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 それから半月は特に何事もなく過ぎ去った。
 ファビアスとヴェラシアの二人は自国の軍備を整えるのと同時に他の聖騎士
侯家、即ち星のリディオーン家、水のアルスィード家、風のフェーナディア家
に使者を送り、同盟の結成を促していた。
 流浪の傭兵剣士団を率いる氷のフェンレイン家とは連絡が取れず、樹のセフ
ィレリア家と天のアストレシア家はヴィズル戦役以降全く消息が掴めていない
ため、二人はこの三家との連携に力を入れていた。
 だが、星のリディオーン家から帰ってきた返答は意外なものだった。
「……当主不在故に、解答できずう? 一体なんだよ、それは?」
 リディオーン家の治める自治都市ティシェルに送った使者の報告に、ファビ
アスは呆れきった声を上げていた。
「はあ……それがどうも、セレオス侯が不在らしいのです……何故かまでは、
わかりかねるのですが……」
 対する使者は困ったようにこう答え、ファビアスはばりばりばりと頭を掻き
つつ、傍らのヴェラシアを振り返った。
「どう思う?」
「居留守ではないでしょう。でも……セレオスは感情で動く事の多い人ですか
ら……」
「……ちょっとした事でぶっキレて、どっかに飛び出した……ってとこか?」
「……恐らく、そうね」
 ヴェラシアの言葉にファビアスはやぁれやれ、と大仰なため息をついた。そ
れから、所在なさげな使者を振り返る。
「ご苦労さん、取りあえずもう休んでいいぜ。まあ、場合によっちゃ、もう一
回ティシェルに行ってもらうかもしれんが……」
「あの……それは、難しいと思われますが」
 ファビアスの言葉に、使者はやや言い難そうにこんな事を言いだした。
「難しい? アティア湾を渡って反対側の岬に行くだけなんだから、難しくは
ないだろ?」
「まあ、確かにそうなのですが……」
 ファビアスの問いに、使者はこう口ごもった。ただならぬ様子にファビアス
とヴェラシアは顔を見合わせ、それから、ヴェラシアが静かな口調で問いかけ
た。
「……まさかとは思いますが……アルヴァス島に何か異変があったのではあり
ませんか?」
 静かな問いに、使者ははい、と頷いた。この返答にファビアスとヴェラシア
の表情が厳しくなる。
「……状況を詳しく教えて下さいます?」
「はい。一月前、我々はティシェル領へ向けて出航、定期行路を使ってティシ
ェル領ルキアの港を目指したのですが……」
 こんな具合で始まった話を要約すると、こう言う事になる。
 ティシェルを目指す航海は、行きは何ら問題なく、むしろ追い風を得て予定
よりも早く終わった。
 そしてティシェルでリディオーン家からの曖昧な返答を得、帰途に着いた彼
らだったが、帰りの航海は行きの順調さとは裏腹に酷く滞っていた。
 それが頂点に達したのがアルヴァス島──アティア湾のほぼ中央に浮かぶ島
の近海だった。この島は『月闇の聖地』と呼ばれ、闇の精霊の力が強く集って
いるのだが、普段はそんな様子など窺い知れぬ、穏やかな場所である。
 ところが、彼らがその近海を通過した時の島の様子はそれまでの穏やかさか
らは想像もつかない、禍々しい雰囲気に包まれていた。そしてアルヴァス島近
海の海の荒れ方は尋常ではなく、彼らも航路を変更する事でようやく帰還した
のだと言う。
「……わたしはこれまであの島を恐ろしいと感じた事などありませんでしたが
……あの時ばかりは、この世のものとも思えぬ、凄まじい恐怖と威圧感を島か
ら感じました。これはわたしに限った事ではなく、あの時あの場に居合わせた
者全員が、そう感じたのです……」
 話の最後をこうまとめると、使者は一つ息を吐いた。ファビアスとヴェラシ
アは難しい表情で視線を交わす。
「そうか……ま、ともあれご苦労さん。ゆっくり休んでくれよ」
 それからファビアスが軽く言って使者を下がらせる。その気配が消えると、
ファビアスは改めてヴェラシアを見た。
「……どう思う?」
「頃合いですわ」
「……頃合い?」
 訝しげなファビアスに一つ頷くと、ヴェラシアはゆっくりと立ち上がって窓
辺に寄った。差し込んで来た陽射しが、淡い月光色の髪を煌かせる。
「ライオス侯が亡くなられて五年……闇の力はその拠り所を失い、島に蓄積さ
れ続けていたはずです。そして、それがそろそろ限界に達しつつあるのでしょ
う……」
 呟くように言いつつ、ヴェラシアは眼下に目をやった。眼下の鍛練場では、
リューディとリンナが木刀を打ち合わせて剣の稽古に励んでいる。澄んだアク
アブルーの瞳は、黒髪の少年に視線を注いでいた。
「と、なると……この件に関しては、手の出しようがねぇな」
 ばりばりと頭を掻きつつ、ため息まじりにファビアスが呟く。ヴェラシアも
小さなため息をもらして、そうですわね、と呟いた。
 聖騎士侯は、精霊神の加護を強く受けた存在である。その加護は正式にその
名と血筋を受け継ぐ者に注がれ、その存在が精霊たちの力の均衡を正す役割も
持ち合わせているのだ。そしてその力が向けられるのが精霊の環・エレメント
リングなのだ。つまり、直系の者が精霊の環を身に着ける事で、力の均衡は保
たれる、という事になる。
 しかし、五年前に月家の当主であるライオス――リューディの父が命を落と
し、精霊の環は身に着ける者もなくしまいこまれていた。その間、月闇の精霊
神の力は行き場を失ってアルヴァス島に蓄積され続けていたのだろう。
 最近になってようやくリューディが精霊の環を手にしたもののまだ日は浅く、
急速な均衡の回復は望めない。リューディ自身がアルヴァス島に赴き、その力
を取り込まない限りは不安定なままだろう。だが、それに伴うもの――月家再
興にリューディがためらいを持っている現状においては、それは不可能と言わ
ざるをえなかった。
「……ま、いきなり再興しろっつっても、キツイだろうしな、あいつ」
「そうでしょうね。まして、主家たる陽家があのような状況では」
 暗い見通しに何となく空気が重くなってしまうが、直後にその重さは取り払
われた。扉が勢い良くノックされ、何だ、と応じた途端、修行僧がこれまた勢
い良く駆け込んできたのだ。
「失礼します、師範! アーヴェンへ向かったカリナス殿が戻られました!」
「おう、来たか! よし、通してくれ」
 一転、声を弾ませてファビアスは指示を出す。隣国アーヴェンへ向かった使
者の帰還は、最も待ち望んでいたものだった。ゼファーグの妨害も予想されて
いただけに、無事の帰還は喜ばしい事この上ない。
「これで、返事が色好ければ最高なんだがな」
「そうね……」
 それぞれ居住まいを正しつつ、二人は冗談めかした様子でこんな言葉を交わ
していた。

「よお、随分とのんびりしてたな」
 顔を合わせるなり、傭兵騎士ラグロウスは魔導師ガルォードにこんな言葉を
投げかけていた。
「これでも精一杯急いだんですけどね。アーヴェンからの妨害もありまして、
思うように進めませんでした」
 それに対し、ガルォードは肩をすくめてこう切り返す。この言葉にラグロウ
スはほお、と感心したような声を上げた。
「てえと、アーヴェンはやる気か」
「アルスィード家とフレイルーン家は血縁が濃いですからね。どうやらフレイ
ルーン兄弟の仇討ちというつもりのようです」
「……ふうん……ああ、そう言えばな、フレイルーンの坊主、生きてたぞ」
「はあ、そうですか……って……え!?」
 最初、軽く聞き流したものの、ガルォードはラグロウスの言葉の意味に気づ
いてらしからぬ大声を上げていた。
「フレイルーンのって……リンナ・フレイルーンが、生きていたんですか!?」
「だから、そう言ってるだろうが」
 大声で問うガルォードに、ラグロウスはさらりとこう答える。ガルォードは
深呼吸をして気持ちを静めると、更に問いを接いだ。
「そ、それで……どうしたんですか?」
「あん? できれば殺っちまうかとも思ったんだが、厄介な横やりが入ってな。
取りあえずは引いておいた。騎士連中も散々にやられてたからな……ガキ相手
に、情けねえ」
「厄介な横やり?」
 思わぬ言葉にガルォードは怪訝そうな声を上げる。
「ファビアス・ドルデューン御本人と……そういや、他にも何人か騎士家の直
系らしいのがいたな。特にあの黒髪のはいい腕してた」
「なるほど、確かに厄介ですね……ところでその黒髪のと言うのは?」
 ガルォードの問いに、ラグロウスはすぐには答えずにばりばりと頭を掻いた。
「ラグロウス殿?」
「フレイルーンの坊主と一緒に、同い年位のガキが何人かいたんだが、その内
の一人だ。得物は中々の逸品、筋も良かった……ま、フレイルーンの坊主と同
じで、まだまだ磨き足りねえがな」
 大雑把な説明にガルォードはすっと目を細めた。ラファティアの地下道で対
峙した少年の姿がふと思い出され、魔導師はこんな問いを傭兵騎士に投げかけ
る。
「……もしやとは思いますが……その少年、瞳の色は夜蒼色でしたか?」
「ん? ああ……良くはわからんが、蒼系の色だったな……それが、どうかし
たか?」
 唐突な問いにラグロウスは訝るように眉を寄せつつ、それでも記憶をたどっ
てこう答える。
「……そして、彼らはファビアス・ドルデューンと合流したのですね?」
 訝しげなラグロウスには答えず、ガルォードは低い声で更に問いを接いだ。
ラグロヴスは怪訝な面持ちでああ、と頷く。
「何だ……あのガキ共が、どうかしたのか?」
「いえいえ……どうやら期せずして、探し物たちが一箇所に集まってくれたよ
うです」
「……あん?」
 遠回しな物言いに、ラグロウスは不得要領と言った面持ちでガルォードを見
る。その疑問に、魔導師はひょい、と肩をすくめてから答えた。
「貴方の予想は当たっていますよ……その黒髪の少年は、聖騎士侯家の直系で
す」
「ほう……で、どこのだ?」
 気のない声で先を促したラグロウスは、直後に表情を引き締める事となった。
「十二聖騎士侯・月のアルヴァシア家。かの剣聖ライオス侯の忘れ形見です」
 さらりと告げると、ガルォードは探るような視線をラグロウスに投げかける。
ラグロウスは真剣な表情で何やら思案していたが、やがて、低い声で笑いだし
た。
「……ラグロウス殿?」
「……なんでもねえよ……面白ぇ、と思っただけだ」
「……はあ?」
 唐突な言葉にガルォードはとぼけた声を上げ、ラグロウスはにやっと笑って
そちらを見る。
「陽家に雇われて、月闇侯の忘れ形見と戦えるなんざ、思っても見なかったっ
てぇ事さ……冗談にしても、できすぎてらぁな」
「ああ……そういう意味ですか……ご不満ですか?」
 一部に嫌味の込められた言葉にガルォードは苦笑し、それから、こちらもに
やりと笑みつつ問いを投げかける。これにラグロウスは平然としつつ、まさか、
と応じる。
「こんな面白い戦から、手ぇ引けるかよ……ま、差し当たって、現状のキツさ
をどうするのか、軍師殿のお手並み拝見といかせてもらうかね」
「……ご自由に」
 さらりと込められる嫌味に、ガルォードはただ、苦笑するしかできないよう
だった。

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