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   ACT−1:何もない者たちの交差 03

 これ以上この村にいるのは得策ではない。今後の状況への論議がこの結論に
達するまで、さして時間はかからなかった。
「問題は、どこに行けばいいか、だよなぁ……」
 とにかく、自分が誰かわからないソードには行く宛というものがない。だか
らと言って、いつまでもここにいてはいずれ村人たちに迷惑をかける事は想像
に難くなかった。
「う〜ん……困った」
「……とても困っているようには見えんぞ」
「それでも、困ってんの! どっかに、危なくないとこ、ないかなぁ?」
 ソードのこのぼやきに、シュラは深くため息をついた。
「……何だよ?」
「今のこの大陸に、そんな場所があるか」
「あれ……そうなのか?」
 とぼけた問いに、シュラはまたため息をつく。
「……ドーランド魔導帝国が各国に宣戦布告し、侵略によってその版図を広げ
ているこの時世に、そんな場所がある訳がなかろう?」
 言いつつ、シュラは探るような視線を投げかけるが、ソードは気付いた様子
もなく、ふーんと気のない声を上げた。
「じゃあ、どうするかなぁ?」
「……あの……クレディアなら……」
 腕組みをするソードに、ミィが小声で呼びかける。
「クレディア?」
「双女神の聖地……絶対中立区か」
 シュラの呟きにミィはこくん、と頷く。
「確かに、現状では帝国はクレディアには手を出してはいないが……絶対安全
とは言いきれぬと思うぞ」
「なんで?」
「魔皇帝ガルラオンに常識は通用せん。そも、常識が通用する輩が、世界中に
戦線布告などするか」
 一理ある。
「ま、そうだろうけど……でも、どっちにしろいつまでもここにはいられない
さ。こんな平和なとこに……争い事は持ち込みたくない」
 呟く刹那、翠珠の瞳は言いようもなく真剣だった。その呟きに、同感だな、
とシュラも呟く。
「ま、って訳で、クレディアを目指して行こう!」
「それはいいが、お前、クレディアの場所はわかっているのか?」
 一転、明るくなったソードの宣言にシュラが冷たい突っ込みを入れる。
「……えーと……何となく、南の方……だった気がする」
「……何も覚えていないにしては、上出来だな」
 その突っ込みにどうにか答えると、シュラは呆れたようなため息と共にこう
言った。この言葉にソードはさすがにむっとした表情を見せる。
「今、思ったんだけど……ひょっとして、オレをイジメて楽しんでない?」
 低い問いにシュラは笑うだけで答えない。ソードはったく、と言いつつため
息をついた。
「ま、いいけどね……さて、それじゃ……」
 気を取り直して言いかけた言葉を遮り、
「わあああああん! 放せよぉ!」
 窓の向こうからこんな声が聞こえてきた。ソードとシュラの表情が引き締ま
り、二人は剣を手に立ち上がる。
「あ、あのっ……!」
 ただならぬ気配に、ミィが上擦った声を上げた。
「ミィは、ここにいるんだ。いいね!」
 有無を言わせずこう言いきると、ソードは窓から外に飛び出す。
「すまぬが、戸締りを頼むぞ!」
 続けてシュラがこう言って飛び出した。残ったミィは不安げな様子で窓に寄
る。
「……私……どうすれば……姉様……」
 かすれた声で呟きつつ、ミィは胸元の何かを握り締めた。
「ったあ……やっぱし?」
 一方、騒ぎの中心に駆けつけたソードは、場の状況にこんな呟きをもらして
いた。広場の中央に異質な影がある。昨夜の黒装束だ。その腕には子供が一人
捕らえられ、何とか逃れようともがいている。周囲には騒ぎを聞きつけた村人
たちが集っていた。
「……最悪だな」
 状況を見て取ったシュラが呟く。ソードはほんとだね、と苛立たしげに吐き
捨てた。
「放せ! 放せよお!!」
 捕えられた子供が叫ぶ。一見、片腕で抱え込まれているだけのようだが、ほ
とんど身動きは取れないようだ。
「っとに……おいおい、その子をどーするつもりだ?」
 肩に剣を担いだソードが前に出て問う。
「……害する気はない。件の娘を渡しさえすればな」
「嫌だって言ったら、どうなるかわからない……ってか?」
 低い問いに黒装束は薄く笑みを浮かべ、そこに表れた言外の肯定に村人たち
がざわめいた。
「あのさ、一応聞くけど関係ないの一言で切り捨てられるって、わかってる?」
「……貴様にそれは選べまい」
「ちぇ……バレてやんの」
 嘲るような答えに、ソードは本気で詰まらなそうに舌を鳴らした。
「して、返答は」
 そこに黒装束が淡々と畳みかけてくる。集った者たちが一斉にソードに注目
した。
(……困った)
 注目されたソードは、こんな事を考えて眉を寄せる。向こうの言う事など聞
く気はないが、このままでは子供が危ない。そして今の距離で下手に動くと、
それだけで人質の生死が決まりかねないだろう。
(……ど〜するかなぁ……)
 などと考え込んでいると、
「……待って!」
 か細い声がそれを遮った。はっと振り返れば、息を切らせたミィがそこに立
っている。
「ミィ!?」
「私、行きます……だから、誰も傷つけないで!」
 ミィの訴えに、黒装束は口元に微かな笑みを浮かべた。
「殊勝な心がけだな……では、こちらへ来るがいい」
 この言葉にミィは素直に頷いてそちらへと向かうが、
「ちょい、待った! 勝手に話、進めないでくれるかなぁ?」
 ソードは憮然として言いつつ、少女の肩に手を置いて引き止めた。
「でも、それじゃ……」
「でも、じゃないの。勝手にそういう話、進めない!」
「……そうだな、向こうが大人しく人質を放すとは思えん。ああいった手合い
は、己が姿を見た者全てを抹殺せねば気が済まん事が多い」
 ソードと、更にシュラにまでこう言われてミィは目を伏せた。
「ふん、随分な言われようだな」
 一方の黒装束はシュラの辛辣な評価に、多少憤慨したらしかった。それに、
シュラは冷たい笑みを持って応える。
「否定すべくもあるまい? もっとも、本来日の下に現れるを是としない貴様
らが白昼に現れたと言う事は、それなりの覚悟はあるのだろうがな?」
 この問いに、黒装束は静かに頷いた。
「無論だ……御大将の命、果たさぬ訳には行かぬ」
 問いに答える声は真剣で、彼が主命を何としても果たそう、としている事が
そこから容易に伺えた。
「だからって、この村を巻き込まれるのは困るんだよね」
 それに、ソードはきっぱりとこう言いきっていた。憤りを込めた声に場の全
員がソードに注目する。ソードは担いでいた剣をくるりと返し、その切っ先を
黒装束の喉元に向けた。
「って訳で……条件、変えない? オレとあんたの勝負で、決着つける形に」
「……なに?」
 突然の言葉に黒装束は訝るように眉を寄せた。
「この村は、オレたちとは関わりないんだから、条件から抜いてさ。オレとあ
んたで勝負して、勝った方がこのコを連れてく。その方が、お互い筋を通せる
んじゃないの?」
 静かだが、どこか有無を言わせぬ口調でソードは黒装束に問う。彼がそれに
どう答えるかに、場の全員が注目した。張り詰めた沈黙を経て、黒装束は良か
ろう、と答えて子供を解放する。解放された子供は転がるように親の元へと走
った。
「へえ……意外だね。少しは、ゴネるかと思ったのに」
 その様子を横目で見つつ、ソードは軽い口調でこんな事を言う。それに、黒
装束は冷たい笑みを浮かべた。
「貴様が何者かを知るには、刃を交えるのが早道……それだけの事」
「あ、そ。んじゃ、場所を変えるとしますか……ここは、下らない血を流して
いい場所じゃない」
 薄い笑みに睨むような視線で返しつつこう言うと、黒装束は好きにするがい
い、と短く返して姿を消した。ソードは一つ息を吐いて、シュラを振り返る。
「って訳で、行って来るから、このムチャなお姫様頼むよ。それから……」
「……わかっている。この地には、一切の手出しはさせん」
 ちょっとそこまで散歩に行くから。ソードの物言いは、そんな感じの軽いも
のだった。その言葉を最後まで言わせる事なくシュラはこう宣言し、これに、
ソードはにっと笑った。
「なんかに、かける?」
「そうだな……我が愛刀、白露刀・村雨にかけて……というのは、不服か?」
「それ、最高♪」
「あ、あの……」
 完全にそこだけでわかっている二人の会話に、ミィがか細い声で割り込んだ。
不安げな少女の肩に、ソードはぽん、と手を置いて微笑んで見せる。
「大丈夫! だから、シュラの言う事聞いて、いい子で待ってなよ?」
「……あ、あの、でもっ」
「心配いらないって!」
 根拠となるものは全くないが、ソードはこう言いきっていた。それから、こ
ちらも不安げにしている村人たちに向けて、にこっと笑いかける。
「何か、厄介事持ち込んじゃったみたいで、申し訳ないです。こっちでちゃん
と決着つけますから、勘弁してくださいね?」
 あっけらかん、とこう言うと、ソードは剣を担いで歩き出した。どこにさっ
きの黒装束がいるかはわからないが、こちらが適当と判断して足を止めれば自
ずと出てくるような、そんな気がしていた。
「……兄ちゃん!」
 歩き出したその背に、子供の声が呼びかける。足を止めて振り返ると、人質
にされていた子供がじっとこちらを見つめていた。
「負けちゃ、ダメだよ!」
「おう! 任せなさい!!」
 びし、と親指を立てて言いきると、ソードは再び森へと歩き出した。その横
顔には、ためらいらしきものは全くない。真一文字に引き結ばれた口元には、
強い決意のようなものが感じられた。やがてソードの姿は森の中へと消え、広
場には、何とも言い難い緊張感が立ち込める。
「……ソードさん……」
「……案ずる事はない。恐らくヤツは……死ねん」
 ソードが消えた辺りを不安げに見つめるミィに、シュラがぼそりとこんな事
を言う。ミィはえ? と言ってシュラを見るが、剣匠はそれきり、何も語ろう
とはしなかった。

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