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   ACT−2:狭間の街に潜むもの 05

「……っ!?」
 はっと振り返ると、目の前に牙をむき出した巨大な獅子の顔があった。アキ
アはとっさに飛びずさって距離を取る。
 グルルルルル……
 標的を捉え損ねた獅子が低い唸り声を上げる。いや、獅子ではない。通常の
ものよりも二回りは巨大な体躯と、何より獅子の首の左右に突き出た異なるも
のの首が、端的にそれを物語っている。
「竜と山羊の首を持った獅子……キマイラとはまた、凝った番人を……」
 相手がなんであるかを認識したアキアは、低く呟きながらすっと身構えた。
どうやら番人はいないのではなく、いらない、という事だったらしい。確かに
こんな魔獣に見張られていては、普通は逃げ出そうなどとは思わないだろうが。
 グルルルルル……
 再び、キマイラが低く唸る。本来ならばいるはずのない者が外にいる事に、
疑問を感じているのだろうか。その困惑にアキアは不敵な笑みを持って答える。
その瞬間に生じる、鮮烈な美しさ。とはいえ、魔獣にはそれは理解できなかっ
たらしい。
 グワォオオオウっ!
 獅子が咆哮し、魔獣が跳躍する。アキアは飛びかかってくる頭にヴェールを
投げつけて視界を遮りつつ、その下に飛び込んで獅子の顎に突き上げの一撃を
見舞った。衝撃にキマイラは空中で態勢を崩す。アキアは床で足を滑らせるよ
うにその下をすり抜け、鮮やかなターンを決めて再びキマイラに向き直った。
一方のキマイラは被せられたヴェールを引き千切り、アキアに向き直る。こち
らを睨む三対六個の目を、アキアは余裕の体で見つめ返した。
 ……ウウウウウ……
 魔獣が低く唸り、竜の頭がぐっと前に出る。直後に開かれた口から炎がほと
ばしった。とはいえ、それはそれで予想できる行動である。アキアは慌てる事
なく後ろに飛びずさり、その炎を避けた。着地直後の不安定な一瞬を突くよう
にキマイラが突進してくる。山羊の頭が繰り出す猛烈なチャージを、アキアは
クロスした両腕で受けとめた。
「……っ……」
 ほんの一瞬、表情が歪む。しかし、余裕は崩れてはいない。
「……さすがに、コレはちょっと効くかな……」
 魔獣の全体重を乗せた突進を受け止めつつ、アキアはこう呟くだけで済ませ
ていた。その様子に困惑する山羊の喉元に膝蹴りをお見舞いして態勢を崩し、
同時に、火を吹こうとしていた竜を牽制する。間髪入れずに突きと蹴りのラッ
シュを叩き込んで山羊の頭に集中的なダメージを与えると、キマイラは唸りを
上げつつ後退した。
(次の問題はっと……)
 山羊を沈黙させた事で突進による攻撃は封じる事ができたが、竜の首はまだ
健在だ。遠距離・広範囲を攻撃できるここを潰さなければ、勝利はおぼつかな
いだろう。
「……どうしたもんかな?」
 低く呟いた矢先に竜の口がくわっと開き、火炎がほとばしった。アキアは垂
直ジャンプでそれをかわすと、ジャンプの頂点で態勢を変えて飛翔蹴りを繰り
出す。
 グオウっ!
 獅子の頭が低く唸り、それに応じるように顔を上げた竜が空中のアキアへ向
けて炎を吐く。
「っとおっ!?」
 さすがにこれには虚を突かれたものの、容易く直撃をくらいはしない。とっ
さに片足を振り上げ強引に後方回転を決める事で炎を避けたアキアは、着地後
すぐに横方向に転がり、突っ込んできたキマイラの前足の一撃を回避する。態
勢を整えた所に吹きつけられた炎をバックジャンプで避けると、アキアは低く
身構えつつ、キマイラとの間合いをはかった。
「やれやれ、まずはあの火を何とかしないとね……」
 低く呟きつつ、アキアは再び髪留めを取り出した。
「……悠久の盟約において、『封印師』の一族が汝に命じる……」
 ふっと表情が引き締まり、髪留めの螢石が煌めきをこぼす。
「『水』に属す者よ。今、この一時我が意に沿い、ここに集え!」
 ……ぱしゃあんっ!
 静かな言葉に導かれたかの如く、涼やかな水音がホールに響いた。アキアの
足元に突然水が湧き出し、静かに渦を巻き始めたのだ。思わぬものの登場にキ
マイラはやや怯み、その様子に余裕の笑みを浮かべつつ、アキアはいつものよ
うに髪をまとめる。
「さて……じゃ、やってみようか!」
 軽い言葉と共にアキアは走り出した。真っ直ぐに突っ込んでくるアキアに向
けて竜の首が炎を吐くが、先ほど湧き出した水が涼しげな音と共に広がり、壁
となってそれを阻む。炎を阻まれた竜が怯み、その隙をアキアは的確に突いた。
「……せいっ!」
 低い気合と共に放たれた蹴りが綺麗に竜の横っ面を捉える。白い神官衣の裾
と銀の髪が、蒼白い灯火の下で美しく翻った。
 ギャオオオオウっ!!
 竜の首が絶叫し、無差別に炎がほとばしる。その炎はことごとく水の壁が打
ち消し、辺りには水蒸気が立ち込めた。
「あんまり危ないものを撒き散らさないの! 行儀、悪いよ!」
 冗談めかして言いつつ、後方回転蹴りで竜の顎を蹴り上げる。着地したアキ
アは仰け反った竜の首を見つめつつ、髪留めの螢石に力を集中した。
「悠久の盟約において、『封印師』の一族が汝に命じる! 『氷』に属す者、
我が意に沿え!」
 凛とした声に応じるように、大気の一部が白く輝き始める。
「『水』よ、『氷』と共に在りて、猛りし炎に戒めを与えん!」
 ぱしゃあっ!
 涼やかな音と共にアキアの足元で渦を巻いていた水が跳ねる。水は白く輝く
大気を取り込みつつ竜の首を包み込み、キィィィィィンっ!という甲高い音を
立てて凍てついた。
「これで、二つ。残るは本体!」
 低く呟きつつ、再びキマイラとの間合いを計る。山羊と竜、二つの首を無力
化したとはいえ、残る獅子の牙と爪は決して侮れない。アキアは低く身構えつ
つ、仕掛けるタイミングをはかり始める。キマイラの方も飛びかかるタイミン
グを探っているらしい。
 緊迫しているが、どこか心地よい緊張が空間に張り詰める。その緊迫に先に
耐えかねたのはキマイラの方だった。魔獣は低い唸り声と共に跳躍し、こちら
に飛びかかってくる。アキアはひょい、とジャンプしてそれをかわすと、落下
の勢いを乗せた踵落としを獅子の脳天にお見舞いして突進の勢いをいなした。
「あんまり、遊んでもいられないんでね……そろそろ、終わろうか!」
 着地したアキアは例によって軽く言いつつ、不敵な笑みを浮かべた。獅子が
怒りで爛々と輝く目を向ける。それにクールな一瞥で答えた直後にアキアは攻
勢に転じた。拳の乱打が獅子の頭に叩き込まれ、そして。
「……はっ!」
 一際鋭い気合と共に放たれた正拳突きがキマイラを吹き飛ばした。一体どれ
ほどの力がこもっていたのか、魔獣は遥か後方まで吹き飛び岩壁に激突する。
壁にめり込むほどのその一撃は決定打となったらしく、キマイラはずるずると
横倒しになって動かなくなった。
「取りあえず、一丁上がりか……は、いいんだが……」
 ため息まじりに呟きつつ、アキアはちら、と背後に視線を投げかけた。さす
がにと言うか、今の大立ち回りは地下中に知れ渡ったらしく、ホールの入り口
には黒衣の男たちがぞろぞろと集まっていた。
「何をしている、貴様」
 先頭の男が淡々と問う。どうやらアキアを捕えた二人組の片割れらしい。そ
の問いにアキアは不敵な笑みを持って答えた。
「……貴様、神官ではないな」
「気づくのが遅いね」
 淡々とした問いにアキアはゆっくりと身構えながらこう返す。装いもあって
女性としか思えぬ容姿には不釣合いとも言えるその声に、男たちは微かに動揺
らしきものを示した。
「……大きなお世話だ」
 その動揺に不機嫌なものを感じつつ、アキアは敵を見定める。数は十四人。
一見丸腰で、突破はさほど難しくもなさそうだな……と、思った矢先。
「では、『力』ではなく、『血』を我らが神に捧ぐがいい」
 先頭の男がこう言って手を上にかざした。その手に鈍く黒い光が集中し、奇
妙な形の短剣を作り上げる。幅の広い刃の根元から伸ばした二本の縦木の間に、
持ち手となる横木をつけた短剣――カタールと呼ばれる、特殊な短剣だ。先頭
の男に続くように他の男たちも鈍い光からカタールを作り出してその手に握る。
蒼白い灯火の下にずらりと並んだ刃に、さしものアキアも眉を寄せた。
「……丸腰の相手に刃物で来るかな。っとに、これだから……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、アキアは気持ち、身体を屈める。
「……我らの神に、『血』を」
「……狂信者っていうのは、迷惑なんだよね!」
 苛立ちを込めて吐き捨てつつ、アキアは走り出す。先頭の男の懐に一気に飛
び込み、向こうが刃を振るうよりも早く顎に拳を叩き込む。この奇襲で先頭は
沈黙するものの、後続はそれを気にした様子もなく、淡々と切りかかってきた。
アキアは大きく後ろに飛びずさって距離を開け、一つため息をつく。
「どうにも……素手じゃ、分が悪いなぁ……」
 文句を言いつつ、アキアはゆっくりと左手を頭上にかざした。真珠を思わせ
る白い光がぱっと弾け、次の瞬間、それは優美なフォルムを備えた光の剣とな
ってかざした手に握られた。形状は長剣に変化したヒューイと全く同じ。斬打
撃主体の形状だが、同時に鋭い斬撃能力を持ち合わせているようにも見える。
「と、言う訳で……奥の手、使わせてもらうよ」
 光の剣を一振りして大気を薙ぐと、アキアはこう言ってにこり、と微笑む。
藍と紫の異眸は、その表情とは裏腹に厳しい光を宿していた。

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