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 それと、多少時間は前後する。
「……で、これからどうするつもりだ?」
 夜明け前の街道をファミアスへと向けて進軍するゼファーグ神聖騎士団の先
頭では、傭兵騎士ラグロウスが気のない声で魔導師ガルォードに問いを投げか
けていた。
「方角でわかるでしょう? ファミアスへ向かいますよ。次の相手は、レイザ
ードの天馬騎士団という事ですかね」
「レイザードお? ……ふん、それじゃ、オレは出番ナシだな」
 ガルォードの返事にラグロウスは露骨につまらなそうに鼻を鳴らし、この言
葉にガルォードは怪訝な面持ちでそちらを見た。
「……何故、そう言い切られるのです?」
「あの日和見領主が、ゼファーグと事を構える道理がない。先のヴィズル戦役
じゃ、正面切って帝国に反抗して、徹底的にイタイ目見てるからな、あそこは。
 それだけじゃない、基本的にファミアスは商業国家だ。何処についても戦後
に角が立つのは明らかな以上、何処に対しても中立、非干渉の立場を取らにゃ
あ、身が持たんだろ」
「ふむ……一理ありますね」
 何気ない様子で相槌を打ちつつ、ガルォードはやや、意外な思いでラグロウ
スを見た。一見、何も考えていない戦闘狂かと思えるが、どうやらそれだけで
はないらしい。
「……では、どうします? 先行して、オーウェンに向かわれますか?」
 しばしの思案の後、ガルォードは軽い口調でこんな問いを投げかけた。この
申し出にラグロウスは探るような目を魔導師に向けるが、ガルォードは悠然と
したままそれを受け止めて見せた。その瞳から、魔導師の真意を窺い知る事は
叶いそうにない。
「ふん……それも、いいかもな」
 しばしの沈黙を経て、ラグロウスは相変わらず気のない声でこう答えた。
「では、第一隊から第四隊までを連れて、オーウェンを目指して下さい。私は、
ファミアスを攻略してからそちらへ向かいます」
「四部隊もいらん、殿の第七隊だけ寄越せば十分だ」
「お好きにどうぞ。しかし、どうやってオーウェンまで行かれるのです?」
 傍らに控えていた伝令兵に今の決定を伝えるよう指示を出すと、ガルォード
はふと疑問を感じてこう問いかけた。
「アーヴェンとファミアスの国境沿いの間道を抜けて行く。まともな道じゃね
えんでな、数が多いと邪魔にしかならん」
「なるほど」
「ま、とにかくそっちはそっちで、好きにやってくれ」
「はいはい……では、御武運を」
 隊を離れて行くラグロウスにこう声をかけると、傭兵騎士は片手を上げてそ
れに応えた。その姿が見えなくなると、第一隊を率いる騎士隊長がガルォード
の横へとやって来る。
「……よろしいのですか、あんな勝手な真似をさせて……」
「ダメだ、と言って聞く御仁ではない。それに、その腕の確かさは、知ってい
よう?」
 小声の問いに、ガルォードは肩をすくめてこう答えた。
「はっ……あのランス・フレイルーンを相手に互角……いや、それ以上の勝負
をしていたその腕は、皆高く評価しておりますが……」
「しているが……何か?」
「あまり、功をたてさせては、後々に支障を来すのではありませんか?」
 一際声を潜めて投げかけられた問いに、ガルォードはくくっと低く笑った。
「案ずる事はない……あれは、権勢欲などカケラも持ってはいない。純粋に、
戦う事を楽しんでいるだけだ……功を上げたからと言って、それを基に地位な
ど望みはせぬよ」
「……それならば、良いのですが……」
 軽い言葉に騎士は不安げに眉を寄せ、その様子にガルォードはやれやれ、と
息を吐く。
「あまり、気を張るな。先は長い……次の相手は間違いなくオーウェンの武闘
僧兵団になる、今は気を静めていた方がいい」
「……オーウェン? しかし、次の目的地は、ファミアスでは?」
 怪訝そうな問いに、ガルォードはふっと笑って見せた。
「レイザード天馬騎士団とは、戦いにはならぬさ……ローゼス・レイザードは、
騎士ではない。あの男は、戦いを望みはしない」
 確信を込めて答えるその言葉には、はっきりそれとわかる、嘲りが込められ
ていた。

 自治都市ファミアス──ここはレティファ大陸を守護する十二聖騎士侯家の
一つ、雷のレイザード家によって統治される、自由貿易都市である。レティフ
ァ大陸のほぼ中央に位置するこの都市国家は交易の要所として、各国から重要
視される傾向にあった。
 現在の領主はローゼス・ザム・レイザード。レイザード天馬騎士団を率いる
聖騎士侯フェリーナ・ヴェラ・レイザードの夫であり、ファミーナの父でもあ
る。通常、聖騎士侯はその地の領主も兼任するのだが、ここファミアスでは聖
騎士侯は純粋に騎士団の長を務め、その伴侶が領主の任を預かるのが常となっ
ている。これは直系の血が娘にしか受け継がれないという、特異な性質を持つ
レイザード家ならではの事と言えた。
 ファミーナの天馬騎士隊によって山脈を越え、ファミアスにたどり着くとす
ぐ、リューディはローゼス卿との面会に臨んだ。
 が──。
「……何も、しない?」
 リューディの訴えに対するローゼス卿の返答は、実に淡白な物だった。
「そんな……冗談、だろ? 何もしないって……この状況で何もしないって、
一体どういう事だよ!?」
「冗談ではない。この件に関し、我がファミアスは一切関与しない意向だ」
 勢い込んで問うリューディに、ローゼス卿は淡々とこう答える。
「父上、でも、それでは……」
「お前は黙っていなさい」
 口を挟もうとするファミーナを一言で制すると、ローゼス卿は静かな瞳をリ
ューディに向けた。リューディはしばし口の中で言葉を探し、それから、だん
っとテーブルを殴りつけて大声を上げた。
「盟約が……『安寧の盟約』が、破られたんだぞ! それも、盟主とも言うべ
きゼファーグに! なのに、ファミアスは、何もしないって……そんなの、あ
るのかよっ!?」
「……ラファティアでの事は、既に聞き及んでいる……だが、それだけでは、
事の是非は見えない。君は、ゼファーグが一方的に盟約を破ったと言うが、そ
れは確かなのか?」
「……え?」
 静かな問いに、リューディは気勢を削がれて掠れた声を上げた。
「それは、つまり……」
「フレイルーン家に、非があったという可能性もある、と言っているのだ」
「なっ……フレイルーンが、ゼファーグに反旗を翻したとでも言うのかよ!? 
そんな事、ある訳が……」
「ある訳がない、と君は言う。そしてそれは、ディセファード家に対しても言
えるはずだ。違うかね?」
「そ……それは……」
 正論である。故に、リューディは言葉を無くして口ごもった。
「でも……奴は……あのゼファーグの魔導師は言っていた……聖騎士侯家の血
を絶やさねばならないって……なら、レイザード家にとっても他人事じゃない
んじゃないのか!?」
 それから精一杯の反論を試みるが、ローゼス卿は相変わらず落ち着いたまま、
それを受け止めた。
「それは認めよう。しかし、今はまだ、事の是非が見えてはいない。そして、
それが明らかにならぬ内は、軽率な行動は取れぬのだ」
「そんな悠長に構えててっ……」
「信憑性の薄い情報を基に軽率な行動を取り、街を危険に晒す事はできぬ」
「……ローゼス卿っ」
 あくまで冷徹な様子を崩さぬローゼス卿の態度に、ついにリューディの我慢
が限界に達した。リューディはばんっとテーブルを叩いて立ち上がり、感情の
赴くままに声を荒らげる。
「街が無事なら……後はどうでもいいってのか!? このままほっといたら、ど
れだけ血が流れるか……今のゼファーグは、明らかに間違ってる! それを、
見過ごすってのかよ!?」
「……口を慎め、リューディス! 月家が断絶している以上、君はラファティ
アの一市民に過ぎぬはず……その君に、聖騎士侯家の決定に異を唱える資格な
どないのだぞ?」
 感情をむき出しにするリューディに、ローゼス卿はどこまでも彼とは対照的
な冷静さでこんな言葉を投げ返した。そしてこの一言は、リューディの胸に深
く突き刺さる。月家――アルヴァシア家は絶たれている、という事実。それは
何よりも心に痛い。
「わかったよ……そうまで言われちゃ、こっちは引き下がるしかないからな」
 長く、気まずい沈黙を経て、リューディが低くこう呟いた。ローゼス卿は相
変わらず静かなままリューディを見つめ、ファミーナは困惑しつつ二人を見比
べている。その視線に気づいたリューディは軽くそちらを見やり、それから無
言で踵を返して部屋を出て行った。
「……父上!」
 リューディの足音が遠ざかり、気配が完全に消えるや否や、ファミーナは父
に食ってかかった。
「……どうしたファミーナ?」
「どうした、ではありせませんっ! 本気で……本気で、何もしないおつもり
ですか!?」
「何もしない、とは言わぬ。先ほども言ったが、今回の件は未だ事の是非が見
えてはいない。このような状況で軽率な行動は取れぬ、と言っているのだ」
 感情的な娘にローゼス卿は静かにこう答えるが、それで引っ込むファミーナ
ではない。ファミーナはだんっとテーブルを叩くと、澄んだアメジストの瞳で
きっと父を睨んで言葉を接いだ。
「父上……父上は、臆されたのですか!? 今回の事は、事の是非云々などと悠
長な事を言っている場合ではないはずです! フレイルーン聖騎士団第一隊の
あの様子……明らかに、虐殺を受けたと言えるあの状況を見れば、ゼファーグ
に非があるのは明白です! なのにそんな呑気な事を言って……それで、手遅
れになってからでは、遅いのではないのですか!?」
「ファミーナ、少しは口を慎め!」
 早口にまくし立てるファミーナにローゼス卿はさすがに語気を強めるが、そ
れで引っ込むファミーナではない。
「いいえ、言わせていただきますっ! 大体、父上は文官としての立場でしか、
物事をご覧になってはいない……いつも街の安全、街の安全とそればかりでは
ありませんかっ!」
「それが領主としての私の勤め……街の安全を第一とするのは当然の事だ」
「……当然ですって!? なら、わたしが『当然』の行動を取っても、文句はお
っしゃいませんねっ!?」
「ファミーナ? お前、何を……」
 唐突な言葉に、ローゼス卿は微かに眉を寄せた。
「わたしは、十二聖騎士侯家の者として、この暴挙を看破する事はできません!
 彼と……リューディスと共に、戦いますっ!」
 こう叫ぶや否や、ファミーナは立ち上がって部屋を駆けだして行った。後に
残ったローゼス卿は、ふう、と疲れたように息を吐く。
「……まったく……我が娘ながら、なんと直情な……少しは冷静に、物事を考
えられぬのか、あの子は」
「……仕方ありませんわ、私たちの娘ですもの」
 ため息と共に疲れた呟きをもらしていると、こんな言葉が投げかけられた。
声の方を見やったローゼス卿は、楽しげに微笑む妻フェリーナの姿に僅かに表
情を緩める。
「随分、はっきりと言うな」
「あら、それが事実ですもの……それより、あなた……」
「……わかっている」
 心持ち表情を険しくした妻に、ローゼス卿は一つ頷いて見せた。
「ゼファーグの真意はともかく、リューディスの言葉に、偽りはあるまい……
しかし、ようやくここまで復興したファミアスを、これ以上傷つけたくはない
のだ」
「……困った方ね、ほんとに。理屈はそれで通るけど、状況が戦いを求めた時、
どうなさるのかしら?」
 呆れたような、でもどこか楽しげな問いかけに、ローゼス卿は薄い笑みを浮
かべた。
「その時は……貴女に頼らせていただきたいのだがな」
「……ふう……ほんとに、困った方ね」
 軽い口調の返事に、フェリーナは相変わらず呆れた口調でこんな言葉をもら
していた。

「あ、戻ってきた!」
 領主の館を足早に出て館前広場に出てきたリューディを出迎えたのは、相変
わらずお気楽な響きのカールィの声だった。リューディは一つため息をつき、
待っている三人の所へ向かう。
「……ダメだったか」
 どことなく沈んだ面持ちに、話がこじれたと看破したレヴィッドが問う。そ
れに、リューディはああ、とため息まじりに頷いた。
「『事の是非がわからない以上、軽率な行動はとれん』だとさ……ったく!」
「ま……らしいっちゃらしいんじゃねーの? ここの領主さん、大陸一の慎重
派だしさ」
 苛立たしげに吐き捨てるリューディに、レヴィッドが軽い口調で皮肉を言う。
リューディはばりばりと頭を掻きつつ、足元の小石を蹴飛ばした。
「さて……取りあえず、これからどうする?」
「まあ、こうなっちまった以上、次の目的地はオーウェン大寺院だけど……差
し当たって、今夜の宿をどうするか、だな」
 レヴィッドの問いに、リューディはため息をついて天を仰ぐ。とにかく、四
人揃って着の身着のまま状態なのである。このままでは当座の目的地であるオ
ーウェン大寺院までの旅路も、正直心許ない。
「う〜……しっかたねえなあ……」
 それぞれが思案を巡らせる沈黙を経て、レヴィッドが低く唸りながらこんな
事を言った。
「……レヴィッド?」
「あんま、行きたくねえけど……ここは、頼るしかねえよな……」
「なになに、泊まるあてがあんの!?」
 レヴィッドの言葉にカールィが文字通り眼を輝かせて問いかけた。それにレ
ヴィッドはやや嫌そうに頷き、その様子からレヴィッドが何を宛にしているか
を察知したリューディも、複雑な面持ちに顔を歪めた。
「……そっか、そうだよな。ここ、ファミアスだもんな……」
「そ、そゆ事……リューディ……」
「ま……覚悟はするさ。オレたちはともかく、ミューがもたないからな」
 言いつつ、リューディは自分の左腕にぎゅっと掴まっているミュリアを見た。
ミュリアは不安げな面持ちでその瞳を見つめ返す。
「大丈夫だよ、ミュー……よっしゃ、行こうぜ!」
 その不安げな瞳に出来る限り明るく笑いかけると、リューディは出発を促し
た。四人はレヴィッドを先頭にして、住宅街へ続く道へと入っていく。ほどな
く、四人は中流家庭、と言った雰囲気の家々が立ち並ぶ一画の中でも、特にこ
ざっぱりとした雰囲気の家の前までやって来た。
「……ううう……覚悟してるけどっ、背に腹は替えられねえけどっ……」
 玄関の前に立ったレヴィッドは呼び鈴の紐の前まで手を延ばし、延ばした姿
勢のままで固まるとこんな事を呟いた。
「……緊急事態だ、頼む、レヴィッド!」
 そんなレヴィッドに、リューディが苦々しい面持ちでこんな事を言う。
「……ねーねー、何か、大げさじゃない?」
 そしてそんな二人の様子に、カールィが呆れたようにこんな突っ込みを入れ
た。レヴィッドは珍しくどよ〜んとした雰囲気を漂わせつつそちらを振り返り、
それから、意を決して呼び鈴の紐を引いた。リンリン……という涼やかな音が
響き、はぁーい、と言うの〜んびりした声が中から返ってきた。一拍間を置い
て扉が開き、見るからに人の良さそうな中年の女性が顔を見せる。
「はいはい、何方様で……まあ!」
 現れた女性はレヴィッドを見るなり目を丸くした。
「……まあまあ……レヴィッド様!」
「や……お久しぶり、マーレル……」
 素っ頓狂な声を上げて自分を呼ぶ女性に、レヴィッドは決まり悪そうに挨拶
した。女性は次にリューディを見やり、小さな目をこれ以上はない、と言うく
らいに大きく見開いた。
「まあまあ……リューディス様まで! 一体どうなさったのです!?」
「まあ、色々とね……」
 問われたリューディは、こちらも妙に決まり悪そうにこう答える。
「あはは……で、親父とお袋……元気?」
 続けてレヴィッドが細々と問い、この問いにマーレルと呼ばれた女性は勿論
ですとも、と大きく頷いた。
「こうしちゃいられませんわ、ささ、どうぞ中へ……旦那様、奥様あ!」
 マーレルの甲高い声が家の中に響いて行くのを聞きつつ、リューディとレヴ
ィッドは揃って大きなため息をついた。
「レヴィッド、リューディ……ここって……」
 そこに、カールィがややジト目になって二人を見上げつつ問いかけて来た。
レヴィッドはばりばりばりと頭を掻き、それから、はあ、とため息をつく。
「……オレの実家……」
「で、オレにとっては叔母夫婦の家って事になってる……」
 その問いにレヴィッドが低く答え、リューディがこれまた引きつった声で補
足した所に、どかどかどかと言う足音が響いて来た。何事か、とそちらを見や
ったカールィは、猛烈な勢いでこちらに走って来る壮年の男性の姿にぎょっと
する。
「レヴィッド! それに若様も……ご無事でしたか!」
「……よ、親父……久しぶり」
「……変わらないな、レギオル」
 呼びかけられた二人はそれぞれ苦笑めいた面持ちでこう答え、事態を全く把
握できていないカールィとミュリアはきょとん、とした顔を見合わせた。

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