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   19

「……え……」
「こ、これは……」
「なんともはや、だな、おい」
 壁に開いた入り口から中に入るなり、シーラ、ラヴェイト、ユーリはそれぞ
れがこんな言葉をもらしていた。
 壁を一つ挟んだだけだというのに、周囲の様子は一変していた。鮮やかな緑
の空間が目の前に広がっていたのだ。雰囲気的には、ついこの間までいた精霊
のオアシスに近いだろうか。柔らかな地衣類に覆われた地面、色とりどりに咲
き乱れる花々。青々と生い茂った木々の中には、色鮮やかな実をたわわに実ら
せた果樹も見受けられる。そして遠くない場所から聞こえてくるせせらぎは、
水の流れがある事を物語っていた。
「一体ここは……」
 ラヴェイトが呆然と呟き、その直後にこの場所の名がシーラの脳裏に浮かぶ。
「ここは……『精霊庭園』……」
 浮かんだ言葉をそのまま口にすると、ユーリとラヴェイトが同時に振り返っ
た。
「精霊……庭園? 精霊の力で維持されている庭園、という事ですか?」
 ラヴェイトの問いにシーラははい、と頷いた。
「確かに、ここにゃ精霊の力が強く作用しているが……こんな場所があったと
はな……」
「驚きましたね……」
 感慨深げなユーリにラヴェイトが相槌を打つ。シーラも上から見ていた時の
殺伐とした様子との差に戸惑いを隠せなかった。
 砂の中に埋もれて忘れられていた都市。その中にこんな豊かな自然があると
いうのはそれだけで驚きであり、そして、生命が息づいているという事実は妙
に嬉しく思えた。
(完全に、死んでるんじゃないんだ……)
 ふと過ったその考えは不思議と喜ばしく、同時に、妙な不安を感じさせた。
何故と問われると困ってしまうが、相反する感情は同時に少女の心に存在し、
胸を騒がせる。
(生命が存在しているのは……いい事。でも、都市その物が生きているのは、
よくない事、なの?)
 やけに信憑性を帯びたその考えが不安をかきたてる。思わず眉を寄せて立ち
尽くしていると、ユーリがやれやれ、という感じでため息をついた。
「なに、考え込んでんだ?」
 軽い問いかけに、シーラははっと我に返ってユーリを振り返った。
「え、えっと……」
「ま、心配事は多いだろうが、今から張り詰めるんじゃない。神経、もたねえ
ぞ?」
 振り返ったシーラに、ユーリは穏やかに笑みながらこう言った。どうやら、
シーラの不安を今後に対するもの、と判断したらしい。それはそれで間違って
いないので、シーラは素直にはい、と頷く。ユーリはよし、と言いつつシーラ
の頭に手を乗せて、ぽんぽんと叩いた。
「さてと……問題は、これからどうするか、だな」
 それから、ユーリは表情を引き締めてこう呟いた。この言葉にシーラもラヴ
ェイトも表情を引き締める。
「目的地となるのは、最初に見えた物……中央にあった、塔の集まりですね?」
 確かめるようなラヴェイトの問いに、ユーリはああ、と頷いた。
「あの、中央の塔の中で、シーラを見つけたんだ」
「あの、塔の中で……」
「そうだ。まあ、とにかく行ってみるしかねぇだろうな」
 俯くシーラにユーリは苦笑しつつこんな言葉を投げかけ、シーラは無言で一
つ頷いた。
「それで、だ。どうする、ここで一休みしとくか?」
「え?」
「ここで……ですか?」
 思わぬ言葉にシーラもラヴェイトもきょとん、としつつユーリを見る。二人
の困惑を、ユーリは平然と受け止めた。
「ああ。何せこの都市、砂と埃だらけだからな。ここみたいに休むのにいい場
所は、他にはないかも知れん。なら、ちょうどいいとこで休んどくのは、当た
り前だろ?」
 例によって妙な筋の通った物言いに反論の余地はなく、シーラはこくん、と
頷き、ラヴェイトはため息まじりにそうですね、と呟いた。それぞれの反応に
ユーリはにやっと笑って見せる。
「ん〜な顔、すんなって。焦るこたねぇだろ、ここまで来たんだからよ」
「そうですね……そうかも知れません」
 軽い言葉にまずラヴェイトがこう納得し、シーラももう一度頷く事で同意を
示した。
(うん……ここまで来たんだもの。来れたんだもの……答えは、見つかる……
きっと)
 きゅう?
 心の中でこう繰り返す事で気を鎮めるシーラを、アルが不思議そうに首を傾
げつつ見上げる。それに気づいたシーラは大丈夫、と言いつつ小さな頭を撫で
てやった。
(見つかるよね……リック)
 あれきり姿を見せない黒翼の少年の事を思いつつ、シーラは心の奥でそっと
こう呟いた。

 ざわり。
 そんな音が聞こえそうな感じで、平坦だった闇が揺らいだ。
 ざわり。ざわざわ。
 再び闇が揺らぎ、その中に突然、鈍い紅の光が灯った。光は明滅を繰り返し
つつ、少しずつその存在を大きくして行く。
――『メガミ』――
――『メガミ』ノキカン――
――メザメ――
――ワレラノ メザメ――
――ラクエン――
――ラクエンノ サイセイ――
――トキ――
――トキダ――
 光がはっきりしてくるのに伴い、ざわめきはこんな呟きとして闇の中に響く。
――ウゴケヌ――
――ナゼダ――
――『カノン・リューナ』――
――ワレラヲ ハナテ――
 声が苛立ちを帯び、光の明滅が激しくなる。しかし、光を捕える闇は最早微
動だにせず、真紅の光のそれ以上の膨張を許しはしなかった。
――オノレ――
――ナラバ――
――ワレラノ イヲ クムモノ――
――『メガミ』ヲ ココニ――
――ワレラノ モトニ――
――『レデュア・リューナ・レイフェリア』ノ モトニ――
――『ライア・リューナ』ヲ――
――ナシトゲネバ――
――ラクエンノ サイセイ――
――オロカナル ツバサナキモノ――
――タダシク ミチビク――
――ワレラノ ツトメ――
――ハタスタメニ――
 真紅の光の明滅と共にこんな言葉たちが闇の中に響き、そして、唐突に沈黙
する。闇は元のように静まり返るが、真紅の光は鈍い輝きを帯びて、そこに存
在し続けた。

「……?」
 不意に、何かに呼ばれたような気がして、シーラは浅い眠りから目を覚まし
た。時間は大体真夜中過ぎだろうか。例によって煌々と明るい月の光のお陰で、
周囲の様子ははっきりと見て取れる。最初は抵抗のあったこの明るさにも、気
がつくとすっかり慣れてしまっていた。
 ゆっくりと立ち上がり、周囲を見回して見る。ユーリもラヴェイトも眠り込
んでおり、二人に呼ばれたとは考え難い。しかし、だとしたら一体誰が、と考
え始めた矢先、また声が聞こえた。

――……シーラ……――

「……え?」
 思わず、声がもれた。聞こえてきたのは穏やかな少年の声。それは、忘れる
事など有り得ない者の声だった。
「……リック?」

――シーラ……たすけて……――

 呆然と呟いた直後に、声は震えながら助けを求めてくる。その震えはシーラ
から冷静な判断力を失わせるに、充分過ぎる力を秘めていた。
「リックなの? どこ? どこにいるの!?」
 きょろきょろと周囲を見回しつつ問いかけると、それに答えるようにぱしゅ
う、という乾いた音が聞こえた。シーラは夢中になって音の聞こえた方へと走
り出す。いつもなら気配で気づきそうなものだが、ユーリもラヴェイトも何故
か眠り込んだまま、目覚めようとしない。
 ……きゅ?
 そんな中で唯一、異変に気づいたのは小さな砂漠ネズミだった。目を覚まし
たアルは空っぽの毛布に怪訝そうに首を傾げ、それから、ちょこちょことラヴ
ェイトの方へと走り寄る。シーラがいない、という事に何かただならぬものを
感じたのか、アルはきゅっ、きゅう、と鳴きながらラヴェイトの頬をかりかり
と引っ掻いた。
「……ん……んん?」
 さすがにこそばゆいのかラヴェイトはゆっくりと目を覚まし、ぼんやりとし
た目をアルに向ける。アルはきゅきゅっ、きゅう、と落ち着かない声で更に鳴
いた。
「ん……どうしたんですか?」
 とぼけた問いを投げかけつつ、ラヴェイトはゆっくりと起き上がり、二つの
異変に気がついた。一つは言うまでもなく、シーラがいない事。そして、もう
一つは。
「この気配……? ユーリ殿っ!!」
 いつの間にか周囲を取り巻いていた異様な気配の存在だった。慌ててユーリ
を呼ぶものの反応はなく、ラヴェイト自身も頭の奥に鈍い痛みのようなものを
感じ取る。
「く……なんだ、この感じ……誰かが、ぼくたちの精神に干渉したのか?」
 いわれのない頭痛と吐き気にラヴェイトはこんな分析を出す。精神に対する
意図しない干渉は、それが破れた時に頭痛として現れる事が多いのだ。どうや
ら、何者かが自分たちの目覚めを妨げるべく精神に干渉したらしい――などと、
悠長に構えている場合ではないようだった。
 ……グゥウウウウ……
 低い唸りが大気を震わせ、空間から滲み出るように四つ足の影が現れる。ラ
ヴェイトは全身の毛を逆立てるアルを拾い上げると、治癒を導く光を生み出し
て周囲を照らした。
「……ん……?」
 光に照らされたユーリがうめくような声を上げ、直後に周囲の気配に気づい
たらしくばっと起き上がって剣を手に取った。
「人の寝込みを襲うたあ、なかなかいい根性してやがんな」
 低く呟きつつ、ユーリは剣の柄に手をかける。
「とはいえ、ぼくらも油断しましたね」
「そいつは言いっこナシだって……シーラは?」
 空の毛布に気づいたユーリは眉を寄せ、ラヴェイトはわかりません、と答え
る。目覚めた時には既にシーラはいなかったのだから、こう答える以外にない
のだろうが。
「……してやられたって事かよ」
 短い言葉と状況からこう結論付けると、ユーリは剣を引き抜いた。周囲は子
馬ほどの大きさの黒い犬に囲まれている。犬、と言っても鋭い牙の並んだ口と
爛々と輝く紅い目を見ては、侮る事の危険性は明らかだが。
 とは言うものの。
「生き物か、これも?」
「……そのようです。魔獣の類だとは、思いますが」
「魔獣、か。んじゃま、援護頼むぜ」
「ご無理はなさらないで下さいね」
 張り詰めてはいるものの、ユーリにもラヴェイトにも妙な余裕がある。ラヴ
ェイトの言葉に了解、と応えたユーリは表情を引き締めつつ呼吸を整えた。高
まる闘気に周囲を取り巻く魔獣が一瞬、怯む。
「……こんな使い方ばかりしてると、大導師に怒られてしまうかな……」
 こんな呟きをもらしつつ、ラヴェイトはアルを肩に乗せ、左手にエレメント
・コアを握った。右手には、例によって青い光を灯す。
(それでも、今はこの使い方が必要なんだ)
 表情を引き締めつつ、ラヴェイトは心の奥でこう呟いた。自己弁護と言えば
そうだが、今はこうしなければならない。そう割りきりつつ、ラヴェイトは素
早く青の光を散らし、背後の魔獣に麻痺の束縛を与えた。
「っせい!」
 それとほぼ同時に、低い気合と共にユーリが動いた。青い光と白い月光を鈍
い銀の刃が弾く。光を弾いた刃は黒い魔獣の毛皮を捕え、その奥へと食い込ん
だ。
 ギャウンっ!!
 魔獣の絶叫が、夜の大気を震わせる。
「のんびりしてる訳にゃ……行かねえんだよ!」
 雄叫びと共に押し込まれた剣が魔獣を両断し、それを一瞬で黒い塵に変えた。
「まずは、一匹!」
 低く呟きつつ、ユーリは琥珀の瞳で周囲を見回す。魔獣は今の一撃に怯みつ
つも退く素振りは見せない。どうやら、何としても彼らを足止めするつもりの
ようだ。
(シーラ、無事でいろよ……)
 心の奥でこんな呟きをもらしつつ、ユーリは次の標的へと剣を向けた。

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