12

 自分が生まれるより前の世界に何があったとか。

 世界が変わった理由とか。

 そんな事は、基本的にどうでもいい。

 その辺の事を問題として定義しろと言われたら……強いて言うなら、一つだ
け。

 そのせいで、自分が『化け物』として生まれた、という事くらい。

 ……つまりは、言っても仕方ないし、意味もない。

 だから、考えても、どうにもならない、という事で……。

 そう思っていたから。
 だから、『神』や『天使』やらに興味はなく。
 自分の存在、自分というもの。
 それを認め、受け入れ、求めてくれるものたちと共にあろう、と思った。

 右の手首の朱花の印はその誓いの印。
 死なず、帰り、護る。
 それが、『約束』。
 だから。
 だから――死ねない。

「……ん……」
 途切れていた意識が繋がる。戻り始めた感覚が最初に捉えたのは、温かさ。
「……?」
 覚醒したての意識は状況を正確に把握させず。とにかく、そこにあるのが何
であるかを確かめようと伸ばした手は、何か、柔らかな感触に触れた。
 さらりと手を滑るそれは、恐らくは誰かの髪。ただ、触れる感触には覚えは
なかった。弟分妹分の髪の手触りは全員分、きっちり違いを把握しているが、
そのどれとも違う。
(……んじゃ、一体……?)
 考えても、思いつくよな宛はなく。それでも、触れるそれは何故か――感触
とか、そういったものとはまた違う心地良さがあり。アーベルはぼんやりとし
たまま、それを引き寄せようと力を入れていた。
 近くなる、ぬくもり。柔らかさがより明確に感じられる。それに、心の奥底
――深い、ふかい闇の向こうで安堵めいたものを感じつつ。同時、深まる疑問
は気だるい身体に視界を要求して。アーベルはゆっくりと、ゆっくりと目を開
き――。

「……ぁ?」

 最初に目に入った色に、惚けた声を上げた。
 白の上、緩く、緩く広がる金糸のような、髪。
 伸ばした右手は、その波の中。右手首に刻んだ朱花が、金の中に鮮やかに浮
かんでいた。
「……雷光?」
 段々と覚醒してきた意識は、今自分が引き寄せたものが何かを遅れて認識さ
せる。金色の髪は雷光天女の──カルラの髪。恐らくは最初に拾われた時と同
様、治癒のために添い寝していたのだろう。それと認識したアーベルは手を離
して起き上がろうとして──何となく、動きを止めた。
「…………」
 微かに過ぎる、疑問。先に感じた安堵は、なんだったのかと。
 路地裏で共に暮らしている者たちが与えてくれる安堵とは、違った感触。
 特別な何かがあるわけでもない──はずなのに、と。
 そんな事を考えつつ、無意識、手は金色の髪を撫でていた。
「ん……」
 そしてその感触が眠りを破ったのか、カルラが微かに声を上げた。アーベル
はす、と手を離して起き上がる。気だるさはあるが、痛みなどは感じなかった。
「……また、借りができちまった、か?」
 周囲を見回し、それがカルラが拠点としていた部屋である事を見て取ると、
アーベルはため息混じりに呟いた。
 研究施設での戦いの後の記憶は、ついさっきまで途切れている。恐らくはま
たカルラにここまで運ばれ、治癒を受けたのだろう。
「なーんかこう……ずるずる使われそうな予感がしてきた……」
 何となく浮かんだ未来絵図に思わず呟いた、その直後。
「人聞きの悪い事、言わないでよねぇ」
 拗ねたような響きの声が、すぐ側から上がった。ちら、と向けた蒼の瞳は、
あからさまに不機嫌な碧の瞳とかち合う。
「……否定要素、あるのかよ?」
 思わずぼそり、と突っ込むと、カルラの不機嫌さは表情全体に及んだ。
「あんたって……」
「何だよ?」
「……ま、いいわ。なんか言うだけ空しい気もするし。
 と、それより」
 はあ、と大げさなため息をついてこう言うと、カルラはゆっくりと身体を起
こした。緩慢な動きと、微かに歪んだ表情にアーベルは僅かに眉を寄せる。
「お前、まだ、傷……」
「ああ……体質だから仕方ないわ。それよりも、そっちは全快したみたいね?」
 短い問いにカルラはどことなく困ったような笑みを浮かべ、それから、こん
な問いを投げかけてきた。
「ん、ああ……傷は塞がってるし、痛みもない。
 っていうか、体質って?」
 その問いにアーベルは一つ頷いて答え、それから新たに感じた疑問を投げか
ける。この問いに、カルラは僅かに目を伏せた。
「んー……他者治癒に特化してる反動なのかしらね。傷の治りとか、普通のヒ
トより遅いのよ。
 しかも、自分のヒーリングは自分には効かないし。結構、厄介な体質なのよ
ねぇ」
 それから、ごく軽い口調で淡々とこう告げる。やや俯き加減の表情は、今は
下ろした髪に隠れてはっきりとは見えない。が、淡々とした語り口に隠れたも
のがある事は、アーベルには容易に察する事ができた。
「そう、か……悪い」
 『新種』と称されるものであるが故の、負の側面。それは自分も嫌と言うほ
どに思い知っている。だからこそ、短い言葉はごく自然に零れ落ち──そして、
その言葉に、カルラは何故かくす、と笑った。
「……本気で、悪いと思ってる?」
「え? ……そりゃ、まあ……」
 唐突な言葉に戸惑いつつ、しかし、否定する要素はないのでアーベルは素直
に頷き──。
「て、ちょっ!」
 突然、首にかかった重みに困惑した声を上げていた。カルラが首に腕を絡め
てきたのだ。それと認識した直後、ベッドの上に寝転んだカルラに引き倒され
る。
「って、何だよ、いきなり!?」
「……悪いと思ってるんでしょ?」
「……は?」
「そう思うんだったら、回復の手助けしてくれても、いいんじゃないかしら?」
「……え?」
 きょとり、と。蒼の瞳が一つ瞬く。惚けた反応が可笑しかったのか、カルラ
はくすくすと声を上げて笑った。
「共振作用の話、忘れた訳じゃないわよねぇ?」
「まあ……な」
「だったら……わかるでしょ? よもや、ハジメテ、ってコトはないんでしょ
うし」
「それはそうだけど……って……」
 そういう問題じゃ、と。言いかけた言葉は、不意に途切れた。
 気がついたから。
 からかうような物言いとは裏腹に、どこか、縋るような色彩を浮かべたカル
ラの瞳に。
(ああ……そう、か)
 同じ、なんだ、と。今更のように、アーベルはそれに気がついた。

 タイプこそ違え、世界の気まぐれが生み出した『新種』であり、その『始祖』
である自分と、カルラ。
 異種でありながら、同類と呼べる存在同士。
 それは恐らく──心の深淵に同じ想いを沈めた者同士で。
 同じものを、忌避しつつも求めているのだと。

「……孤狼?」
 不意に途切れた言葉と沈黙を訝ったのか、カルラが不思議そうに呼びかけて
きた。アーベルは小さくため息をついた後、何でも、と短く返す。この返事に、
カルラは緩く首を傾げた。
「何でもないならいいけど……で?」
「『で?』って、何?」
「どうするの?」
「……ったく……」
 問いかけに、アーベルはやや大げさなため息を一つ、ついた。
「ま、生命救われた事に変わりはねぇ訳だし? こんな事で怖気づいたとか思
われるのも、癪だし、な」
「自分の欲求に素直じゃないのねぇ、オオカミさんのクセに」
「……ほんとに、一言多いなお前は……」
 呆れたような言葉、それにカルラが何か言い返そうとするのは唇ごと封じ込
めて。

 生じる熱に、しばし、溺れる。

 『異種』でありながら『同種』と呼べるものの存在に、深淵に沈めた孤独が
一時、癒されるのを感じながら──。


 ──数日後。


「んじゃ、世話んなったな、雷光」
 住み慣れた場所に程近い、道の分岐点。停められたジープから飛び降りたア
ーベルはカルラに軽い口調でこう言った。
「ま、一応はお互い様、かしらね。
 ……あたし一人じゃ、到底手に負えなかっただろうし」
 手に負えなかった、が何を意味するかは、言うまでもなく。アーベルは確か
にな、と頷いて肩を竦めた。
「それじゃ、あたし、行くわね。
 ……縁があったら、またよろしく?」
「……よろしく、って何をだよ」
 思わず呆れたような口調で問うと、カルラはくすくすと楽しげに笑う。その
様子にアーベルはため息を一つついてから、前髪をぐしゃり、とかき上げた。
「冗談はさておき……またね。
 次に会う時、敵でない事を祈っとくわ」
「それはお互い様、だな……じゃ」
「ええ。寝言の君にも、よろしくねぇ?」
「……だから、それ、誰なんだよっ!」
 投げかけた問いには笑うだけで答える事無く、カルラはジープを走らせる。
乾いた砂埃が立ちのぼり、あっという間にその姿は見えなくなった。アーベル
はもう一つため息をつき、それから、帰るべき場所へと足を向け──。
「……あれは……」
 犬の吠える声に小さく呟いた。程なく、二頭の犬が我先にと先を争って駆け
寄ってくる。
「クヴェレ、ヴィーゼ!」
 名を呼ぶのと、二頭が飛びついてくるのはどちらが先か。飛びつきの勢いを
支え損ねたアーベルはまともにひっくり返る。
「て、こら、お前ら落ち着けっ! くすぐったいっての!」
 舐め回しの同時攻勢に思わずこんな声が上がるものの、口元にはごく自然に
笑みが浮かぶ。わしわしわし、と二頭を撫で回していると、今度は名を呼ぶ声
が聞こえてきた。
「……アーベルっ!」
「アル兄っ!」
 声の聞こえた方に、蒼を向ける。目に入るのは、大事な──『家族』たちの
姿。数日、顔を見なかっただけなのに、その姿は言いようもなく懐かしく思え
た。

(例え、世界から異端な存在だとしても、でも。
 ……俺の居場所は……『ここ』にある。
 俺の、帰るべき、場所は)

 ふ、と心を掠めるのはこんな思い。
 癒しきれぬ孤独は抱えていても、それでも。
 自分は、ここで生きているのだと。
 そんな事を考えつつ。

「……ただいま! 今、帰ったぜ!」

 大きく手を振りつつ、駆けてくる者へと呼びかける。
 誓いの朱花の上に巻かれた銀糸が、陽の光を弾いて煌めいた。


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