい」
 静かな問いに、ソードは表情を真面目なものへと改めてこう答える。この返
事にシュラの瞳の険しさがまた、増した。
「考える、とは?」
「オレにとって、あの剣が、なんなのかを」
 答える瞬間、翠珠の瞳はいつになく真剣だった。シュラもまた真剣な蒼氷の
瞳でそれを見返し、それから、一つため息をついて部屋の隅へと向かう。
「考えるのは構わんが、程ほどにしておけ」
 包みを手にして戻ってきたシュラはそれを手渡しつつ、こんな事を言う。声
は、どこか呆れたような響きを帯びていた。
「まぁ、無理するつもりはないけど」
「ならいいが……この上、知恵熱など出されてはかなわんからな」
「……どーゆー意味だよっ!」
 さらりと言われた言葉にさすが渋い顔になって問うものの、シュラは答えず
に薄く笑うだけだった。
「冗談はさておき……無理はせず、しっかり休養しろ。何か事あれば、私が出
る」
「……ああ。そう、ならない事を願いたいけどな」
「……まったくだ」
 ため息混じりの言葉を最後に、シュラは部屋を出て行く。その気配が完全に
遠のくと、ソードは渡された布の包みを静かに解いた。
 血を思わせる真紅の石のあしらわれた、銀の長剣。これまでは特に気にしな
かったが、確かに、その周囲には何か、尋常ならざる力が渦巻いているように
も思えた。
「力……手にする事で、全てを失う、力……」
 目覚めの夢の中で聞いた言葉を反芻しつつ、真紅の石に手を触れる。ひやり
とした感触と共に、微かな鼓動のような物が指先に伝わってきた。
「……実は、生きてたり?」
 冗談めかして呟くが、あながち間違ってはいないような気がする。石から手
を離したソードは剣を鞘から抜こうとするが、それを押し止めるようにドアが
ノックされた。
「……? どちらさん?」
「あたし、メイファ。入ってもいいかしら?」
 ドアに向けた問いには問いで返された。傷を診に来る、とシュラが言ってい
た事を思い返しつつ、ソードはいいよ、とそれに答える。
「起きてて、大丈夫なの?」
 入ってきたメイファは、ベッドの上に身体を起こしたソードの姿にやや眉を
寄せた。
「起き上がったのは、物の弾みなんだけどね。で、起きたら起きたで、今度は
横になれなくなってたりして」
 冗談めかした言葉に、メイファは呆れたようなため息をついた。
「物の弾みって……普通は、それでも起きられないわよ、その傷って」
「……自分でも、そう思う」
「まぁ、いいわ……とにかく、傷を診せて」
 突っ込みに乾いた笑いで返すと、メイファはまたため息をつきつつこう言っ
た。ソードは頷いて剣を脇へと避ける。メイファはちらりと剣を見やり、それ
から、羽織るだけになっていたシャツを脱がせて包帯を解いた。血の滲む包帯
と当て布を外すと、生々しい傷が姿を見せる。
「……気持ちを楽にして。治癒をかけるわ」
 白い光をふわりと手に灯したメイファの言葉に、ソードはうん、と素直に頷
いた。メイファが手の上の光で傷を照らすと心地よい感触が傷の痛みを一時和
らげ、光が内側から傷を癒して行くのが感じられた。
 五分間ほどそうやって傷を照らすとメイファは白い光を拡散させ、ふう、と
息を吐いた。
「内側は、大体良くなったわね。後は、傷口が塞がれば大丈夫かしら」
「ん、そんな感じかな。悪いね、疲れさせて」
 額の汗を拭いつつ言うメイファに、ソードは苦笑しつつこう言った。メイフ
ァはいいえ、と答えて微笑みを返してくる。
「治癒で疲れるのは、あたしの修行不足に過ぎないわ。こっちこそ、一度に癒
しきれなくてごめんなさいね」
「いや、いいって。傷の凄まじさ考えれば、時間かかるのは仕方ないし……そ
れに、今のでだいぶ楽になったしね。ありがと」
 済まなそうな言葉に笑いながら返すと、メイファは何故か寂しげに微笑んだ。
その表情に、ソードはやや、戸惑う。
「……どしたの?」
 ごく何気なくこう問いかけると、メイファはなんでも、と首を横に振り、新
しい包帯で傷を縛り直した。真新しい白が、真紅を覆い隠す。それが済むと、
唐突に空間が沈黙した。包帯を巻き直したメイファは俯いたまま黙り込んでし
まい、そんなメイファをソードは困惑しつつ見つめる。
「……えっと……」
 やがてその沈黙に耐えかねたソードが掠れた声を上げ、それが、場の均衡を
破った。顔を上げたメイファが、唐突にソードに抱きつく。
「……って、え?」
 突然の事にぎょっとしている暇もなく、柔らかな感触が胸と、それから唇に
押し当てられた。

『……戦うのは、本当は嫌いなんです、ぼくは』
 見事な剣技に素直な賞賛を贈ると、青年は苦笑めいた面持ちでこんな事を言
った。
『でも、ぼくはこの剣に……『世界軸の鍵』に選ばれました。だから、その責
を果たさなくてはいけないんです。それに……』
 途切れた言葉に戸惑い、何の気なしにその続きを促したのを覚えている。そ
うすると、青年は照れたような微笑みを浮かべた。
『それに、この国には護りたいものがたくさんあります。とても優しい人たち
に、弟や妹……みんな大切で、ぼくの力で護りたいんです。勿論……あなたも』
 静かに告げる、藍の瞳はとても優しくて温かかった。なのに、空白を経て再
び巡り合った瞳は、同じ物のはずなのに凍るように冷たかった。
『キミは、オレが護る。だから、絶対に大丈夫』
 見ず知らずの自分に、こう言って微笑みかけてくれた人。普通の女の子とし
て接してくれる、優しい翠珠の瞳。その優しい色彩を覆い隠し、全く異なる存
在に変えてしまう血の真紅。
 何故。どうして。疑問が渦を巻き、それは抜け出せない輪となって束縛して
くる。
 わからない。わからない。わからない。
 その一言によって築かれる、一本道の迷路。そこから抜け出したくて、夢中
になって走った。
(答えを……誰か、答えを与えて……)
 疑問と不安の織り成す意識の闇を彷徨いつつ、ミィはこんな思いを心に浮か
べる。願った所で叶うものではない──そんな思いも、同時に抱いていたのだ
が。

「……答えを求めるのか、聖なる巫女姫?」

 唐突に、声が聞こえた。どことなく気だるげな、男の声だ。
(……誰?)
 他者の声など聞こえるはずのない、意識の闇。そこに響く、全く知らない声
にふと疑問を浮かべる。直後に、黒く塗り潰されていた空間に、深い藍色の光
が溢れた。光は瞬く間に闇を冷め上げ、そして、唐突に消え失せる。
「……え?」
 光が消えた後、周囲の様子は一変していた。
 何もない空間は一転、白い石造りの部屋に姿を変えている。ミィは呆然と周
囲を見回し、そこにいる者に気がついた。
 漆黒のローブに身を包んだ中性的な雰囲気の人物が、妙に背の高い一本足の
椅子に座ってこちらを見ている。淡い紅の瞳は気だるげに、でもどこか楽しげ
にミィを見つめていた。
「我が領域へようこそ……心の彷徨い人よ」
 気だるげな声が呼びかけてくる。ミィはしばしためらった後、あなたは? 
と問いかけた。
「我は名も無き存在。名も無き狂気の王。精霊を統べしモノの一。ある者は我
をこう称する。ロード・オブ・ナイトメア……狂夢王、と」
 気だるげな名乗りの最後に、狂夢王は薄い笑みを口元に浮かべた。
「……狂夢王……」
「如何にも。して、答えを求めるのか天の巫女姫ミルティア・ライルレイド・
ユグラディア。帰るべき地の無き聖王国の王女」
 鸚鵡返しに繰り返すミィに狂夢王は歌うような口調で問いを投げかけ、この
言葉にミィは目を見張った。
「ど、どうして、それをっ!?」
「我は心司りしモノどもの王。記憶もまた、我が領域。故に、我に隠し遂せる
事は存在せぬ、という事」
 思わず上げた上擦った声に淡々と返され、ミィは目を伏せる。その様子に、
狂夢王はまた、楽しげな笑みを浮かべた。
「迷いの中に彷徨いしもの。汝が求めしは、我が剣を手にせし者、その過去」
 その笑みを残したまま、狂夢王はまた歌うように言葉を紡ぐ。その言葉に、
ミィは顔を上げて狂夢王を見た。
「あなたの、剣?」
 首を傾げるミィの前に、銀色の剣が浮かび上がる。柄に、血の色の石を嵌め
込んだ長剣──ソードの剣だ。
「彼の者の変貌は何故か。それが汝の求めし答えの一方。そして、もう一方が
『世界軸の鍵』の担い手の変貌の所以」
 その通りなので、ミィはためらいながらも一つ頷いた。肯定の返事に、狂夢
王は満足げに頷く。
「では、その一方にのみ、答えよう。どちらを望む?」
 こう言うと狂夢王はつい、と手を振った。剣の像が消え、ミィの目の前に緑
と青の光の珠が舞い降りる。緑がソード、青がファルシスを示しているのは、
何となくだが理解できた。
 答えを得られるのは、どちらか一つ。
 両方の理由を知りたいと願っても、それは叶わないのだろう。
「……」
 短いような長いような、自分でも何とも言い難い沈黙を経て。
 ミィはそっと、緑色の光に手を触れた。

← BACK 目次へ NEXT →