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   ACT−2:狭間の街に潜むもの 07

「これはこれは……神聖なる祭壇の間で、何をなさるおつもりかな?」
 笑いを帯びた低い声が響き、剣の向けられた先に黒い影が揺らめいた。影は
ゆっくりと形を整え、黒衣の司祭が姿を見せる。先ほどとは違い覆面はしてお
らず、距離はあったが顔ははっきりと見て取れた。
 年齢は五十代前半、目立った特徴のある顔ではないが、口元に浮かぶ薄い笑
みは不愉快さを伴って相手の印象に強く残る――そういうタイプだ。そしてア
キアもまた、その笑みを持って彼を記憶に止める一人だった。
「ベルディス……あれで生きていたとは……そのしぶとさは賞賛に値するな」
「これはありがとうございます。さて……もう一度問いますが、何をなさるお
つもりかな?」
 低く吐き捨てると、司祭ベルディスはにやりと笑いながらもう一度問いかけ
てくる。
「何を? ……愚問だな。貴様らが神と勘違いしている化け物の一部を、消滅
させる」
 その問いにアキアは淡々とこう言いきり、これにベルディスは微かに気色ば
んだようだった。
「何と言う事を……我らから見れば、貴殿の方がよほど化け物に思えますぞ、
『白銀の封印師』殿?」
「それこそ、褒め言葉とさせてもらおう。それは貴様如きに言われるまでもな
い事だ」
 嘲りを帯びた言葉に冷たささえ感じる笑みでこう答えると、アキアは床を蹴
って跳躍する。一歩遅れて、それまでアキアがいた所に無数の黒い光の矢が突
き刺さった。
「さすがですな」
 着地したアキアに向けて、ベルディスは微かに口元を歪めて見せた。それと
共に、アキアは周囲に異様な気配を感じ取る。
「この気の波動……まさか?」
 低く呟くのと気配の主が姿を見せるのとは、ほぼ同時だった。空間からにじ
み出るように、奇妙なものが姿を見せる。不気味に黒光りする毛に包まれた、
人間大の猿を思わせるものたちが幾重にもアキアを取り巻いた。
「冥魔……具象化しているだと!?」
 思いも寄らない事態にアキアは思わず息を飲んでいた。その動揺をベルディ
スは小気味良さそうに見下ろしている。
(さすがに、数が多いな、これは)
 ぐるり周囲を取り囲み低く唸る冥魔の数に、さしものアキアも不利を感じざ
るを得なかった。まして相手は具象化――つまり黒い靄ではなく、実態を伴っ
て存在しているのだ。恐らく、ヒューイのサポートなしでは全ての消滅は難し
いだろう。
(しかし、どうやってこれだけの数の冥魔を?)
 考えても始まらない状況の不利さへの疑問をひとまず横に置いて、アキアは
ふとこんな事を考えていた。戦乱の世だと言うならまだしも、今、世界は平和
と言っても差し支えはない。その状況で、どこからこれだけの負の感情を集め
たのか。
「気にかかりますかな、この者たちが何より生じたのか?」
 疑問を感じるアキアに、ベルディスが低く笑いながらこんな問いを投げかけ
てきた。
「……何だと?」
 周囲を警戒しつつ、アキアはベルディスを見やる。鋭い異眸に、司祭は嘲り
の笑みを返しつつ、言った。
「創世神の信徒と言うのは、脆きものですなあ……女神が幻影であるという真
実を教えてやれば、それだけで揺らぎ始める。虚偽と真実を判別できず、迷い
に落ち込む……」
 どこまでも楽しげなこの言葉に、アキアは表情を更に険しくする。彼らが何
故フェーディア神官、それも女性ばかりを狙ったのか、今の言葉で合点がいっ
た。
 フェーディア信徒は至高神とも言われるその存在を、純粋に信じている。一
種盲目的とも言えるその信仰は女神の存在を否定されるような言動に弱く、虚
言から迷いに落ち込む者は決して少なくないのだ。
「貴様、信仰の迷いから冥魔を……そのために、フェーディア信徒ばかりを狙
ったと言うのか!」
「その通り。無垢なる者より生じし『神の子』は、強い力を宿します故に」
 怒りを帯びた問いにベルティスは小気味良さそうにこう言いきった。状況の
有利さを理解しているのか、その表情には明らかな余裕が見て取れた。
「……一時的な有利さだけで勝ち誇る。進歩のない人間だね」
 呆れ果てた、と言わんばかりの声が祭壇の間に響いたのはその時だった。突
然の事にベルティスは訝るように眉を寄せる。
「この声……まさか?」
 そして、アキアは覚えのある声に微かに眉を寄せていた。直後に、その背後
に紫の光が弾ける。突然の事に怯む冥魔を横目に見つつ、アキアはそちらに向
き直った。光の中からにじみ出るように人影が二つ現れる。一人は金髪の小柄
な少女、もう一人は青と緑の異眸が目を引く小柄な少年だ。
「……アキア!」
 状況が見えているのかいないのか、少女――フレアはアキアを見るなりはし
ゃいだ声を上げる。
「お嬢!? どうしてここに……」
「連れて来られたの、あの子に」
 呆れを込めて問うと、フレアはこう言って少年――ファヴィスを振り返った。
その視線を追うように、アキアは厳しい目をファヴィスに向ける。鋭い藍と紫
を、青と緑は無表情に受け止めた。
「ファヴィス……」
「一応、久しぶり」
 低く名を呼ぶと、ファヴィスは淡々とこう返してきた。
「何をしに来た……?」
『あ〜、ヤですよぉ、アッキー様までヒュー兄さんと同じコト言ってぇ』
 短い問いにファヴィスが答えるより早く、軽いノリの声が場を混ぜっ返した。
「お前には何も言っていない、ラディッサ」
「ラディ、静かに」
『静かにしろっつーの、テメーは』
 その混ぜっ返しにアキア、ファヴィス、ヒューイが同時にこう突っ込む。さ
すがにこれには反論できないらしく、ラディッサはは〜い、と言って沈黙した。
「随分と、余裕がお有りですが……状況を、わかっておいでですかな?」
 そこに、その存在を完璧に忘れられていたベルティスがこんな言葉を投げか
けて注意を引く。バカにされた挙げ句に無視されたためか、その表情には微か
な怒気が見て取れた。
「アキア、なぁに、あの人?」
 ようやくその存在に気づいたらしいフレアが、首を傾げながらアキアに問う。
「ああ……化け物を崇める変人だ」
 それにアキアは辛辣さを込めてこう答え、ベルティスは更に気色ばむが、
「……シュミ、わる〜い……」
 直後のフレアの一言に言葉を失った。
「大体、似合ってもいないのに黒を着るって言うのが、イヤよねぇ……しかも、
自分は似合ってるつもりでいるみたいだし……そういうのって、サ、イ、ア、
ク、よねー」
 一文字ずつ区切る事で『最悪』という言葉を殊更に強調している。それも例
によってさらりと言っているのだから、言われた方は怒り必至だ。
「それになぁに、あのおかしな像? デザインにまとまりなくて、すっごくヘ
ンよねぇ……一体あれ、何のオバケの像なの? どっちにしても、芸術的価値
なんて、全然ないけどねぇ」
「こっ……小娘! 我らが神を、愚弄するかっ!!」
 宗教家は自らの信じる存在に盲目的という法則は、どうやらベルティスにも
当てはまるようだった。身も蓋もない言い方で像をけなすフレアの言葉に、ベ
ルティスは怒りを露にしてこう叫ぶ。しかし、その程度でヘコむようなフレア
ではない。
「え? それ、神様なの? やぁだぁ……ダメよ、オジさん。嘘はもう少し上
手につかなきゃ♪」
 天使の笑顔で微笑みつつ、きっぱりと言いきってしまう。ベルティスは完全
に言葉を失ったらしく、口を開けては閉じる、という動作を数回繰り返した。
『……知能犯だぁ……』
 その様子にラディッサがぽつりとこう呟くが、それに突っ込む者はいなかっ
た。突っ込むまでもない、と言うべきかも知れないが。
「……ふ……くくく……」
 不気味に静まり返った祭壇の間に、ベルティスの笑い声が響く。
「……我らが神に対する数々の冒涜……捨て置くわけにはいきませんな……」
 低い、低い声で言いつつ、ベルティスはアキア、フレア、ファヴィスの三人
を順に見回した。
「ぼくはソレについては何も言っていない。お前の愚かしさを嘲りはしたが」
 それにファヴィスがこう言い返すが、火に油を注ぐ結果になるのは必定だ。
もしかすると、わかってやっているのかも知れないが。
「捨て置けない? それはこちらの言う事だな……貴様らの存在……それは、
オレにとって見過ごす訳にはいかないものだ」
 光の剣の先を再び向けつつアキアが宣言する。その厳しさにベルティスは元
より、周囲の冥魔たちも一瞬気圧された。
「……いつもの格好なら、決まったのにね」
 その後ろでフレアがぽつりとこんな呟きをもらし、緊張の糸を緩める。アキ
アは思わずかく、とコケつつ、あのね、と言ってそちらを振り返った。
「そこまで言うなら、着替え持ってきてくれれば良かったのに」
 ややピント外れの文句を言いつつ、アキアは光の剣を頭上に投げ上げた。剣
はくるくると回転しつつ宙に舞い、光となって飛び散る。煌めく粒子が一面に
降り注ぎ、それに触れた冥魔たちがキイイイイイ! と甲高い声を上げた。
「お嬢、ヒューイを!」
『オレをアキアに!』
 アキアとヒューイ、それぞれが同時に声を上げる。フレアはずっと抱えてい
たヒューイをアキアに渡し、アキアは素早くその鞘を払う。虹色の光がこぼれ、
ヒューイは短剣から長剣へと形を変えた。そして、アキアは銀色の切っ先をベ
ルティスへと向ける。蒼白い灯火の下に冴え冴えと映えるその刃を、司祭は余
裕のままで見つめた。
「剣を手にしたとて、ここは我らの神の聖なる間。いかな貴殿とは言え、これ
だけの数の『神の子』の全てを相手とするのは、不可能ではありませんかな?」
 嘲るような笑みを浮かべつつベルティスはこう言い放つ。これにアキアが何
か言うよりも早く、ファヴィスが大げさなため息をついた。
「下らない自信だね。その趣味の悪い像に溜め込んだ力だけで、どうにかなる
と思ってるの?」
 青と緑の瞳に明らかな侮蔑を込めて見つめつつ、ファヴィスは淡々とこう言
いきった。
「な……なんですと!?」
「年だけ重ねて、何も学ばない……悲しい人間だね。ラディ!」
『はいは〜い♪』
 どこか幼い表情にはやや似つかわしくないクールな笑みを浮かべてこう言う
と、ファヴィスは右手を上へと伸ばす。淡いオレンジ色の光が灯り、次の瞬間、
それは細身の剣となって少年の手に握られた。漆黒の刃が蒼白い灯火の下で煌
めきを零す。
「……ファヴィス?」
「アレをのさばらせる訳にはいかない。その点でのみ、利害は一致している。
ザコはぼくが永封する。本体は任せる」
「……わかった」
 振り返ったアキアにファヴィスは淡々と言い、これに、アキアは短く答えて
頷いた。それから、アキアはきょとんとしているフレアに右手を差し出す。
「下は危険になる。お嬢、おいで!」
「え? あ、うん」
 状況に戸惑いつつもフレアは素直にその手を取った。直後に冥魔たちが長い
爪を振りかざして動き出す。アキアはとっさにフレアを引き寄せると、小柄な
身体を抱え込むように支えつつ跳躍した。
「きゃっ……」
「しっかり掴まってて!」
 短く悲鳴を上げるフレアにこう言いつつ、アキアは祭壇に刻まれた階段に着
地して一気にそこを駆け上がる。その背にどこか冷たい一瞥を投げかけると、
ファヴィスは長剣に転じたラディッサをゆっくりと前に突き出した。漆黒のそ
の刀身を、淡いオレンジの光が覆っていく。
「『星輝の封印師』ファルヴィアスの名において。今、ここに封印の力を生み
出さん」
 一方、祭壇を一気に駆け上がったアキアは。
「……せいっ!」
 ベルティスのいる壇上に到達するなり、不意討ちのハイキックを司祭の胸元
目掛けて繰り出していた。何の予備動作もない、まして肉体的な鍛錬など到底
しているようには見えないベルティスにこの一撃を避けられる道理はなく、蹴
りの一撃をまともに受けた司祭はぐえ、といううめき声を上げて吹っ飛んだ。
ベルティスの沈黙を確認したアキアは、そっとフレアを離してヒューイを構え
直す。
「……『白銀の封印師』ヴェラキアの名において、今、ここに封印の力を生み
出さん……」
 低い呟きに応じて虹色の光がヒューイを包み込み、それは輝きを増しながら
祭壇の奥の像を包み込んだ。それと前後してラディッサを包むオレンジの光も
輝きを増し、ファヴィスを取り巻く冥魔を包み込む。
「冥魔、永封……今ここに、無光の封印をなさしめん!」
 アキアとファヴィス、二人の声が綺麗に重なって響く。二人が剣を横に払う
と二色の光はその輝きを増し、包み込んでいるもの諸共に煌めく粒子となって
飛び散った。祭壇の間はしばし、飛び散る光によって幻想的に飾り立てられる。
光の乱舞が治まった後には、先ほどまでそれらが包み込んでいたものの姿はな
く、祭壇の間には静寂が立ち込めた。
「お、おのれっ……またしても!」
 その静寂をヒステリックな叫びが打ち破る。声の主、即ちベルティスを振り
返ったアキアは、こちらを睨む司祭に冷たい一瞥を投げかけた。先ほどの蹴り
が効いているのか、ベルティスは苦しげに咳き込みながら立ち上がる。
「しかし、これで勝ったなどと……我らが、これで終わるなどとは思うでない
ぞ、『封印師』どもっ!」
 絶叫の直後にベルティスの身体を鈍い黒の光が包み込み、消えた。アキアは
やや表情を緩めてふう、と息を吐く。
「逃げちゃった。良かったの?」
 ベルティスのいた辺りを見つつフレアが投げかけた問いに、アキアはああ、
と頷くが、
「……何がいいんだ」
 どうやらファヴィスは納得してはいないようだった。
「何故、無駄な情けをかける。のさばらせれば、ヤツらはまた、冥魔を生み出
すのに」
「だが、ヤツの命を絶てば、その魂は冥神の糧となる」
 微かな怒気をはらんだ問いに、アキアは再び表情を引き締めつつこう答える。
「ヤツらが冥魔を生み出せば、結果的に同じ事になる」
「それは阻めばいい。そのために、オレがいるんだ」
 この言葉にファヴィスはほんの一瞬、眉を寄せた。苛立たしいような腹立た
しいような、そんな思いがその表情をかすめる。
「……勝手にするがいい。だが、ぼくはぼくのやり方を通す」
 ここで、ファヴィスは二人の会話から取り残されているフレアに目を向けた。
「ぼくは『彼女』ほど甘くはない。巫女の血筋は、絶やすべきだと思っている。
それは忘れるな」
「……え?」
「それは、なんの解決にもならない、と言ったはずだ!」
 冷たい視線と言葉にフレアは目を見張り、アキアは厳しい面持ちでこう叫ぶ。
ファヴィスはちらり、とアキアに視線を向けてから踵を返した。紫の光がふわ
りと弾け、少年の姿が消え失せる。
「……アキア?」
 ファヴィスが姿を消すと、フレアは不安げな面持ちでアキアを見た。アキア
は小さくため息をついてからヒューイを短剣に戻し、鞘に収める。
「大丈夫だよ、お嬢……心配いらない」
 ヒューイを手渡しつつにこりと微笑んで見せるが、フレアの不安は消えそう
にない。無理もないか、と心の中で呟きつつ、アキアはぽん、とフレアの頭に
手を乗せた。
「ほら、それより早く戻ろう。神官さんたちも、助けてね」
『でねーとお前、着替えらんね〜もんな〜?』
 静かな言葉をヒューイが混ぜっ返すと、ようやくフレアの表情にも笑みが戻
る。それに安堵しつつ、アキアはふと、像のあった壁を振り返った。
「……アキア?」
 瞬間、険しさを帯びた瞳にフレアが心配そうに名を呼ぶ。アキアは一つ息を
吐くと表情を緩め、じゃ、行こうか、と微笑んで見せた。

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