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   ACT−2:狭間の街に潜むもの 02

 勘定を済ませて店を出た二人は、特に目的もなく中央広場へと足を向けた。
フレアの腹ごなしのため――というのは半ば冗談だが、真っ直ぐ宿に戻っても
する事がないからだ。
「それにしても……随分とひっそりしてるわよね。宿も空いてたし」
 大通りを歩きつつ、フレアがふと気づいたようにこんな呟きをもらした。
『そーだよなぁ。国境閉鎖なんてーから、てっきり人間だらけだと思ってたの
によ』
 続けてヒューイもこんな事を言う。
「ああ、そうだな……確かに、静かだ」
 前に立ち寄った宿場は人だらけで宿も取れない有様だった。だからアイルグ
レスでも同じ事になるのでは、という危惧を抱えていたのだが、それに反して
国境の街には旅人の姿は少なく、むしろ閑散とした空気が漂っていた。どうや
ら前の宿場が混んでいたのは、旅人たちがアイルグレスに入る事を躊躇してい
たためらしい。
「……まあ、恐らくは何か、厄介事があるんだろうね。それが解決しない限り
は……」
「封鎖、解けないって言うの?」
「そう思って、間違いないだろうね」
「じゃあ、あたしたちで解決すればいいじゃない」
 予想していた通り、フレアは事もなげな口調でこう言いきった。
『お嬢、そう簡単にできるなら、とっくに何とかなってるって』
 思わず天を仰ぐアキアに代わり、ヒューイが冷静な突っ込みを入れる。フレ
アは何よぉ、と言いつつ腰の短剣を睨み、その瞳をアキアに向けた。拗ねた瞳
に睨まれたアキアは一つため息をつき、それからフレアに向き直って確かにね、
と呟いた。
「多少短絡的ではあるけど、それしか方法はないだろうね。まぁ、オレとして
もここに閉じ込められるのは、本意じゃないからね」
 この言葉にフレアは満足げににっこりと微笑み、
「……でも、どうすればいいのかなぁ?」
 直後にとぼけた呟きをもらした。お気楽な物言いにアキアははあ……とため
息をつく。ある程度読んではいたものの、こうも見事にボケられると言葉がな
い。大げさなため息にフレアは拗ねたように眉を寄せた。
「……ま、何とかなるんじゃないの?」
『……ホントかよ?』
「多分、な」
 あからさまな疑いを込めたヒューイの問いを、アキアはさらりと受け流した。
大雑把な物言いにフレアも碧の瞳に不安を織り交ぜる。そんなフレアにアキア
はにこ、と微笑んで見せた。フレアは首を傾げつつアキアから視線をそらし、
「……あ」
 短く声を上げて足を止めた。突然の事にアキアは微かに眉を寄せる。
「……お嬢?」
「……あれ、カワイイっ!」
 言うが早いかフレアはたたた、と走り出す。突然の事に戸惑いつつその後を
追うと、フレアは大通りに面した店の窓に張りついて中を見つめていた。後を
追ってやって来たアキアは同じように窓から中を覗き込み、フレアが見ている
物に気づいて眉を寄せた。
(……服屋……か)
 フレアが見つめているのは、目立つ所に飾られた可愛らしいドレスだった。
淡いピンク色の、見るからに華奢なドレス。野外を旅するには似つかわしくな
いが、色的にもデザイン的にも、フレアなら似合うだろう、というのは容易に
察しがつく。
(……女の子、だな)
 大きな瞳をキラキラさせて見入る姿にアキアは苦笑していた。今は必然から
白の飾り気のないシャツに若草色のジャケットとズボンという地味な出で立ち
をしているフレアだが、それ故に華やかな装いへの憧れが強いのだろう。
(ま、何事もなけりゃ、のんびりしてた訳だし、この子は……)
 ふと浮かんだ考えが、アキアの瞳を陰らせた。何事もなければ、貴族の令嬢
としてクライズの王都で何ら不自由のない生活をしていたはずのフレア。しか
し、彼女自身とは全く無縁の思惑が、結果としてその生活を断ち切ってしまっ
たのだ。勿論、断ち切ったのは自分の意思だとフレアは言うだろうが。
「……アキア?」
 ふと考え込んでいる、フレアがそっと声をかけてきた。はっと我に返ると、
碧い瞳が不思議そうにこちらを見つめている。アキアはとっさに笑顔を作り、
なに? と問い返していた。
「なにって……どうしたの、ぼんやりして?」
「え? いや……別に?」
 この言葉にフレアは不思議そうに首を傾げ、それから唐突にきゅっと眉を寄
せた。
「……心配しなくたって、欲しい、なんて言わないわよぉ」
「え?」
 拗ねた言葉にアキアは思わずとぼけた声を上げ、それから、その言わんとす
る事に気づいて思わず噴き出していた。どうやらアキアの物思いを、どうやっ
てドレスを諦めさせるか、の思案と勘違いしたらしい。
「ん、もう! 笑わなくてもいいでしょー!」
 笑い出したアキアにフレアは憮然としてこんな事を言う。
「ご、ごめんごめん……でも……ははっ……」
 その様子も可笑しいやら可愛いやらで、アキアは笑いを止められない。笑い
続けるアキアの様子にフレアは完全に拗ねてしまったらしく、知らないっ! 
と言ってそっぽを向いた。
「ごめん……ごめんってば、お嬢……」
 どうにか笑いを治めて謝るものの、フレアはそっぽを向いたまま答えない。
アキアはやれやれ、と言いつつ店の中をちらっと覗き込んだ。ざっと見回すと、
服だけではなくアクセサリーも扱っているらしい。それと確かめると、アキア
はにっこり笑ってフレアに向き直った。
「そう、怒らないでくれって……ドレスはさすがにムリだけど、リボンくらい
なら、買っても構わないよ」
 この言葉にフレアはえ? と言いつつアキアを見た。戸惑いを帯びた瞳を、
アキアは穏やかな笑みで受け止める。
「……ホントに?」
「ああ。かさばらない物ならね」
「ホントにホント? あはっ……ありがと、アキア!」
 一転、嬉しげにこう言うと、フレアはぴょん、とアキアに抱きついてきた。
現金な反応に苦笑しつつアキアは少女を抱き止める。微笑ましいその様子に道
行く人々が足を止めるが、今のフレアには気にならないらしい。
「どういたしまして……それじゃ、行こうか?」
 その無邪気さに苦笑しつつ、アキアはそっと少女を引き離した。そこでよう
やく自分の行動に気づいたフレアは微かに頬を赤らめつつ、うん、と頷いて店
の中へと駆けこんで行く。嬉しさ半分、照れ隠し半分と思われるその様子に笑
みをもらしつつ、アキアも店の中へと入って行った。

「……ありがとうございました〜♪」
 茜色の残照が街を染め上げる頃、アキアとフレアは妙ににこにこした店員に
見送られつつ店を出た。フレアは可愛らしくラッピングされた包みを大切そう
に抱き締めてにこにこしている。包みの中身は自分が選んだ淡いピンクのリボ
ンと、アキアが見立てた鮮やかな空色のリボン、それと店の主がおまけでつけ
てくれた白いレースのリボンだ。ちなみにこのレースのリボンはフレアをして、
「アキアに似合うんじゃないの?」と言わしめた代物であり、アキアとしては
内心かなり複雑な代物だったのだが。
「ところで……ねえ、アキア」
 蒼い闇に沈み人通りの少なくなった道を宿へと歩きつつ、フレアがふと思い
出したように声をかけてきた。
「ん? なに?」
「アキア、こっそり何買ってたの?」
 それは、アキアとしては思いがけない問いかけだった。確かにフレアがきゃ
あきゃあと騒ぎつつリボン選びをしている間にアキアもちょっとした買い物を
していたのだが、よもや気づかれているとは思わなかったのだ。
「え? いや、別に……大した物じゃないよ」
 二呼吸ほど間を開けてから、アキアはにっこり笑ってこう答えた。この答え
にフレアは不信げに眉を寄せる。
「……何かな?」
「……髪飾りか何か、でしょ? 誰にあげるの?」
「あらら、よく見てたね……」
 低い問いかけにアキアは苦笑めいた面持ちでこう呟いた。
「だって、お店に入ってすぐ、そっち行ってたじゃない? それで、誰にあげ
るつもりなの?」
 そんなアキアに、フレアは低い声で更に問いを接ぐ。見ようによっては拗ね
ているようにも見えるが、多分気のせいではないだろう。
「……さあね〜……どうでしょう?」
 フレアのその様子に余裕を取り戻したアキアは、にっこりと笑って逆にこう
問い返した。フレアはむう、と頬を膨らませて睨んでくる。
「……教えてくれたっていいじゃない」
「教えたら面白くないよ」
「……あたしは、教えてくれない方が面白くないもん」
「でも、オレは教えたら面白くないんだ」
 拗ねた言葉をにこにこと笑いながら受け流すと、フレアはきゅっと眉を寄せ
る。怒った時の癖だ。フレアがこの表情を見せたらからかいを切り上げないと、
本気で怒ってしまう。行動を共にするようになってからの数ヶ月で、アキアは
そう学んでいた。
「あはは……そう怒らないで……」
 怒りを静めるべく言いかけた言葉を遮るように、
「……放して……放して下さいっ!」
 横合いの路地からこんな声が聞こえてきた。ただならぬ響きを帯びた、女性
の声だ。突然の事にフレアはきょとん、と目を見張り、アキアは表情を引き締
める。
「ヒューイ、明かりを!」
『……あいよっ!』
 アキアの指示にヒューイは素早く応じた。短剣の柄の金緑石がきらっと輝き、
路地の奥に魔法の灯火を生み出す。ふわりと浮かんだ明かりの下に、白い神官
衣らしき物を着た女性と、彼女を捕えようとしているらしい黒服の男が浮かび
上がった。
「……!」
「お嬢、ここを動くなっ!」
 息を飲むフレアに短く言い置いてアキアは走り出していた。突然の光に戸惑
う男たちに素早く駆けより、一人の喉元にダッシュの勢いを乗せた肘打ちを叩
き込む。
「……がっ!」
 突然の事に避ける事も叶わず、男は女性を掴んでいた手を放して後ろに吹っ
飛んだ。アキアは素早く態勢を整え、もう一人の腹に膝蹴りを見舞う。
「……うぐっ……」
 一体何が起きているのか、恐らく理解できなかったのだろう。男は膝蹴りを
まともに食らって前のめりに倒れ込む。アキアは襲われていた女性を支えつつ、
バックステップで二人との距離を取った。魔法で生み出された光球の下、銀色
の長い髪が美しく煌めきつつ、ふわりと流れる。
 取りあえず女性を座らせたアキアは反撃に備えて身構えるが、最初の攻撃の
ダメージから立ち直った男たちは忌々しげな視線をアキアに投げかけただけで、
そのまま路地の奥の闇へと消えた。闇に紛れ込み、そのまま溶けるように消え
てしまったのだ。恐らくは魔法的な手段で移動したのだろう。
「……?」
 その引き際の良さに戸惑いつつ、アキアは今助けた女性の方を振り返る。視
線に気づいて顔を上げた女性は安堵したような笑みを浮かべ、直後にふらりと
倒れかかった。アキアはとっさに膝を突いてその身体を支えてやる。緊張の糸
が切れたのだろうか、女性は気を失っていた。
「……大丈夫なの、その人?」
 やって来たフレアの問いに、アキアは多分ね、と応じつつ、女性を抱き上げ
て立ち上がった。とにかく、このままにしておく訳にはいかないだろう。
「どうするの?」
「……取りあえず、神殿まで送るしかないだろう?」
 ごく一般的な意見を定義すると、フレアは何故か不満げに眉を寄せた。
「……何かな?」
「晩ご飯……遅くなっちゃう……」
「……」
 らしいと言えばあまりにもフレアらしいこの一言に、アキアは絶句するしか
なかった。
『お嬢……論点、違い過ぎ……』
 ぼそりと入ったヒューイの突っ込みが黙殺されていた事は、言うまでもない。

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