目次へ


   ACT−2:狭間の街に潜むもの 01

「……だぁかぁらぁ、ど〜してダメなのよぉ?」
 困り顔の兵士に向け、フレアは何度目かの問いを繰り返した。
「ですから、それは……」
「『故あって』なのはわかったわよ。わかったから、その、『故』をちゃんと
説明してよぉ」
 お役所口上で必死に逃れようとする兵士に、フレアは拗ねた口調でこう突っ
込んだ。ふわっと柔らかな印象の美少女に拗ねた口調と上目遣いで責め立てら
れては、心情的にはかなり苦しいものがあるだろう。
「……同情に値するな、あれは」
 三歩離れてその様子を眺めつつ、アキアは人事のようにこう呟いた。周囲の
野次馬たちも皆、同じ思いらしい。それでいて誰一人助け舟を出さない所を見
ると、心情的にはフレア寄りのようだ。事務的な対応しかしない兵士がやり込
められているのが小気味良いのだろう。
『おいアキア〜、いつまで他人のフリしてんだよぉ?』
 悠然と構えていると、頭の中に声が響いた。フレアの腰に収まった魔法の短
剣ヒューイは、既にこの状況に飽きているらしい。それはそれで、さもありな
ん、とは思う。正直、アキアもこの状況には既に飽きていた。それでも、フレ
アのどうして攻撃に兵士が陥落して、今、このアイルグレスに起きている事の
次第をもらさぬものか、という期待もあり、あえて退屈に耐えていたのだが。
「……とにかく、国境封鎖は国王陛下の承認も受けた上での決定です! 事情
の説明はできかねますので、お引き取り下さい!!」
 生真面目な兵士はフレアのお願いに屈しなかった。フレアは子供っぽく頬を
膨らませると、ケチ! と言い放ってこちらに戻ってくる。
「もぉ〜、理由があって閉鎖してるなら、その理由をちゃんと説明してくれれ
ばいいじゃないのぉ!! ほんっと、融通きかないんだからぁ!」
 一しきり文句を言うと、フレアは兵士を振り返って舌を出した。多分に子供
っぽい仕種だが、フレアがやると違和感がない。兵士は見て見ぬ振りに徹して
いたようだが、内心は相当に複雑だったのではなかろうか。
(……黙ってれば、カワイイからなぁ……)
『いや、それ言っちゃマズイって』
 ふと心の奥でもらした呟きに、ヒューイが突っ込みを入れてきた。的確過ぎ
る突っ込みに苦笑していると、フレアがジト目でこちらを睨んできた。
「ん? どうかした?」
「……今、ヒューイとヘンなコト話してたでしょお?」
 先ほどまでとはまた違う理由で拗ねつつ、フレアは低く問いかけてくる。
 魔法の短剣ヒューイとの付き合いはアキアの方が長い。だからという訳でも
ないのだが、アキアとヒューイはフレアの介入する余地のない会話をする事が
多かった。これは、『ヒューイと話せるのは自分だけ』と思っていたフレアに
とっては、相当に面白くないようなのだ。
「え? いや……さあて、どうかな?」
 子供っぽい邪推に苦笑しつつ、アキアはそれをこう受け流す。フレアはむ〜、
と言ってまた、頬を膨らませた。声を聞かなければ男か女か判断しかねる美丈
夫と子供っぽい仕種の似合う美少女の取り合わせはさすがに人目を引き、足を
止めて見惚れる者も少なくない。そんな野次馬たちに気づいたアキアはぽんぽ
んっとフレアの肩を叩いてにこっと笑った。
「そう、膨れない膨れない。それより、国境が通れないんじゃここにいても仕
方ないだろ? お茶でも飲みに行こうか」
 この提案に、フレアはう〜と言って眉を寄せる。わかっているからだ。アキ
アが食事やお茶の提案をするのは、話をそらすための常套手段であると。
「ん? いやあ、行きたくないならいいんだけど。ただ、この街にすごく美味
しいタルトが食べられる店があるって聞いたんだよね。じゃ、オレ一人で行こ
うかな〜♪」
 にこにこと笑いつつ、アキアはこう言って歩き出す。これまた常套手段とフ
レアもわかってはいる。いるのだが。
「……行くわよっ!」
 結局はこう言ってその後を追ってしまう。『美味しいタルト』の文字通りの
甘い誘惑と、何より、一人で置いて行かれるのが嫌だからだ。追いついたフレ
アは拗ねた表情のまま、アキアの右腕を両腕で抱え込む。見ようによっては、
年上の恋人に甘える女の子に見えなくも無いだろう。勿論、こんな事を言おう
ものならフレアは烈火のごとく怒るのは間違いない。アキアの方は笑って受け
流すだろうが。
「ほんっとに、もう……サイアクよねっ」
 可愛らしいフルーツタルトを八つ当たり気味に平らげつつ、フレアはぶつぶ
つと文句を言った。
「お嬢、怒りながら食べるのは、身体にかなり悪いと思うよ……」
『そーそー、美容にも良くね〜って。甘いモンのヤケ食いは、太るぞ〜』
 アキアが呆れたように言うと、ヒューイもこう付け加えた。フレアはうるさ
いの、と言いつつヒューイの柄をぎゅっと握り締める。
「だって、怒りたくもなるわよぉ! ようやくアイルグレスまで来たのよ、も
う少しで他の国に行けるのに……国境が通れないなんて……」
 最後の方はややしょんぼりとした様子でこう言うと、フレアはラズベリータ
ルトを手に取った。この店の店主のお勧めタルト十点盛り合わせは、既に半分
がフレアの口に消えている。もっとも、アキアは人気商品とされていたブルー
ベリータルトを、先制的に確保してじっくりと味わっていたが。
「まぁ、国王陛下のお達しだって言うからね。文句は言えないだろ?」
 やや落ち込み気味のフレアに、アキアは苦笑しつつこう言った。
 とはいうものの、この国境封鎖の一因がフレア自身にある可能性は否めない。
名門貴族の令嬢であり、王国第一王子の婚約者。それが、フレア自身が何より
も嫌う、彼女の肩書きなのだ。が、父親が勝手に定めたこの縁談を嫌ったフレ
アは、家出という形でそれに反発した。その途中でアキアと出会い、ここまで
やって来る事はできたのだが。
(さすがに、国の外には出せないって事か。とはいえ……)
 ここに来るまでに聞いた話を総括して考えるに、単にそれだけとも思えない。
そも、フレアを閉じ込めるのが目的なら、全ての国境を封鎖するなり監視を強
化するはずだろう。ところが、噂をまとめてみると、国境が封鎖されているの
はアイルグレスだけで他は多少チェックが厳しくなった程度なのだ。世継ぎ王
子が婚約者にフラれた、などというのは恥でしかない事を思えば、あまり大っ
ぴらにはできないのだろうが。
(いずれにしろ、このままじゃいられないしな……少し、調べる必要があるか
も知れん……)
 こう考えをまとめた刹那、藍と紫の異眸は厳しく表情もきりりと引き締まっ
ていた。多くの者がその表情に目を奪われる中、唯一そのパターンに当てはま
らないフレアは。
「……アキア」
 妙に神妙な面持ちでアキアに声をかけていた。アキアは考え事を中断し、な
に? と言いつつそちらに向き直る。
「紅茶とタルト、おかわりしていい?」
 天使の笑顔で微笑みながら問う、この言葉にアキアは絶句していた。アキア
が考え事をしている間に、フレアは九個のタルトを平らげていたのだ。
(い、いつもながら……)
 甘い物に関しては油断ならない。改めてこう認識しつつ、アキアは大きくた
め息をついた。
『だから、太るっつうに……』
 ぼそりともらしたヒューイの呟きが黙殺されていた事は、言うまでもない。
 そんなこんなで……。
「あ〜、美味しかった」
 総計十八個のタルトをぺろりと平らげたフレアは、一転してご機嫌そのもの、
という様子でこんな事を言った。
「……そりゃあ、そうだろうね……」
 ニ十個中、二個しか食べなかったアキアは呆れを込めてこう返す。一体この
華奢な少女のどこにそれだけの物が入るのか、可能ならば説明してもらいたい。
これで夕飯もきっちりと食べるのだから恐れ入る。
「……なによ?」
 言葉に込められたものに気がついたのか、フレアは眉をひそめつつ拗ねた声
を上げてアキアを睨んだ。アキアはにこっと笑って別に、と返す。例によって
全く読めないその態度に、フレアはむ〜、と頬を膨らませた。逐一仕種が子供
っぽいが、フレアの場合はそれが似合うから面白い。
(見てて、飽きないね、ホント)
 ふとこんな事を考えてしまう。突っ込みこそないが、ヒューイも同感らしい。
でなければ、幼い頃からずっとフレアと付き合う事など不可能だろうが。
「さて、それじゃそろそろ行こうか? 少し、あちこち歩き回った方がいいだ
ろ?」
「え……なんでよ?」
 不思議そうなこの問いに、アキアはにっこりと微笑みつつ、言った。
「このまま宿に戻ってぼんやりしてるだけじゃ、夕飯が苦しいんじゃないのか
な?」
 この言葉にフレアはえ? と言って目を見張り、
「なあによぉ! それじゃ、あたしが食べる事しか考えてないみたいじゃない
のぉ!」
 込められた皮肉に気づいて大声を上げた。
「あれ、違ったっけ?」
「……違うわよっ!!」
 平然と返すと、フレアはムキになってこう返してくる。素直な反応にアキア
は笑みを禁じえない。ちょっとからかうと、可愛いくらいにムキになるフレア。
それが楽しくて、ついついからかってしまうのだ。
『……ホドホドにしろっつ〜に、アキア……』
 そこにヒューイがぼそっと突っ込んでくる。アキアはわかってるよ、と答え
つつ、ぽんっとフレアの頭に手を置いた。ふわっと柔らかな金髪は触り心地が
いい。
「ごめんごめん、冗談だよ♪」
「……謝るのはいいケド、頭、撫でないでよ……子供じゃないんだからっ」
「十五歳なんて、まだまだ子供だと思うけど?」
 拗ねた言葉ににこにこしながら答えつつ、アキアはフレアの髪を撫でた。紫
と藍の異眸に宿る光は、穏やかで優しい。
「……法制上は成人よっ!! 大体、そういうアキアは幾つなのよっ!?」
 ジト目の問いにアキアはきょとん、と目を見張り、
「忘れた」
 さらっと問いを受け流した。
「……つまり、覚えてないほどのオジサン、でなきゃオジイサンってコトね?」
「……あ、ちょっとぐさっと来たかも……」
 受け流しに対するフレアの鋭い突っ込みに、アキアは引きつる。
「違うっていうなら、ちゃんと教えてよ?」
「いや、だから、忘れたって」
「ふぅ〜ん……いいわよ、後で、ヒューイに聞くから」
『いや、お嬢、オレも覚えてないって』
 フレアの言葉に危機感を覚えたのか、ヒューイが慌てて口を挟んでくる。フ
レアは腰の短剣に睨むような視線を投げかけ、次にその瞳をアキアに向けた。
「とにかく、手、どけてよ。みんな、見てるじゃない……」
 それから、やや恥ずかしそうにこんな事を言う。その容貌故に人目を引くア
キアが、女の子と痴話ゲンカさながらの会話をしていて目立たない道理がない。
店内に居合わせた者たちは皆、アキアとフレアに注目している。傍目にはちょ
っと年の離れた恋人同士にしか見えない、という事実は、フレアとしては非常
に質が悪かった。
(別に、そんなのじゃないのにぃ……)
 ふとこんな事を考える。もっとも、じゃあ何なのか、と聞かれると困ってし
まうのだが。そしてちょっと拗ねたような、それでいて照れたような表情から
それを読み取ったアキアは、そっと手を離して立ち上がった。
「さて、それじゃ行こうか?」

← BACK 目次へ NEXT →