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   ACT−3:決して、交差しないもの 01

 その経緯には色々とあったものの、ともあれアイルグレスで起きていた神官
の連続失踪事件は解決し、原因不明の国境封鎖は解除された。
 元々、公表を避けていた事件だけに神殿と街の上層部は一件を内々に処理し、
地下神殿も人知れず封印された。勿論と言うか、封印を施したのはアキアだが。
 一件落着後、アキアとフレアは大司教ヴァシスの計らいで他の旅人たちに先
んじて国境を越える事が許された。一応、事情を知らない街の上層部への建前
として、アルゼナス帝国側の国境の街・レプシアスの神殿へ急ぎの書状を届け
る、という用事を頼まれてはいたが。
「それでは、お気をつけて」
 旅立ちの朝、ヴァシスはわざわざ門まで二人を見送りにやって来ていた。そ
の言葉に、アキアはああ、と微笑んで見せる。
「それじゃ大司教様、色々ありがとうございました」
 続けてフレアが丁寧な礼をするのに、ヴァシスはいやいや、と言って微笑む。
「道中、お気をつけなされよ、フレア殿」
 穏やかな言葉に、顔を上げたフレアははい、と頷いた。その顔には好奇心と
共に、微かな緊張が見て取れる。フレアとしては待ちに待った国境越えなのだ
から、気持ちが高ぶるのも無理はないのだろう。
「それじゃ、行ってみるよ……悪いけど、あと、よろしく」
 そんなフレアの様子に苦笑すると、アキアは表情をやや引き締めてヴァシス
にこう言った。ヴァシスも真面目な面持ちになって、一つ頷く。そんな二人の
やり取りにフレアは怪訝そうな表情を覗かせるが、直後に響いたゴゴゴ……と
いう重たい響きはその疑問を忘れさせたようだった。
「……わあ……」
 ずっと閉ざされていた国境の門が、僅かにだが開いている。その向こうには
山と山に挟まれた道――クライズ王国とアルゼナス帝国の間に広がる中立地帯
が見えた。ここを抜けてレプシアスに入ればそこは帝国領。フレアの目指して
いた、『王国の外』だ。
「……じゃ、行こうか?」
 大きな瞳をキラキラさせて門の向こうを見つめるフレアに、アキアは笑いな
がらこう呼びかける。それに、フレアはうんっ! と元気良く頷いた。アキア
はもう一度ヴァシスを振り返ってから、ゆっくりと門へ向けて歩き出す。フレ
アもヴァシスに一礼してそれ続いた。二人が潜るとすぐ、門は閉ざされる。次
に開くのは数時間後の事だ。その時には、アイルグレスには以前の賑わいが戻
っている事だろう。
「……お二人とも、どうかお気をつけて……」
 門の閉じる音に紛れるように、ヴァシスは低く呟く。
「……大司教様!!」
 直後に上擦った声が彼を呼んだ。振り返ったヴァシスは、妙に取り乱した神
官長ガーフィスの様子に目を見張る。
「……どうなされた、ガーフィス殿?」
「そ、それが……」
 らしからぬ様子に眉を寄せるヴァシスに、ガーフィスは息を切らしつつ何事
か耳打ちする。伝えられた言葉にヴァシスは渋面を作り、それからひとつため
息をついた。
「やれやれ、まったく……わかりました、すぐに参るとしましょう」
 どことなく呆れたような口調でこう言うと、ヴァシスはゆっくりと神殿へ向
けて歩き出した。

 その一方で。
「………………」
 アイルグレス側の門を抜けて少し進むと、レプシアス側の門が見えてくる。
それが近づくに連れて、フレアの表情を緊張が彩り始めた。大丈夫とわかって
いても、やはり不安があるのだろう。それでも、後ろを振り返ろうとはしない。
何としても前に進む――きゅっと寄せた眉と引き結んだ唇からは、そんな意思
が感じられた。
 一歩一歩、その感触を確かめるように進んで行く。
 クライズを出ると言う事は、他者の庇護を受けられなくなる、と言う事でも
ある。それを受ける意思がフレア本人になくとも、リュセルバート家の令嬢、
という立場は国内に居る限りは庇護をもたらす要因なのだ。
 それを、振り捨てるための前進。力が入るのも無理はないだろう――フレア
の様子にアキアはふとこんな事を考え、それから近づく門に目を向けた。
(しかし、この先に行くのも久しぶりだな……)
『あー、言われてみりゃ、そうだな』
 ふと浮かんだ考えにヒューイが相槌を打つ。
『まあ、こっちにゃいい思い出らしいもんもねーしな』
(……ミもフタもない言い方するなよ)
 さらりと笑えない事を言うヒューイにアキアは苦笑し、それから、ゆっくり
と足を止めた。フレアも足を止め、目の前にそそり立つ鉄の扉を見上げる。門
の横の覗き窓が開き、厳つい顔の兵士が顔を出した。アキアがヴァシスから渡
されていた通行証を見せると兵士は顔を引っ込め、重い門扉が低い音を立てて
開いた。
「…………」
 門の向こうに見える町並みに、フレアが目を輝かせる。その様子に笑みを浮
かべつつ、アキアはゆっくりと歩き出した。フレアが一歩遅れてそれに続く。
人一人が通れるだけ開いた門を二人が潜ると、鉄の門扉は再びその口を閉じ始
めた。
「……あ……」
 その時、フレアは一瞬だけ背後を振り返りそうになり、それから首をぶんぶ
んと横に振ってその衝動を押し止めた。直後に、鉄の門はまた口を閉じる。こ
ちらもアイルグレス側同様、次に開くのは数時間後になるのだろう。
「……さて、国境は越したね」
 不安げに俯くフレアに、アキアは笑いながらこう声をかけた。フレアは俯い
たまま、うん、と頷く。
「取りあえず、神殿に行こうか? 頼まれたお使いは、ちゃんと果たさないと
いけないからね」
「うん……そうよね」
 冗談めかした物言いにフレアはようやく顔を上げて頷き、アキアは微笑みな
がら頷き返した。二人は門を守る兵士に道を尋ね、フェーディア神殿へ向かう。
『……お?』
 歩き出した直後に、ヒューイが怪訝そうな声を上げた。
「どしたの、ヒューイ?」
 突然の事にフレアは不思議そうに腰の短剣を見る。アキアも訝るような視線
をヒューイに投げかけた。
『いや……なんでもねえ。オレの、気のせいかな?』
「……何か、感じたのか?」
 金緑石をちらちらと瞬かせつつ曖昧な返事をするヒューイに、アキアは微か
に眉を寄せた。
 アイルグレスでのファヴィスとの再会。それは、アキアにとってはこの先、
面倒事が多く待ち受けるであろうという予測に繋がる出来事だった。そして、
それをもたらすのがファヴィスだけではない事も、多少不本意ながら承知して
いる。それだけに、ヒューイが何か感じ取る、というのは気にかかってしまう
のだ。
『なんとも言えねえが……まあ、気ぃつけるに越したこたぁ、ねえだろ』
 やや間を置いてヒューイはこんな言葉を返してきた。フレアはやや拍子抜け
したようになにそれ? と呆れた声を上げるが、アキアはそうか、と呟いて一
つ息を吐いた。
「アキア、大げさー。考えすぎると、ハゲ易くなっちゃうわよ?」
 そんなアキアにフレアはさらりとこんな事を言い、張り詰めた緊張をぷつん、
と断ち切った。アキアはかくん、と肩を落としてあのねぇ、と疲れた声を上げ
る。フレアは例によって天使の笑顔でなに? と言いつつ小首を傾げて見せた。
「なぁんでも……さて、じゃ、行こうか?」
 もう一つ、今度はやや大げさなため息をつくと、アキアはこう言って歩き出
した。フレアはうん、と頷いてそれに続く。

 歩き出す二人を物陰から見つめる人影があった事には、結局、誰も気づかな
いままだった。

「と、言う訳で、さ」
 ヴァシスに頼まれた用件を済ませて神殿を出ると、アキアはやや唐突にこう
言った。突然の事にフレアは不思議そうに首を傾げる。
「……と、言う訳で……なに?」
「これから、どうしようか?」
 軽い口調で問いかけると、フレアはきょとん、と瞬いた。どうやら、言われ
た言葉の意味がわからないらしい。
「えと……これからって?」
「これからは、これから。無事に国境は越えられた訳だけど、これからどうす
るか、どこに行くか。やっぱり、それは決めないとね」
 この説明にフレアはあ、と短く声を上げた。言われて初めて気がついた、と
言わんばかりの表情にアキアは苦笑する。ある程度予測してはいたが、どうや
ら国境を越えてからの事は考えていなかったらしい。
「えっとぉ……どうしようかなぁ?」
 頬に指をそえて小首を傾げつつ呟く。可愛らしい仕種に通りすがる者の多く
は一瞬目を奪われ、直後に少女の傍らの美丈夫に気づいて息を飲む。銀髪に藍
と紫の異眸は、どこに居ても目を引くようだ。勿論と言うか、当のアキアは全
くと言っていいほど気にしてはいないのだが。
「まあ、慌てても仕方ないし……どこかで、お茶でも飲みながら、のんびり考
えようか?」
 悩み込むフレアに、アキアは笑いながらこう提案する。この提案にフレアは
ぱっと顔を輝かせてうんっ! と頷いた。素直な反応にアキアはくすっと笑み
をもらし、それから顔を上げて周囲を見回した。周囲には、思わず足を止めて
二人に見入っていた人々が立ち尽くしている。アキアはその中で一番近くにい
た数人の少女のグループに、にこ、と微笑みながら声をかけた。
「や、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「え? あ、は、はいっ!!」
 声をかけられた方は上擦った声を上げ、その様子に内心ではやれやれ、と思
いながらアキアは近くにゆっくりできる場所がないかを尋ねる。少女たちは内
輪できゃあきゃあと騒ぎながら、最終的には大通りにあるケーキ屋を勧めてく
れた。
「ん、わかった。ありがとね」
 もう一度にこ、と微笑みながらこう言うと、少女たちの間から歓声が上がっ
た。その様子を、フレアは離れた所から不思議そうに見つめる。
(うーん……アキアがキレイなのは確かだけどぉ……それって、そんなに騒ぐ
ほどなのかなぁ?)
 整い過ぎるくらいに整った容姿に、銀、藍、紫が織り成す印象的な色彩。そ
れらが美しいのはフレアも認めている。しかし、歓声を上げてまで騒ぎ立てる
ものとはどうしても思えないのだ。その理由を問われたなら、「見慣れたから」
と答える以外にないのだが。
「……どしたの?」
 戻って来たアキアは、首を傾げて考え込むフレアの様子にきょとん、と瞬い
た。フレアはにこーっと笑ってなんでも、とそれに答える。それに訝しいもの
を感じつつ、追求しても仕方なさそう、と判断したアキアはそう、と言って疑
問を流した。
「それじゃ、行こうか。大通りにオススメのケーキ屋があるらしいからね」
「え? ケーキ!?」
 アキアの言葉にフレアはぱっと顔を輝かせる。いつもの事ながら、甘い物に
は目がないフレアである。
『お嬢……食べ過ぎるなよ、太るぞー』
 そんなフレアの様子に呆れたのか、ヒューイがぼそっと突っ込む。フレアは
うるさいの、の一言でそれを受け流し、アキアの手を取って引っ張った。
「ねね、早く! 早くいこっ!」
「……はいはい」
 子供っぽくはしゃぐ仕種にアキアは苦笑し、ヒューイは嘆息するように、金
緑石の上に光を瞬かせた。
「わかったから、そんなに引っ張らないの! ……お店は、逃げないでしょう
に?」
「だって、早く行きたいんだもんっ」
 単純かつ、それ以外にない理由付けがいかにもフレアらしくて微笑ましい。
アキアはわかったわかった、と言いつつ空いている方の手をフレアの頭の上に
乗せてぽんぽん、と軽く叩く。小さな子供をあやすような仕種に、フレアはほ
んの一瞬拗ねたような表情を見せた。
「……なにかな?」
「また子供扱いしてるぅー……」
 不満げに唇を尖らせる、その仕種が子供っぽさを助長しているのだが、恐ら
く本人は気づいてはいないのだろう。それが余計に微笑ましくて、アキアはま
た笑みをもらした。その笑みに、フレアはむう、と頬を膨らませる。
「そんなに怒らない、怒らない。それよりほら、これからの事決めなきゃなら
ないんだし、もう行こう?」
「だから、あたしもそう言ってるのにぃ!」
『……お嬢は食べるのが目当てだろーが……』
 拗ねた反論にヒューイがぼそっと突っ込み、フレアは睨むような視線を腰の
短剣に向ける。アキアはやれやれ、とため息をついてぽん、とフレアの肩に手
を置いた。例によってと言うか二人のやり取りは人目を引き易いらしく、足を
止めて見入る者も少なくない。このままではいるだけで通行妨害だ――やや、
気づくのが遅い感もあるが。
「はいはい、わかったから……早く、行こう?」
 にこ、と笑いながらこう言うと、フレアは多少不満げにしつつもうん、と頷
いた。

 アキアとフレアがレプシアス大通りのケーキ屋へと向かっている頃。
「………………」
 アイルグレスの国境前を、うろうろと歩き回るやたらと怪しい人影があった。
カーキ色のマントを羽織り、そのフードをすっぽりと引き被っているため、顔
を見る事はできない。だが、翻るマントの下から時折覗く衣服は明らかに上質
の素材で作られたものであり、その者の出自がただならぬ事を物語っていた。
「……う〜〜〜……」
 時折唸るような声を上げては鉄の門扉を見上げ、またうろうろと歩き回る。
どうやら国境が開くのを待っているらしい。ようやく国境が開く、と言う報に
集まってきた旅人や商人たちの中で、その姿は一際目立った。
「……はあ……」
 一しきりうろうろすると、またため息をついて門扉を見上げる。それを国境
の門の目の前でやっているのだから、目立つ目立たない以前に周囲にとっては
かなり邪魔な存在と言えた。
「おい、そこのお前」
 それを見かねたのか、門を守る兵士の一人が声をかけた。マントの人物は足
を止めて兵士の方を見る。フードの下から向けられる視線には妙に厳しいもの
があり、声をかけた兵士は一瞬たじろいだ。
「も、門が開くのが待ち遠しいのはわかるが、少しは大人しくして……」
 大人しくしていろ、という注意は、何故か途中で途絶えた。驚愕がその表情
を過り、厳つい顔が僅かに青ざめる。マントの人物は不機嫌な声ですまなかっ
た、と言うと広場の隅に移動し、また門扉を見つめ始めた。兵士は呆然とした
面持ちでその背を見送り、それから、逃げるように自分の持ち場へと戻る。
「……まったく……もう少し、口のきき方を徹底させないといけないな」
 戻って行く兵士を視界の隅に捉えつつ、マントの人物はこんな呟きをもらす。
それから、彼は再び鉄の門扉を見つめた。
「……早く、開いてくれ……フレア……」
 祈るような呟きが、ため息と共にこぼれ落ちる。

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