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「そうか……お前らも、苦労したなあ……」
 疲れの激しいミュリアとカールィの二人を先に休ませ、ゼファーグのラファ
ティア襲撃からここに到るまでの経緯を一通り説明すると、ファビアスは感慨
深げにこんな呟きをもらした。
「それにしても、聖騎士侯の血を絶やそうだなんて……クィラル……彼は、一
体……」
 その隣のヴェラシアは心持ち目を伏せて、こんな事を呟いている。
「ま、あいつが何を考えてるにしろ、これは看破できる事態じゃないからな。
ところでリンナ、お前、今までどこで何してたんだ?」
 ファビアスの問いに、その場にいた全員の視線がリンナに集まった。リンナ
は一つため息をついてから話を始める。
「あの日……夜間演習に出た日に、あの傭兵騎士が率いるゼファーグ神聖騎士
団に出くわして……敵の狙いがぼくの生命だとわかった時、兄上はぼくに脱出
を命じたんだ」
「……ランスらしいな」
 ファビアスが苦笑しつつ小さく呟く。若くして当主とならざるをえなかった
者同士としてランスと意気投合していたファビアスには、その時のランスの心
情が理解できたのだろう。
「それで、ぼくはレヴァーサで戦線離脱して、ラファティアに戻ろうとしたん
だけど、途中で落馬して……それで、そこからしばらく、記憶がないんだ」
「記憶がない……?」
 訝しげなファビアスの問いに、リンナは一つ頷いた。
「それで、気がついたら、ぼくはこのマールの家……フレアリーズ家に保護さ
れてたんだ」
 言いつつ、隣で澄ましているマールを振り返る。一同の注目が自分に集まる
と、マールは澄ましたまま、優雅な礼をしてみせた。
「自己紹介が遅れて御免なさい、私はマール・フレアリーズ。ドジな従兄が御
心配をおかけして、申し訳ありません」
「……マール、反論の余地はないけど、そこまで言う……?」
 厭味込みの自己紹介にリンナが低くこんな事を言うが、マールは澄ましたま
ま、事実じゃないの、と切り返した。この一言でリンナは完全に沈黙してしま
う。
「ま、何にしろ無事で良かったよ、お前ら。今度の騒ぎを聞いたときゃ、正直
ひやっとしたからな」
 場を取りなすようにファビアスが言うと、リンナはやや沈みがちだった表情
を心持ち和らげた。
「それでファビアス兄、これからの事なんだけど……」
 話が一段落した所でリューディがこう言うと、ファビアスは人指し指をぴっ
と立ててそれを遮った。
「そう、慌てるない。まずは、疲れを癒す事を考えろっての」
「だけど……」
「慌てた所で、どーにもならんよ。まだまだ状況の把握が出来てねえし、軍備
も整いきっちゃいねえ……今、オレらが慌てて騒いでもムダなんだよ。な、ヴ
ェラ?」
「まあ、多分に大雑把ですけど、真理ですね。今は休みなさい、リューディス
……休めるのは、今の内ですよ」
 ファビアスと、更にヴェラシアにまでこう言われては反論は難しい。そうで
なくとも心身ともに相当な疲労を感じているのは事実なのだ。リューディは一
つため息をつくと、わかった、と言って頷いた。
「ま、もう少しで部屋の支度も終わるからな。ところで、一足先に休ませた二
人だが……」
「ミューとカールィが……どうかしたのか?」
 突然の事に戸惑いつつ問い返すと、ファビアスはちょい、な、と言ってばり
ばりと頭を掻いた。
「いやあ、オレの思い過ごしならいいんだが……どうもな、あのカールィって
坊主が、オレの古い知り合いに似てるのが、ちぃと気になってな……」
「ファビアス兄の……古い知り合い?」
「ん、まあ、何だ、他人の空似って事もある。あんまり気にするな」
「そーゆー意味深なネタ振られて、気にするなってのは、難しいけどね〜」
 曖昧な物言いではぐらかすファビアスに、レヴィッドが容赦のない突っ込み
を入れる。この一言に、ファビアスは渋い顔でレヴィッドを見た。
「……あなたって、どうしてそう、一々一言多いの?」
 妙に気まずい雰囲気の中、ファミーナが呆れたような口調で問う。この問い
にレヴィッドはにやっと笑って一言、性分、と答えた。
「……嫌な性分ね」
「お蔭様で、皆さんそうおっしゃいます♪」
 厭味込みの言葉にも、飄々として切り返している。この妙な余裕に、ファミ
ーナはややムッとしたようだった。勿論、レヴィッドは全く意に介してはいな
い。ファミーナは更に何事か言いかけるが、
「……師範、客室の準備が整いました」
 そこに修行僧がこんな報せをもたらしてそれを遮った。ファビアスはご苦労
さん、とそちらに声をかけ、リューディたちを振り返る。
「って訳だ、とにかく今日はゆっくり休め。風呂の支度もしてあるから、のん
びりするといい」
「え、ほんとっ!?」
「わぁ〜い♪」
 風呂の支度、という言葉を聞くなり、ファミーナとマールがはしゃいだ声を
上げた。その様子にリューディとレヴィッド、リンナは呆れたような顔を見合
わせる。
「まあ……とにかく、今は、休もうか」
 それぞれ思う所はあるものの、取りあえずリンナのこの一言にリューディが
そうだな、と頷く事で、ひとまず場は納まったようだった。

「う〜ん、何とか人心地ついたな〜……」
 オーウェン大寺院名物と呼ばれる温泉で旅の汚れを落としたリューディは、
テラスで風に当たりつつこんな呟きをもらしていた。それから、見るともなし
に眼下の鍛練場に目を向ける。
 鍛練場では逞しい体躯の武闘僧たちが鍛練に励んでいる。一目で実戦を想定
しているとわかるその鍛練に、リューディは表情を陰らせた。
(武闘僧は本来、信仰を護る存在……その武闘僧に戦争してくれってのは……
ほんとは、違うかな……)
 ふと、こんな事を考えてしまう。他に頼る者が無かったとはいえ、ファビア
スの所に転がり込んだのは、ひょっとしたら間違いだったのかも知れない。今
更言っても、どうにもならないのだが。
「……リューディ、ここにいたんだ」
 つい難しい顔で考え込んでいると、リンナの声が聞こえた。顔を上げて声の
方を振り返ると、どうやらこちらも湯上がりらしいリンナがゆっくりと歩み寄
ってくる所だった。
「浮かない顔してるね」
 すぐ隣までやって来ると、リンナはリューディと同じようにテラスの手摺り
に寄りかかってこんな問いを投げかけてきた。それに、リューディはお互いに
な、とやり返す。この切り返しにリンナは苦笑めいた表情を見せた。二人はそ
のまま、手摺りに寄りかかって鍛練場の様子を眺める。
「……リューディ」
 それから十分ほど過ぎてから、リンナが小声でリューディを呼んだ。
「何だよ?」
「……ラファティアは……完全にゼファーグに制圧されたって聞いたけど」
「……ああ。騎士団の不在を突かれたのが効いてたな」
 リューディの言葉に、リンナはぎゅっと唇を噛みしめた。
「……人……死んだ?」
「オレたちは早めに街から出たんで、噂で聞いた限りなんだが……留守番して
た部隊は半壊だったらしい。戻ってきた連中もカウンター食らって、相当痛い
目見たらしいぜ」
「そうか……」
 低く呟くと、リンナは悔しげな面持ちで更にきつく唇を噛んだ。それから、
やや掠れた声でこんな事を呟く。
「あの時……ぼくが、ちゃんとラファティアに戻っていれば……」
「リンナ……」
「そうすれば……こんな事にはっ……」
「……お前のせいじゃないよ」
 リューディの低い呟きに、リンナはきっと顔をあげた。
「でもっ! ぼくがあの時……落馬なんてミス、しなきゃ……そうすれば、ラ
ファティアが……少なくとも、もっと状況は良かったはずなのにっ! ぼくが
……ぼくがっ」
「そんな事、わかりきってるよ! でも、今ここで自分責めてたって、何にも
ならねぇだろーがっ!」
 感情的な言葉にこう怒鳴り返すと、リンナは瞳を陰らせてうなだれた。
「わかってるよ、それくらい……でもこんな状況じゃ、自分でも責めなきゃや
りきれないよ!
 兄上はラファティアを守る為にぼくを逃がしたのに、ぼくは、それに応えら
れなかった。結果的に……みんなを無駄死にさせて……」
「……リンナ……」
 苦いものを含んだ言葉にリューディはまだ濡れた髪をくしゃ、とかきあげ、
それから手摺りに寄りかかって空を見上げた。
「もっと自分に力があれば、もっと自分がしっかりしてれば……か。オレもそ
れ、考えたよ。オレが……って言うか、家が断絶してなきゃ……親父が……生
きてれば、あんな事態にはならなかったはずなのにってさ……」
「……え……」
 掠れた呟きに、リンナは顔を上げてリューディを見た。
「でもさ……今更言ってもどーにもなんねえんだよな、これ。親父は死んじま
って、家はもうなくて……オレは、再興も考えないでふらふらしてた訳で、つ
まり、どうにもできなかった。なら、オレが家がって、うだうだ言ってても、
さ……だから、」
 ここで言葉を切ると、リューディはリンナを振り返ってにやっと笑って見せ
た。
「だから、オレは、過ぎた事でうだうだは言わない……言っても虚しいだけで、
何にも変わらないだろ? なら、その間に、今やらなきゃならない事が何か、
今、何をすればこれからが巧く行くかを考えてる。その方がさ、少し、気楽だ
ろ?」
 同意を求められたリンナは真紅の瞳をきょとん、とさせてリューディを見て
いたが、やがて、そうだね、と呟いて一つ息を吐いた。
「まったく……君と来たら割り切りが早いのか、物事にこだわらないのか……
なんとも怖いね、ほんとに」
 それから、苦笑めいた表情でこんな事を言う。この言葉にリューディは渋い
顔で、どーゆーイミだよ? と問うが、リンナはあはは、と笑ってそれをはぐ
らかした。
「あのなあ〜……」
「ごめんごめん……これでも、純粋に感心してるんだよ」
「どこが!?」
「あはははは……でも、やっぱりリューディは強いね……ぼくとは、大違いだ」
「……まぁたそーやって、自分を落とす〜。お前の一番悪い癖だぞ、それ」
「仕方ないだろ、ぼくの周りには、ぼくよりも遙かに出来のいい人間しかいな
いんだもん……卑屈になりきらなかっただけ、マシだと思うよ」
「……居直るなよ」
 呆れたようにこう言うと、リンナはまた、あはは、と笑ってみせた。瞳や表
情の陰りは大分薄らいでおり、リューディは内心で安堵の息をもらす。
「ところでさ……」
 一頻り笑うと、リンナは真顔に戻ってこう問いかけてきた。
「ん? 何だよ」
「やっぱりさ、最初はアーヴェンと協力するんだろうね」
「まあ……だろうな。向こうもゼファーグに突っかかられてるし……それに、
アルスィード魔導騎士団は、掛け値なしに強いからな。でも、それがどうかし
たか?」
 戸惑いながらこう答えると、リンナは一つため息をついた。
「……リンナ?」
「ん……いや、ね……兄上の事は、もう伝わってるだろうから……ランシア、
辛いだろうなって……」
「ランシア……ランシア・アルスィード? あ……あ、そうか」
 一瞬戸惑うものの、リューディはすぐにその理由に思い当たった。ランシア
──水のアルスィード家の一人娘であるランシア・アルスィードはフレイルー
ン兄弟とは従兄弟同士であり、彼女は幼い頃からランスに思慕の念を寄せてい
るのだ。
「うん……ランシアはさ、兄上の事……ずっと、想ってるから……辛いだろう
なって……うん、まあ、それだけなんだけどさ」
「……なぁにが『それだけ』、だよ、この純情一代!」
 呆れたように言いつつ、リューディはリンナの首をがっきと抱え込む。突然
の事にリンナは対処が遅れ、まともにリューディに首を絞められる態勢になっ
た。
「な、何だよ、いきなりっ!」
「誤魔化すなってーの。ランシアが落ち込んでるのが、心配なんだろー、お前
は?」
 からかうような口調で問うと、リンナは顔を真っ赤にした。図星であると言
わんばかりのストレートな反応にリューディは意地悪い笑みを浮かべる。
「な、何、言ってるんだよ、リューディ! ぼ、ぼ、ぼくわねー!」
 必死になって否定しているが、説得力はカケラもない。そしてその様子がリ
ンナの、ランシアへの想いをこれ以上はない、と言うくらいにはっきりと物語
っていた。それに笑みをもらしつつ、リューディは意地悪い口調のまま更に言
葉を接ぐ。
「おいおい、声が裏返ってんぞ、声が〜……こんな状況だし、いっその事、素
直に告白しちまった方がいーんじゃねーの? こう言うとなんだけどさ、ラン
ス殿はもう……な、訳だし?」
「で、できる訳ないだろ、そんな……傷心に付け込むような事! 大体、兄上
は……ぼくのせいで……」
「……んな事言ってると、いつまでたっても片思いだぞ、お前?」
「ほ、ほっとけ!」
 呆れたような突っ込みに、リンナは顔を限界と思われるレベルにまで真っ赤
にしてこう答えてリューディの腕を外した。リューディはやれやれ、と言いつ
つ肩をすくめる。
「っとにもう……大体ね、人にお節介焼くヒマがあるんならっ……」
「……何だよ?」
「……ミュリアにはっきり言ってあげなよ、自分の気持ち! 相変わらず、抽
象的な物言いだけで誤魔化してるんだろっ!?」
「ぐっ……」
 これまた図星である。故に、リューディはまともに言葉に詰まった。
「あ、あのなあ、オレの場合はなあ、色々と立場ってもんが……」
「それならぼくにだってあるよ」
「いや、だから……」
「……リューディ?」
 どう切り返したものか、と思案していると、当のミュリアの声が彼を呼んだ。
振り返ると一体いつの間にやって来たのか、ミュリアが大きな瞳をきょとん、
とさせて二人を見つめている。
「あ、ミュー……身体、大丈夫なのか?」
「うん、神官さんが、疲れを取る魔法かけてくれたから……二人で、何してた
の?」
 とととっと駆け寄ってきて無邪気に問われても、正直答えようがない。リュ
ーディはかりかりと頬を掻きつつ、どう答えたものか、と思案する。その様子
に、リンナがくくっと笑みをもらした。
「どうやら、ぼくは邪魔みたいだね……部屋に戻って休むよ。それじゃね」
 軽い口調でこう言うと、リンナはあてがわれた客室に戻って行く。その背を
見送りつつ、リューディはやれやれとため息をついた。
「……どうしたの?」
「ん、いや……何でも」
 突然のため息を訝しむミュリアにこう答えると、リューディは手摺りに寄り
かかってまた空を見上げた。ミュリアはその隣にやって来て、空を見上げる横
顔を見つめる。
「……ね、リューディ……」
「……ん?」
「お父様たち……どうしてるかな……」
「ん……そうだな」
 小声の問いかけに、リューディはため息まじりに呟いて北の空を見やった。
「……元気……だよね。きっとまた……会えるよね?」
「……大丈夫だって! 必ずまた会える……きっと、な」
 きっぱり言い切ると、ミュリアは安心した笑顔でうん、と頷いた。無邪気な
笑みは心の重荷を退け、束の間、安らぎを与えてくれる。
「さて……もう休もうぜ。せっかく落ち着いてるんだから、今の内に休んどか
ないとな」
 手摺りから離れつつこう言うとミュリアはまたうん、と頷き、二人はそれぞ
れの客室へと戻って行った。

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