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   22

「そらよっと!!」
「……っ! 右をお願いします!」
 大剣が一閃して魔獣を両断し、ユーリの側面を突こうとした別の魔獣の行く
手を水の壁が阻む。もちろんただの水ではなく、水の精霊の操る力を帯びた物
だ。壁は突進してきた魔獣を受け止め、弾き飛ばす。
「しかし、キリがねえな」
 一度距離を開けつつ、ユーリが呟く。その声に疲労した様子は伺えない。ラ
ヴェイトの治癒術による支援があるからだ。
「まったくですね……」
 対するラヴェイトには、逆に疲労の色が伺える。治癒術による援護と、まだ
使い慣れない精霊魔法の併用はさすがに苦しいものがあるようだ。
「……」
 長引かせる事はできない。微かに青ざめた顔の汗を拭うラヴェイトの様子に、
ユーリは眉を寄せつつこう考える。状況の均衡を保っているラヴェイトが力を
維持できなくなれば、こちらは切り崩される。となれば、一気に勝負を仕掛け
るしかないのだが、闇雲に突撃したところで活路は見出せないだろう。
(さて、どうしたもんか……)
 心の奥で呟きつつ、ユーリは改めて周囲を見回した。それから、ふとある事
に思い至る。
(待てよ……そういや、確か……)
 古代都市に関わりのある怪物の類には、法則とも言えるものがある。一つは
数。無限にいるのでは、と思わせるほど次々と姿を現し、断続的に襲いかかっ
てくる。そしてもう一つが、司令塔の存在だ。この二つの法則――無限の数と
司令塔は密接な関係にあるらしく、司令塔を叩けば無限増殖は防げるのだ。
「頭を潰しゃあ、どーにかなる、か?」
「……え?」
 声に出して呟くと、ラヴェイトが不思議そうな声を上げてユーリを見た。ユ
ーリはにや、と笑いつつそちらを振り返る。
「だからよ、この犬コロども。親玉を潰しゃ、何とかなるんじゃねぇかと思っ
てな!」
 答えつつ、ユーリは素早く前に向き直って飛びかかってきた魔獣を強引に叩
き斬った。そして、ラヴェイトはあ、と言って周囲を見回す。
「確かに、以前の事から考えれば……わかりました」
 大雑把な言葉から、ラヴェイトはユーリの言わんとする所を的確に理解して
いた。この場にいるはずの魔獣の司令塔を見つけ出す。それは、生命波を読み
取るラヴェイトでなければ不可能だろう。
「すみませんが、ユーリ殿の援護をお願いしますね?」
 傍らの水の精霊にこう微笑みかけると、ラヴェイトは意識を集中した。その
様子を横目に見つつ、ユーリは剣を握る手に力を込めなおす。その気迫に気圧
されつつ、それでも魔獣たちは引こうとはしなかった。
 飛びかかる黒の魔獣を銀の刃が迎え撃つ。周囲を照らす青い光が刃の上に美
しく映えた。死を導く剣と生を導く光。本来、正反対の用途を持つそれらは絶
妙の美しさを織り成しつつ、一方に生を、一方に死をもたらしていく。
 また一匹を塵に変えた所で、ユーリはふと空を見上げた。明る過ぎる月は、
淡々と彼らの戦いを見下ろしている。
(あの時と、同じだな)
 無表情な輝きに、ユーリはふとこんな事を考える。十六年前にここを訪れた
時も、月は彼らの織り成す生死の交差を淡々と見つめていた。その時とまるで
代わらない光は否応なく、十六年前の苦い記憶を思い起こさせる。シーラが姿
を消してしまった事がバルクの失踪に嫌でも重なり、考えまいとしても意識が
そちらへ向かってしまうのだ。
『……危ない!』
 不意に響いた声と強い殺気がユーリを我に返らせる。ユーリは素早く剣を返
して殺気の主を塵と変え、警告を発した者――水の精霊に苦笑めいた顔を向け
た。精霊はどこか不安げな様子でユーリを見つめている。ユーリ同様、過去を
思い出して不安を感じているのだろう。
(同じにゃ、しねぇよ)
 心の奥でこう呟くと、ユーリは表情を引き締めて魔獣たちに向き直った。
 十六年前と同じ事を繰り返すつもりはない。過去に囚われるためにここに来
た訳ではない。ここに来たのは、向き合い、断ち切るため。先に進むためなの
だから。先に進んで、十六年前に始まった事の結末を見届ける。そのためには。
「いつまでも、テメーらと遊んでる訳にゃ、行かねーんだよ!」
 決意を込めた叫びと共に舞う刃が、黒い魔獣を塵へと変えて行く。
 月光の下の命の交差。魔獣たちは己を顧みる素振りさえ見せずに次々と現れ
ては襲いかかってくる。そしてそのことごとくが塵と化し、消え失せていた。
(何故、ここまでできるんだろう……生への固執が、まるで感じられない)
 そんな魔獣たちの様子にラヴェイトはふとこんな事を考えていた。以前戦っ
たガーディアンたちもそうなのだが、とにかく彼らには生命体であれば当たり
前に備わっているはずのもの、生への固執がまるで感じられないのだ。
(それも、彼らが『造られた存在』であるが故……なのか?)
 ふとこんな思いがかすめる。彼らが人為的に造り出されたものである、と聞
いた時は正直、納得が行かなかったのだが、こうして目的にのみ邁進する姿を
見ていると、それも理解できた。手駒として使う――使い捨てる目的で存在し
ているのであれば、感情や自我は必要ない。高圧的な権力者であれば、そう考
えるだろう。少なくともドゥラに憑いていた何者かは、明らかにそれを当然と
していた。
(あれが……父さんに憑いていた者が、かつてここにいた何者かだったのだと
すれば……)
 そう考えるのが妥当なのだが、いずれにしろ、この都市ではかなり独善的な
為政がされていたのではなかろうか――そんな場合ではないと思いつつ、ラヴ
ェイトはふとこんな事を考えていた。
 到達してからずっと考えていたのだが、この都市が今の彼らからは想像もつ
かないような高い技術力を備えていたのは明らかだ。にも関わらず、滅亡を免
れる事ができなかったのはそれなりの理由があるのだろう。それは一体何なの
か――と考えかけ、ラヴェイトはそれを思い止まった。
(今は、それどころじゃない。この場を切り抜けなくては)
 こう思い直してラヴェイトは波動の探査に専念した。今、それを考えたとこ
ろでどうにもなりはしない。今は、この場を切り抜ける事の方が重要なのだ。
でなければ先に進む事はできず、求めている答えも得られないのだから。
 一つ深呼吸をして呼吸を整え、空間に満ちる生命の波動をたどって行く。場
の大半を占める魔獣たちの生命波は、何とも無機質な感触があった。生命波は、
放つ者の感情を反映し、個々の違いを織り成す。感情を与えられていないであ
ろう魔獣の反応が無機質なのは、ある意味で当然なのだろう。
(存在理由からすれば、それでいいんだろうか……?)
 そんな事を考えた時、一際強い波動が感覚に触れた。他の魔獣たちとは異な
り、明らかな害意をこちらに対して抱く者がいる。強い敵意がこちらに向けら
れている。それも、頭上から。
「……っ!? 上!?」
 思わぬ方向からの反応に戸惑いつつ、ラヴェイトは顔を上げて空を見た。し
かし、そこには明る過ぎる月のかかる夜空があるばかりで他には何者の姿も見
えない。だが、今感じた生命波と敵意は間違いなく頭上に存在していた。どう
やら、何らかの方法で姿を隠しているらしい。
「……どうにかして、姿を現させないと……」
 いかにユーリが剣士として優れた技量を持っていたとしても、上空にいる、
しかも目に見えない敵を相手取るのは至難の技のはずだ。
(束縛の波動で捕えて、地上に降ろすか……)
 現状、最も妥当な手段を選択すると、ラヴェイトは今感知した生命波へと力
を向ける。夜空に青い光が弾け、見えない標的を捕えた――かに見えた。
「……っ!?」
 だがその瞬間、思いも寄らない事態が起きた。標的を捕えたはずの波動が逆
流してきたのだ。突然の事に対処できず、ラヴェイトは自らの放った波動をま
ともに受ける。
「……くっ!」
 一瞬痺れに捕われるものの、ラヴェイトはすぐに波動を相殺する事でその束
縛を逃れた。だが、疲れを感じつつあった所に今の衝撃は大きく、ラヴェイト
はその場に膝を突く。
「ラヴェイト!?」
「だ……大丈夫です……」
 異変に気づいたユーリが振り返るのにこう答えると、ラヴェイトは頭上を見
上げた。
「束縛の波動を……生命波への干渉を、逆流させるなんて……」
 そんな事ができると言う話は聞いた事がなかった事もあり、衝撃は大きい。
何より生命波への干渉ができないという事は、ようやく捉えたもの、この魔獣
たちの司令塔に対して干渉ができないと言う事なのだ。
「一体、どうしたってんだ?」
 僅かに後退してきたユーリが問うのに、ラヴェイトは一つ息を吐いた。
「この魔獣たちの、司令塔を見つけたのですが……」
「見つけたが、どした?」
 言葉を濁らせるラヴェイトの様子にただならぬものを感じたのか、ユーリは
微かに眉を寄せつつ先を促す。
「生命波による干渉が、効きません。束縛の波動が、跳ね返されました」
 それにラヴェイトは深いため息と共にこう答え、ユーリはは? ととぼけた
声を上げる。
「ちょっと待てよ。フィルスレイムの技ってのは、生きてるモン、生きてたモ
ンには基本的に有効なんじゃなかったのか?」
「そうです……生命波を持つ者であれば、抗う術はない、とされています。も
ちろん、強靭な意志を持ってすれば干渉を退ける事は可能ですが、しかし、そ
のまま跳ね返すなんて……」
「普通はあり得ねぇ、と。ま、ここは普通の場所じゃねーしな、そういう事も
あるだろ」
「え……?」
 ラヴェイトの説明にユーリはごくあっさりとこう言いきり、その言葉に今度
はラヴェイトがとぼけた声を上げていた。
「そう言う事も……って……」
「そもそも、俺らの常識が通用しねぇとこなんだ。何が起きても、不思議はね
ぇって事さ」
 ぽかん、とするラヴェイトににやりと笑ってこう言うと、ユーリは一歩前に
出て大剣を無造作に振り下ろした。ギャウンっ! という絶叫と共に、近づい
てきていた魔獣が塵と化す。
「とはいえ、そいつは厄介だな……さて、どうするか」
 構えた剣の切っ先で魔獣たちを牽制しつつ、ユーリは独り言のようにこう呟
いた。ラヴェイトも我に返って、そうですね、と呟く。
「このまま、遅滞戦を続ける訳にはいきませんからね」
「まぁ、向こうの目的が俺らの足止めと時間稼ぎだってんなら、もういいとこ
思惑にハマっちまってるけどな」
「……そうですね」
 僅かな自嘲を込めたユーリのぼやきにラヴェイトは苦笑し、それから改めて
上空を見た。
 相変わらずその姿は見えないが、強い敵意をこちらに向ける者の存在は、今
ははっきりと感じ取れる。しかし、生命波による干渉ができないとなると、ラ
ヴェイトには手の出しようがなかった。向こうもそれとわかっているのだろう
か、こちらに向けられる思念には嘲りのようなものすら感じられた。
(とにかく、何故干渉が跳ね返されたのか……それがわかれば)
 波動が跳ね返された理由がわかれば、対処法も見えてくるだろうが、現状で
は皆目見当もつかない。ラヴェイトはしばしためらった後、再び頭上の気配へ
と力を向けた。直接の干渉は危険と思われるので、少しずつ波動の感触を確か
めて行く。
(これは……負の生命波?)
 改めて波動をたどる事で、ラヴェイトはそれに気がついた。同時に、その感
触に微かな覚えがあるような気がして眉を寄せる。
(この波動は……まさか!?)
 ふと過るのは、砂漠の地下遺跡。本来は目に見えぬほどの大きさの生物を巨
大化させ、その中に水の精霊を捕らえていた負の生命波の事が思い出された。
ふと傍らに浮かぶ精霊を見やると、その蒼い瞳には不安と困惑とが読み取れた。
「覚えが、ありますか?」
 そっと投げかけた問いに、精霊は一つ頷く。長くそれに捕われていた精霊が
肯定するのだから、ラヴェイトの予想は正しいのだろう。経緯は全くわからな
いが、あの時遺跡から姿を消した負の生命波が形を得て、再び姿を現したと言
う事らしい。
「それならば、ぼくに敵意を抱くのはある意味では当然か……」
 低く呟きつつ、改めて夜空を見上げる。相手があの時の負の波動であると言
うなら彼ら、特にラヴェイトに対して強い敵意を持つのも無理からぬ事だろう。
そしてそれと共に、束縛の波動が跳ね返された事にも理由がつけられる。
 生命波による治療は、あまり集中して行うと対象が拒絶反応を起こす事もあ
るとされている。生命波の流れに干渉すると言う事は、対象の生殺与奪権を握
るという事であり、その事に対する本能的な恐怖が干渉を拒絶させるのだ。
 地下遺跡で、ラヴェイトは負の生命波に対して通常よりも強い干渉を断続的
に行っていた。それによって向こうに耐性がついたのだと考えれば納得が行く。
もちろん、嬉しくはないが。
(しかし、あの生命波は形を……あるべき器を持ってはいなかった。と、言う
事は……)
 ここに現れるためには何らかの器を得なければならない、というのは容易に
察する事ができる。それならば、その『器』となっている方に干渉する事で状
況を動かす事もできるだろう。
 こう判断したラヴェイトは、静かに波動をたどり始めた。突き刺さるような
敵意の狭間をすり抜けるようにしつつ、それとは異なる力を探す。しかし、以
前にも増して複雑に絡み合っているらしい波動たちはその探査を容易には行か
せなかった。
「……くっ……」
 高まる疲労が集中を乱す。だが、自分の疲れを和らげるために力を割く余裕
はなかった。ラヴェイトは呼吸を整えつつ波動をたどり、
――……たすけて……――
 消え入りそうに訴える声を捉えた。明らかに他とは違う生命波が感じられる。
正の方向の生命波だ。どうやら、探していたものを見つけたらしい――ラヴェ
イトがそう思った直後に、夜空に異変が生じた。
 何もなかった虚空に真紅の光が灯り、そこを基点として黒く、巨大な影が空
間から滲み出るように姿を見せる。
 オオオオオーーーーンっ!!
 空間から現れたそれは天に向かって咆哮すると、突然の事に戸惑うラヴェイ
トに向けて急降下してきた。
「……えっ!?」
 思わぬ事態にラヴェイトは対処できず、上空から突っ込んできた黒い影の突
進をまともに受けて吹き飛ばされていた。

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