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   異形都市の狩人

 それが酷く脅えているのは明らかだった。全身を激しく震わせ、低い唸り声
を上げているもの――かつて人であったはずのそれは、レイを睨むように見つ
つ、壁際でうずくまっている。
「大丈夫だよ。怖がらないで……ね?」
 その脅えを何とか取り除こうと、レイは出来うる限り優しく声をかける。が、
それは低く唸るだけで一向に警戒を解こうとしない。全身を覆う毛を逆立て、
唸り声を上げるのみのその姿は既に人間とは呼べなくなっている。言うなれば
異形の獣人と言ったところか。
「だいじょぶだったら! そんなに怖がらないでよ、元に戻れなくなっちゃう
よ!? ね? いい子だから……」
 言いつつ、そっと手を差し伸べた瞬間、獣人は低い咆哮と共に跳躍した。完
全に虚を衝かれたレイは、態勢を崩して尻餅をつく。
「ったた……っとと!」
 強かに打ちつけた腰の痛みに顔をしかめる暇もなく、レイは立ち上がってジ
ャンプする。長く伸ばした栗色の髪がしなやかに流れ、直後に、跳躍した獣人
がレイのいた場所に突撃してきた。着地したレイは悲しげに眉を寄せ、更に獣
人に訴えかける。
「ダメだってば……怖さに負けちゃダメ! それじゃ、完全に異形になっちゃ
うよ……そうなったら、もう、助けてあげられないの。だから……」
 だから、気を鎮めて……という懇願を最後まで言わせず、獣人は歪に伸びた
爪を光らせつつ襲いかかってくる。とっさに避けたものの、長く鋭い爪はレイ
を捉え、柔らかな胸元を引き裂いた。
「いたっ……もうっ! 何で、そうなっちゃうのってば!」
 怒気を交えた問いに、獣人は猛々しい咆哮で答えた。先程までの脅えは、最
早、微塵も感じられない。あるのは殺気と、血を求める狂気のみ、だ。
「また……ダメなの? 助けられないの?」
 レイの顔が悲しげに曇る。が、獣人はそんな事は全くお構いなしにと攻撃を
仕掛けてくる。レイは何とか避けようと試みるが、先に受けた傷と、ここに至
るまでに受けた傷の痛みで思うように動けなかった。
「……どうして……取り込まれちゃうの、みんな……?」
 その場に座り込んで迫る爪を見つめつつ、レイは泣きそうな声でこう呟く。
鋭い爪が振りかざされ、レイを引き裂こうとするが、
「……はっ!」
 その直前に鋭い気合が大気を引き裂いた。それを追ってギャッ!という悲鳴
が上がり、獣人の身体から力が抜ける。その場に倒れ伏した獣人の向こうには、
漆黒の刀を携えた黒髪の男の姿があった。レイは、シャオ、と小声で男の名を
呼ぶ。
「まったく……いつも言っているだろうが、レイ。このレベルまで異形化して
いては、最早打つ術はない、と」
 座り込むレイに、シャオは厳しい口調でこう言った。澄んだアイシクルブル
ーの瞳は言葉と同様に厳しく、それらが意味する、シャオが怒っているという
事実にレイはごめん、と頭を下げる。
「まあ、いい……それより、種を取り出すぞ」
「うん……」
 シャオの言葉に、レイはやや気乗りしない様子で頷いた。
(確かに、これが必要な事なのはわかってるケドさ……)
 それでもやはり、死んだ獣人の額を裂いて、獣人化の原因とも言うべき種を
取り出す作業は気が乗らないものである。しかし、シャオはそんなレイの気持
ちには頓着せず、さっさと種をくりぬいてしまった。種が取り出されると獣人
の身体が光を放ち、それは本来の姿――まだ幼い少年へと戻っていく。
「……こんなちっちゃな子が、異形化しちゃうんだね」
「幼い子供の方が、種に捕まりやすい……それだけの事だ」
 痛ましげな呟きにも、シャオは淡々として答える。これまたいつもの事とわ
かってはいるが、この冷淡さだけはどうにも馴染めないレイだった。
「さて、やる事はやった。帰るぞ」
「う、うん……」
 シャオの言葉に頷くと、レイは胸元を押さえつつゆっくりと立ち上がる。傷
自体は大した事はないのだが、Tシャツがまともに切られているため、押さえ
ていないと厄介なのだ。
「……傷を受けたのか?」
 その様子に、シャオが微かに眉を寄せてこう問いかけてくる。
「え? あ、うん……ちょっとね……」
 奇跡的に爪の一撃を免れたジャケットの前をかき合わせつつ、レイは早口に
こう答えた。シャオはやれやれ、とため息をつく。
「帰ったら、ちゃんと見せろ。異形の毒が入っていると、いくらお前でも厄介
だからな」
「うん……わかってる」
「……あまり、無理はするな」
 やや素っ気なく言いつつ、シャオはレイを抱き寄せた。言葉こそ素っ気ない
ものの、こんなちょっとした所が、シャオは優しい。

 『異形都市』と呼ばれる街。ここがレイの暮らす街だ。かつてあった大規模
な戦争の後、どうにか復興に漕ぎつけたこの街は今、『異形種』と呼ばれる未
知の物体と人間の戦いの場となっていた。
 異形種とは文字通り異形の種である。異空間から突如現れ、人に寄生し、そ
の者を異形の者へと変化させてしまう。異形となった者は破壊衝動の塊となり、
無差別破壊を繰り返す。そしてその暴走は、唯一死を持ってのみ終わりとなる
のだ。
 街の権力者たちは安全のために異形狩りを奨励しており、今では専門のギル
ドまで作られている。しかし、異形狩りはあくまで裏の仕事であり、その肩書
きを表立って名乗る者は一人としていなかった。
 異形を狩れる者は大抵、何らかの超常的な能力を持っている。それ故に、異
空間の存在である異形種や異形と渡り合えるのだが、それは同時に、彼らが異
端である事の証でもあるからだ。
 レイこと、風見鈴もまた、異形狩りを生業とする一人だった。ほんの二年前
まではごく普通の少女だったのだが、異形種の巻き起こした事件により家族を
失い、以来、その時自分を救ってくれた異形狩りの青年・シャオと共に異形を
追っていた。
「まったく、こんな所に傷を受けるとは……だから、お前は考え方が甘いと言
うんだ」
 柔らかな乳房の上の傷の様子を調べつつ、シャオは呆れ果てたと言わんばか
りの口調でいつもの小言を繰り返す。
「だって……まだ、助けられるかなって思ったから……」
 それに、レイはいつもの反論で答えているが、どうにも力が入らない。傷の
痛み……というか、胸を晒している恥ずかしさが言葉から力を奪っていた。見
られるのも触れられるのもこれが初めてではないが、やはり、そういう問題で
はないのだ。
「もう少し冷静に、同化のレベルを読みきれと言っているんだ。まったく……
幸い、毒は受けていないようだが、あまり、自分の身体を過信するんじゃない」
「……別にあたし、過信なんてしてないってば……あ……」
 細々と反論した矢先にシャオの手が傷に触れた。ほんの一瞬、傷が痛むが、
直後に心地よい感触が傷全体を包み込んで痛みを抑える。しばらくしてシャオ
が手を離すと、傷は跡形もなく消え失せていた。それを確かめたレイは手近に
置いておいたシャツを着込んで身体を隠す。乙女の恥じらいの成せる技だ。
「それよりシャオ……何だかこの頃、異形化する人、増えてない?」
「それだけ、人の精神力が落ちている、という事だろう。異形を過剰に恐れる
あまり、逆に異形種を呼び寄せている……悪循環だな」
 レイの問いにシャオは冷静にこう返してくる。それに、そうだよね、と答え
つつ、レイはキッチンに向かう。
「あーあ、夜中に起こされて走り回ったから、お腹空いちゃった……何であい
つらって、夜に動き回るんだろ」
 冷蔵庫の中を覗き込みつつこんな愚痴をもらすと、
「古今東西、異形のものは深夜に徘徊するのが通則だからな……それはそうと、
今から食べるのは止めておけ」
 シャオは淡々とこう返してきた。
「……何でよ?」
「太るぞ」
「……イジワル」
 反論の余地のない一言に、レイは恨みがましくシャオを睨んで冷蔵庫を閉め
た。

 ちゅん……ちゅん、ちちち……
 ブラインドの隙間から、日差しと共に小鳥の声が差し込んでくる。その声が
いつも、レイの目覚まし代わりとなるのだ。
「ふわ……うう……ん……」
 眠たげな欠伸と共に、うつ伏せのまま身体をゆっくりと伸ばしてから起き上
がる。どことなく、猫を思わせる仕種だ。一糸まとわぬ肢体に長く伸ばした髪
が絡みつき、陽光が織り成す影が白い肌に不思議なアクセントを描き出す。し
かし、幼さを残した表情のためか、あまり艶かしい、という感じはしない。
「ふわ……シャオは……もう行っちゃったね」
 目元を擦りつつ室内を見回すが、黒髪の美丈夫の姿はない。ベッドの温もり
も随分と薄れているところからして、出かけてから随分たっているようだ。
「ふみ……毎日毎日こんなに早く……どこ行くんだろ……」
 眠たげに呟きつつバスルームに行ってシャワーを浴びる。異形狩りとなり、
シャオと同棲生活を始めて二年になる訳だが、未だに彼が昼間、何をしている
のかは教えられてはいなかった。もっともレイ自身、それはあまり気にしては
いないのだが。
「さぁて、と」
 シャワーを浴びて眠気を完全に覚まし、手早く朝食を済ませると、レイはい
つものスタイル――Tシャツにホットパンツ、デニムのジャケットに着替え、
髪をポニーテールに結い上げた。火元と戸締りを一通り確認し、自分もバイト
へ出かける。
 異形狩りは街の権力者から生活保障をされてはいるが、稼業が表沙汰にでき
ない以上、建前として何かしら働かなくてはならない。このため、レイはダウ
ンタウンのゲーム喫茶でアルバイトをしていた。場所的に女の子が勤めるには
少々危ない職場だがその分実入りは良く、何より、かつての自分を知っている
人間と会う機会が殆どない、あり得ないという点でレイはこのバイトを気に入
っていた。
「おっはようございまーす♪」
「おはよーっす」
「はいおはようさん、いつも早いね」
 店の裏口から事務所に入り、マスターやバイト仲間のカツミといつもの挨拶
を交わす。ロッカーに愛用のディパックを入れてエプロンを出していると、事
務所のテレビが廃墟となったビルで少年の変死体が発見されたニュースを伝え
はじめた。ちら、と画面に目をやると、見覚えのある少年の顔が画面に写って
いる。昨夜、異形種に取りつかれて結局、異形化してしまったあの少年だ。
(良かったぁ……昨夜のあの子、ちゃんと見つかったんだ)
 そう思うと、ほんの少しだけ気が安らいだ。それが異形狩りの取り決めとわ
かっていても、死体をその場に放置して行くのは、レイとしてはやはり気が引
けるのだ。
「なーんか、今月入ってから多いっすね、こういう事件……」
 カツミが眉を寄せつつ嫌そうに呟いた。それに、マスターがそうだな、と相
槌を打っている。
「ま、猟奇殺人だとか何とか言ってるけど、実際のところは例の化け物のせい
なんだろうさ。嫌な世の中だよ、まったく」
「怖いっすねよねぇ……アレって、何とかなんないのかなぁ?」
(……そう簡単に何とかなれば、あたしたちは苦労しないわよ)
 呑気な口調でぼやくカツミに心の中でこんな突っ込みを入れつつ、レイはエ
プロンをかけてロッカーを閉めた。
「ほらカツミ君、お店のお掃除やっちゃお。開店に間に合わなくなるよ!」
「あ、はいはい」
「さぁて、今日も一日頑張っていくかぁ!」
 レイの言葉にカツミと、マスターもこう言って立ち上がる。店内の掃除が一
通り済むと、レイはキッチンに入って手際良くサンドイッチを作りはじめた。
店は一般にファクトリーと呼ばれる工業区に近い所にあり、そこで働く若者た
ちが昼食をとりにここまで繰り出して来るのだ。ちなみに、その大半がレイを
目当てに通っているのだが、当然の如く相手にはされていない。逆に、誰に対
しても公平な笑顔を向けるところがレイをアイドルたらしめているのもまた、
言葉を尽くすまでもないだろう。
 個数限定のサンドイッチができ上がるのと前後して、カツミがゲームマシン
を起動する。店の前には既に、開店を待つ常連の姿が見受けられた。
「今日も来てますねー、お客さん」
「流行らないより、いいんじゃない?」
 呆れたように呟くカツミに笑いながらこう言うと、そのとおりだな、とマス
ターが頷いた。
「ま、そーっすけどね……んじゃ、開店しまっす!」
 ひょい、と肩をすくめてこう言うと、カツミは鍵を開けてドアを大きく開い
た。がやがやと入ってくる客に向け、レイはにっこりと微笑んで見せる。
「いらっしゃいませっ!」
 そして、いつもと同じ日常が始まった。

「それじゃ、お先失礼しまーす♪」
 夕暮れの残照が街を染め上げる頃、レイはバイトを終えて帰途につく。無理
に働く必要がない事もあり、勤務時間は短いのだ。それに、日が沈めばレイに
は本来の仕事が待っている。即ち、異形狩りとしての仕事が。
(……いる……)
 薄暗い路地を歩きつつ、気配を感じ取る。向こうは、こちらをターゲットと
見定めたようだ。
(……まだ、種か……宿主を探してる……)
 それならば対処し易い。種の時点で潰す事ができるなら、それに越した事は
ないのだ。何より、容赦する必要がない、というのは、レイとしてはありがた
い。
 ゆっくりと、何気なく、ファクトリーの外れ、廃工場の方へと歩いていく。
余裕はあるが、それは見せない。何かに追いたてられているような。そんな不
安げな様子を演じつつ、廃工場の建物の中に入り、
「……はっ!」
 短く息を吐いて跳躍した。一歩遅れて中に入ってきた握り拳大の鈍い色の光
球は、戸惑うようにその場で揺らめいた。その様子に、レイは鉄骨の上でくす
っと笑う。
「人気のない場所に追い込んだつもりだったんだろうけど……お生憎さま。あ
たしが呼び込んだのよね♪」
 殊更に明るい口調でこう言うと、レイは鉄骨の上から飛び下りた。髪を結い
上げるリボンを解き、ジャケットを脱いで袖で腰に縛りつける。戦闘準備を整
えるレイの様子に、光球――異形種は再び揺らめいた。
「悪いんだけど、狩らせてもらうわよ。あんたにここにいられると、みんな困
るからね」
 一転、冷たい口調で静かに言い放つ。異形種を見つめる瞳は、いつか、鮮や
かな真紅にその色彩を変えていた。それに伴い、栗色だったはずの髪も月の光
を思わせる淡い金色に変わっている。つい、と差し伸べた手に髪と同じ色彩の
光球が舞い降り、その輝きに異形種は震えるように大きく揺らめいた。
「おとなしくしなさい……」
 ゆっくりと距離を詰めつつ静かに告げる、この言葉に異形種は従わなかった。
一際大きく揺らめいた異形種は突如膨張し、鈍い輝きを放って自らの形を変え
る。鈍い色の光球が弾け、鋭い角を生やした巨大な銀色の獅子が姿を現した。
憑依する依代を見出せなかった異形種が変化する、異形獣だ。
「……おとなしくしろって、言ったでしょ! っとに、もう!」
 苛立ちを込めて言いつつ、レイは後ろに大きく飛びずさった。異形獣は低く
唸りながらレイを見ている。空白の時間が流れ、異形獣の咆哮がそれを打ち破
った。
 グァルゥゥゥゥっ!
 咆哮の尾を引きつつ、異形種が跳躍する。突進の一撃を横っ飛びにかわしつ
つ、レイは手の上の光を握り潰した。光はひゅっという音と共に細長く伸び、
優美なフォルムの槍へと形を変える。漆黒のポール部分と白銀の穂先のコント
ラストが、何とも言いがたい美しさを織り成している。着地したレイは槍を両
手で構え、異形獣と対峙した。
「……そっちがやる気なら、本気で行くわよ。あたしには、あんたたちにかけ
る情けはない」
 静かに言いつつ、ゆっくりと距離を詰める。レイの気迫に異形獣はわずかに
怯むものの、結局は牙をむき出して飛びかかってきた。レイは一つ息を吐くと、
たんっとコンクリートの床を蹴って跳躍する。そのまま、落下速度に体重を乗
せた突きを繰り出すが、異形獣は素早く後退してその一撃をかわした。
「……やるねっ!」
 瞬間的に槍を横に流して床と穂先の衝突を避けたレイは、着地の姿勢から素
早く横に飛んで異形獣の側面を突く。白銀の穂先が鈍い銀の毛皮に食い込むと、
レイは素早く持ち手を変え、突き刺した槍を強引に垂直に立てつつ、異形獣の
脇腹から背へと駆け上がった。
 グギィイイイイイイっ!
 鋭い痛みに、異形獣が絶叫する。
「……あんたが、取りついた人間に与える痛みは……」
 低い呟きをもらしつつ、レイは槍を握る手に力を込めた。
「……こんなもんじゃないでしょおっ!」
 叫び様、異形獣の背を蹴って跳躍する。その勢いで引き抜いた槍を追うよう
に、漆黒の液体が吹き出した。レイは槍を横に振るってそれを跳ね飛ばす。最
初に飛び乗った鉄骨に再び足場を定めると、レイは静かな瞳で異形種を見つめ
た。異形種は低く唸りつつ、睨むようにレイを見つめている。その瞳には怒り
と共に、訴えかけるような色彩も微かに見て取れた。
「……泣いたって、助けない。あんたを野放しにする事はできないよ……わか
るでしょ? あんたたちはね……」
 静かに言いつつ、レイは胸の前で両腕を交差させた。柔らかい光が走り、長
い髪がふわりと舞い上がる。
「あんたたちはね、相容れる事はできないの……この世界とは、ね」
 ……ばさあっ!
 低い呟きをかき消すようにこんな音が響き、鮮烈な白が弾けた。一体どこか
ら現れたのか、レイの背に純白の翼が開いたのだ。一点の汚れもない無垢な白
の翼を持ち、槍を携えたレイの姿は、さながら、古い神話に名を留める戦乙女
を思わせた。
 ウゥウウウ……
 異形種が低い唸りを上げて後ずさる。レイは鉄骨からふわりと舞い降り、再
び異形獣と対峙した。一瞬の空白……それを経て。
 ウウウ……グォォォォォォっ!
 一際鋭い咆哮と共に、異形獣が動いた。一度身体を屈め、勢いをつけた跳躍
で一気に距離を詰めてくる。対するレイはとんっと床を蹴って舞い、漆黒に濡
れた異形獣の首に取りついた。
 グァルルっ!
「……還りなさい。これ以上、痛みを振りまかないで!」
 静かに言いつつレイは槍を両手で構え、鋭い切っ先を異形獣の眉間に突き立
てた。その瞬間、槍その物が美しい月光色の光を放つ。光は崩れ落ちた天井を
突き抜け、暗い空にまで駆け上がる。
 グゥ……グァァァウルゥゥッッ!
 光に包まれた異形獣が苦しげに咆哮した。レイは目を閉じ、無言で槍をねじ
込む。
 ガァァァァァっ!
 絶叫を追うように異形獣の口から銀色の光が迸った。レイは目を閉じたまま
槍を引きぬき、ふわりと舞って異形獣から離れる。直後に異形獣の身体が膨張
し、銀の閃光を伴って弾けた。それを待ち受けていたかのように空へと伸びた
月光色の光の柱が弾け、飛び散った光の粒子が銀の光を包み込むように広がっ
た。月色の光は銀色の光を鎮めて行き、全ての光が消え去った時、レイの目の
前には銀色の石のような物が浮かんでいた。異形種だ。
『……ナゼ……?』
 不意に、空間に声が響いた。それと共に異形種の表面に目のような物が現れ、
レイをじっと見つめる。
『……ナゼ……ワレラ……メッスル?』
「言ったでしょ。あんたたちは、こことは相容れないの」
『ナゼ……ワレラ、ダケ? オマエ……ワレラト……オナジ……』
「……あたしは、違う!」
 震える問いに、レイは声を荒げてこう答えていた。
『……チガワヌ……ソノチカラ……ワレラトドウシュ……』
「……ええ、そうかもね! この力は、あんたたちと同じよ。あんたたちの同
類に押しつけられた力……でも、あたしはあんたたちに屈していない。あたし
は、あたしのままでこうしてここにいる……だから、あたしはあんたたちとは
違う!」
 嘲るような言葉に、レイは槍の先を突きつけつつこう言い切った。
「これ以上、あんたと話す事はないわ……消えなさい!」
『……ッ!』
 異形種の単眼が大きく見開かれる。レイは突きつけた槍を真っ直ぐに繰り出
し、穂先が鈍い銀の石を打ち砕く。その瞬間、キィィィィィィンっ!という甲
高い音が周囲に鳴り響いた。異形種の破片はしゅうしゅうと音を立てつつ、か
らん、からん……と無機質にコンクリートの上に落ちる。レイは唇を噛みしめ
つつ、転がった破片を睨みつけた。
「……好きで、こうなった訳じゃないわよ。でも……こうじゃなきゃ、生きら
れなかった……こうならなかったら……」
 呟きながら膝をつき、破片の中から黒ずんだ石のような物を拾い上げる。異
形種の核だ。
「……レイ」
 核を握りしめるレイに、静かな声が呼びかける。振り返ると、影さながらに
佇む黒衣の青年と目が合った。シャオだ。
「シャオ、来てたんだ……」
「……気を感じてな。仕留めたのか」
「ん……今の内にやっとかないとね……取りつかれると痛いの、わかってるし」
 静かな問いに答えつつ、レイは拾い上げた核をシャオに渡す。シャオがそれ
をポケットしまうと、レイは目を閉じて一つ深呼吸した。月色の光が美しく舞
い、槍と翼が姿を消す。髪と瞳の色が元に戻ると、レイは腰に縛りつけていた
ジャケットを解いた。
「あ〜あ、このTシャツも結構気に入ってたのにぃ……二日で二枚もダメにな
るなんて、やんなっちゃうなぁ……」
 背中に手を回し、翼が現れた時に裂けた布の感触にこんな事を呟く。殊更に
明るく振る舞っているようにも見えるその様子に、シャオが微かに眉を寄せた。
「……レイ……」
「……だいじょぶ、心配しないで。あたし、ちゃんとわかってるから……」
 明るく笑ってこう言うと、シャオはそうか、と言いつつ息を吐く。
「ね、それより、早く帰ろっ。バイト終わってすぐにどたばたしてたから、あ
たし、お腹空いちゃった」
 ジャケットを羽織りつつの言葉に、シャオは一つため息をついた。
「……やれやれ……お前はすぐにそれだな」
「仕方ないじゃないのぉ。空腹は、生命体の正常な欲求でしょお?」
 呆れたように言うシャオに、レイはムッとしつつこう返した。これに、シャ
オは先程よりも大げさにため息をつく。
「限度というものがある。お前の場合は、かなり過剰だ……太るぞ」
「……もうっ! すぐにそれ言うんだからぁ……シャオのイジワルっ!」
 いつもの突っ込みにレイは拗ねた声を上げてそっぽを向き、シャオは低く笑
いつつその肩を抱き寄せた。
「……帰るぞ、風が冷えてきた」
「……またそうやってごまかすぅ……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、それでもレイはシャオに身を寄せる。わかって
いるからだ。今の自分――異形種に取りつかれ、その狂気をはね除けた結果、
人ならざる力だけを残して全てを無くした自分の居場所は、シャオの傍らだけ
であると。
(あたしは、人じゃない……でも、心は人。だから、あいつらとは違う……)
 ふと蘇った異形種の言葉を、レイはこんな考えで否定した。直後に肩に回さ
れた腕に力がこもり、それに戸惑って顔を上げると、静かにこちらを見つめる
アイシクルブルーの瞳と目が合った。レイはちょっと笑ってその瞳を見つめ返
す。
「……やだな、落ち込んでないってば」
「……本当か?」
「……全然じゃないケド……でも……キスしてくれたら元気になるかもね♪」
 茶目っ気を交えてこんな事を言うとシャオは呆れたようなため息をつくが、
それでも、レイの願いに応えてくれた。
(あたしは、ここに、いられる……だから、大丈夫……)
 力強い抱擁に身を委ねたレイは、強い安堵を感じつつ、ふとこんな事を考え
ていた。

 天上から二人を見下ろす月の光が、優しい。


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あとがき その1へ