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 ともあれ、四人は壮年の男性、即ちレヴィッドの父レギオルに案内されて家
の応接間に落ち着いた。レギオルは当然のようにリューディを上座に座らせる
と、恭しい礼をする。
「何はともあれ、ご無事で何よりです……ラファティアが襲撃されたと聞いて、
心配しておりました」
「そんな、かしこまるなよ……月家は今、断絶状態、そうなると、あんたはオ
レの叔父って事になるんだからさ」
 仰々しい挨拶をするレギオルにリューディは苦笑しつつこう言うが、顔を上
げたレギオルは真面目な面持ちで首を横に振った。
「そうは参りませぬ! 例え御家断絶となっていようとも、アルヴァシアの家
が我が主家である事に変わりはございません!」
「はあ〜……親父、ぜんっぜん、変わってねえな」
 力説するレギオルに、レヴィッドが呆れたような口調でこんな突っ込みを入
れた。その頭を、レギオルはどげしいっ!という音入りで殴り倒す。
「馬鹿者! 主君への忠義を捨ててなんとするか!」
「……そ〜ゆ〜イミで言ってんじゃねーや! ったく……これだから帰って来
たくねえんだよ……ん?」
 殴られた所を摩りつつぶつぶつと文句を言っていたレヴィッドは、ここでよ
うやく物言いたげに自分を見つめるカールィの視線に気づいた。
「……なんよ?」
「あのさ、話、見えないんだよねー……結局、リューディとレヴィッドって、
どーゆー関係な訳?」
 この問いに、レヴィッドはへ? と間の抜けた声を上げて瞬いた。それから
かりかりと頭を掻き、リューディの方を振り返る。
「そーいや、話してなかったな」
「話す必然性がどっかにあったか?」
「……ないな」
「で、結局、どーなってんだってばあ?」
 とぼけた会話をする二人の間にカールィが割り込む。
「大して難しい事じゃないんだが……ほら、オレん家って、ヴィズル戦役の前
までは騎士だったろ? で、オレの家に代々従者として仕えてくれてたのが、
レヴィッドの家……ルオーディン家だったんだよ」
「そ、で、まあ、主家が無事なら、オレも今頃従者やってたんだけど、断絶く
らっちまったからな。だからって繋がりが無くなる訳でもないから、オレはラ
ファティアで、こいつと一緒に働いてたって訳」
 二人の説明に、カールィはふうん、と気のない声を上げた。それから、ちら、
とレギオルの方を見て、かりかりと頬を掻く。
(最後の方って、付け足しっぽいな……このおとーちゃんが怖くて逃げてただ
けちゃう、レヴィッド?)
 こんな事を考えつつ、しかし、おくびにもださないカールィであった。
「さ、お茶が入りましたよ」
 穏やかな女性の声が聞こえたのは、その直後だった。一拍間を置いて、黒髪
の女性が応接間に入ってくる。身に着けているのはごく在り来りなドレスだが、
その周囲には何か、気品のようなものが自然に漂っていた。その姿を見るなり、
リューディが立ち上がって礼をする。
「お久しぶりです、アイリア叔母上」
 この挨拶に女性は穏やかに微笑んで見せた。続けてレヴィッドが立ち上がっ
て一礼する。
「御無沙汰しております、母上」
「本当に久しぶりね……二人とも、無事で良かったわ」
 本当に嬉しそうにこう言うと、女性──レヴィッドの母アイリアはどことな
く所在無い様子のミュリアとカールィに笑いかけた。
「ようこそいらっしゃいました、可愛らしいお客さま方。大したもてなしはで
きませんが、どうか我が家と思って寛いで行って下さいましね?」
「あ……はい……ありがとうございます」
 優しい笑みと雰囲気に張り詰めていた気持ちが多少緩んだらしく、ミュリア
はどこかほっとした様子でそれに答えた。
「それで若様、これから一体、どうなさるのですか?」
「あらあら、あなたったら……リューディス様たちはお疲れなのですよ? そ
んなお話は、後になさいな」
 そこにレギオルが問いかけて来るが、問いにリューディが答えるよりも早く
アイリアがそれを遮った。レギオルは妻とリューディとを見比べ、それから、
そうですな、とあっさり引き下がる。
「今、お部屋の支度をしていますから、今日は何も考えずに、ゆっくりなさっ
て行って下さいましね?」
「……済みません、叔母上……」
「ふふ、そんなにかしこまってしまって、どうなさったの、あばれんぼのリュ
ーディ? 何も遠慮はいりませんよ、ゆっくりなさい」
「……ありがとうございます……本当に」
 アイリアにこう答える刹那、リューディの表情には久しぶりに見せる、心か
らの安堵が覗いていた。

「ふう……助かったな、ほんと……」
 アイリアとマーレルの心尽くしの手料理で夕食を済ませ、客室に落ち着くと、
リューディはベッドに寝転び、深いため息と共にこんな言葉を吐き出した。レ
ギオルの悪意のない説教には正直辟易するものの、久しぶりに会った叔母の優
しさは、ずっと張り詰めていた気持ちを十分に和らげてくれた。
 とはいえ、気を緩めきる訳にはいかない。レイザード家の助力が得られない
以上、ここにいても始まらないのだ。当座の目的地は、オーウェン大寺院領。
十二聖騎士侯・地のドルデューン家の治める地だ。
 オーウェン大寺院は屈強な武闘僧で構成された武闘僧兵団を有しており、そ
の長にして現ドルデューン家当主を務めるファビアスとは、兄弟同然に親しく
していた仲だ。そして彼の気質からして、今回の事を黙って見過ごすとは到底
思えない。恐らく彼であればリューディの考えに理解を示し、協力してくれる
だろう。
「……とにかく、ばらけてる場合じゃないんだよな……ゼファーグが……ディ
セファード家が何を考えてるにしろ、他の聖騎士侯家はまとまらなきゃならな
い……とはいえ……」
 それが必然とわかっていても、しかし、それには大きな障害があった。月の
アルヴァシア家が断絶状態、という状況は、その団結の際に大きなマイナスと
なるのは否めないのだ。
 それ以外にも今回のレイザード家の非干渉宣言は頭痛の種と言えるし、何よ
り火のフレイルーン家の直系であるリンナの生死が不明と言うのも厳しい。
「……それでも……このまま、ほっとく事はできないもんな……今のオレにで
きるだけの事はやらなきゃならない……」
 改めて決意を固めていると、こんこん、とドアがノックされた。突然の事を
訝りつつ、ベッドの上に身を起こしてどうぞ、と声をかける。それに応じてド
アが細く開き、小柄な影が滑り込んできた。ミュリアだ。
「……ミュー? どうしたんだよ?」
 突然の来訪に戸惑いつつ問いかけると、ミュリアは後ろ手にドアを閉め、そ
れから、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってリューディの胸に飛び込んできた。
「わっ!? ミュ、ミュー?」
 突然の事に戸惑うリューディには答えず、ミュリアは華奢な両腕をリューデ
ィの身体に回してぎゅっとしがみついて来る。押し当てられる柔らかな感触に
一瞬、頭の中が真っ白になるものの、胸に伝わる震えが辛うじて落ち着きを取
り戻してくれた。突然抱きついてきたミュリアの小柄な身体は、小刻みに震え
ていたのだ。
「……ミュー? どうしたんだ?」
「……リューディ……一人にしないで……」
 突然の事とその震えに重ねて戸惑いながら問いかけると、ミュリアは震える
声でこんな事を言った。
「え? 何だよいきなり?」
「……怖いの。なんだかリューディ……遠くに行っちゃいそうで……」
「……ばあか、オレが一体、どこに行くってんだよ? ……どこにも行かない
よ、お前の側にいる」
 出来うる限り優しく髪を撫でながらこう言うと、ミュリアは顔を上げ、すが
るような瞳をこちらに向けた。
「……ほんと?」
「当たり前だろ?」
「絶対?」
「絶対だって」
「絶対に……独りぼっちにしない?」
「する訳ないだろ? オレはずっとお前の側にいて、お前を護る! 心配する
なよ」
「……うん、わかった……信じてるから……だから、絶対、どこにも行かない
でね……」
 力強く言い切る事で、ミュリアはかなり落ち着いたようだった。瞳の不安が
薄れ、震えが静まっていく。
 自分に絶大な信頼を寄せ、身を預けてくれる少女の温もりは、リューディに
取っても何物にも変えがたい、かけがえのない安らぎと言えた。

 三日後の早朝、四人はファミアスを発った。アイリアはもう少しゆっくりし
て行っては、と言ってくれたが、いつゼファーグ軍がやって来るとも限らない
上、一刻も早く他の聖騎士侯と連絡を取りたい、という思いもあって、リュー
ディは早々の出発を決めたのだった。
 目的地は当初の予定通り、オーウェン大寺院領。旅の支度はレギオルが整え
てくれた。
「どうぞお気をつけ下さい、若様」
 出発前、レギオルは神妙な面持ちでこう言った。
「わかってるよ……それより、レギオルも気をつけてくれ。ファミアスも、戦
場にならないとは限らないからな」
「ふ……御心配なく、若様。このレギオル、槍の腕は未だ衰えてはおりませぬ
……ゼファーグ神聖騎士団相手とは言え、遅れはとりませぬよ」
「……腕は衰えてないだろっけど、性格で自爆はしないでくれよなー。すーぐ
に突撃してくんだからさ」
 自信たっぷりに言い切るレギオルにレヴィッドが冷めた突っ込みを入れ、そ
の直後にばきいっ!と殴られた。
「お前は一言多いのだ! ともあれ、レヴィッド、しっかり若様にお仕えする
のだぞ!」
「わかってるって……親父、気をつけろよ」
「……お前もな」
 傍目何とも素っ気ない、しかし、強い思いを込めた言葉を交わし、ぱんっ、
と手を打ち合わせる事で、親子はひとまず別れを告げる。挨拶が済むと、四人
は足早にファミアスの城門を潜った。
「……若様、どうぞ御無事で……」
 その姿が見えなくなるまで見送ると、レギオルは小声でこう呟き、そして、
家へ戻るべく踵を返した。
 ……ざっ!
 直後に、その頭上を黒い影が過る。その影は南東へ──リューディたちが向
かう方角へ向け、空を翔けて行った。

 飛来するその気配に最初に気づいたのは、カールィだった。ラファティアで
も名の知れた狩人一家の長男坊は、感覚が非常に鋭い。とにかく、微かな大気
の流れの変化から異変を感知する事ができるのだ。そしてその鋭い感覚は、後
方から飛来する気配を敏感に察知していた。
「リューディ、後ろからなんか飛んで来る!」
「え? 飛んでくるって……」
「……来るよ!」
 カールィが言うのとほぼ同時に頭上を影が飛び過ぎ、前方に着地した。それ
が白い天馬である、と認識した直後に、鮮やかなヴァイオレットの塊が白の上
から飛び降りて来る。
「なっ……ファミーナ!?」
 天馬から飛び降りた者を見たリューディが素っ頓狂な声を上げる。突然飛来
したのは、一目で完全武装とわかる出で立ちのファミーナだったのだ。
「リューディ、あたしも行く!」
 天馬から降り立ったファミーナは、戸惑うリューディに向けてきっぱりとこ
う宣言した。突然の事にリューディは重ねて戸惑い、え、と間の抜けた声を上
げる。
「あたしも行くって……ファミーナ?」
「リューディは、ゼファーグと戦うつもりなんでしょ? だから、あたしも一
緒に戦わせてって言ってるの!」
「って……でも、いいのか? ファミアスは非干渉の立場を取るんじゃ……」
「それは父上の考えでしょっ!? あたしにはあたしの考えがあるの! とにか
く、あたしはあんな暴挙は見過ごせないし……それに、こんな状況で、雷家だ
け何もしないって訳にはいかないじゃない!」
「……筋は通ってるけど、ムチャだね〜……」
 早口でまくし立てるファミーナの言葉が一段落すると、レヴィッドがぼそっ
とこう呟いた。この突っ込みにファミーナはアメジストの瞳できっとそちらを
睨むが、レヴィッドは悠然としたまま、勝気な瞳を受け止めた。
「でも、ま、レイザード家が完全非干渉って最悪の事態は、これで免れたな、
リューディ」
 そして、平然としたままリューディに話を振る。リューディはまだ少し戸惑
いつつ、取りあえずそうだな、と頷く。
「でも、ファミーナ……ほんとにいいのか?」
「……何よ、それ?」
 微かに眉を寄せて問うと、ファミーナはきょとん、と瞬いた。
「あのなあ……これって完全に、お前の独断だろ? 下手すると、ファミアス
に戻れなくなるぜ……いいのか?」
 静かな問いに、ファミーナは一瞬だけ戸惑ったらしかった。しかし、勝気な
天馬騎士はすぐさまそれを振り払い、はっきりと頷いて見せる。
「家に帰れなくなる事よりも、騎士としての誇りを失う事の方が、あたしは怖
い……一緒に行ってもいいんでしょ?」
 この問いにリューディはやれやれ、と言う感じでため息をつき、レヴィッド
はひょい、と肩をすくめた。そしてリューディはファミーナに向けて一つ、頷
いて見せる。
「止めて止まるタチじゃないもんな、お前も。よし、行こう……急いでファビ
アス兄の所まで行くぞ!」
「……リューディ……ありがと」
 リューディの言葉にファミーナは表情を緩め、安堵のため息とともにこんな
言葉をもらしていた。

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