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   20

「リック、どこ!? どこにいるの!?」
 その頃、シーラは夢中になって走っていた。音の聞こえた先にあった入り口
に飛び込み、どこともわからぬ暗い通路を走り続け、開けた空間に出た所で足
を止める。ずっと走り続けて息が続かなくなった事と、その空間の異様な気配
がふと我に返らせたのだ。
「え……なに、ここ?」
 灯りらしいものがほとんどないのではっきりとはわからないが、どうやらこ
こは円形のホールらしい。中央に光を放つ水晶の柱のようなものがあり、それ
がぼんやりと周囲を照らしている。立ち込める空気はひやりと冷たく、それが
走り続けて火照った身体と高ぶった感情を鎮めてくれた。
「……」
 ここにいてはいけない。いわれもなくそんな気がした。ユーリたちの所へ戻
らなくては――そう思って踵を返すものの、どうやら遅かったようだ。
 ……しゅんっ
 乾いた音と共に、今入ってきた入り口を鈍い灰色の壁が覆い隠してしまう。
「え!?」
 思わぬ事態に戸惑いつつ、シーラは閉じた壁に手を触れてみた。だが、ひん
やりと冷たい壁は沈黙したまま、微動だにしない。
「どうなってるの? 開いて、開いてってば!!」
 壁を叩きながら訴えるが、ガンガン、と乾いた音が響くだけだった。
「開いて! 出して!!」
 開かない、とわかると更に焦燥感が募る。シーラはこう繰り返しながら壁を
叩き続け、狭いホールにはしばし乾いた音が響き続けた。
「……どうしよう……」
 ずるずるとその場に座り込みつつ、シーラは呆然と呟いた。閉じ込められた
事もそうだが、何より一人きり、というのが不安をかき立てる。その不安を押
さえ込むようにシーラは膝を抱えこんだ。落ち着かなくては、と思えば思うほ
ど不安が募り、それは周囲の重苦しい雰囲気と相まってずしり、と心に圧し掛
かってくる。
 怖い。
 元々、一人きりになるのは苦手なのだ、
 いつも誰かが一緒にいてくれたから、さほど強くは感じなかった孤独。だが、
こうして完全な一人きりになると、それは容赦なく心を苛んでくる。どうすれ
ばいいのかがわからず、それが更に不安をかきたてた。
「……リック……」
 高まった不安は誰よりも強く思う者の名を口にさせるが、求める返事はなく、
代わりに周囲の大気が不自然に揺らめいた。
「……え?」
 突然の事にシーラははっと顔を上げて周囲を見回す。ホールに漂う大気と、
そして闇が揺らめき、やがて空間にいくつもの目のようなものが現れた。
「え……え? な、なに?」
 唐突な異常事態に呆然とするシーラを、空間に現れた目が一斉に凝視した。
――『メガミ』――
――『メガミ』ダ――
――アラタナ『メガミ』――
――ワレラノ キボウ――
――ワレラノ スクイ――
――ミツケタ――
――ミツケタ――
――ミツケタ――
 それと共に低い声が乱れ飛び、空間にまた目が現れる。それらは一様にシー
ラを見つめ、その不気味さにシーラは色を失った。
「……いや……」
 呆然とした呟きが口からもれる。目は後から後から現れ、ミツケタ、という
言葉が幾重にも重なって響き渡る。異様という言葉では既に収まりのつかない
その状況は、元々不安定になりつつあったシーラの精神の均衡を、いともあっ
さり突き崩していた。
「いや……いやああああああああっ!!」
 絶叫と共に目を閉じ耳を塞ぐが、声の大合唱は頭の中に直接響き、無数の目
の視線が全身に絡みつくように向けられているのははっきりとわかる。
 逃げたい。
 ここに居たくない。
 そんな思いが身体を突き動かし、シーラは転がるように壁際から部屋の中央、
鈍い光を放つ水晶の柱の方へ移動した。
 ……しゅんっ
 シーラが水晶の柱に触れると、それを待ち受けていたかのように乾いた音が
響いた。直後に水晶柱の周囲の床が下へと沈み込む。
「な、なにっ!? 今度はなんなの!?」
 突然の事にシーラは上擦った声を上げる。どこに連れて行かれるのか、とい
う不安はあるが、ひとまず目の集団からは逃れられたらしい。シーラはいつの
間にか浮かんでいた涙を拭ってほっと安堵の息をつく。
 シーラを乗せた床は暗い闇の中をゆっくりと下降して行く。どこまで降りる
のか、と不安を感じた矢先、下の方からざわめきが聞こえてきた。
「……え……」
 ざわめきを感じた瞬間、全身が総毛立つのが感じられた。嫌な予感が心を過
り、ほどなくそれは現実となる。
「……っ!!」
 暗闇を抜けた先は、先ほどよりも広い空間のようだった。だが、状況を見て
取る余裕はシーラにはない。
「あ……あ……」
 闇を抜けた先に待っていたもの――それは、先ほどを遥かに上回る数の目と、
不協和音となった声の合唱だった。血走った目がじっとシーラを凝視し、ミツ
ケタ、という言葉が渦を巻いて圧し掛かってくる。その重圧は、繊細な少女の
心が耐え得るレベルを遥かに超えるものだった。
「やめ……て……見ない、で……」
 震える声で訴えるものの、それは不協和音にかき消されてしまう。
 逃げられない。
 周囲を埋め尽くす無数の目に、そんな考えが浮かんだ時。
「……どけえええええええっ!!」
 不協和音を引き裂いて、全く異なる声が響いた。
「……っ!!」
 覚えのある、いや、忘れる事などあり得ない声に、シーラははっと顔を上げ
る。光の軌跡が目を切り払い、そこから黒い影が飛び込んできて目の前に降り
立った。
「……あ……」
 漆黒の髪と瞳、そして翼。両手には美しく輝く光の剣。
 それらを見て取った瞬間、シーラは夢中で飛来した者――ゼオの腕の中に飛
び込み、ぎゅっとその胸にすがりついていた。
「お、おい……」
 突然の事に驚いたのか、ゼオの表情に微かな戸惑いが過る。だがそれも一瞬
の事、少年はすぐさま表情を引き締め、鋭い瞳を上へと向ける。空間を埋め尽
くす目はあからさまな敵意の篭った目をゼオに向けた。
――クロキツバサ――
――ラーヴァノモノ――
――『ゼオ・ラーヴァ』――
――ウラギリノキシ――
――ホロボセ――
――メッセヨ――
 低いどよめきが大気を震わせる。それに対し、ゼオは静かな瞳を持って応え
た。左手の剣の刃を消して腰に戻し、空いた手で震えるシーラを支えつつ、ゼ
オはゆっくりと口を開く。
「滅ぶべきはお前たちだ、過去の遺物。『監視者』は、お前たちの自由にはさ
せない」
 静かな宣言に目は憤るように激しく震えた。ゼオは真っ向からそれらを睨み
返し、臆した様子も見せない。目は更に大きく震えると、出し抜けに一箇所に
集まり始めた。集約した目はぶよぶよとうごめきつつ、少しずつ形を変えて行
く。
「な……なに? 何が起きるの?」
 震える呟きをもらしつつ、シーラはゼオにすがる手に力を込めた。ゼオは心
配するな、と呟いてシーラを支える腕に力を込める。その呟きに、シーラは顔
を上げてゼオを見た。
「お前は、オレが護る。何があっても、必ず」
 視線は形を変えて行く目に向けたまま、ゼオは短くこう言いきった。そして
この言葉にシーラは息を飲む。以前、これと良く似た言葉を聞いたのを思い出
したのだ。

『心配しないで、シーラ。君は、ぼくが護るから……何があっても、絶対に!』

 シェルナグアを飛び出したあの日、不安にかられる自分を勇気づけてくれた
リックの言葉。それと比べてしまうと多分に素っ気ないが、しかし、今のゼオ
の言葉はあの時と同様に心を静めてくれた。安堵を感じつつ、シーラはうん、
と言って一つ頷く。
 グオオオオオオ……
 そんな穏やかさを打ち破り、低い咆哮が響き渡った。ゼオの表情が更なる険
しさを帯びる。うごめきながらその姿を変えていた目の群れは一際大きく震え
た後、巨大な黒い人型を形作る。外見的には、以前戦った鋼の巨人――『ガー
ディアン』に良く似ていた。
――『メガミ』――
――アラタナ『メガミ』ヲ――
――ワレラノ モトヘ――
「……させないと言った」
 空間に響く低い声にこう言いきると、ゼオは床を蹴って後ろに飛びずさる。
直後にそれまで二人が居た所を巨大な拳が直撃した。着地したゼオは光の剣を
大きく横に薙ぐ。光の剣はその瞬間倍以上の長さになり、床を直撃した巨人の
手を切り落とした。切り落とされた拳はばちん、という音を立てて弾け飛ぶ。
 グオオオオオっ!
 憤るような咆哮が響き、そこだけ真紅にぎらつく目が二人に向けられた。ゼ
オは冷静にそれを睨み返す。
「……コアは、そこか……」
 低く呟くと、ゼオは翼を羽ばたかせて飛び上がる。突然の浮遊感にシーラは
きゃっ、と短く声を上げてゼオにしがみついた。ゼオは無言でシーラを支える
腕に力を込め、巨人との距離を目で測る。
 この状況が自分に取って不利であると、ゼオは理解していた。シーラを支え
ている状態では必然的に動きが鈍り、攻撃のキレも悪くなる。そして相手は言
わば怨気の塊とも言える存在であり、いくらでも自己再生が可能な事は想像に
難くない。長期戦になればこちらの不利は明らかだ。
 ここはシーラを放し、本来のスピードを生かして一撃必殺を狙うのが得策で
ある――そう、頭では理解しているものの、それを選び取る事はできなかった。
 怨気たちの狙いは、あくまで『監視者』――シーラだ。ゼオがシーラを放せ
ば怨気はすぐさま彼女に群がり、連れ去ろうとするだろう。それでは本末転倒
だ。だから、多少は不利でもこうしてシーラをすぐ側に置いている方が『守護
者』としての彼の本分に適うと言えるのだ。
 グァウルルル……
 巨人が苛立たしげな声を上げた。ゼオを攻撃すれば、シーラをも傷つけかね
ないこの状況が苛立たしいのだろう。
(手詰まり、と言う点ではどちらも同じ……なら)
 それならば全力攻撃にためらいのないゼオの方が有利と言えるだろう。こん
な結論に辿りついた黒翼の少年は薄い笑みで巨人を一瞥した後、表情を引き締
めてシーラを見た。
「……?」
 視線に気づいて顔を上げたシーラの瞳に、先ほどまでの不安の陰りはない。
多少の恐怖はあるようだが、表情も大分落ち着いている。
「少し、手を放す。しっかり掴まっていろ」
 静かに告げるとシーラはこくん、と頷き、ゼオの首に投げかけた両手に力を
込めた。ゼオは改めて巨人に目を向ける。狙うべき所は既に定めている。怨気
の集まりである巨人を結束させているコア、言わば怨気たちの司令塔とも言う
べきもの――巨人の目だ。そこさえ潰す事ができれば、巨人は拡散する。
(一撃で、決めればいい)
 標的を仕留める策をまとめたゼオは右手の光の剣を握り直し、それから一気
に巨人との距離を詰めた。巨人が二人を捕らえようと手を伸ばすのに蹴りを入
れ、それを踏み台にして頭部へと接近する。
「はっ!」
 短い気合と共に右手の剣が突き出され、巨人の左目を貫く。ばちん、という
音と共に真紅の目が弾け飛び、巨人の左半身がぐずり、という感じで崩れた。
しかし、全壊には到らない。だが、それはゼオの予想の範囲内の事と言えた。
 ゼオは翼の力で滞空しつつ、対象の消滅によって黒い塊の中に浮かんでいる
状態になった光の剣を上に蹴り上げる。同時にシーラから左手を放し、腰につ
けた光の剣の柄を手に取った。そこにタイミング良く落ちてきた光の剣を右手
で受け止め、二つの柄を一つにつなげる。
「レイ・セイバー、出力全開!」
 ブウンっ……
 鈍い音と共に光の剣が輝きを増す。ゼオは美しく煌めく剣を両手で持ち、そ
れを巨人の残った右目へと振り下ろした。
 真紅の目が、これ以上はないというほどに大きく見開かれ、直後に刃の輝き
に飲み込まれる。
 グォオオオオオオオっ!!
 絶叫が響く中、ゼオは二人分の体重を利用しつつ剣を押し込み、強引に巨人
の身体を両断した。
 ……タンっ……
 乾いた音と共に少年の足が床につく。直後にばちん、という音が一際大きく
響き、巨人が弾け飛んだ。
 しゅううううう……
 乾いた音を立てて鈍い黒の煙が立ち上り、それは周囲の大気に溶けるように
消え失せて行く。その煙も消え失せると、周囲に漂っていた重苦しい雰囲気が
すっと薄れた。どうやら、巨人を消滅させる事ができたらしい。巨人の消滅と
共に、シーラはずっと絡みついていた無数の視線が消えて行くのを感じ取る。
「……良かった……」
 重圧から解放された事にシーラがほっと安堵の息をもらした、ちょうどその
時。
「……っ!!」
 突然、ゼオが顔を上げた。突然の事に戸惑い、どうしたの、と問うシーラを
ゼオは強引に引き離して突き飛ばす。飛ばされたシーラは思いも寄らない事に
戸惑いつつゼオを振り返り、
「……っ!?」
 直後の出来事に色を失った。
 ……ヴンっ……
 鈍い音と共に大気が震えた。何もない空間に冷たい輝きを放つ光の刃が無数
に現れ、そして。
「……っ!?」
 息を飲むシーラの前で、それらは一斉にゼオの身体を貫いた。

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