目次へ


   04

 それからは妨害を受ける事も無く、一行は無事家へと帰り着いていた。
「はい、これで大丈夫です。じき、目を覚ますでしょう」
 戻るとすぐにラヴェイトが癒しの術を用いてレイヴィーナの疲れを癒し、気
を失ったシーラにも同じく疲れを癒す術をかけた。シーラは微かに青ざめては
いるものの、命に別状はないらしい。
「そうか……ひとまずは、安心だな」
 ラヴェイトの言葉にユーリが嘆息する。
「でも、さすがはフィルスレイム派ねぇ……癒しの手際がいいわ」
 続けてレイヴィーナもこんな事を言う。それにラヴェイトはいえ、と謙遜し
て見せた。
「ところでラヴェイト、さっきの話の続きだが……俺に、何を頼みたいんだ?」
 椅子に腰を下ろしたラヴェイトに、ユーリがふと思い出したように問いかけ
る。この問いにラヴェイトは表情を引き締め、ユーリに向き直った。
「……教えていただきたいんです」
「……教える? 何を」
「十六年前、死の砂漠で一体何があったのかを、です」
 凛とした言葉が場に静寂を呼び込んだ。ユーリは眉を寄せてラヴェイトを見
つめ、ラヴェイトは臆する事無くユーリを見つめ返す。
「……知って、どうするんだ?」
「今のままじゃ、納得できないんです。十六年前、父ドゥラはあなたやレッド
殿、バルク殿と共に死の砂漠へ挑戦し、そして、生還しました。でも……でも、
帰ってきた父は、以前とはまるで人が変わっていた……それまで見向きもしな
かった権力に執着し、今では……央都の賢人議会の議長として、権勢を振るっ
ている……」
「ああ、そういやそーだな……化けたもんだよ」
 ラヴェイトの言葉に、ユーリはかつて共に冒険した男・ドゥラの変わりよう
を思いだしてこう吐き捨てた。
「別に、権力を持つ事は構いませんよ! でも、納得できないんです! 三月
……たった、三月ですよ? 三月、死の砂漠に行っていた間に……あんなに、
冷酷になって……母さんが死んだ時にも、涙一つ、流さなかった……」
「……嘘でしょ? あんなに、仲が良かったのに」
 気持ちの高ぶりから感情的になったラヴェイトの言葉にレイヴィーナが息を
飲む。
「本当です……だから、ぼくは央都を離れ、フィルスレイム総本山の叔母の許
で治癒術を学ぶ事にしたんです。あの人が……どうしても、許せないから……」
 低い言葉にレイヴィーナはそう、と呟き、ユーリはばりばりと苛立たしげに
頭を掻き毟った。それから、ふう、と大きくため息をつく。
「ったぁく……どーやらこいつは、いよいよ十六年前のツケが回ってきたって
事かよ?」
 ため息に続けてこんな言葉を吐き出すと、ユーリは長椅子に横たえられたシ
ーラを見た。話をしている間に頬には赤みが戻っている。
「ま、いいさ……話してやるよ。でも、お前の知りたい事は多分、何もわから
ねえと思うぜ?」
 続けてラヴェイトに向けてこう言うが、青年は構いません、と言いきった。
ユーリは最後にレイヴィーナの方を見る。
「お前にも、話してなかったしな……レッドの事」
「……別に良かったからね。バカ兄貴の末路なんて聞いても仕方なかったし」
 素っ気無く応じてはいるが、レイヴィーナの瞳には、微かに陰りが伺えた。
ユーリは改めて長椅子の上のシーラを見る。
「とはいえ……この話はシーラにも聞かせたいんでな。こっちが目を覚ますま
でに、何があったのか話してくれるか、レヴィ?」
 いつになく真剣なユーリの様子にレイヴィーナは微かに眉を寄せ、それから、
わかったわ、と頷いた。

 既に陽は大地の影に身を潜め、大陸は夜蒼色に閉ざされている。グラルシェ
の街も例外ではなく、一部の歓楽街を除いてそのほとんどが眠りの支度にかか
っていた。
「……どうだ?」
 空と同じ色彩に染まる街を眼下に見下ろす崖の上に、二つの人影が見える。
一つは仮面を着けたマントの男、もう一つは黒一色の服に身を包んだやや小柄
な人影だ。
「……感じる。『監視者』の力だ」
 仮面の男の問いに、小柄な方が短く応じる。感情を押し殺した低い声だが、
響きにはまだどことなく幼さが残っている。恐らく、まだ少年と呼べる年頃な
のだろう。
「では……わかっているな?」
「ああ……『監視者』の守護……それが、『守護者』であるオレの役目だ」
 確かめるような問いに、少年は淡々とこう答える。仮面の男はそうだ、と呟
き、眼下の街を見やった。
「無限の螺旋……此度は断てるか……」
 消え入りそうな独り言が夜闇にこぼれ、風に舞い散る。

「う……ん……」
 気を失ったシーラが目を覚ましたのは、レイヴィーナの話が一段落し、彼女
がお茶をいれている最中だった。
「……あたし……?」
 状況の変化に戸惑いつつ、取り敢えずは身体を起こして周囲を見回すと、見
慣れない青年が目に入った。彼はシーラの視線に気づくと、にこっと微笑って
気がつきましたか? と問いかけてくる。優しい表情に、シーラは思わずどき
りとしていた。
「あ、あの……あなたは?」
「ぼくはラヴェイト、フィルスレイムの治癒術師です」
「あ……あたしは、シーラ、です……」
 何となくどぎまぎしたまま早口にこう答えると、暖かい湯気がふわりと頬に
触れた。はっと顔を上げると、お茶のカップをこちらに差し出すレイヴィーナ
と目が合う。
「レイヴィーナ……さん? あたし……」
「……どうやら、大丈夫そうね」
「あ、はい……」
 静かな問いに頷いてカップを受け取った所で、シーラはこちらを見つめてい
るユーリに気がついた。
「ユーリさん! 戻ってたんですか?」
「ああ、さっきな……さて、シーラが起きた所で、本題に入るとするか……」
 声を弾ませるシーラに短く答えると、ユーリはため息まじりにこんな事を言
った。一人、状況から取り残されているシーラはきょとん、と瞬く。
「あの……」
「ほんとは、お前がもう少し落ち着いてから話すつもりだったんだが……のん
びりしてられそうにないんでな。俺が、お前をルフォスに預けた経緯、話して
やるよ」
 思いも寄らない言葉にシーラは息を飲む。確かに、それはずっと気になって
いた。ユーリが自分をルフォスに預けた事は聞いていたが、そもそも自分がど
こから来たのか、という基本的な疑問は解消されていなかったのだ。少なくと
も、ユーリやレイヴィーナが血縁者では無い事は感じてはいたが。
「……今から、十六年前。俺は三人の仲間とつるんであちこちの遺跡を荒らし
回っていた。結構、無茶な事もやらかして名を売って……調子に乗った俺たち
は、それまで誰も到達できなかったって言われる、死の砂漠の古代都市に挑戦
したんだ」
「死の砂漠の……古代都市?」
「……伝説の古代都市エデン……ですね」
 きょとんとするシーラの横でラヴェイトが低く呟く。これに、ユーリはそう
だ、と頷いた。
「死の砂漠自体には、何度か挑戦した事があったんで、砂漠越えはさして苦労
も無かったんだが……砂漠の中心に近づくにつれて、砂嵐は続く、鋼の化け物
は出るで結構大騒ぎになった。それでも、俺たちはどうにか嵐を抜けて……古
代都市にたどり着いた」
 ここまで話すとユーリは一度口を噤み、部屋の中には、張り詰めた静寂が広
がった。
「……それで、それからどうなったんですか?」
 その静寂をラヴェイトの低い問いが取り払うと、ユーリは一つため息をつい
て話を続けた。
「都市に入ってすぐ、仲間の一人……バルクがおかしくなっちまった。妙な声
が聞こえる、聞こえるって騒いだあげく……訳のわからん事を口走りながらど
っかに行っちまったんだ。
 さすがに、こりゃヤバイか、とは思ったんだが……若気の至りってのかね。
ここまで来て逃げ帰れるかって気になった俺たちは、更に奥へと進んだ。まあ、
一巡りして戻ってくりゃ、バルクも出て来るだろう、なんって呑気に構えてな。
だが……現実は、とんでもなく辛かった。
 都市の中央の建物に入った俺たちは、信じられない物をいくつも見た。正直、
何に使うのか皆目検討もつかねえ物から、畑仕事の道具の化け物みたいな物、
挙句は砂漠でもちょくちょく出てきた鋼の化け物だ。
 それでも何とか切り抜けてって……そこで、罠にかかっちまった」
「……罠って?」
 訝しげなレイヴィーナの問いに、ユーリは深くため息をつく。
「信じらねえくらい、古典的な罠さ……いきなり床がぶち抜けて……ドゥラが
おっこっちまったんだ」
 ぼやくような言葉に、ラヴェイトがえ、と声を上げた。
「それじゃ……父とは、そこではぐれたんですか?」
「ああ、実はな。で、残った二人……俺とレッドは戻るにも戻れなくなって、
先に進んだ。さすがにビビっちまってたんだが、そうするしかなかったんだよ
な。そうこうしてる間に、今度はいきなり天井から壁が落ちてきやがってよ」
「で、あたしのバカ兄貴はそこではぐれたってのね?」
 レイヴィーナの問いに、ユーリはああ、と頷く。
「最後に残った俺は、とにかく走った。そうしねえと、気が狂いそうだった。
とにかく走って走って……妙な部屋に飛び込んだんだ」
「……妙な……部屋?」
「床一面に、水が張ってあってな。そこから草が生えて、花まで咲いてた。砂
漠の真ん中の遺跡で、だぜ? いきなりは信じられなくてぽかん、としてたら、
更に信じられない物を見つけちまった」
 ここでユーリは言葉を切り、真面目な面持ちでシーラを見た。琥珀の瞳はや
けに厳しい光を宿している。
「部屋のど真ん中には、水晶かなんかで作ったらしい筒があって……その中に
は、一人の赤ん坊がいたんだ……シーラ、それがお前だよ」
「……!?」
 何をどう言えばいいのか、全くわからなかった。古代都市の遺跡の中で見つ
けた赤ん坊が自分だ、といきなり言われても、言われた方は何と答えればいい
のかわからない。故に、シーラは目を大きく見開いて、呆然とユーリを見つめ
るしかできなかった。
「ま、いきなりは信じられねえだろうがな……とにかく、それが古代都市の最
深部にあったものだった。何が何やら、訳がわからなくなって突っ立ってたら、
いきなり筒が割れてな。中に入ってた赤ん坊と、腕輪が一つ、俺の手の中に飛
び込んできたんだ。そうかと思うと、真っ白い光が弾けて……気がついたら、
俺は赤ん坊を抱えて砂漠のオアシスに一人で立ってたよ」
 どことなく自嘲的にこう言うと、ユーリはカップを傾けてすっかり冷めた茶
で喉を潤した。
「それから、俺はシェルナグアに向かった。昔馴染みのルフォスが、孤児を引
き取って育ててるのは知ってたからな。事情を話してお前と腕輪を預けて……
できればそのまま、何事も無くお前が暮らせればいいと思ってたんだがな。ま
まならねえもんだぜ」
 苦笑するユーリに、シーラは何も答えられない。今までずっとわからなかっ
た自分の出自が、ここまで凄まじいとは思わなかったのだ。そんなシーラの様
子にユーリはため息をつき、唇を噛み締めて俯くラヴェイトの方を見た。
「って訳だ……役に立たなくて悪かったな」
 それからこんな言葉を投げかけるが、ラヴェイトはこれに低く、いえ、と応
じた。
「かえって、決心がつきました。ユーリ殿……」
「あん?」
「古代都市エデンに連れて行ってくれ、とは言いません。そこに至る道を教え
てください」
 静かな言葉に、室内の空気が再び緊張した。
「って……お前……」
「ぼくは、どうしても確かめたいんです……エデンで、父に何があったのかを。
何が父をあそこまで変えたのかを……どうしても知りたいんです!」
 凛とした訴えにユーリは困惑した面持ちで頭を掻く。そして、シーラは今ラ
ヴェイトが言った言葉の幾つかに、共通するものを感じていた。
(確かめたい……知りたい……あたしも、そう……自分が何なのか……どうし
て、あんなに狙われるのか……)
 自分の平穏を奪った原因が自分の出自と関わりがあるのは、何となくだが感
じられた。というよりも、それ以外に自分が狙われる所以など思いつかないの
だ。なら、それが何なのか、何が自分とリックを引き離す原因を作ったのか、
それをどうしても確かめたい……そんな思いが、心の中で確たる存在を作り上
げていた。
「あたし……あたしも、知りたい……」
 やや途切れがちに、それでもはっきりとこう呟くと、ユーリがぎょっとした
ようにこちらを見た。レイヴィーナやラヴェイトも困惑を覗かせている。シー
ラはゆっくりと顔を上げると、ユーリを真っ直ぐに見つめて言った。
「ユーリさん、あたしも知りたい……あたしって、一体何なのか……何のため
に、今、ここに居るのか……それ、どうしても確かめたい! だから……だか
ら……」
 だから、の後をどう続けたものか、と悩んでいると、ユーリがやれやれ、と
いう感じでやや大げさなため息をついた。
「っとに、気楽に言ってくれて……とんでもねぇガキどもだな、おい? 死の
砂漠ってだけあって、あそこは飛んでもねぇ場所なんだぞ?」
「それは、そうかも知れないけど……でも、」
「このまま、わからないままでいたくはないんです!」
 シーラとラヴェイト、それぞれの訴えに、ユーリはまたため息をついた。
「っとに……わかった、わかったよ。ま、俺としても、このままってのは寝覚
めが悪かったとこだ……連れてってやるよ……死の砂漠の奥、古代都市エデン
にな」
 静かに、それでいてはっきりと、ユーリはこう言いきり、それから、にやっ
と笑って見せた。
 
← BACK 目次へ NEXT →