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   ACT−2:古より、生まれしもの 03

 そして、その夜。
「……なんっか、なぁ……」
 開け放った窓枠に腰掛けて夜空を眺めつつ、ソードは一つため息をついた。
妙に落ち着かないというか何と言うか、変に気が騒ぐのだ。
(何か、起きるのか? できれば、何も起こらないでほし……ん?)
 ぼんやりとした思考は、人の気配に遮られる。よもやと思って周囲を見回す
と案の定、夜闇に浮かび上がる白い人影が見えた。
「……っとに」
 ため息と共に傍らの剣を掴み、自分も外に出る。
「ミィ! 一人で出歩いて、また変なモンが降って来たら、どーするんだ?」
 軽い口調で呼びかけると、ミィははっとしたようにこちらを振り返った。
「……ソードさん」
「状況が状況だしさ、一人歩きは控えないと」
「それは……そうですけど」
 小声で言いつつ、ミィは目を伏せる。沈黙が周囲を閉ざし、やがて、ミィが
それを破った。
「あの、ソードさん……」
「ん? なに?」
「……一つ、聞いても、いいですか?」
「……いいけど……」
 妙に深刻な様子に戸惑いつつ、しかし、拒否する理由も無いので、ソードは
こう言って頷いた。ミィはゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐにソードを見つめつ
つ、静かに口を開く。
「どうして……どうして、私の事……護って、くれるんですか?」
「え?」
 ミィの投げかけた問いに、ソードは思わず呆けた声を上げていた。
「どうしてって……」
「だって、おかしいです。見ず知らずの私のために、あんな……大怪我までし
て。そこまでする必要が、どこにあるんですか?」
「え、え〜と……」
 真摯な問いにソードは返事に窮して口ごもる。ミィはそれこそ真剣そのもの、
と言った表情でソードを見つめ、答えを待っていた。
 不安と、そして微かな期待。スミレ色の瞳には、それらの混在した想いが読
み取れる。
 とはいえ。
(こ……答えようが、ない……)
 そも、行動の基本原理が直感のソードである。ミィを護ると決めたのも、瞬
間の閃きと言っていい。必然や必要といった理屈ではなく、直感的にそれが正
しいと思ったから、なのだ。
(……そのまま言っても、多分納得しな……ん?)
 どうしたものか、と思案を巡らせ始めたその時、感覚が異様な気配を捉えた。
ソードは表情を引き締めて周囲を見回す。
「……ソードさん?」
 突然の変化にミィが訝しげに呼びかけてくる。ソードはそれに答えず、静か
に剣を抜いた。深呼吸をしてからゆっくりと剣を構え、
「……せいっ!」
 気合と共に振るった剣で横合いから飛びかかってきたものを両断する。ギギ
ャッ! という奇声が響き、やけに鋭い尾を備えたエイとおぼしき生物は消滅
した。
「……のんびりお話ししてるヒマ、またないみたいだね。オレから、離れない
で」
 唐突な出来事に呆然としているミィに静かに言うと、ソードは剣を両手で構
える。周囲にはまだ、異様な気配が多数感じられる。どうやらこちらを伺って
いるらしい……と思った矢先、気配が一斉に動いた。と言っても、襲いかかっ
てきた訳ではない。一斉に、建物の方へと動き始めたのだ。
「……まじっ! ミィ、戻るぞ!」
 それが意味する事に気づいたソードは、まだ呆然としているミィの手を取り
走り出した。
(最大級に嫌な予感がするっ!)
 走りながら感じたその予感は、
「うわああああっ!」
 しなくてもいいのに的中した。
 建物に戻って廊下に出るなり、絶叫が耳に届いたのだ。声のした方を見れば、
座り込んだ研究員を先ほどのエイが数匹で取り囲み、刃のように鋭いその尾で
いたぶっている。少し離れた所には、赤黒く濡れた肉塊が転がっていた。
「……っ!!」
「あのなあ……」
 凄惨な様子にミィが青ざめながら息を飲み、ソードは低い声を上げる。
「ふざけるのも……いい加減にしろぉっ!!」
 絶叫と共にソードは床を蹴り、エイとの距離を一気に詰めた。銀光が一閃し、
黒い塵が舞う。
 ギギ……ギギャッ!
 仲間の消滅に気づいたのか、近くにいたエイが奇声を上げて集まってきた。
「あ、あわわっ……」
「早く下がれ。巻き込むぞ」
 集まるエイの姿に動揺する研究員に、ソードは短くこう告げる。研究員は半
ば這うようにして、呆然としているミィのいる辺りまで後退した。それを確か
めたソードは、自分を取り囲むエイを静かに見回す。その口元に、嘲るような
笑みが浮かんだ。
「……あんまり、調子に乗るなよ。オレだってな……」
 低い呟きをかき消すように襲いかかるエイを、ソードは一瞬の剣閃で消滅さ
せる。
「……怒る時は、怒るんだよ。って言っても、お前らには通じないか」
 いつもの明るさからは想像もつかないような冷たい声が、石造りの廊下に淡
々と響く。警戒しているらしいエイを見つめる瞳は、いつの間にかその色を変
えていた。穏やかな翠珠色から、冷たい真紅に。それに呼応するように、手に
した剣の柄に埋め込まれた宝石が真紅の光を放っていた。
 ソードはゆっくりと剣を構え直し、低い気合と共にそれをエイに向ける。
(……なに? この感じ……何か、違う……)
 そして、ミィはその様子に強い違和感を感じていた。ソードがソードでない
ような、そんな感じがする。何が起きているのかはわからないが、このままで
はいけない、という確信めいた思いが胸に湧き上がっていた。
「……ソードさん、もう止めて!」
 その確信に従い、ミィは行動を起こしていた。最後のエイの消滅と共に走り
出し、背中から抱きかかえるように腕を回してソードにすがりつく。その瞬間、
ソードの身体が大きく震え、それと共に手にした剣が大きく震えたようにも見
えた。
「もうもいいんです……大丈夫ですから……剣を、振るわないで……」
「ミィ……? あれ……オレ、今……?」
 必死で訴えかけると、ソードがかすれた呟きをもらした。肩越しにミィを振
り返る、困惑した瞳はいつもの翠珠色だ。つい先ほどまでの冷たい雰囲気も、
今は全く感じられない。
「……大丈夫、ですか?」
「ああ、何とか……なんか一瞬、遠い世界に行ってた気がしてるんだけど……
今、オレ、何してた?」
「え……えっと……」
 とぼけた問いに、ミィは困惑して口ごもる。その様子に、この場での追求は
無理、と悟ったソードは現実的問題に向き合う事にした。
「ま、取りあえず、話は後かな。チビさんが心配だし、様子、見に行こう」
「あ、はい……」
 ソードの提案に、ミィはこくん、と頷いて手を離した。今になってとっさの
行動が恥ずかしくなったのか、俯く頬は微かに赤い。その様子に安らぐものを
感じつつ、ソードは剣を鞘に収めた。
 襲撃者は全滅したようだが、嫌な予感はまだ消えない。わだかまる不安に苛
立ちながらレイファの部屋を訪れた二人は、
「な、何だあっ!?」
「え……どうなってるの?」
 場の状況に絶句した。
 部屋の中央に、色鮮やかな光が渦を巻いている。その中心には、身体を丸め
た小さな人影が見えた。
「あれは……チビさんか?」
「それ以外の何に見える?」
 ぽかん、としつつ呟くと、横合いから突っ込みが入った。振り返れば、シュ
ラの蒼氷の瞳と目が合う。その傍らでは、レイファが呆然と光の渦を見つめて
いた。
「一体、何が起きたんだよ?」
「……侵入者がいたのは、わかっているな?」
 問いかけるとシュラは逆にこんな問いを返し、ソードはああ、と曖昧に頷い
た。
「何か、うやむやのウチに撃退したみたいだけど……それが?」
「そうか。進入してきた獣どもに襲われた途端、こうなった。それきり全く動
かず、反応もない」
「……ちなみに、その侵入者サマご一行は?」
「あの光が発生した時に、それに飲まれて消滅した」
 ふと感じた疑問には、予想通りの答えが返された。どうやらリュンは、襲撃
のショックでまた力を暴走させたらしい。
「ありゃま……しかし、これって……」
 言いつつ、ソードは改めて光の渦を見た。
(これって……もしかすると……)
 例によって何故かはわからないものの、その渦がなんであるか、ソードはお
ぼろげに理解していた。
「……防衛本能が、暴発的に発生させた、エレメンタル・エナジー・ストーム
……か?」
「……なに?」
 突然の呟きに、シュラが怪訝そうな声を上げる。
「あ、なんでわかる、はナシね。聞かれても困るから。んでもってさ……チビ
さん、もしかして周りのマナ、無作為に吸収してたりしないかな?」
 シュラの疑問を流しつつ、ソードはレイファに問いかける。レイファはだい
ぶ落ち着きを取り戻してきたらしく、多分ね、と言ってため息をついた。
「ありゃりゃ、それ、しれっと認めるかあ? かなり、偉い事だと思うんだけ
ど?」
「そうね。このままほっといたらこの辺り一帯、最悪、大陸中のマナを吸収し
かねないわ」
「それって、大陸滅ぶよな〜」
「……そうね」
 とてつもない事を冷静に語りつつ、レイファはゆっくりと立ち上がった。
 万有物質と称される物、マナ。世界を構成する最小単位とも呼ばれるそれは、
自然環境や生命活動の維持と密接な関わりを持つとされている。明確な論拠は
ないものの、マナが枯渇した土地では人の生活はほぼ不可能とされている事か
ら、マナの消滅は滅亡を意味する、という暗黙の了解がなされているのだ。
「でも、それじゃ本末転倒もいい所よね。あたしたちは、再生のために、この
子を生み出したんだから……」
「そーだよねぇ……で、具体的には、どーする訳?」
 軽い口調でソードが問うと、レイファは眉を寄せて光の渦を見つめた。
「この、力の波動が何とかならないと……」
「エナジーストームが、か」
 言いつつ、ソードはゆっくとり渦に近づいて輝きに手を伸ばした。
「ソードさん!」
 ミィが上ずった声を上げ、シュラが表情を険しくする。ソードはそれに答え
ず、光の渦に手を差し入れる。火花のようなものが弾け飛び、衝撃が伝わって
きた。軽い痛みを感じて、ソードはとっさに渦から手を離す。
「……これって……」
 衝撃と共に伝わってきたものに、ソードは眉を寄せる。言葉では言い表せな
い、強い不安のようなものが感じられたのだ。恐らくは、リュンの感じている
不安だろう。どうやら、襲われた事への不安や恐怖がこの光の渦を生み出した
と見て、間違いはないようだ。そして、例によって根拠は全くないものの、ソ
ードはこの力を自分が取り込めるような気がしていた。
「ま、とにかくやってみるか……って、訳で」
 低い呟きと共に、ソードは困惑しているらしいレイファを振り返った。
「力の波動は、オレが押さえる。だから、チビさん頼むよ?」
 にっこり笑ってこう言うと、ソードは力の渦に向き直った。深呼吸を一つし
て、渦巻く光にもう一度手を触れる。再び衝撃が伝わるが、今度はその痛みに
は耐えた。
 何故そう感じるのか、どうしてそれができるのか、それは全くわからない。
わからないが、この力の感触は懐かしく、手を差し伸べて静まるように呼びか
ける事で、力が自分の中に流れ込み、鎮まって行くのがはっきりとわかった。
そして、今は力が鎮まるというその結果があれば構わない──そんな気がして
いた。
(でも、なんだろな、これ……懐かしいけど……)
 力を鎮めつつ、ふと、こんな事を考える。渦巻く力の感触には、懐かしさと
共に、言葉では言い表せない嫌悪感のようなものも感じられていた。
「……」
 力の波を鎮めるソードの姿を、ミィは不安げに見つめていた。やがて、意を
決したような表情がその顔に浮かび、ミィはその場に膝を突いて祈るように手
を組みつつ目を閉じた。淡い燐光のような光がヴェールのように細い身体を包
み込み、それと呼応するように光の渦が輝きを鎮めた。
「リュン……もう、大丈夫よ。大丈夫だから、落ち着いて」
 渦が鎮まると、レイファはゆっくりとリュンに近づきつつ声をかけた。
「みゅう……みゅううぅ……」
「大丈夫よ、もう怖くないから……ほら、こっち、いらっしゃい……ね?」
「みゃう……みゅみゅみゅう……」
 穏やかな呼びかけに、リュンはいやいや、という感じで首を横に振る。拒絶
の意思を示すかのようにレイファの足元で力がスパークし、衝撃がその身体を
貫いた。
「レイファ!」
「大丈夫! これくらい……これくらいじゃ、メゲないわよ!」
 シュラの呼びかけに気丈に返すと、レイファは更に距離を詰めてリュンに手
を差し伸べた。
「リュン、いい子だから、こっちにいらっしゃい……大丈夫だから」
「……みゅ〜……」
「ほら……大丈夫だから……もう、怖くないから」
「……ふみぃ……」
 レイファの呼びかけと表情は、どうにかリュンの不安を鎮められたようだっ
た。光の渦が失せ、小さな身体がすとん、と腕の中に落ちる。渦の消滅と同時
に、ソードは激しい疲労を感じてその場に膝を突いた。
「ソードさん!」
 祈りの姿勢を解いたミィが慌ててそちらに駆け寄る。
「ああ……大丈夫、ちょっとふらついただけだから」
 心配そうに顔を覗き込むミィに、ソードはこう言って笑って見せる。
「そう言われて、納得ができるザマか、それが」
 そこに、シュラが呆れたようにこう突っ込んできた。ソードはあはは、と笑
って誤魔化し、ミィやレイファの表情にも安堵らしいものが浮かんだ。張り詰
めていたものが解け、場の緊張が解れたかに見えた、その時。
 クキェケケケケっ!!
 何の前触れも無く、奇声が響いた。
「っ!?」
 突然の声に顔を上げたソードは、天井に潜んでいたものの影を捉える。長く
伸びた爪と蝙蝠の羽を備えた巨大な猿は、急降下しつつ一瞬無防備になってい
たシュラの背へ向けてその爪を振り下ろした。
 いつもであれば、容易く避けられそうなその攻撃に対し、何故かシュラの反
応は一瞬遅れた。
「ふみっ!?」
「やばっ……」
「ああっ……」
「危ない!」
 複数の声と耳障りな声が交差し、そして、真紅が空間に花弁を開く。
「……っ」
 きちんとまとめて結い上げられていた髪が、乱れて広がった。だが、それは
シュラの銀糸さながらのそれではなく──
「……レイファ?」
 不思議そうに、本当に不思議そうにリュンが呟いて、首を傾げる。ついさっ
きまでレイファに抱かれていたはずのその身体は、いつの間にか床の上にちょ
こん、と座っていた。金色の瞳はきょとん、と見開かれたまま、つい先ほどま
で自分を抱えていたレイファを見つめている。
 空間に広がったのは、レイファの髪。即ち、その直前に舞い散った真紅も、
また……。
「……シズナ……?」
 消え入りそうな呟きが、立ち尽くすシュラの口からもれる。
 過去と現実が、その目の前で絡み合う。
 とっさに伸ばした腕に倒れこみ、やけに嬉しそうに微笑むレイファに、全く
違う少女の笑みが重なる。
「シュラ、無事? 良かった……」
『アスカ様、ご無事ですのね……』
 まるで違う、二つの声。曖昧な感覚は、手に触れた滑る感触に、一つの方向
へと流される。
「……貴様っ……」
 それは即ち、怒り。
 紅く濡れた手が、刃を手にする。
 蒼氷の瞳が見据えるのは、自らの濡れた爪を恍惚として舐める、生命を歪め
られた生き物。
「……消えろ!」
 白刃、一閃。
 霧を伴う刃の舞が、黒い塵を散らした。
「……」
 一連の出来事を、ソードは呆然と見つめていた。
 頭の中が、妙にぐるぐるする。
 吐き気すら感じる。
 いつも見ている悪夢、それに感じるのと同じ嫌悪感が、目の前の出来事から
感じられた。
(オレ……知って、る?)
 そう感じた瞬間、背中が激しく疼くような、そんな心地がした。妙な寒気が
して、冷たい汗が滲むのが感じられる。
「……? ソードさんっ!?」
 異変に気づいたミィの、悲鳴じみた声がソードを我に返らせた。ソードは短
く、大丈夫、とそれに答える。
「オレは、平気……それよりも、彼女」
 平気と言われても信用はできないだろうな、と思いつつもこう言うと、ミィ
は戸惑いながらも一つ頷いた。レイファの方が急を要するのは見てわかる事、
まずはあちらを、と考えたのだろう。ミィは一つ深呼吸をすると、以前、ソー
ドの怪我を癒した時のように両手に白い光を灯すが、
「……いいわよ、ムダだから」
 レイファ自身が疲れたようにこう言ってそれを押し止めた。
「む、ムダって、でも、あのっ」
「あたし、抗魔体質なのよね……それも、先天性の。だから、治癒系の力も、
打ち消しちゃうのよ」
 戸惑うミィに、レイファは淡々とこう答える。
 抗魔体質とは文字通り、魔に抗う体質の事だ。魔法と呼ばれる力や、それに
類する力を例外なく拒絶してしまう。治癒のための術も打ち消し、有効な対策
も発見されていないため、この体質の者の多くが不慮の事故で生命を落とすと
されていた。
「……何故……それと、わかっていて……」
 シュラが低く呟くのに、レイファはなんでかしらね、と言って微笑む。見て
いるだけで胸の苦しくなるようなやり取りは、何故かソードに強い頭痛を感じ
させた。こうなると、拒否反応と言っても良さそうだ。
「……レイファ?」
 小さな声が、不思議そうにレイファを呼ぶ。声の主──リュンはきょとん、
とレイファを見つめていた。
「リュン、ごめんね……あたし、還らなきゃダメみたい」
 そんなリュンに、レイファは穏やかにこう言った。
「ふぇ?」
「ほら……前に、教えたでしょ? 生命はいつか、大地に還って、眠りに就く
って。思ってたより早いんだけど、あたしの番が来たみたい……」
「おやすみなさい、なの?」
 問いかける声は、微かに震えていた。
「……そうよ」
「もう、おきない?」
「今の姿ではね……でも……」
「……魂の巡りが途絶えない限り、新しい姿と生命を得て、もう一度目を覚ま
すわ。だから……また、会える」
 消え入りそうな言葉の先を、ミィが引き取った。ミィは座り込むリュンをそ
っと抱き上げ、その様子にレイファは穏やかに微笑む。
「悪いわね……面倒、見てくれる? あなたなら……その子の役割、わかって
くれるでしょ?」
 静かな言葉にミィはこくん、と頷いた。レイファは安堵の表情でお願いね、
と笑いかける。
「……レイファあ……」
「お休みなさい、リュン」
 か細い声を上げるリュンに、レイファは優しく微笑んで見せる。その笑みに
何かを感じたのか、リュンはほんの一瞬表情を歪め、それから、精一杯の笑顔
でおやすみい、と告げた。直後にリュンはミィにぎゅっとしがみつき、ミィは
ゆっくりと立ち上がってソードの所へとやって来る。ソードは頭痛と吐き気に
ふらつきつつ、どうにか立ち上がった。
「……外、出てよか……」
 小声で言うと、ミィはそうですね、と頷いた。ミィを先に行かせたソードは、
ふとシュラたちを振り返る。途端に頭痛と吐き気が強くなるが、その反応が逆
にある確信をソードに与えていた。
(オレは……この光景を、知ってる……いや……『知っていた』)
 今は、その記憶は『ない』が、間違いなく、これと良く似た光景を『見てい
た』。それを見たのがいつか、はわからないのだが。
「……ソードさん?」
 立ち尽くすソードにミィが声をかけてくる。それに、今行くよ、と答えて、
ソードはそっとその場を離れた。

「……結局、こうなってしまいましたか」
 その頃、森の遺跡を眼下に見下ろす崖の上で嘆息する者があった。漆黒の髪
と、紫水晶の瞳の青年だ。その瞳はどことなくやるせないような、深い陰りを
帯びていた。
「……御主」
 ため息をつく青年の背後で大気が揺れ、低い声が呼びかけてくる。
「ああ、天狼くん。どうでした?」
 現れた黒装束の男──天狼に、青年は短く問いかける。
「突入したビーストは、壊滅した様子」
「……でしょうね。御大将も先走った事を……まぁ、彼らがここにいたのは、
予想外でしたからね」
 呆れたように言いつつ、青年はまたため息をついた。
「……宜しいのですか?」
「ん? ああ……古代種ですか。構いませんよ、このまま彼らに預けましょう」
「しかし、それでは……」
 何事か言いかける天狼を、青年は静かにかぶりを振る事で遮った。
「今の古代種は、力の塊でしかありません。多くを学び、正しい在り方を見出
さねば、私の願いは……到底叶えてなど、もらえませんよ」
 苦笑混じりの言葉に、天狼は何も言わない。青年は一つ息を吐くと、表情を
引き締めて問いを投げかけた。
「さて、各組織の動向は?」
「旧第七遊撃師団は壊滅した各組織の残存勢力を併合し、規模を拡大。御大将
は近く、剣匠殿を導入して討伐する模様」
 天狼の報告に、青年は一つ息を吐いた。
「彼を、ですか? やれやれ……あの方の新しい物好きにも、困りますね」
「……それと、もう一つ。『朱月の天使』討伐隊が、思わぬ人物に返り討ちに
あったとの事」
「思わぬ人物……ですか?」
 訝しげに問う青年に、天狼は一つ頷いた。
「……誰の事です?」
「……『真紅の聖魔騎士』リュティシウス殿下が御存命であったと、彩牙より
報せがありました」
 天狼の報告は、青年の予想と合致していたようだった。ほんの一瞬、その顔
を険しいものが過ぎり、直後に青年はふう、とため息をつく。
「あの方も……ですか。因果なものですね、本当に」
 苦笑しつつこんな呟きをもらすと、青年はもう一度遺跡を見、それから天狼
を振り返った。
「さて、戻りましょうか。長く留守にすると、あの子が心配ですからね」
 一転して軽くなったこの言葉に、天狼は御意、と頷いた。

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