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   ACT−1:何もない者たちの交差 02

 取りあえず薪割りをこなすと、ソードは最初に目を覚ました部屋に戻った。
シュラは見回りを請け負っているとの事で、どこかに行ってしまっている。一
人、部屋に戻ったソードは唯一の持ち物である剣と鎧を見つめた。
「……騎士の鎧……だよなぁ、やっぱり。でもこれ、紋章があったとこ、削っ
てある……」
 鎧の胸の不自然な傷をなぞりつつ呟く。しかし、いくら考えても自分が何者
であるか思い出す事ができない。それも知っていた事を忘れている、というよ
り、その部分だけが無くなっている、という感じなのだ。
「なんか、すご器用な事してんのかな、オレ……?」
 ふとこんな呟きがもれるが、不思議と心は落ち着いていた。自分自身や、こ
れからの事に対する不安や焦りがまるでないのだ。それはシュラにも言ったよ
うに考えても仕方がないから、というのもあるが、自分が誰だかわからない事
に妙な解放感を感じているのも事実だった。
「オレって、前は束縛されてたのかなぁ?」
 そう考えれば、この妙な安心感にも納得はいく。ソードはしばし鎧の傷を見
つめ、それから、ま、いいか、と呟いてベッドに寝転んだ。考えても答えは出
ないのだから、考える必要はない、と割りきったのだ。そのままぼんやりして
いると、窓の向こうから子供の声が聞こえてきた。
(あ……ここは、平和なんだな……)
 ふと、こんな思いが過る。ごく何気ない事だが、その事実は妙に心地よく感
じられた。

 翌日、食事と薪割りをすませたソードは一人、村の中を歩いてみる事にした。
シュラは家の雑事をソードに任せ、自分は見回りに専念する、と言って姿を消
している。何故見回りが必要なのか、その理由は答えてくれなかったが。
 村の広場まで歩いて行くと、昨日も聞こえた子供たちの声が耳に届いた。声
の主たちは広場で遊びに興じている。
「……あ……」
 ごく何気ない光景。そこから感じる穏やかな空気。当たり前が当たり前にあ
ると言う事。それが、言葉では言い表せないくらい、心地よい事に思えた。
「……あれぇ? あー、昨日見つけたお兄ちゃんだー!」
 その心地よさに浸っていると、ソードに気づいた子供の一人が声を上げ、あ
っという間に周囲を子供たちが取り巻いてしまった。
「もう元気になったの? 大丈夫なの?」
「ねーねー、お兄ちゃんって騎士なの? どこから来たの?」
「わわ、ちょっとちょっと、待った待った!?」
 立て続けの問いに、ソードは慌てて子供たちを押し止める。ひとまず周囲は
静かになるが、こちらを見つめる大きな瞳はそろって好奇心に輝いていた。
「え〜とだねぇ……実はお兄ちゃん、身体の方は元気なんだけど……」
 ここでソードは言葉を切り、こんこん、と自分の頭を小突いて見せた。
「こっちが全然、元気じゃなくてねぇ……今までの事、な〜んにもわかんない
んだよ」
 軽い口調で説明すると、子供たちはえ〜っと大声を上げた。
「なんにも、わかんないの?」
「うん」
「お名前も、なんにも?」
「そう。だから、今はソードっていうのが名前の代わり」
「じゃあさ、村の外の事、な〜んにも知らないの?」
「ん〜そうだねぇ……前は、知ってたみたいだけど」
「それじゃ、お話なんにも聞けないの?」
「そうなるねぇ」
「え〜……つまんなーい!」
 何となく予想してはいたが、子供たちは一斉に不平申し立てた。それに、ソ
ードはあはは、と乾いた声で笑う。と言うか、ここは笑うしか、ない。
「ごめんなぁ、がっかりさせて……お兄ちゃんもちょっと困ってるんだけど、
頭の中、空っぽでさぁ」
 言うほど困っている訳ではないが笑いながらこう言うと、子供たちは神妙な
面持ちでソードを見つめた。
「ん、どーした?」
「でも、一緒に遊ぶのはできるよね?」
 子供の一人が恐る恐る問うのにソードは一瞬目を見張り、それから、満面の
笑顔で勿論! と頷いて見せた。子供たちの間から歓声が上がり、その様子に
ソードは表情を緩めていた。

 ごく何気ないと思える事、本当に当たり前の事。それが物凄く心地よい自分。
そんな自分に対する疑問がないとは言わない。
「でもさ……なんか楽なんだよ、今。だから……ムリに前を知ろうとは、正直
思わない」
 一日中、村の子供たちと遊び回ったその日の夜、ソードは過去の事をどう思
うのか、と問うシュラにこう答えていた。
「記憶には固執しない……と、言うのか?」
「ま、そーゆー事。それに、なんか忘れたって感じでもないしさ。ほんと、自
分の事だけ抜けて無くなってるって感じなんだよね」
 この言葉にシュラは微かに眉を寄せ、それからやや大げさなため息をついた。
「……器用な男だな、お前は」
「ホメ言葉としてもらっとくわ、一応」
「本当に……面白いヤツだ」
 嫌味込みの評価にしれっと返すと、シュラは低く笑った。仕種に合わせて揺
れる銀色の髪が、月光を弾いて煌めく。
「面白い、か……それはあんたも同じ……」
 そこまで言った時、視界の隅を白い影がかすめた。不自然に途切れた言葉に、
シュラがどうした、と問うのを遮るように、
「シュラさん、ソードさん!」
 夫人がノックもそこそこに駆け込んできた。
「どうなされた!?」
「娘さんが……あのお嬢さんがいないんです!」
 表情を引き締めたシュラの問いに夫人が答えるのと同時に、ソードは動いて
いた。剣を片手に窓を開け、外に飛び出す。
「ソード!?」
「今、外を歩いてくの、ちらっと見えた!」
 呼びかけるシュラに短く答えると、ソードは人影が見えた方へと走る。シュ
ラは舌打ちをして自分も窓から飛び出した。
「シュラさん!」
「ご心配なく! それより、戸締りをお願いします」
 不安げな夫人にややピントのずれた言葉を投げかけると、シュラもまた夜闇
の中へと駆けて行く。
 外に飛び出したソードは村を取り巻く森へと向かった。理由はないが、あの
少女が森へ向かったように思えたのだ。果たしてその予想は正しく、森の中の
広場でソードは少女を見つけた。
「あ、いたいた♪ どーしたんだい、こんな時間に?」
 軽い問いに、少女は答えずに目を伏せた。
「どーかしたの? いきなりキミがいなくなって、奥さんびっくりしてたよ?」
「……」
「……とにかくさ、ほら、村に戻ろうぜ?」
「……て……」
「え?」
「放っておいて……私に、構わないで!!」
 かすれた声を振り絞るような叫びに、ソードはきょとん、と瞬いた。
「……なんで?」
「だって……だって、私は……」
 とぼけた問いに少女は声を詰まらせる。対処に困ったソードはかりかりと頬
を掻き、
「……っと、どーもお話ししてる余裕はないみたいだね」
 背後に感じた気配に一つため息をついた。いつの間に現れたのか、黒装束の
集団が二人を半円に取り巻いている。それに気づいた少女は大きく身体を震わ
せた。
「なんか、用かな?」
 担いだ剣でとんとんと肩を叩きながら問うと、
「……その娘を渡せ」
 先頭の黒装束がぼそりとこう返してきた。他の者が黒覆面で顔を覆い隠して
いる中で、この男だけは顔を見せている。とはいえ、長く伸ばした前髪によっ
て、その左半分は覆われているのだが。どうやら、彼がこの一団のリーダー格
らしい。
「……やだ」
 短い問いにソードは淡々とこう答え、その返事に場の緊張が高まった。
「では……滅する」
 張り詰めた沈黙に淡白な宣言が響く。夜闇そのものと見紛う黒装束が動き、
唸るような大気の震えとどがっという鈍い音を経て、その場に倒れ伏した。
「……次は、抜くよ」
 鞘に収めたままの剣を左手に構えたソードの一言に、リーダー格は微かにう
ろたえたようだった。翠珠を思わせるソードの瞳に宿る光は真剣で、今の言葉
に偽りが無い事、即ち、次に動いた者が確実に命を落とす事を物語っていた。
「……我らを敵に回すを、是とするか?」
「ん、そうなるかな。でも、なんかあんたら気に入らないんでね」
「……い、いけない! そんな事したら……」
 ソードとリーダー格のやり取りに呆然としていた少女が声を上げる。振り返
ると、大きなスミレ色の瞳と目があった。
「キミは、こいつらと行きたいの?」
「……え?」
「行きたくないんでしょ?」
 静かな問いに少女はややためらいがちに頷いた。
「なら、理由はそれで充分」
 にっこり笑ってこう言うと、ソードは黒装束たちに向き直る。表情が引き締
まり、静かな闘気が全身を包んだ。
「その『気』……まさか、貴様は……」
「へ? オレの事、知ってるの?」
 とぼけた一言にリーダー格は微かに眉を寄せた。だがそれも一瞬の事、すぐ
に冷たい殺気が空間に張り詰める。
「……否。彼の者は既に死した。恐れるに足らぬ……滅せよ」
 自己完結した呟きを合図に黒装束が動いた。ソードは一つため息をつき、静
かに動く。
 現れた銀の刃が月光を弾き、その軌跡を追うように真紅の花弁が開いた。
 少女が息を飲み、そして、黒装束が倒れ伏す。
「言ったよな……次は、抜くって」
 真紅に濡れた剣の先を、リーダー格の喉の高さにぴたりと合わせつつ、ソー
ドは静かに言い放つ。
「帰りな。ここでこれ以上、下らない血を流したくない」
「否……と言いたいが、貴様と白銀の剣鬼を相手取るには、手が足りぬ……」
 苛立ちを含んだ言葉にふと前を見ると、そこには厳しい面持ちのシュラの姿
がある。その手には、一目で斬撃主体とわかる細身の刀が握られていた。
「だが、覚えておくがいい。何人たりとも我らが御大将の意向には逆らえぬ。
その娘の身柄、いずれ必ずもらい受ける」
「そんな勝手は聞けないね」
 冷たい宣言にこう言いきると、リーダー格は笑うように口元を歪めた。ひゅ
っという音と共に大気が揺れ、黒装束たちは姿を消す。森は一瞬で元の静寂を
取り戻し、ただ、地面に残ったわずかな血痕だけが先ほどまでの緊張の名残を
止めていた。
「……物好きだな、貴様は」
 場の静寂を呆れたようなシュラの一言が破る。ため息まじりにこう言ったシ
ュラは懐から出した布をソードに投げ渡し、自分の刀を指さした。その言わん
とする所を察したソードは、ありがとさん、と苦笑しつつ紅に濡れた剣を拭っ
て鞘に収めた。
「私は、村の周りを一巡りしてから戻る。お前たち、あまり遅くなるな。奥方
が、心配しているからな」
 ごく何気なくこう言うと、シュラはソードから投げ返された布をしまって木
立ちの向こうへと消えた。その気配が完全に消えると、ソードは改めて少女を
見る。少女のスミレ色の瞳は不安と困惑を宿してソードを見つめていた。ソー
ドは笑ってその不安を受け止める。
「どうして……庇ってくれたんですか?」
「だって、行きたくなかったんだろ?」
「それは……」
「それだけで、充分理由になるよ。ええと……そういや、名前は?」
「……ミル……ミィ」
 不自然な間を持たせつつ、少女は名を告げる。それに疑問を感じつつ、ソー
ドはあえてそれを追求しなかった。
「ミィ、か。オレはソード……って言っても、本名じゃないけどね。自分の名
前、忘れちまったから、これが仮の名前」
 あっけらかん、とこう言うと、さすがにミィは驚いたようだった。普通の反
応だが。
「さ、それよりももう戻ろう。シュラも言ってたけど、奥さん、心配してたか
らね」
「……でも……私は……私に、関わると……」
 表情を陰らせ目を伏せるミィに、ソードは大丈夫、と言いきった。
「……え?」
「キミは、オレが護る。だから、絶対に大丈夫」
 絶対という言葉に根拠はないが、ミィを護る事はソードの中で決定事項とな
っていた。それが何故、と聞かれても、正直答えようはないのだが。
 案の定と言うか、ミィはこの宣言にきょとん、と目を見張り、そんなミィに
ソードはそっと手を差し伸べた。沈黙を経て、ミィはおずおずと手を伸ばす。
ソードは微笑みながら華奢なその手をしっかりと握り、少女を立たせた。

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